0-5 怒りの鉄槌

 明らかに機嫌の悪そうな低く荒っぽい声音に、ツナグは慎重にその声の主のほうを見る。そこには腰に短剣を携え、二足で立ち聳える狼がいた。


「お、狼がしゃべっ……」


 驚愕するツナグだが、瞬時に過去のファンタジー小説やらの知識をほりだし、数秒かからずして相手は獣人なのだと推測し、理解した。体格から察するに、まさに狼男といえるだろう。だが、理解したとて、この状況をすんなりと受け入れることはまた別だ。


「なんやあんちゃん、変わった格好してるなぁ。この辺で見ない顔やし、ここいらに旅行でも来たんか?」


 ツナグはすっかり相手に怯んでしまい、声を出せないでいた。ただ狼男を凝視するばかりで、身体が動かせない。


 隣に立つ主人も冷や汗を滲ませ、眉間に皺を寄せていた。


 ちょうどそこへ、小さな悲鳴も入り込んだ。偶然近くを通りかかったのだろう女の子が、怯えた目付きで狼男を捉えていた。


 女の子は絞り出すような声で言う。


「さ……山賊……だ……」


 ――


 その単語ワードを聞いて、ツナグに戦慄が走る。


 まさか村へ来ていきなり山賊と出会ってしまうなんて、運が悪いにもほどがある。


賊長ぞくちょう〜! 相変わらず、足が早いですぜ〜!」

「そうッス、そうッス〜! さっさと自分だけ先行って、また独り占めする気ッスかぁ!」


 ――しかし、ツナグの悪運は不幸にもまだ続くようだった。


 目の前の狼男だけではなく、ほかにも続々と狼男の集団が村に現れてしまったのだ。


 山賊というならば、やはり複数いるものだったか。


 交わされていた会話から、目の前にいる狼男が山賊のおさということが窺える。

 確かに、団長と呼ばれたソイツだけは、ほかの狼男らと比べて一線を画す風貌をしていた。


 周りの村人も異変に気づいたか、口々に「山賊が来た」と声を上げ、逃げ出そうする者、荷物をまとめ出す者などが出てきた。


「おい! 逃げるんじゃねぇやい!」


 山賊たちはそれを見逃すわけもなく、次々と村人を襲いかかりはじめた。


 さきほどまでの和やかな時間はどこへやら。村は一瞬で、恐怖の底へと変わってしまった。


 山賊長さんぞくちょうである狼男は、ツナグを見下ろしながら言う。


「旅行客ってぇなら、そこそこ金持ってるやろ? 素直に全財産渡してくれりゃ、命は見逃してやるわ。三秒以内に身ぐるみまで全部揃えて、俺に差し出せ」


 山賊長の威圧に気圧され、ツナグは身体を震わせるばかりだった。


 隣にいた主人は、咄嗟に庇うようにしてツナグの前に立つ。


「……すいやせん、コイツは旅行客とはまた違いやして、金なんて一銭も持ってないんです。ワシの全財産を差し出しますから、どうか――」

「うるせぇ! ジジィには話しかけてへんやろぅが!」


 山賊長は容赦なく主人を殴り飛ばした。口の中を切ったか、血を吐きながら地面に倒れ込む主人。


 ――酷い。


 ツナグはそう思ったが、その光景を見ているばかりで、まったく動けない。


 あまりにもボーッと突っ立っているツナグに腹を立てたのだろう。山賊長はツナグの胸ぐらを掴み、右腕のみの力でツナグを軽々と持ち上げる。


 地面から足が離れ、首が締めつけられるツナグ。


 息苦しさに足をパタつかせながら必死に抵抗するが、山賊長の力は凄まじく、まったく効果がない。


「ずっと震えてばっかでなんも言えんで、テメェ赤ん坊より喚きがいがねぇ奴やな……。そんなに金を出し惜しむんやら、一発……」


 山賊長が左手に拳を作り、殴りの姿勢を取ったときだった。ツナグのポケットから何かが地面に転がり落ちた――キズナからもらったおにぎりだ。


 山賊長はチラリとおにぎりを見て、それからまたツナグを見た。


「……テメェ、まさかこんなシケた握り飯ひとつしか持ってねぇなんて言わへんよなぁ?」


 ツナグは息を絶え絶えに、「こ……れ……だけ……だ」と、答えた。


 山賊長は怒りの形相に様変わりし、ツナグを地面に叩きつけた。


「ふざけんじゃねぇ!!」


 山賊長は怒号を上げながら、地面に落ちたおにぎりを踏みつけた。


「――!!」


 ツナグはおにぎりへ向かって手を伸ばす。


 グチャグチャに崩れ、土にまみれたおにぎり。山賊長はなおもそれを足ですり潰し、侮辱の限りを重ねていく。


「……あ……そんな……」


 キズナがくれたおにぎりやさしさが、こうも簡単に破壊されてしまうなんて、とツナグは悔しさとやるせなさでいっぱいだった。


 ツナグは身体を起こしながら、周りも見渡す。


 暴言と暴力の音が所狭しと起こりつづけ、悲鳴と呻き声が呼応を重ね、惨状が広がっていく。


「…………ッ!!」


 ツナグは、改めて山賊長へ視線を向けた。


「……あ? なんだその目は?」


 山賊長は容赦なくツナグの頭を蹴り飛ばす。


 ツナグの意識が飛びかける……が、幸いにも失うことはなかった。地面に額を擦ったが、痛みも恐怖も感じなかった。


 今、ツナグの胸の内に込みあがってくるものは――怒りだ。


「……やめてくれ」


 ツナグは、冷静に山賊長へと告げる。しかし山賊長は、「はぁ?」と答えるばかりで、聞き入れようとする様子はない。


「やめてくれ。こんなの、間違ってる」


 ツナグは揺らりと立ち上がり、山賊長を睨みつけ、もう一度言う。


「……頼む。こんなことしたって何になるんだ。お願いだから、手を引いて帰ってくれ」


 山賊長は「頭打って命乞いか……?」と、めんどうくさそうに舌打ちし、短剣を抜くや、ツナグの心臓目がけて突き刺そうと動き出した。



「――やめろっつってんだよ!!」



 刹那、山賊長の動きが止まる。


 ツナグは気づけば、右手に拳を作っていた。


 なんでこんなことしようとしているのか、自分でもわからない。


 ただ、村人たちが襲われているのが見ていられなくて。


 自分を庇おうとしてくれた青果商の主人を殴られたことが悔しくて。


 親切にしてくれたキズナの好意を踏みにじられたことが――許せなくて。


 ツナグは足を踏み出し、全体重を拳にかける。



「――だらぁッ!!!」



 ツナグの拳は山賊長の頬へめり込み、その大きな身体は、まるで紙切れのように吹き飛ばされた。


 何メートルも地面の上を転がり、次第に失速させながら、やがて住居の壁に背を打ちつけ、山賊長は白目を向いて身体を伸び切らせ倒れ込んだ。


 辺りがしん、と静まり返る。


 山賊らは、意識を失った山賊長に注目したまま固まっていた。


 ツナグは我に返り、山賊長と自分の拳を交互に見やる。


「……あれ? 俺、今……」


 自分のしたことが信じられずに困惑していると、そこへ聞き覚えのある声が聞こえた。


「おやおや。やるじゃないかぁ、ツナグくん」


 現れたのは、この世界へ来てはじめて出会ったヒトリと、森の中でツナグを助けてくれた――キズナだった。

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