第三十七話 皆殺し令

 初めて人を殺した時の感触を、ハクアは決して忘れないだろう――


 あれは、アザール帝国の兵士だった。

 多分民間から徴兵された兵士であり、戦う覚悟もできていないような男達だ。

 訳もわからず連れてこられて、恐怖に震えながら前線に立つ。


 良い身分ではなかったのだろう。だから肉盾としての役割を期待されて、彼らは前線に立っていた。

 そんな彼らに、ハクアは魔術を放った。

 初めて戦場に立ったハクアがしたのは、それだけだ。


 それで、二百二十五人が死んだ。


 初めてで加減がわからなかったのだ。

 誰もがハクアに期待と疑惑の眼差しを向けて、その一挙手一投足を観察していた。

 だから、パニックになったハクアはコントロールもできずに魔術を解き放った。


 それは爆撃系の魔術であり、たった一撃でアザール帝国の前線は崩壊した。

 そこからクリスタ王国の騎士や兵士が雪崩れ込み、敵を一網打尽。完璧な勝利だった。

 これまで苦渋を舐めさせられたアザール帝国への完全勝利に、全員歓喜で沸いていた。死者はゼロ。対してアザール人は多くが死んだ。


 しかしハクアは喜べない。


「……死んだ。たくさん、私が、殺した?」


 戦場に転がる死体は、ハクアが作り出したものだ。

 爆撃系の魔術は非常に凄惨な光景を生み出していて、頭が半分吹き飛んだ者。手足だけがない者。体の半分がない者。

 千差万別な死体があった。


 多分即死できたのは少数だ。ハクアが殺した二百二十五人は、恐ろしい痛みに苛まれながら苦しみ死んでいったのだろう。


「うっぷ――」


 吐き気がこみ上げてきた。


 己が何をしてしまったのか認識した瞬間、恐怖が全身を蝕んだ。

 ハクアの持っている才能は、たった一発の魔法で二百二十五人を殺せるものだ。

 それを漸く認識できた。これは父を喜ばせる素晴らしい力ではない。大量殺戮兵器だ。それをハクアは使ってしまった。


 たくさん、殺してしまった。


「ハクア様、どうされました?」


 吐き気を押し殺し、呆然とするハクアに声をかけてきたのは、騎士団長のレベルカだ。


「……レベルカ、さん。……もう、嫌。わたし、戦い、たくない」

「何を言っているのですか。あなたが力を振るったから、この素晴らしい景色ができあがったのです。それを誇り、また我らをお救いください」

「嫌だ! たくさん、殺したの! 私が! 私の! 力が! ……こんなに、たくさんの、人が。私のせいで、死んだ。私が、殺した!」


 諫めようとするレベルカの言葉を跳ね返し、ハクアは絶叫して涙を流す。

 ハクアの頬をつたる大粒の涙を、レベルカは冷たい瞳でじっと見つめていた。


「もう、いや。助けて、私が殺しちゃったの」

「…………」

「レベルカさん……助けて」

「……これは、駄目だな」


 泣きわめくハクアを、レベルカは無感情に見つめていた。

 そこにはハクアを心配する優しい気持ちなど欠片もなく、どこまでもシビアな人を人とも思わぬ目だ。


「レベルカ、さん?」

「ハクア様……私の目を良く見てくださいね。そして、勇気を振り絞ってもう一度頑張りましょう」


 そう言ったレベルカは、ハクアの手を握ってゆっくりと――



 ◇



「――っ! ……ゆ、め?」


 ガタっと大きな揺れが体を襲って、それでハクアは目を覚ました。

 周囲を見れば戦場へ向かう馬車の中で、ハクアは眠っていたらしい。


 戦争への恐怖でロクに眠れなかったから、限界が来て寝落ちしてしまったのだろう。

 だが目覚めは最悪だ。一番最初の戦争。ハクアが負ったトラウマを思い出してしまった。


 ずっと思い出さないようにしていたのに、なんで見てしまうのだろう。

 思い出してしまったら、恐怖が増大してしまうではないか。


「っ……大丈夫。大丈夫」


 一人きりの馬車の中、ハクアは己に言い聞かせるように呟く。

 こんなこと、慣れてるはずだ。一人きりになれば、ハクアに恐怖が襲い掛かる。

 それを毎回ちゃんと凌いできた。


「グレイ……助けて」


 でも今この恐怖にさいなまれているのは、幸せを知ってしまったからだ。

 グレイはハクアを守ってくれる。グレイという存在が、ハクアにとっての救いだった。なのにそれを取り上げられて、どん底に落ちたのが今だ。


 救いを急に取り上げられて、恐怖がハクアを支配して、心はすでにグチャグチャだ。今すぐグレイに会いたかった。あと腕に抱きしめられて、安心したかった。

 でも、ハクアは一人だ。


 一人で恐怖の中にいる。


「――ハクア様。失礼します」


 急に声が聞こえてきて、ハクアはスっと無になった。

 全ての感情を殺して、姫騎士になりきり、入って来た部下の望む姿をハクアは取った。


「到着いたしました。こちらへ」

「はい」


 とても平坦な声だ。

 何の感情も浮かばない顔をしながら、ハクアは立ち上がって馬車を下りる。

 いつの間にか戦地についていたらしい。


 ここには独特の臭いがある。

 大っ嫌いな死の臭いだ。


「こちらです」


 案内されたのは後方に建てられた陣地だった。

 幹部クラスが集合し、作戦会議を始めるのだろう。


「おおハクア様。お待ちしておりました。さあこちらへ」

「ありがとうございます」


 中に入ればニコニコと笑う大柄な男が出迎えてくれる。

 彼が、この場の責任者。第三騎士団の団長だ。

 案内されるままに席に付き、ハクアは周囲を観察する。


 第一騎士団団長のレベルカ。その部下たち。

 そして第二騎士団からも精鋭が派遣され、王国兵団からも人が来ている。

 また第四騎士団、第五騎士団からも援軍が来る手筈だ。


 これは小競り合いではすまないだろう。

 大きな戦争になる。沢山人が死ぬ。地獄が先に待っている。


「さて――諸君、これほどの戦力を集めたのだ。敗北はありえない」


 ハクアが目を伏せていれば、ふとこの場で最も偉い男の声が聞こえてきた。

 顔を上げ、上座を見れば、豪華な椅子に座った男。国王バルカンが宣言をする。


 なぜかここまで来ていたバルカンが、此度の指揮を執ることとなった。

 国王自らが戦場に来て指揮を執るという事実に、騎士達の士気は高い。


「その上で姫騎士ハクアがいる。我が娘が憎きアザール帝国を打ち滅ぼしてくれるだろう」


 その言葉に、皆が沸く。

 姫騎士ハクアが戦場に立って以来敗北がないクリスタ王国は、今回もその力を頼りにするのだろう。


「さあハクアよ。……今回は我も見ている。

「っ……!」

「わかったか?」

「はい……」


 なぜ、バルカンが戦地まで来ているのか。その言葉でハクアは察して、誰にもわからぬほど小さく顔を歪ませた。


 敗北がないのにずっと戦線が膠着している理由こそ、ハクアが戦況を操作していたから。

 ただ敵を追い返し、状況が膠着するように動き続けていた。


 誰も殺さず、誰も死なず、ずっとこの小競り合いの状況が続くように願った。

 だけどそれを、バルカンは許さないのだろう。

 その力を振るい、アザール帝国を打ち滅ぼすことを望んでいる。


 今までハクアを黙認していたのは、準備を進めていたからだ。

 だがようやく準備が整い、今回大規模な戦力を動員した。これで決着をつけ、帝国を滅ぼす腹積もりだろう。


 故にもう、ハクアが手を抜くことを許さない。

 ハクアが全てを滅ぼし生まれた道を、この戦力を持って突き進む。

 そしてアザール帝国を滅ぼせば、大陸統一はもう目前。


 バルカンは世界の王となるだろう。


「…………」


 その未来を想像し、ハクアは硬く拳を握った。


「偵察によると敵の勢力は一万前後。ハクアよ、できるな」

「…………」

「お前ならできるはずだ」

「……はい」


 逆らうことはできない。ハクアはすでに貧民街の掃討を拒否し、グレイと恋をしてしまった。

 これ以上バルカンの心証を悪くするなど、できるはずがなかった。


 より強い魔術を放つことになるだろう。

 なるべく殺さず、しかし敵に打撃を与えるような――


「──皆殺しにせよ」

「……え?」

「聞こえなかったか? 皆殺しだ」


 ハクアは、しばらくその意味がわからなかった。

 敵は一万人。それを皆殺し。バルカンはそう言ったか。


「できるはずだ。その力なら。皆の者! ハクアが道を切り開くぞ!」

「なんと!」

「ハクア様はそれほどの力を」

「素晴らしい。素晴らしい力です!」


 周囲を見れば、皆が拍手をしていた。

 うるさいほどに鳴り響き、ハクアがアザール人を皆殺しにすることを望んでいる。


 ハクアはわからない。

 人を殺すことがそんなに素晴らしいものか。そんなわけがないだろう。

 アザール人との違いなんて、目の色と使う術の違いぐらいだ。

 なのに何で、そこまで死を望めるのだ。


「……でき、ません」

「否、できるはずだ」


 そうだ。できる。

 やろうと思えば可能だ。

 でもそれを、ハクアはできない。


「やれ、姫騎士」


 ハクアにはできずとも、姫騎士にはできる。

 王国の剣は、決して国王に逆らわない。国のために全てを捧げる。


 それが姫騎士だ。


「ハクア様!」

「我らをお救いください!」

「憎きアザール人を打ち滅ぼしてください!」


 この場の全ての目が、ハクアに降り注いでいた。

 みんなが敵を殺せと言っている。

 ハクアにそれを望んでいた。


 だからハクアは――


「は、い……わかり、ました」


 それをなす。

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