第三十六話 戦争の鼓動

 クリスタ王国の国民にとって戦争とは遠い世界の出来事だ。

 戦争が起きることによって無論生活は変わるものだが、自分達が戦場に行かないのであれば新聞で情報を知る行事でしかない。


 そもそもクリスタ王国が誇る騎士団に兵団。そして姫騎士がいる以上、心配する必要すらなかった。


 彼らの存在によって、昔あった徴兵制度もなくなった。

 有象無象を数千人集めるより、ハクアが一人いたほうが強い。そんな単純な理由だが、それが結果を出している。


 姫騎士は必ず勝つ。

 それは彼女が初めて戦場に立った八年前から変わらぬ真実である。

 誰もが姫騎士を称え、期待し、全てを託す。だからハクアは逃げられないのだろう。


「……ザワついてるな」


 戦争の気配がする中で、人々のざわめきをグレイは聞いていた。

 王都の大通り。多くの人混みに紛れて歩くグレイは、その空気から確かに戦争が起こるのだろうと確信する。


 最近は停戦状態だと聞いていたが、ついに再開するのだ。

 アザール帝国との戦争など大昔からやっているもはや恒例行事であるとはいえ、戦争は戦争だ。

 町を歩く兵士達を見れば、その強ばっている顔からいろいろ察せるものがある。


「……戦争なんて、ない方が良いんだけどな」


 だからグレイは、そう呟いて歩き出した。

 心中にある複雑な感情を無視して、本来の目的を思い出す。


「っと……よお、元気か?」

「あ、グレイ! お迎えありがと!」


 グレイの視線の先では、仲間の妹ユウが壁に寄りかかって待っていた。

 そんなユウに声を掛ければ、明るい笑顔で駆け寄ってくる。


「マスターどうだって?」

「しばらくどっか行くって」

「そうかー。まあ、こんな情勢だしな」


 グレイはユウを連れて、来た道を引き返す。

 二人が向かうのは貧民街であり、目的は里帰り。


 王都で暮らしていたユウは、一度貧民街まで戻ることになった。

 それも保護者であった酒場のマスターが、戦争も始まりそうだし一旦店を閉めて旅に出ると言い出したから。

 そんなことがあり、グレイはユウの迎えに王都まで来ていた。


「戦争始まるのかな」

「だろうな」

「アザール帝国だろ。ハクア様が倒してくれるよな」

「……だな」


 ユウは戦争が起こるというのに大して心配していない。だがそれが一般的な反応だ。

 姫騎士ハクアの武勇が、人々の不安を払拭する。

 周囲を見ても、不安を顔に浮かべた一般人はいなかった。


「……でもさ、大丈夫かな?」

「何がだ?」

「ハクア様」


 しかしユウは、一般人とは違う反応も見せていた。


「…………何でそう思うんだよ」

「だってハクア様、泣いてたじゃん。グレイにごめんなさいって、言っていただろ」

「……そうだな」


 ハクアの醜態を見ていたユウは、彼女への心配を胸に抱いていた。

 上手く誤魔化せたと思っていたが、信奉するハクアの涙をユウは忘れなかったのだろう。


 本当のハクアを知るのはグレイ、そしてその話を聞いた幼馴染達だけだ。

 だがユウは疑問を抱いていた。


「本当は……あたしが思うような人じゃないのかな。戦争とか怖いのかな」

「……そうかもな」


 グレイはその言葉に、曖昧に返答した。

 ハクアが本当の自分を知られたくないと思っている以上、その真実に近づいたとしても肯定はできない。


「まあ、どれだけ力を持ってたとしても、期待を背負って一番前で戦うのは辛い事もあるだろうな」

「そっか……グレイもか?」

「俺もだ」

「なら、ハクア様も、そうなんだろうな」


 ユウは遠くを見るように呟いた。


「そうか? あいつは俺の何倍も強いかもしれないぜ」

「……あたしはグレイより強い奴を知らないよ。グレイが泣いたところ、あたし見たことないし」

「買いかぶるなー。まあ、俺は弱いところを見せないように頑張ってんだよ。本当は別に、大したことない」

「ふーん……。そんなもんか」


 ユウにとっては残酷な真実かもしれないが、貧民街を救ったグレイもそんなものだ。

 完璧な英雄ではなく、英雄になるしかなかった男。

 皆を導くために弱い自分を隠している。


 だが人間そんなもんで、真に英雄と言える者などそういない。

 マヌルの英雄グレンザーであっても、多分グレイやハクアと同じだ。


「じゃあグレイも、泣きたいときあるのか?」

「そりゃあるだろ」

「どこで泣くんだよ。ハクア様の胸の中でか?」

「ぶほっ! な、何言ってんだお前」


 突然のユウの爆弾発言に、グレイはゴホゴホと咽せてしまう。

 そしてジト目でユウを見れば、彼女は見抜くように告げるのだ。


「好きなんだろ? 知ってる」

「…………」


 いつの間にかユウもませてしまったものだ。


「まあ、あたしはどうでも良いけどさ。その恋は幸せになれるのか? グレイのことは大事だから、幸せになってほしいとあたしは思ってる」

「……子供が気にすることじゃない」

「仲間として言ってるの!」


 いつの間にか、ユウもちゃんと成長していた。

 その目はとても真剣で、グレイを心の底から心配している。

 ハクアとの恋には幸せな結末が待っているのか。その果てにグレイは笑っているのか。

 そうやってユウは、グレイの幸せを願っていた。


「わかんねえ。わかんねえよ。何にもな」

「……そっか」

「今、けっこうグチャグチャなんだよ。何すれば良いのかわかんないし、どうすれば上手く行くかもわからない。ただ悩み続けて時が過ぎて、焦燥感の中でグルグルしてる」

「グレイも、そんなことあるんだな」

「あるだろ。人間なんだから」


 本当に、どうすれば良いかわからない。

 今するべき最善の行動もわからない。

 様々な案が浮んでは消えて、グレイの頭はグチャグチャだ。


「まあ泣きたくなったらあたしが泣かしてやる。ハクア様の代わりにな」

「いらねー」

「なんだよー!!」


 そんな会話をしながら、二人は貧民街の中へ消えていった。

 とても気楽なユウとの会話で、少し楽になったのは確かだった。


 しかし一方で、グレイと同じぐらいグチャグチャな少女が少し離れた王城にいる――



 ◇



「アザール帝国の蛮行を許してはおけません! 直ちに第一騎士団、王国兵団、そして姫騎士様の出動を要請します!」


 会議の場で、そう高らかに叫ぶのはアザール帝国との国境を守護する第三騎士団の団長だ。

 アザール帝国との戦争では何度も軍の指揮を執った騎士団長は、戦力の増員を要請していた。


「うむ。奴らは国境付近で挑発行為を繰り返す悪逆な国家だ。すぐさま正義の鉄槌を下さねばならないだろう」


 それに国王も答えた。


 戦争が、始まる。

 互いに正義を主張し合い、相手がいかに悪であるかを罵り合うくだらない戦争だ。

 すでに正義はどちらの手にもない。ただ相手を殺し、全てを奪ってやろうという醜い欲望が両者の中にあるだけだった。


「ハクアよ。その力でアザール帝国の蛮行を止めることを期待しているぞ」

「っ……」


 だがその戦争に、ハクアは参加しないといけない。

 それが使命であり、責務だから。


「仰せの、ままに」


 粛々と命令にしたがい、王国の兵器となる。

 そのために、心を殺して命に従った。




 戦争は嫌いだ。

 戦うことも、嫌いだ。

 誰かが死ぬのは嫌だ。


 それを自分の手でやるのは、最悪だ。


「っ……始まる」


 会議が終わり、戦争へ行くことが決まる。

 そんな中でハクアは、自室にこもって涙を堪えていた。


 どれだけ時が経とうと、最強の力を持とうと、その恐怖が消えることはない。

 それは死への恐怖ではなく、戦いへの禁忌。殺しへの畏怖。己の力が、誰かを傷つけてしまうことを恐怖しているのだ。


「頑張らないと。……やらないと。……頑張って、活躍したら、グレイと一緒に、いられるかな」


 だからハクアは、希望を持って恐怖を覆い隠す。

 頑張った先に幸せがあると思わないと、もうやっていけなかった。


 沢山活躍して、どんな望みも叶えられるぐらいの存在になって、グレイと結婚する。そんな未来を想像して、ハクアは恐怖から目を逸らした。


「グレイ……ぎゅって、してくれるかな。グレイ、暖かかったな。グレイグレイ、グレイ。好きだよ。大好き。ずっと、一緒にいようね」


 うわごとのように愛を叫びながら、ハクアは姫騎士の仮面を被る。

 この先に幸せがあると信じて、戦争へ歩を進めた。

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