第三十話 魔術の奥義
グリシャ・G・クリスタは大きな悩みを抱えていた。
それは敬愛する姉ハクアを取り巻く一連の出来事であり、グリシャの頭をずっと悩ませ続ける難題だ。
どれだけ考えても、グリシャはこれだという結論を出せずにいた。
姫騎士ハクアは恋をしている。
それが公爵家の人間であったり、武勲を上げた騎士であれば言うことなど何もないが、あろうことかマヌル人の平民だった。
ハクアは成就することない恋をして、グリシャはそれを知ってしまった。
そして口止めされた故、たった一人で抱えて悩み続けているのが今である。
無論冷静になればわかるのだ。グレイという人間が悪い者ではないと。
ハクアが騙されているわけではなく、本当に好きになったのだと今ならわかる。
ハクアとグレイ。二人の間だけで交わされた表情は、確かに愛し合う男女のものだった。
だからこそ、悩むのだ。
姉を思ってそのつながりを断つために動くのか、あるいはその思いを尊重して手助けするべきなのか。
グリシャが考えるのは、ハクアが幸せになることだ。
そのためにはどうするのが正解なのか、グリシャはわからない。
だから、相談することにした。
秘密を決して漏らさず、ハクアのことをちゃんと思う一人の男の下へ行き、グリシャは口止めされていた内容を告げていた。
「なるほどね。……そういうことになっていたんだ」
グリシャの話を聞き、慌てることなく受け止めたのは三十代ほどの男だった。
年齢を感じさせぬ端正な顔立ちに、美しい金の髪、綺麗な赤い瞳を細めて深く考えていた。
「レインクルト兄さま。どうしましょう」
「ふむ……そうだね」
グリシャが相談したのは、第一王子にして兄であるレインクルト・G・クリスタだ。
王家の長男は、ハクアの恋を知っても慌てることなく思案している。
こういう人だから、グリシャは相談することができたのだ。
「……先ほど、廊下ですれ違った二人を覚えているかい?」
「はい? アバン殿とレベルカ殿ですよね。我が国が誇る騎士団長のお二人です」
「ああ。恐らく父上が呼び出したのだろう。しかし、騎士団長二人を動かす事態なんて僕の耳には入っていない」
レインクルトは険しい顔をしていた。
それを見て、グリシャも何となく察してしまう。
「あるとすれば、ハクアを失うことを恐れた父上が動かしたとかだ」
「つまり……」
「ああ。そのグレイという青年は危険な状況かもしれない。あくまで推測だけどね」
「っ……」
推測ではあるが、多分真実だ。
国王バルカンがどういう人間かというのを、子である二人は十分に理解していた。彼はハクアを手放すことなんて絶対にしない。もしその手から逃れようとするならば、全力で妨害するだろう。
「し、しかしたった人一人を処分するために騎士団長二人ですか?」
「父上にとって最も憂うことは、ハクアを失うことだ。過剰と言える力を持って叩き潰すことは不思議ではない」
レインクルトはそう言って溜め息をついた。
バルカンの持つハクアへの執着は並々ならぬもの。それ故の騎士団長二人であり、彼らが出動すればもう終わりだ。
騎士団長二人を相手して、単騎で倒せる者などハクア以外いるはずがない。
「どうすれば……」
グリシャはその事実に、体を硬直させていた。
グレイが死ねばハクアは嘆き悲しむだろう。恋に落ちているハクアがその報を聞いてどうなってしまうか想像もつかない。
だが同時に、グレイが死ねばこの悩みは解決する。
ハクアは恋破れ、またグリシャの望む姉が帰って来るかもしれない。
「ハクアにとっての幸せとは、何なのだろうね」
「……っ」
その言葉に、グリシャは沈黙した。
「い、今すぐというわけでは、ないですよね」
「ああ。王命を完遂するため彼らは準備をするだろう。動くとすれば一週間後くらいかな?」
「……考え、させてください」
グリシャは全てを保留とした。
ハクアが大好きだからこそ、その狭間で揺れ動くのだ。
彼女にとっての幸せとは何なのか。グレイとの恋を成就させることか、それを忘れさせて新たな恋を提示することか。
同年代には顔も良く頭も良く、その上公爵家の嫡男という素晴らしい男もいる。そんな彼を紹介することが、ハクアの幸せかもしれない。
まだ若造でしかないグリシャは、わからない。
だからフラフラと、悩みながら部屋を出た。
「…………」
その背をレインクルトはじっと見つめていた。
そしてそんな会話をしてから、凡そ一週間が経過する――
◇
姫騎士ハクアは忙しい。
王国最強。否、世界最強とすら言える騎士の任務は多岐に渡った。
国家の象徴として様々な行事に出席したり、その力をもって国を守ったり。毎日のように、何かしらの任務がある。
特に最近はバルカンによって多くの仕事を任命されていた。
それは暇ができたハクアが余計なことを考えないように、ただ国家の剣として生きられるようにと、そう考えてのことだろう。
しかしその結果、ハクアの心はどんどんと死んでいくようだった。
顔には覇気がなく、何事も上の空。
肉体的な疲労や心労はあるだろう、しかしもっとも大きかったのは失恋だ。
心の底から愛した男を、騙されていたと大声で宣言しその恋を忘れた。
だがそれで忘れられるなら、この世界に失恋などという言葉は生まれない。
ハクアは心に大きな傷を負い、激務を持ってしてもそれを覆い隠すことはできなかった。
「ハクア様。大丈夫ですか?」
「っ……だい、じょうぶです。何でも、ありません」
ボーっとするハクアに対し、騎士達は声を掛けてくる。
それに慌てて意識を覚醒させ、目の前の景色に集中した。
「えっと、まず火の魔術は――」
ハクアは現在、騎士達に魔術の指導をしている。
魔術とは人によって得意な術が変わる中で、この世に存在する全ての魔術を最高水準で扱えるハクアは教師こそ天職と言えるだろう。
教えることもそこまで下手ではなく、ハクアの指導で騎士団全体の魔術レベルも向上していた。
そんな講義をしていれば、あっという間に夕方になる。
ボーっと無意識で授業をしていたため、時が経つのはとても早かった。
「――では、これで終わります」
教えるべきことを教え終わり、ハクアは退室する。しかし自分が何を教えたかというのはよく覚えてすらいなかった。
どうにも最近、ハクアという人格が希釈になって消えていく感覚に襲われる。
ハクアはこのままどうなるのか。
もしこのまま全てが消えて、グレイのことすら忘れてしまうのなら、それはとても悲しいことだ。
「あ、姉様」
「ん、グリシャ?」
ボーっとしながら自室に戻るために歩いていれば、ハクアは目を伏せて何かを迷うグリシャと出会った。
彼女は葛藤するような顔をして、ハクアの下に駆け寄ってくる。
「そ、その……姉様。大変です」
「どうしたの? 当然急に」
「実は……グレイが――」
「グレイがなに!?」
グリシャがその名を発した瞬間、ハクアがそれ以上の声で問い詰めてくる。
小首をかしげていた姿から一変し、グリシャにつかみかかるほどの気迫があった。
「グレイが、どうしたの?」
「そ、その……殺されるかもしれません」
「っ――」
ハクアの圧に圧倒されながらも、グリシャは正直にそれを告げる。
するとハクアの顔はみるみるうちに蒼白していった。
元々顔色は良くなかったが、それがかつてないほどに落ち、フラフラと力が抜けていく。
「なん、で……」
「父上が……恐らく」
「っ! 約束、したのに!!!」
絶叫したハクアから、恐ろしいほどの覇気が発せられた。
闇がその身から溢れ出し、ハクアがどれほど怒っているかを周囲にわかりやすく伝えている。
穏やかなハクアから漏れ出る本気の怒りに、グリシャはただただ身を震わせていた。
「騎士団長が二人、向かいました」
「行かないと……」
グリシャの言葉に、ハクアは冷静でなくなってしまった。
希釈になっていた思考が急激に戻ってきて、グレイを今すぐ助けないとという思いで支配される。
グレイの強さを一番理解しているハクアだが、騎士団長二人を相手にして勝てるとは微塵も思っていない。
間違いなく死ぬだろう。
そんなの、許せるはずがない。
「グレイ!」
ハクアは全てをかなぐり捨てて、グレイの下へと全速力。
その背をグリシャは呆然と見送ることしかできなかった。
一週間悩んだ末にタイムリミットが来て伝えてしまったが、本当にこれでよかったのか。
叶わぬ恋から脱却する機会を奪ったことに、グリシャは最後まで葛藤した。
◇
冬風が吹きつける寒さも、ハクアは感じない。
王城を出て、王都を駆け、貧民街へと向かう。
グレイがどこにいるか正確に把握するため、一旦見晴らしの良い場所へと走った。
王都をぐるりと囲む巨大な壁の、一番上まで一気に登り、そこから貧民街全体を見見る。
「グレイ、どこ……」
ハクアの魔術は万能で、人を捜すことも遠くを見通すことも可能だ。
その魔術を駆使して、グレイを見つけ出そうとする。
そしてその身を守らないといけなかった。
しかし――
「っ――あれは」
貧民街の向こう側。平野の方向に、ハクアの視線は吸い寄せられる。
そこには巨大な闇があった。
闇で出来た巨人は、見通す魔術がなかろうとくっきり見えるほど巨大で、それが平野の中心にいる。
「魔術の……奥義」
それをハクアは知っている。
魔術を使える者の中でも到達できるのは一握り。
クリスタ王国でも、騎士団長やハクアぐらいしか使えない魔術の神髄。
――奥義だ。
「グレイ!!」
闇の巨人のすぐ側に、グレイの気配も色濃く感じる。
つまりあれは、グレイに向けて放たれたのだ。
そして放ったのは、抹殺の任務を受けた騎士団長。
魔術の奥義。あるいは必殺技。
それを受けて、無事で済むはずがない。
魔術の奥義『魔王降臨』は、必ず殺すと書いて必殺技に相応しいものだった。
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