第2話 殺蟲隊

「おい蟹江ぇぇ!!!!」


 その薄汚れた事務所オフィス内に、男のけたたましい怒号は轟いた。


 デスクに向かっている人々(‥‥‥といってもたった五人であるが)はこれを少しも気にしていない。何せその怒号は、男の目の前に立っている者――蟹江周次ただ一人に向けられたものなのだから。


「‥‥‥そんなデカい声出さなくても聞こえますよ、班長。俺若いので」


 周次は両手で耳を塞いだまま、呆れた様子で男に返答した。


 ここは日本のとある地方"Kmシティ"にある事務所、殺蟲隊"駆除班"Km支部の拠点。


「そんな話をしているんじゃない、俺は怒っているんだ!! お前、あの虫女に怪異蟲バグバグの駆除をさせただろ!?」


 怒鳴るこの男の名は月島つきしま玄造げんぞう。筋骨隆々、熱血さが染み込んだような紅蓮のオールバックと力強く大きな眼。彼はこの事務所オフィスを仕切る者――即ち"駆除班の班長"である。


 そして今は、周次が飛蝗の怪異蟲バグバグを駆除する任務を終えて帰還したところ。


「あれはあいつが勝手にやったんですよ。俺は怪異蟲バグバグに殺されそうになって、助けを乞うただけです」


「蟹江‥‥‥。俺は何も助けを乞うなと言ってる訳じゃない。ただ虫女やつに全て任せてしまっては、死骸の跡形も残らなくなってしまう。それが問題なんだ」


 駆除班の役割は名前の通り怪異蟲バグバグを駆除することである。


 殺蟲隊には他に怪異蟲バグバグの身体構造を解明する"解析班"や怪異蟲バグバグに対して有効な武器や防具を開発する"開発班"がある。それらのために駆除班は、怪異蟲バグバグの死骸をなるべく綺麗に残しておかなければならない。


「でも仕方がないでしょう。俺じゃどうしようもなかった。相手が強すぎる」


 周次の言い分に、玄造はついにため息をついてしまった。


「お前の相手は最も駆除しやすい第一段階ファーストフェイズ怪異蟲バグバグだったんだぞ‥‥‥。少しは自分で戦う努力をしないか?」


「そんなこと言われましても‥‥‥」


 目を逸らす周次。するとその後ろからこんな煽り声が飛んでくる。


「戦えないのにどうして駆除班うちに来たの?」


 透き通る落ち着いた声の持ち主は鈴風すずかぜセツナ。駆除班の一員である。整った顔立ちと黒のロングヘアは、彼女の清楚さをよく表している。


 さて、この煽りに周次は言い返せず口を紡いでしまった。代わりに答えるように別の者がこう言う。


「それは蟹江君が特別だからでしょう」


 低い声音の男、隠岐おきみつる。駆除班で随一の高身長を誇り、感情の起伏がとても小さい。その目元を見せない黒縁眼鏡は、彼の心情をより読み取りづらくしている。


怪異蟲バグバグ女王クイーンが唯一慕っている人間です。放っておけるはずがない」


 充はそう続けた。セツナは首を横に振る。


「そんなことは分かってますよ隠岐さん。でも、わざわざ駆除班に配属することはなかったでしょう? 解析班にでも回して実験台にした方がよっぽど良かったはず」


 これにまた他の声が飛んでくる。


「どこにやるにしても、万が一に備えて女王クイーンに対抗できるレベルの強力な監視が必要不可欠。その点、駆除班うちには最強無敵の"魔王"がいるからねー」


 五十嵐いがらし佑真ゆうま。彼を見てまず目線が向かうのはその金のマッシュヘアだろう。そして次の瞬間には眉目秀麗の笑顔が輝いているはずだ。脱力感を感じさせるおっとりとした喋り方をしている。


「あれ、その魔王様はどこ? さっきまで居たよね」


 額に手を添えてキョロキョロと周囲を見回す幼い少女――冬野ふゆの瑠花るか。十四歳にして殺蟲隊最年少の戦闘員である。小柄な体型でブラウンのショートボブ、パチリとした黄金色の瞳が愛らしいが、何故だか彼女を可愛がろうとする者はほとんどいない。


「つい今しがた出ていきましたよ。恐らく女王クイーンの様子を見に行ったかと」


 充が答えた。それで瑠花は納得し、しかし首を傾げていた。


「周次もだいぶ変わってるけど、あの人も不思議な感じだよね‥‥‥」


「呼び捨てするな。俺のが歳上だろ」



 *  *  *  *  *



 とある地下牢。数メートル先でさえ何も見えないほどの暗がり。そこに女は収監されている。周次と共に飛蝗の怪異蟲バグバグを駆除した女であり、また殺蟲隊の人間からは"怪異蟲バグバグ女王クイーン"と呼ばれている女である。


 時折ぽつりと水滴の音が響くだけの閑散としたその空間に、カツカツと何かが近づいてくる。そしてその正体を、女はもう分かっているらしかった。


「また君か」


 つまらなそうな声で、しかし微笑んでいる牢の女。


「そうつれないことを言わないでよ、女王クイーン。私とも仲良くしようよ」


 檻の前に立ち止まったのは一人の女。駆除班の一員であり、同じ駆除班の仲間たちでさえも"魔王"と称する最強の戦闘員。肩まで伸びた艶がかっている白髪、少し高い鼻が印象的な凛々しい顔立ち、百七十センチに及ぶ高身長と抜群のスタイル。名を小鳥遊たかなし真央まお


「その呼び方やめてくれないかな。僕は周次以外の人間には興味ないんだ。‥‥‥それに、仲良くするためにここに来る訳じゃないだろう?」


「まぁ上の人間たちの考えはそうなんだけど‥‥‥私は仲良くしたいと考えているよ、カゲロウちゃん。もちろん真面目にね」


 真央の言葉に、女――カゲロウは鼻で軽く笑った。


「組織一番の蟲殺しバグキラーが何を言うのやら。君がその気になれば僕を殺すことだってできるだろうに」

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