第11話 ゆうべはお楽しみでしたね
────その時、かたん、と入口の扉の方から微かに音がした。
風で郵便受けの蓋が煽られた音かと思ったが、なんとなく人の気配もしたような気がして、ふらりとドアの方に目を向ける。
酔いのせいでゆらゆらと揺れる視界に映る部屋の玄関ドア、その内側についている郵便受けの小窓と受けカゴ──。
思考の定まらない頭で、それでも時間をかけながら目に映る映像を処理していく……。たしか、帰ってきた時には中に何も入っていなかった郵便受け、そこに今は白い紙が入っていた。商店会のチラシか何か……だろうか。
誰だよ……こんな時間に、ご苦労なこった。
チラシ程度なら放っておいても良かったのだが、こういうのは気付いたときに確認して処理する癖をつけておかないとあっという間に溜まってしまうものだ。面倒にも思ったけど、郵便受けに配送物を溜めておくのは体裁としてもよろしくない。僕は長年の習慣から、ふらふらとドアに近づき、その紙を手に取った。
それは、はがきや封筒などではなく、四つ折りにしたコピー用紙のようなものだった。明らかに商用印刷物ではないそれを見て、同じゼミの知り合いからの学内配布物の類いだろうかとも思った。が、もしそうなら先にスマホで連絡くらいよこすだろう。
不審に思いながらも、それを手に取り広げてみると……
「え────」
『 夜分遅く申し訳ありません。
どうしても心配で訪ねてしまいました。
【LV33,バラモス,WQ】さん、ですよね?
違ったらごめんなさい
でも、もしそうなら少しだけでもお話しできませんか?
私、【LV18,そうりょ,LS】です 』
コピー用紙に印刷されていた文字。
今さっき、コンビニのコピー機から即席で印刷してきました、と言わんばかりの無味乾燥な文字。
これは、明らかに今見ていた例のスレでの僕の呼び名だ。
なぜ、それを?
僕は、おそるおそる入口ドアの覗き窓から部屋の外を確認してみる────
……夜の暗がりの中、街の灯りにほんのりと照らされて佇む、見知らぬ女性。メガネとマスクを掛けた肩口ショーヘアーで素朴な顔立ちの女の子が一人、僕の部屋の前に立っていた。毛糸の帽子に毛糸の手袋とニットセーター、チョコレート色をした防寒仕様のだぼっとした上着、下はこの寒空だと云うのにスカートだ。一応ストッキングは履いているようだが……。
どう好意的に見ても、不審者にしか思えなかった。
唯一の救いは、手に大きなコンビニ袋をぶら下げており生活感が感じられたことだろうか。たぶん面識の無い娘だと思うのだが、何故かどこかで見たことがあるような気もしていた。
普通なら居留守を使ってやり過ごすところであろう。だが酔いのため、思考がふらふらしている。ここで迂闊な行動をしては、かなりまずいことになるであろうことは、理屈ではわかっている。頭の中に看板のように「危険!気をつけろ!」の文字が踊っていた。しかし酔って緩んだ頭は、それすらも人ごとのように処理しようとしている。
だが、ギリギリのところで、理性がかろうじて勝利したようだ。
僕は無理やり頭を振って、なんとか冷静さを手繰り寄せた。
明らかにスルーしたほうが良い状況。だが不審ではあるものの、外は寒空でこんな時間だ。だからこその不審者判定であるのだが──仮に、本当に僕を尋ねてきたのだとしたらこのまま放置するのは適切ではない。いや、そもそもこんな時間にいきなり訪ねてくる方が非常識なのだから放置して良いのだろうか……?
相変わらず他人を疑いきれない性格が災いして、居留守をするにも躊躇してしまう。数秒迷ったが、結局半ば諦めて僕はチェーンロックを外さずに、おそるおそるドアを数センチだけ開けてみた。万が一、悪い男が潜んでいて部屋に押し入ってくるような事でもあったら大変だからだ。
僕が隙間から顔をのぞかせると、その女はすかさず声をかけてきた。
「あ……こんばんは。こんな時間にすみません……」
少し慌て気味だが、明らかに安心したような響きがあった。
「は、はい……。あの────」
僕も、返事を返してみる。
聞いた声の第一印象からして、悪い人ではない気がする……いや、こういう性善主義的な考えだからいつも騙されるのだろうな、僕は。
だが、そんな僕の逡巡には構わず、さらに女は捲し立ててきた。
「へ、変ですよね!? 突然こんな……。しかも、あんな掲示板でしかやり取りしたことないのに、いきなり尋ねてくるなんて……」
やはり、あのスレ民の中の一人なのだろう。
言葉を信じるなら、『そうりょLv18』というハンドル名が彼女、ということか。だが、無数にいるスレ民の中から彼女個人を想起させる要素は、残念ながら無かった。……スイカさん🍉とか、けんじゃみたいに個性が溢れてる人ならすぐに分かるのかもしれないけど。
「う、うん、まあ……。でも、どこで僕のこと知ったの?」
そう尋ねながら、僕はさり気なく外の周囲を窺う。
とりあえず、視認できる範囲に悪い輩が潜んでいる様子は見当たらなかった。この子自身も小柄で、危害を加えてくるような雰囲気ではない。……まぁ、スタンガンでも持ってたらどうにでもなるんだろうけど。最近の女の子は怖いらしいから────
すると躊躇している僕に、彼女はなぜかメガネとマスクを外して素顔を見せてきた。
「あの……私のこと覚えてません? いつも買い物に来てくれてましたよね、帰り道にあるコンビニで────」
あ……!
そうだ、いつも立ち寄るコンビニのレジの娘だ。
マスク姿しか見たこと無かったけど、確かにこの娘だった気がする。
「そういえば……。あれ? でも……メガネかけてたっけ?」
店で見る娘はいつも裸眼だった気がする。そのせいですぐには気づけなかったのだから。
「……仕事中は、コンタクトにしてるんです。マスクでメガネだと、曇っちゃうことがあるんで。裏の冷蔵庫に出入りした時とかも……」
「あ、そ、そうなんだ。なるほどね……」
もっともらしい応えをされて、あっさり信じそうになってしまう。だが、酔った頭であっても、警戒だけはかろうじて解かずにいられた。
だが、彼女から感じるそれは警戒心を上回って無条件に信用してしまいそうなほどの雰囲気を持っていた。有り体に言って、自分に似ている……朴訥な田舎者っぽさ……。
「それに……」
そう言った彼女は、何処か思い詰めたような、そして決意をしたような顔で僕に言った。
「私は、ずっと覚えてましたから。入学式のとき、初めて私に声をかけてくれたこと……。あの日、おかげでキャンパスまで行けたんですよ? 私、方向音痴だから……街にも慣れてなくて────」
あ…………
バラバラだった記憶の点が、ようやく一本の線に繋がった気がした。
コンビニの娘、時々大学で会釈をしてくれる娘、新学期に道に迷ってて声をかけた娘。
どれも単体では覚えていた。
それが、全部同じ娘だったということが、今ようやく理解できた。
ようやく……自分の本心に従って警戒を解き、彼女を信じる気持ちになることができた。やっぱり、僕は人を疑うことができないようだ。でも、いまはそれで良かったと思う。
「そうだったんだ……雰囲気全然違うから、気づかなかったよ。……ごめんね?」
僕がそう言うと、彼女はようやくほっとしたような表情になった。
だが、次の彼女の言葉で僕の方はむしろ不安が若干増してしまった。
「私の方こそ、本当にごめんなさい……。偶然ですけど、私もあの掲示板の常連なんです。コンビニに寄った後とか、よく書き込みしてましたので。……何度か、そう言う場面があって、買った品物とかで……気付いちゃって」
うわぁ……特定班怖えぇ……
どこから身バレするか分かったもんじゃないな。今度から気をつけよう。
とはいえ……
彼女自身も、身バレという意味では同じ状況のはず。リスクを犯してまでこんなことをするには、それなりに理由があるはずだ。
同じ大学に通っている娘だし……最初に会って話した時、たしか同郷だとか言ってたような気がした。とりあえず、当座の危険は無いと思いたいが……。
「……くしゅっ」
すると、彼女は小さくくしゃみをした。
無理もない。どれくらいここに経っていたのかはわからないが、こんな夜遅い時間帯だ。少なくとも、理由くらいは聞いたほうがいいだろう。さっきの手紙には「どうしても心配で」と書いてあった。
「あ、とりあえず……中に入る? そこだと寒いでしょ、とりあえず温まっていってよ、話くらいは聞くからさ」
……………………
「あ、温かいですね……」
中に招き入れ、扉を閉めると彼女はほっとしたようにそう言った。
今年こそクリスマスを中止するためコンドーム工場を破壊してみた♂️♀️ 天川 @amakawa808
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