第6話 そうりょLv18

 数刻前────コンビニ内にて



「いらっしゃいませー」


 ……まもなく、私のバイトの勤務時間が終わろうかという時間。

 いつもこの時間は、客の数が少しだけ多くなる。遅い時間の仕事の人がちょうど業務を終えて家路に着くくらいの時間帯なのだろう。


 私と同じシフトに入っているチーフのおじさんは、裏でお酒の補充をしていた。この時間はお酒を買っていく客が多く、品出しも頻繁に行われる。他にも、カップ麺や唐揚げ、おにぎりやお弁当なんかもよく売れる。一方で、最近では煙草はあまり売れなくなったらしい。


 ……値上がりが影響しているのだろうか。

 などと、非喫煙者のわたしは適当な事を考えながら眼の前に来たおじさんの会計をこなしていく。買い物かごには温かい缶コーヒーが数本含まれていた。服装からして、きっと近くの道路工事をしている作業員なのだろう。


 私もたまにはお酒でも買って帰ろうかな、などと考えながらちらりとチーフの姿を確認する。……彼はまだ、冷蔵庫の裏で補充に勤しんでいた。


 本当は良くないらしいのだが、私は消費期限の切れたお弁当やおにぎりなどを、もらっていくことがある。これは、チーフだけが一緒のときにしかできない、ちょっとした秘密だった。


 こういうお弁当などを、タダで配っていることが知られてしまうと、色々と問題があるという。噂が広がると、我も我もと人が集まってくる事があるらしいのだ。それを目当てにされてしまうと、店の売上にも悪影響がある。

 最近は浮浪者という風体の人は殆ど見かけないが、食費を浮かせたいと思っている人なら大勢いることだろう。タダで貰えるなら貰いたいと思う者は想像するよりもきっと多い。

 しかしそれ以上に、チーフも私も「食べ物を無駄にしている」という行為がたまらなく気持ち悪いと感じるのだ。抵抗感しか無いと言っていい。


 バイトを始めたばかりの頃の私は、この事を他の人にも話してみたことがあったのだが、普通の人の場合こういう感覚はすぐに麻痺してしまうらしく「規則だから」とか「いつものこと」「今更、もう慣れた」或いは、「世間全体から見たら微々たるもの」という言葉が返ってきた。

 いずれ自分もそう感じるようになるのだろうとその時は諦めたのだが、どうやら私はそういう風にはなれない人らしい。罪悪感と気持ちの悪さだけがいつまでもつきまとっていた。

 

 幸いというか、この店のチーフは私と似たような感覚の人だったらしい。

 明け方のシフトの時に……とある現場を目撃したことがあった。チーフが店の裏の物置で、ゴミに出すものの中から、お弁当とおにぎりを持ち帰るために丁寧に仕分けて箱に詰めているところに、私はばったり出くわしてしまったのだ。

 彼はひどく狼狽していたが、私は「恥ずべき事じゃないと思います、私も同じ気持ちですから」と言い、その事は二人だけの秘密にしておくことにした。


 始めのうちは「これの何が悪いのか」という思いもあったのだが、チーフによると店舗の廃棄金額がある一定割合を超えると本部からの補填があるらしいのだ。その上、値引き販売や配っていることが常態化すると、それを目当てにした客が入り浸ることにも繋がり長期的には望ましくないという。

 その上、どういう仕組みかは解らなかったけれど、値引き販売をすると店舗単体の利益は上がるが本部側の収益が下がるという。本部からの圧力を受けて、値引き販売は実質的にできないということらしい。


 以来、チーフと二人だけのシフトの時を見計らって、お弁当やおにぎりの売れ残りをこっそり分けあっていたのだ。規則違反をしているという罪悪感はあったが、ご飯を無駄にするということに比べれば些細なことのような気がしていた。


 ………………………………


 少し客の増えた店内を目で確認しながら、また一人の女性客の持ってきたおにぎりをレジに通す。

 ──と、ぴっ、と警告音と共に期限が近いことが表示されていた。

「申し訳ありません、こちら消費期限が迫っておりますので、お取替えいたしますね──」

 そう言って私は商品棚から同じ銘柄の新しいおにぎりを取り出し、客の袋に入れて会計を済ませた。一方の、期限切れの見えないレッテルを貼られたおにぎりは、足元の廃棄用コンテナに入れておく。


 ……今晩はこれを食べようかな、そんな事を思いながら。

 


 ────はらほらはり~んはらほらり~ん♪


 軽快な電子音とともに、また客が入ってくる。

「いらっしゃいませー」

 声をかけてちらりと入口を確認した後、またレジに目を戻そうとしたその一瞬……入店客に視線が留まった。


 ──今日も来てくれた。

 私の心に住み着いた、同じ大学に通っている見知った男性──。



 ………………………………



 この土地に来て間もない頃、慣れない都会に戸惑って右往左往していた私に声をかけてくれた、優しい人だった……。

 偶然だけれど、彼も私と同郷らしい。

 同じ土地の出身ということでシンパシーを感じ、以来見かけると目で追っていた。出会って話したのはほんの数分だったけれど、彼の内面がよく分かるような会話だった気がする。


 素朴で誠実、現代人とは思えないほど堅実な……むしろ堅苦しいような雰囲気さえ感じる、それでいて年相応の快活さも持っている、そんな人だった。


 その後も、たまに視線が合えばお辞儀したり挨拶の言葉をかけたり、そんなちょっとしたすれ違いが、私の見知らぬ土地での生活に彩りを与えてくれていた。有り体に言って、一目惚れに近いものだったのだろう。そう言う点では、私もえらく古めかしい感覚を持っていたと云えるかもしれない。


 だが、そんな私の想いは静かに幕を閉じた。

 夏のある日、私がコンビニでバイトを始めたばかりの頃……彼が女性と連れ立って来店したことがあった。都会に出てくれば知り合いの一人や二人できるものだろうとは思う。……私にはできなかったけど。

 だが、その女性はただの知り合いではないことがすぐに分かった。

 二人でレジに持ってきた商品に、それが含まれていた。


 ……4個入りの避妊具。

 あぁ、もう二人はなんだ───


「──円になります」

 心に蓋をして、お会計を済ませた後……私は他の人にレジを任せて裏に引っ込んだ。


 ……先程の楽しそうな二人の姿を思い出す。

 少し派手目で、遊んでそうな雰囲気の漂うスタイルのいい彼女に、今でも変わらず朴訥とさえ言える雰囲気の誠実そうな彼。

 私が言うのも何だが、少し不釣り合いというか彼には似合わないタイプの女性だとも思った。それでも、彼が選んだ相手なんだから見かけよりもちゃんとした人なんだろう。

 そう思いながら……小さくため息を付いて、自分の淡い恋が終わったことを受け入れた。


 それでも、たまに会ったときの軽い挨拶は続けていた。

 もう、彼の方は私が誰だったのかさえ忘れていると思うけど、私はずっと彼を覚えていようと思っていた。もとより誰かと付き合っていても、彼の誠実な雰囲気は変わることがなかった。彼はずっと彼のまま、私の中のイメージ通りの人であったから。


 その頃から、私はとあるゲームの掲示板サイトに度々アクセスするようになっていた。都会に出てきて知り合いもろくにできなかった私が、こんな見知らぬ土地でせめて誰かと繋がっていたいと思い、気まぐれで始めたネット内交流。そこを選んだ理由も単純で、ネットニュースでちょっとだけ話題になっていたからだ。『現代のネット社会にあってオアシスのような民度の高さ、ここの住人はみんな優しい──』という内容で、ちょっと興味を持ったからだった。

 掲示板の本題である筈のゲーム自体は一度もやったことがないくせに、そのゲームの話題を主とする交流版に参加するなんておかしなことだとも思ったが、有名なSNSや出会い系などに手を出すつもりも無かった私には、むしろちょうどいい距離感にも思えたのだ。




 ……に気づいたのは、ほんの偶然だったと思う。




 いつものように彼が来店した。

 私は、他のお客に対してよりも少し愛想よく彼の会計を済ませてから、すぐに裏に引っ込んだ。ちょうど交代の時間だったからだ。

 休憩がてらスマホを取り出し、私は開いたままだった例の掲示板サイトにアクセスして適当に雑談を流し見ていた。

 一方の彼は、店を出てからも立ち去らず窓際の軒下に立ってスマホを取り出し何やら操作し始めた。

 ……私が身を隠している場所から、ちょうど彼の姿が見える位置で。


 手元のスマホの画面に、コメントが流れている。


 『LV18,バラモス,WQ』:コンビニなう。これよりアパートに戻ります。帰ったら質問聞いて下さい。

 『LV3,キメラ,OT』:はよ!

 『LV21,はぐれメタル,WU』:質問はこのスレのメインコンテンツだ

 『LV5,マドハンド,HO』:すぐにしつもんしてもいいのよ?

 『LV29,まほうつかい,NO』:何買ったん?🍉

 『LV18,バラモス,WQ』:ファミチキとお酒、それからおにぎりかな


 私は、はっとして……先ほど彼が買った品目を思い出す。

 ファミチキと缶チューハイ、そしておにぎり二点……。


 私は、好奇心に任せてコメントを打ち込んだ。


 【LV4,そうりょ,LS】:≫(LV18,バラモス,WQ)おにぎりは何買ったん?


 すると、視線の先の彼の指が動き出した。そして……


 『LV1,スライム,OM』:わい焼き鮭が好き

 『LV18,バラモス,WQ』:≫(LV4,そうりょ,LS)エビマヨとわかめおむすびだよ

 『LV3,ぐんたいガニ,VU』:王道のツナマヨが入ってないやり直し

 『LV11,ミイラおとこ,HJ』:わい筋子派

 ────────


 間違いない、先ほど彼が買ったのと同じ……

 このスレに参加しているバラモスとは、きっと彼の事だ。



 それ以来、彼がスマホをいじっているときは私も掲示板サイトにアクセスして、彼のコメントを楽しんだ。一方的に監視してるなんて、ストーカーみたいで屈折してるとも思ったけれど、別に彼に接近しようとか悪さをしようというわけじゃないし、この事を誰かに話すつもりも無い。もとより、話す相手がいないからこんな事をしてるのだから──。

 彼はいつも楽しそうで、その姿を見ていると私も嬉しくなった。

 寂しくないかと問われれば、もちろんそれもあるが……彼の明るい笑顔は私の心も照らしてくれていたと思う。なにより、同じ田舎出身の彼が遠く離れた土地で自由に羽ばたいているのを見るのは、嬉しいと同時に誇らしいことでもあったのだ。

 そんな彼の、秘密……かどうかはさて置き、掲示板のコメントを覗き見るのは、ひどく愉悦を感じる時間でもあったのだ。偶然、彼の近くに座った時などは、何食わぬ顔で彼のコメントにアンカーを打って、こっそり会話を楽しんだことさえあった。



 ……………………………………………



 そんな彼が────

 今夜は、酷く陰鬱な表情をしていたのだ。


 まるで、感情が剥がれ落ちてどこか投げやりなふうにも思える、そんな姿。

 こんな彼の顔を見るのは初めての事だったので、ひどく心がざわついた。


 それとなく、店内の彼の動向を目で追うと、飲み物コーナーの前で立ち止まりお酒を手に取っている。

 だが、その本数が……3本、4本……?

 彼は、いつも一本だけ缶チューハイを買って行くのが定番だった。たぶん、それほどお酒が強い方では無いのだろう。誰か他の人と一緒に飲むのかとも思ったが、どこか違和感も感じていた。

 そのまま、おつまみコーナーをふらふらと眺めてから、ほどなくレジ前まで来て唐揚げなどが入っているホットスナックの棚を、何かを思い出すような少し上目遣いでじっと見ていたかと思うと────


「……クソッ!」


 突然……彼が、毒づいていた。

 これも、初めて見る姿だった。


 その険のあるつぶやきに、私は驚き身体を硬直させてしまった。

 そして私のその仕草が、彼の視界に入ってしまったのだろう。

 ……彼もそれに気づき、ひどく罪悪感と後悔をにじませた表情でこちらを見ると、少し頭を下げ視線を逸らしながら商品をレジに置いた。その申し訳無さそうな顔だけが、いつもの彼の表情の名残のように感じた。



 私は確信していた。

 何か、あったんだ────。


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今年こそクリスマスを中止するためコンドーム工場を破壊してみた♂️♀️ 天川 @amakawa808

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