第7話 ストーカーではありません
会計を済ませると、私はそのまま彼が扉に向かうまでの後ろ姿を目で追ってしまう。レジには他の客もいたため、そちらの応対もしていたが、
ちらちらと目線だけを動かし後ろ姿を追うと、彼は何かに気付いたように店内のゴミ箱の前に歩み寄りそこに何かを放り込んでいた。……捨てる前に、それを握りつぶして────そして、そのまま店を出ていく姿を目で追う────。
「────ん、ん゛~……」
わざとらしい咳払いを聞いて、私は慌てて並んでいた次の客に気づき応対を始める。幸い、というか……眼の前の男性以外に他の客いないようだ。レジに置かれたものは避妊具だったため、私は紙袋を取り出してそれを入れ視線を遮る包装を施して手渡した。
「ありがとうございましたー」
そうして、そそくさと会計処理を済ませると、すぐに私は先程彼が捨てた何かを確認するためにレジを出て、ゴミ箱前に行く。……ごみ捨てを済ませたばかりだったため、覗き込んだゴミ箱の中には殆ど何も入っていなかった。カップ麺の包装フィルムと割り箸の袋、からあげの袋の千切った蓋……その間に、彼が捨てたであろう物が転がっていた。そしてそれが何であるかは、悲しいかな……縁の無い私でもすぐに判別できた。
「────あれ~? ゴミ捨ては、さっき僕がやっておいたよ?」
突然、後ろから声をかけられて私はビクリと背中を震わせてしまった。
……バックヤードから戻ってきたチーフだろう。私は、振り返るまでの1、2秒ほどで、辛うじて冷静さを取り戻す。
「あ、すみません。ありがとうございます、気が付かなくて」
そう言って、その場はなんとかやり過ごすことができた。
……それから気も
私は、チーフに頭を下げてレジ役を下がりながら思考を巡らす。
彼の住んでいるアパートまでは、ここから徒歩10分くらいのはず。いつぞやだったか忘れたが、私は好奇心に任せて彼の後を付けて行ったことがあったのだ。その時、彼の住んでいる場所と部屋番号はしっかり把握していた。その後も、帰り道はわざと遠回りして彼の住んでいるアパートの前を通るのがちょっとした楽しみになっていた。
私はロッカールームに駆け込み、すぐにスマホを取り出しいつものスレッドを開く。なにか、なにか……書き込みがあるかもしれない、そう思って。
先ほどゴミ箱に捨てられていた物から、その種のトラブルが合ったであろうことは容易に想像がついた。だがそれが、果たして彼にどのような情動を起こすものだったのか……。もちろん心配の方が先に立ったのだが、同時にそこにはある意味での期待感も含まれていた。彼がフラれたのなら、そこに私が入り込むことも────
そんな、弱みに付け入るような卑怯な気持ちが芽生えたことに、惨めさと罪悪感を感じながらも敢えて私はそれを打ち消そうとは思わなかった。
もし本当にそうなら……今度こそ、彼を支えるのは私であるはずだから。
────────────
「ふぅ~…………」
ゼミとバイトを終えて、部屋に戻ってきた僕。
手には、コンビニ袋。
部屋の真ん中のテーブルの上のゴミを押しのけるようにして、僕はその手荷物を放り出す。
こんな最悪の心理状態でも、日々は容赦なく過ぎていくもの。
変わらないのは僕の気持ちだけ。……いや、あれから二日経って幾らかマシになったであろうか。
絶え間ない後悔と怒りに苛まれ続けるのはやはり苦しいもので、じっとしているより何か手を動かしている方がある程度それらを忘れることができる。普段なら大変に思っていた清掃作業のバイトだが、こんな時は働いて単純作業をしている時間のほうが明らかに楽だと感じる。いっそ、バイトのシフトもっと増やそうかな────。
そんな事を思いながら、僕は二日ぶりのお風呂を沸かすことにする。
先日、先々日とサボっていた入浴だが、清掃作業をしてきた今日は流石に入らないという選択肢は無い。
僕は、浴室の窓を開けてから大雑把に浴槽と洗い場にスプレー洗剤を撒いて、再び台所に戻り買い置きカップ麺を取り出して蓋を開け、電気ケトルに水を入れてPCの電源をいれる。
……放置時間は充分に経ったであろうと思い、再び浴室に行き洗い場をざっくりとスポンジで擦って、シャワーで浴槽と床の泡を流していく。
きれいになった浴槽に湯張りを始めると、湯気とともに洗剤のいい香りが浴室に充満していく……すると、またしても記憶のリンクが余計な過去を呼び覚ます────。
この洗剤の香りは、別れたあの女も使っていたものだった。付き合っていた最中は、変におそろいに拘ってしまう心理が働いていたこともあり、生活に使ういろんなものが彼女と共通になっていたのだ。洗剤のお徳用パックをデート中に買って「所帯じみてる」と笑われたこともあったが、たくさん入っていたその洗剤セットを仲良く二人で分け合って使っていたこともあった……。
「あ゛ーーー!!」
……瞬間的に頭に血が上って、思わずそんな怒号を上げてしまう。そして、近所迷惑だったと、ハッとして、慌てて浴室の窓を閉めた。
心が弱っている時は、突発的に変な行動を起こしてしまう。これが重なるようになったら、いよいよ普通の生活が困難になってくるのだろう。バイト中はなんとかこらえることが出来たが、これが仕事中に出るようになったら、もう……どうしようもないのかもしれない。
「う……ぁ………」
そんな事を考えていると、また叫びたくなって、それを必死にこらえていると変なうめき声が漏れ出してくる。
もう駄目だ……。
そう思うと、僕の足は自然とそれを求めて部屋に向かう。すぐにテーブルに駆け寄り、コンビニ袋から買ってきたばかりのストロング缶を手に取って、タブを開けて一気流し込んだ。
「……っはぁ~……!」
三分の一程を飲みこみ、頭に霞がかかり始めたのを感じてようやく、精神に「投げやりな安心感」が漂ってくるのを感じた。
普段の僕は、こんな心境に陥ることは殆ど無い。困難があったら順序立てて論理的に解決方法を探すのが、僕の美学でもあったから。だが、明らかに過去の自分の行動が失敗であることが確定してしまった今、それを取り戻す方法など、いくら頭を捻っても出てくることはなかった。なまじ、真面目な方法だけで生きてきた僕にとって、「敢えて考えない」という解決手段は禁じ手であり堕落の一歩でもあるような気がしていたのだ。
そんな僕が、酒に縋って思考を止めようとしている。
「ふふふ………、ふぇへへへぇ……はははぁ~………」
無様な自分を、どこか俯瞰しているような気持ちが芽生えて、おかしな笑いが漏れ出てきた。これまたおかしなことに、それは案外悪い気分ではなかった。
そんな酔いの余勢をかって、起動していたPCで僕はいつものスレッドを開く。
画面には、いつもの面々が他愛のない会話をしている様子が流れていた。反射的に、僕もその輪の中に加わりたくなってコメントを打ち込んだ。
【LV33,バラモス,WQ】:ただいまー部屋到着して既に飲んだくれモード
『LV13,マドハンド,VS』:おっつー
『LV12,ガメゴンロード,OP』:おかえり
『LV1,どくイモムシ,UU』:バラモスの帰還
『LV7,さつじんき,MS』≫(LV33,バラモス,WQ)気分はどうだい?いくらか持ち直したかな?
【LV33,バラモス,WQ】≫(LV7,さつじんき,MS)なんとかね……バイトにも行ってきたよ。
『LV81,ボストロール,U2』≫(LV33,バラモス,WQ):労働お疲れさん
『LV9,ベビーサタン,WF』≫(LV33,バラモス,WQ):そうかえらいぞ
『LV4,デスストーカー,C6』:落ち込んだ時は体動かしてるほうが楽かもしれないね。
『LV1,ガニラス,MA』:飲み過ぎんなよ
……幸い、まだ僕のことは覚えていてくれたらしい。
こんな場末のスレッド住人の事情なんて、一期一会で日が変わったら存在しなかったように忘れられててもおかしくないのに。
そんな、自分を知ってくれているという感覚に絆され、僕はまたズルズルとこの不毛なやり取りを続けている。
【LV33,バラモス,WQ】≫(LV81,ボストロール,U2)≫(LV9,ベビーサタン,WF)≫(LV4,デスストーカー,C6)≫(LV1,ガニラス,MA):ありがとうございます
ぴぴぴぴぴぴ………
返信を打ち込むと同時に、浴室からブザーが聞こえる。
お湯を溢れさせないようにセットしてある湯張りブザーの音だ。以前うっかり、大量にお湯を溢れさせて無駄にしたことがあったので取り付けたものだ。こんなときでも、当然ながらお湯は待ってくれないのだ。
【LV33,バラモス,WQ】:お湯の用意ができたんで、お風呂入ってくるね。
『LV5,じごくのよろい,AM』:気をつけて入れよ。
『LV2,キメラ,GM』:飲んでたら風呂入るのあかんのでは?
確かに、酔った状態で入るのは明らかに良くないのだろうけど。
正直……このまま溺死したとしても、それほど後悔は無いかな。
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