第37話 翆色の革の表紙の本 大会

ある日サイェスはサンダンドが執務室で酒を飲んでいるのを見て、責任者として叱責しようか、それとも御相伴預かろうか迷っていた。


叱ったとして心に何か残ってくれるとは思えないし、二人きりの資料館と資料研究員だ。

急ぐこともないし、まぁいいかと思い、秘蔵の生ハムを薄く切って持っていくと、サンダンドはご機嫌に内ポケットのボールペンの軸をクルクルと回して、中に隠してあったごく小さな太陽の石のかけらを見せてくれた。


「なんだ…先生。

興味のないフリをして隠し持っているんじゃないですか。」


「馬鹿言っちゃいけないよ、サイェス君。

興味津々さ。

何かあってもこの大きさなら大丈夫かと思ってね、これだけ持っているのさ。」


ボールペンの先手コロコロ転がしながらじっと石を見つめているサンダンドを見ると、いつもの仏頂面ではなく笑顔だった。


「先生、それなんかやりました?

楽しそうですね。

変な性質でも見つけたんでしょ。」


「わかるかい?

そうだね、実は色々やってみてしまったよ。

でもね、なーんにもわからなかった。

楽しいだろう?

分からないって事はさ。」


「この前は怖いって言ってましたよ。」


「うん、怖いよ。

でも、楽しい。

同居するよ、その感情は。」



資料館の建築自体は終わり、資料を精査して分類する段階に来たが、これが遅々として進まない。

何せ人手が足りていないのだ。


サイェスが中心となり大分類は終わったが、そこからさらに詳細に分けていくことに時間を食っていた。


なにせ専門書ばかりなので、読み解く人員にも限りがある。


表題は経済書っぽいのに、開くと植物学の本だった事さえあって、当初考えていたよりも苦戦していた。


「全部の本に精通しているスペシャリストが欲しい…。」


ついにそう呟くほど、サイェスの仕事量は増えて来ていた。


サンダンドはフラフラとどこかへ行ったっきりになっていたり、帰って来てもへべれけに他の研究員を質問責めにしたりと、邪魔しかしない。

彼がもう少し手伝ってくれれば、と思っていたが、ある日突然執務室へやって来た彼は興奮気味にサイェスを連れ出すと、急に実験を始めた。


「なんですか!もう!僕は忙しいのに!」


「いいから、見ててごらんよ。」


サンダンドは太陽の石を取り出すと、どこで捕まえて来たのか、ヤモリの前へと差し出した。


ヤモリはパクッと飲み込んでしまって、しばらくウロウロした後に石を吐き出してしまった。


「なんですか…。

可哀想ですよ、石を飲み込ませるなんて。」


そう呟くが、石から目が離せない。

見た目は何も変わっていないが、フルフルと動いている気がするのだ。


「これはやっぱり卵だった。

おそらくこの形なのは、宇宙空間には石しか無かったからだ。

今この石は、ヤモリを少しだけ学んだ。

動くっていう概念を理解したんだ。

やっぱり鉱物というより、生物だったよ、これは。

だから、あのさ、君と僕の仲だからお願いするけれどね?


…君もちょっと飲み込んでみてくれないかな。」


「絶対嫌です。」


「そうかい。

なんだい、外から観察したかったのに。」


そう言うと、サンダンドはポイっと口入れて、石を飲み込んでしまった。


「じゃあ君が観察してくれよな。

僕はどうなるか分からないんだから。


毒かも知れないしね。」


それから数日間、サンダンドを観察していたが何も起きず、そのうちサンダンドと食事中に喉の奥から出て来たらしく、むせながらつまんで見せてくれた。


「なんて事ないね。

小さいからかな?

ま、毒ではなさそうだね。


さ、次は君が飲み込んでみてくれたまえよ。」


「おっさんの中から出て来た石なんて絶対嫌です。」


「つれないね。

しかし、なんだか親近感が湧くよ。

他所から知識を引っ張って似ようと頑張るなんてさ。


僕らのようじゃないか。」



資料館もオープンし、僕らの忙しさはピークを越えた。

今では問い合わせから必要な資料をコピーして配送するだけのお仕事だ。

偶に研究者がやってきて、ここで学んで帰っていくが、何が欲しいか分かっている人しか来ないので、僕らの仕事はほぼない。


しかしまぁ、この仕事で余計な知識が増えたものだ。


あらゆる研究資料に目を通したおかげで、浅く広く学べてしまった。

僕の専門は人文学なので、あるいみその道に励んだとも言えるか。

門外漢の知識でも面白いと感じるものはいくつもあったし、なぜ表に出ていないのだろうというものが幾つもあった。


それらを個人的にまとめていると、いつの間にか、サイェスの名前で世に送り出されていた。


おかしいと思ったのだ。

僕の好みで個人的に纏めたリストと合致するように閲覧依頼がとんでもなく伸びているのだから。


こんな事をするのは一人しかいない。


「先生、僕の名前で優秀な資料をピックアップして纏めて、出版するのはやめてください。」


「あらら。

バレてしまったか。

しかしだね、纏めたのは僕じゃなく君だろう?

確かにいい論文や資料だったよ。

ナイスな選定だったね。


恥ずかしながらレビューの文章はてんで拙かったから、僕が書き足したが、見てくれよ。

中々の反響で、コピーの依頼やら、自著を読んで欲しいだかの依頼がわんさかやってきているよ。


載せたものの閲覧依頼数も100倍近くなっているし、あはは、凄いね!


それでね?


明後日に第2弾が発行されるから、少し忙しくなると思うよ。


あと、君の机に箱を乗せておいたから。

アレは選定依頼の方の資料だからね。

読んで優秀なものから順位付けておいてくれたまえ。」


…勝手に人の日記のようなメモを読んだ挙句に勝手にコンテスト化しやがった…。


気持ちは重いが、不安で早歩きになって執務室へと戻ると、乱雑に箱が置いてあった。


先生が言うように机の上ではなかったけどね。

乗らないから。

7箱分の資料…?

しかも順位付け…?


クラクラして来た…。


さっきの早歩きの5倍の速度でサンダンドの机に戻ると、もうそこには居なかった。

机には一枚の紙が残されており、そこにはおじさんのキスマークが残されていた。


…逃げられた…!


その日から資料館の仕事はそっちのけで他の職員に任せて、送られて来たらしい文献を読み漁った。


優秀なもの、拙い文章だけれど読むべきところがあるもの、少し掘り方は足りないが良くなりそうなもの、ダメなもの、読みやすいけれど研究としては良くないもの。


箱をいくつかに分けて大急ぎで読み、ポイポイ仕分けていく。

あまりに専門外なものは別に分けてそっちに寄っている職員やサンダンドに聞いて分類を進めた。


何冊読んだかは分からないが、粗方仕分けてこれで寝られると思っていると、サンダンドからまたとんでもない事を言われた。


「大賞は?

これ?

確かにこれはいい研究だったね。


じゃあスポンサーつけて来たから、授賞式をやろうね。


来月末辺りでいいか…。

空けておいてくれたまえ。


賞金も用意したよ。

1000万ルバン。

中々だろう?」


1000万ルバン…庶民の月収が3万あるかないかぐらいだ…。


…ん?

授賞式って言ってたか?

誰が誰に?


…僕の名前で刊行されているじゃないか!


疲れでヘロヘロの身体を引きずってサンダンドを問い詰めると、ヘラヘラしながら、


「権威になっちゃったね。」


と言われた。



授賞式はそれはそれは豪華になった。

当たり前だ。


研究の成果に大金が出る大会なんて今までなかったのだから。


受賞の条件は二つで、優れた論文であること。

そして授賞したあかつきには、僕が編集長の雑誌に掲載可能な事の2つだ。

意義は広く人の役に立つ事。


逆に言うと2つしかないので、ありとあらゆるヘンテコな研究がここに集まることになった。


と、いうのも、サンダンドが採用して佳作として残したもののせいで、間口がガバガバになってしまったのだ。


料理本。


最初は残した事をポカンと聞いていたサイェスだったが、読ませる文章と豊富な知識、思いもつかない食材の組み合わせに、何故それらのマリアージュが生まれるのかの科学的アプローチを含んだ考察は、たしかに一考の価値はあった。


広く人の役に立つ知識と断言も出来るため、佳作として採用したばっかりに、科学者の枠を超えた雑文のようなものまで集まってしまったのだった。


たった一年で集まる論文の量は手に負えなくなったが、スポンサードされている為、もうやーめた!なんて訳にはいかない。


必死で毎日毎日読むことに集中していた。


「サイェス君は大変そうだね。」


サンダンドにこう言われた時は後ろから闇討ちする事を心に決めたが、ふと考えると、このクソジジイはここに来てからずっと楽しそうにしている。

人に苦労を押し付けておいてと思わないでもないが、論文はこの人も読んでいるし、資料の送付もやっている。

大きく仕事量に差がないはずだろう。


「先生はなんか、楽しそうです。」


「うん。

楽しいね。

ほら、僕は天才だろう?

小さい頃から天才だったからね、楽しくなかったんだ。」


この人が天才なのはわかる。

自称するものではないと思うが、結果が語っている。

天才である。


「…天に愛されているなら、楽しそうですけどね。」


「そう思うかい?

君のような秀才から見るとそうなのかも知れないけどね、僕の思慮深さと言ったら、それはもう海よりも深いのだよ。


海よりも深いところから話しかけたとしても、誰も気が付かないだろう?


だから僕のような人種は、わざわざ水面まで上がってから話しかけなくてはならなくてね。


面倒だしさ、みんながどれくらい馬鹿だか分からないんだよ。

だから過剰に馬鹿になって話すと、相手は何故か馬鹿にされていると感じてしまうらしくてね。

加減がわからないんだ。


例えばね、君が100mを2秒で走れるとするだろう?

世界記録が9.5秒くらいだ。


2秒で走っちゃうと競技が壊れる。

凄いけれど、誰も褒めてくれないし、気まずいだろう?


でも2秒で走れるやつが9.5秒付近でゴールするのは難しいのさ。

9.3だと大騒ぎ、9.7でも大分速いけれど、才能からしたら大した尊敬は得られないだろう。

彼からしたら大した違いなんてないのに。

常人の上澄とそれほど差があってしまったら、その競技に参加してはいけないのさ。


僕にとっての頭脳はそういうものだ。


良いとか悪いとかじゃなく、そういうものなのさ。


それでも僕が頭を捻り出さなきゃ並べない人達もいる。

一つの分野に全てをかけて来た人達さ。


彼らの試行錯誤の経験や、そこからくる肌感覚なんかの、僕からみたら非効率この上ない物でも、結果的に素晴らしいものが出来るなら、棄却するべきではない。


分かるかい?

常人の人生全てを賭けたものでやっと僕と会話が出来るのさ。


傲慢だと思えば良いけれど、幾分寂しさが減っているんだ。

今更辞めたくないね。

この本の山が僕の友人なのさ。


だから…友人に優劣をつけるのは本意じゃないけれど、敬意は金で支払おうと思ったんだよ。」


「それに巻き込まないでもらえますか?」


「はは。

君も読み解くという分野においては、僕の友人だからね。」

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