翆色の革の表紙の本

第36話  翆色の革の表紙の本 サンダンドとサイェス


朝、湖に浸していた木の皮を拾い上げて干していると、なんとなく人の気配がした。

ここにあまり人が来ることなどないので顔を上げると、私の唯一の友人が立っていた。


「よう、リリアン。

知ってたか?

ここって、信じられないくらい入り組んだ所にあるんだぜ?」


彼はここに来たばかりのボロボロの姿ではなく、ここを出ていった時の頼りない雰囲気もなく、自信に満ちた一人の人間として帰って来た。


私はこれまで同じ人に2度会うなんて事はなかった。


親しくなっても、別れたっきりだ。

あとで話を集めてその人の人生を追う事は出来たが、もう一度声を聞きたいと何度思っただろうか。


「やあ、いらっしゃい、アプリード。

本をお探しですか?」


「いや?

友達に会いに来ただけさ。」


司書として喜ぶべきでは無いのかもしれないが、たまらなく嬉しかった。



「で?なんで寄ったんです?」


「いや、遊びに来るくらい良いだろう。

まぁ、あれだ。

ゴタゴタがあって、次の大仕事までの半年間、行方をくらませた方が都合が良さそうだったのもあるけどな。」


建国祭は半年後で、シェリルの件やイーセンベーレのやり方を考えると、俺は大丈夫かもしれないが誰かがまた巻き込まれる可能性が十分にある為、離れる事を決意した。


その方が演出的にも効果的だと判断したのだ。


ピアードは、調整する方の身にもなってくれと言っていたが、弟は優秀なのでなんとかしてくれるだろう。


「じゃあ、しばらく居るんですか?」


「そうしたいと思っているけれど…一人紹介して欲しい人がいる。」


アプリードはここ以外であまり見ないお茶を啜りながらそう言った。


「なんだ、やっぱり仕事もあるんじゃないですか。

生まれて初めて、純粋に友達が遊びに来てくれたかと思ったのに。」


「ふふ…。

紹介と言ってもな、まだ生きてるか分からないんだよなぁ。

ほら、お前が教えてくれた話だぞ?

黒の街の画家の話だ。

彼の力を借りたい。」


「…ヴァロのことですか?

どうでしょうか。

作品は動いている様ですが…生きているかは分かりませんね。

なんせ200年は経っているでしょう?

普通の人間ならとっくに死んでます。」


「魔女は長生きなんだろ?

彼は超ド級の魔女なら可能性はあるかなと思ってさ。」


「どうでしょうね。

確かに歴史上最高の魔法使いでしょうけど、前例がないって事はわからないってことでもありますから。


とりあえず手紙は書いてあげますよ。

彼に何をして欲しいんですか?

肖像画でも描いて貰います?」


「それもかなり魅力的だが、雨を降らせて貰いたいんだよ。

今年は故郷が不作でね、単に水不足の様なんだが、分かりやすいだろう?

困っていることの解決策としては。

それに、いよいよ悠長に革命だなんだって言ってられなくなって来たんだ。


半年後に決めたい。


その為に、人智を超えた力を借りられれば、民衆は俺についてくれるかもしれない。」


「そうですか。

政争とはいえ、彼はそういうの嫌いそうですけどね。

ほら、戦争に巻き込まれて大切な人を失っているから。」


「うん。

だから彼にお願いしたいんだ。

今のファーデンは人の命を軽く扱う奴が上に立ってる。

利益の為に戦争を起こす様な奴がな。


これまでもこれからも、巻き込まれている奴が俺が把握しきれないほど居るのが身に沁みたんだよ。


次世代に託したって良いと思っていたけど、それじゃあ不幸な奴が増えるだけだと思っているから、急ぐことにしたのさ。」


「ま、受けるか受けないかは彼次第ですから、紹介は構いませんよ。

私が直接会った事があるのは娘の方ですけどね。

聞いているでしょ、多分。


お話好きな女の子でしたし。」


「ありがとな。


はぁ、こうやって俺も顔も知らない人を巻き込んでいくことになんのか、嫌んなるね。」


「そうですか。


でも、顔も見えない人を守ろうとしてるんでしょう?

なら手を長くするしかないんじゃないですか?

貴方がやるなら、貴方が。」


「そうなぁ。

ま、頑張るさ。


…リリアン。

もう一つ聞きたい事があるんだ。」


「なんです?改まって。」


「こっちは、俺の気持ちだけだ。

使命感とか、誰かのためとか、世界のためとか、命のためとか、そんな上等なもんじゃない。

ただの好奇心、冒険心なんだけどよ。」


「はい。」


「お前のことが聞きたい。


リリアン、お前は一体なんなんだ?


何年も一緒に過ごして分かった事は…。


とんでもなく長生きしている事かつ、歳を取らない事。

図書館で司書をしていること。

膨大な知識を有して、何故か体験している事の様に話すこと。

ハゲてること。

脈がないこと。

意外と良い奴なこと。

17時頃になると急に気が抜けた様に司書の仕事のやる気が萎えること。

酒が意外と強いとこ。


…そんなもんか?

まぁ、言い出せば沢山出せるんだろうけどさ。


わからねぇ。

膨大な知識は、まぁいいよ。

お前の才能みたいなもんだから。


とんでもない長生きがわからねぇ。


お前は一体なんなんだ?

知識の神かなんかか?」


「いやぁ、そんなそんな。

私は自分が知っている事を知っているだけですよ。


でも、ま、気持ちは分かります。


大体ここに来る人は、必要な情報を持って去って行って、2度と来られる事がなかったので、私に対しての疑問より、自分に必要な知識を優先していたので、初めて聞かれたかも知れません。


初めての友人に免じて、職員のプライバシーより、図書館の利用者の知的好奇心を優先させましょう。」


リリアンは立ち上がると、本棚の中から修繕の甘い翆色の革の表紙の一冊の本を取り出した。


「これ、これですね。

私の本です。


どうぞ、お読み下さい。

お静かに、お楽しみを。」



サンダンド。


その男は偏屈を絵に描いた様な男で、研究所内の評価も優秀だが出世は出来ないだろうと皆思っていた。


革新的な石、俗に言う燃料石を発見、活用して産業を3世代進めたと言われる天才ではあるが、その後に広がる利益や権利に固執しないために発展はさせず、名前が残ったりはしていないまま結構な年齢になっていた。


腹は出て、頭髪は薄く、白衣もヨレヨレ。

ズボンの裾も擦れて千切れかけているし、皮膚も脂ぎっていて、年齢はお爺さんに近いそんな男だ。


目だけは印象的にギラついていて、人を疑うような嫌な目つきをしていて、話しかけると面倒そうに話して、皮肉も多いが嫌がる事はない。


技術や発想は優れているために、新たな素材や試して欲しい技術はバンバン入って来ていて、どうにもならなさそうなものから、理解されてはいないけれど、金の卵だったりする物があった。


今回やって来たコレはとびきりで、ある日隕石として落下して来た宇宙産の鉱物らしい。


元の大きさは分からないが、スイカ大の大きさで、オレンジ色で透き通っていて、薄っすらと光っており触ると人肌よりかなり暖かい。


そんな石だった。


幸いな事は、最初に彼の元にやって来たことで、傷など付いておらず、いたずらに分割などされなかった事だろう。


不幸な事は、分割されなかった為に莫大なエネルギーがそのまま使われてしまった事だろう。


太陽の石と呼ばれたそれは、持ち込まれた日から今日まで

少しも変化がなかった。

温度も輝きもそうで、暗い箱に入れて1ヶ月置いても、真空に入れても水に沈めたとしても、少しの変化もなかった。


完全に変化のない石。

かつ、熱エネルギーを発している石である。


例えば石鹸は使うと小さくなる。

冷たい飲み物は気温と同等まで緩くなるし、熱いコーヒーもぬるくなる。

そういった変化すら全くない石と言うと、異常さが分かりやすいかも知れない。


サンダンドは頑なに分割を拒んだが、ごく小さなかけらを取り出した事はあり、小さなかけらですら同じ性質で、2カラット程の大きさで3ヶ月放置したままでも変わる事はなかった。


「サンダンドさん、これ凄いですね…。

もしずっとこのままエネルギーを発する事が出来るのであれば、神の石と言っても過言じゃない。

人類のエネルギー問題が一気に解決しますよ!」


助手は興奮してそう言っていたが、サンダンドは慎重だった。


確かに人類の未来を救う可能性のある物質だ。

奪い合う必要のないエネルギーを確立出来れば、それは凄い事だろう。


しかし、安全かが分からない。

ありとあらゆる衝撃を与えてみてもあまり変化が無いのだ。


かけらを取るのすら苦労する硬度で切るにも叩くにも強い。

凍らせてみても茹でても揚げても変化が無い。

普通の石ならいずれかで溶けるであろう酸を幾つもの種類掛けてみても変化はない。


変わらずそこで暖かく光るだけだった。


サンダンドは不気味に感じていた。

エネルギーが無限に内在されている訳は無い。

科学者は全員夢見て来た無限エネルギー。

宇宙でも使えば何かを失うはずである。

この暖かさは何を犠牲に発しているのだろうかわからない。


分からないという事は怖い事だ。


研究の結果、何も分からないが、何も分からないと言う事が分かった。

それを国へ上げてサンダンドは自身の研究室へ帰った。

心残りは有ったがなんとなく手に負えないと感じていたからだった。

サンダンドはそういう勘を大事にするタイプで、その頑固さも研究者として嫌う物は居ただろう。

今までは分からないが、今回はサンダンドが正しかった。


国はその物質を深く研究することに決めたらしく、各方面から人材を集めて大研究所が作られ、結果的に乗り物が作られることとなった。


熱をエネルギーに精製することにはかなりの時間がかかりそうだが、空を運行する巨大船の動力にするのは直ぐにでも取り掛かれそうだから、というのが表向きの理由だが、国の思惑が絡んだ結果そうなったのだった。


第一に現在使われているエネルギーに携わる人間が多すぎた。

大企業やそれに関連する様々な仕事。

利権や政治的な判断で、新エネルギーとして開発をすることは難しかった。


第二に、これを使った高速巡回船で各国を繋ぎ、人、物の動きを良くしようと考えた。

現在の試算でもかなりの重量を浮かす事が出来る為、運行船半分、物流半分で運行しても利益が大きいと考えたからだ。


物と人が流れれば経済も流れる。


それを利用して、経済の主幹を握ろうとした。



「お客さん、今日の開港式にやって来た人だろう?

こんな飲み屋にいて良いのかい?」


ウイスキーに入った氷をくるくると回しているサンダンドは、式典の参加も飛行船の運行も反対している立場であったので、乗り気では無かった。

浮かれたラッパの音や鼓笛隊が聞こえてくるだけでもイラつくので、へべれけで参加してやろうと思ったが酔えないままだ。


もしかしたら、事故が起きるのは今日かも知れない。


その不安に苛まされ続けていた。


「あ!先生!こんな所にいたんですね!

行きますよ、式典。

先生が参加する事だって意味があるんですからね。

あ、すいません、お代ここに置いておきます!

足ります?

あぁ、よかった。


ほら、行きますよ。」


「行きたくない。」


「おじさんのわがままは可愛くありませんよ。

私の様な若い男でもキツいというのに。」


「僕は可愛いおじさんを目指しているから大丈夫だ。」


「はいはい。」


助手のサイェスは駄々っ子に成り下がったサンダンドを連れて薄暗いバーを出た。

サンダンドはまぁまぁ長居して、酒も飲んだらしく、眩しそうにしている。


「太陽が黄色いぜ。」


「可愛い系を目指してるんでしょ。

そんなしかめっ面してないでとっとと行きますよ。


そんなんでもファンがいるんですから。

…研究者の間にだけですけど…。」


サンダンドが顔を上げる。

かなり離れたここからでもよく見えるその飛行船は、どこか現実感がないほど巨大で、空気で薄っすら白んでいる。


トボトボ歩くサンダンドをせかしながら式典に近づいていくと、向こうから白衣の男がやって来た。

フリオという科学者で、今回の飛行船の総責任者だ。


「よぉ、サンダンド、悪いな。

最初はアレ、お前のところへ行ったんだろう?

またグチャグチャとそれらしい言い訳を並べて死蔵しようとしたそうじゃないか。


見ろよあの堂々とした姿!


お前はアレをこの世から消そうとしたんだぞ?

科学者失格だ!」


サンダンドはそのブルドッグの様な顔をさらにギュッと縮めてフリオを見ていた。

言われる事はなんとも思わないが、アレを利益になるからとなんの確証もなく世に送り出したことを軽蔑しているのだ。


「…そいつはおめでとう、フリオ教授。

いいワンコだな、国から出来るといって欲しいと言われれば出来ると言うだけの馬鹿の何が科学者だ。


一緒にしないで欲しいね。

僕らは理解できない物は理解できないというのが仕事だ。」


「はっ!

理解していないだって?

君がビビって試さなかったであろう実験だって私は試したさ!

太陽の石を失う覚悟でな!


お陰で出力の引っ張り出し方もわかってこうして運用可能になったわけだ。

最高の電池だよ、あれは。

環境にも左右されない、自身の力のみで永続的な力を発揮する奇跡の鉱石だ!」


「…電池、ね。

フリオ君の見立てでは、あれは電池な訳だ。


…アレを失う覚悟をしたのかは知らないが、それで済むといいね。


ちなみにね、僕の見立てでは電池ではないね、アレは。

エネルギーを溜め込む性質って意味での電池だろう?

君が言うのは。


ははは。

馬鹿が。


まぁ、いいさ。

僕を巻き込まないでおくれよ。」



「あんなことばっかり言っているから、こんな閑職に回されるんですよ。

サンダンド先生ならもっとガツガツした新技術だの新素材だのにいけるでしょ。」


「うるさいな、サイェス君は。

こうやって後進のための資料をまとめるのだっていい仕事だよ?

やりがいを感じるね。


ほら、馬鹿フリオの論文だ。

…ふむ、なになに?

クリーンエネルギーと人類の未来について、だってさ。

大きく出たね、こりゃ。


太陽の石の研究論文だね。」


パラパラとページを捲るサンダンドに弟子を自称するサイェスが問いかける。


「先生はあれがなんだか、なんとなく検討がついているんじゃないですか?」


「さてね。

分からないというところまでは分かった。

そして、おそらくアレは僕とかフリオの専門じゃないと思うんだよ。


…なんというかね…。

そう!

そうだ!


卵!

卵に感じたよ、僕は。


外界の刺激を受けずに、内側だけで完結することといい、ストレスに対しての異常な耐性。


ははは!

確かに卵っぽくないかい?」


「あぁ、そうですね。

耐性の異常に高い卵。


なら、あたたかいのもわかりますね。

生きているんですから。


…そんなものから生まれる物はなんなんでしょうね。」


「さぁ、興味がないね。

いや、失礼。

科学者は正確に言葉を発さねばな。


専門じゃないから、知的好奇心が湧かない、が僕の気持ちに近いかな。


宇宙人が生まれるか、怪獣が飛び出すか、未知の概念が生まれるかは知らないけれどね。


ま、それもこれも卵だった場合さ。


君も読んでみろよ、この論文。

アレをどう使うかしか書いていないんだよ。


アレがなんなのか、それを探る様なことをしていないんだ。


彼は怖くないのだろうかね。

僕は怖いよ。

未知が怖い。


…ま、読んでみたまえ。

性格とかも出てて楽しいよ。

こんな資料館を作ってそこの館長になろうと言う男なのだろう?


この、あまり出来のよろしくない…。


おっと失礼失礼、さっき言ったばっかりだった。

正確に言葉を発さねばとね。


このクソ論文さえもエサとして成長したまえよ。


ははは。」

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