第35話 梨の王 木のナイフ

胸に金印が光る。


この国ではその紋様はそこらで見ることが出来るが、身につけられる人はいない。


建国より前にあったらしい王族の紋様にアレンジを加えたもので、基になった意匠は獅子だけが描かれていたが、その後ろに大木を描いたそれは、ファーデンの国旗にも描かれる特別なものだ。


元々は個人を表す物だったそれは、建国の際に国を表すものになり、現在また、個人を表すものに戻ってきた。


アプリードリヒ・ホールドウィンが、ホールドウィンを背負って初めて表舞台に出た日に、そうなった。



「今年の建国祭はあんまり盛り上がらないかも知れませんが、今年も貴方達さえよろしければ依頼したいと思います。」


ファーデンから依頼の手紙が来て、それに返答をすると2週間後にクレフがわざわざやって来てそう言った。


どうやら今年は不作らしく、民衆的にはお祭りムードという訳ではないということだった。


「…不作ですか…珍しいなぁ、あそこってどっちかというと農業には強い国でしょ。」


「土は良いみたいなんですけどねぇ。

雨は人にはどうにもならないですから。」


「確かになぁ…。

いや、なら余計に行かないとっすね。

結構来るんですよ。

ファンレターっていうの?

楽しみにしてます的なヤツ。


兄貴は行く気満々だから大丈夫だけどよ。


…なんでわざわざ来てくれたんすか?

去年は初顔合わせだからわかるけど、今年は手紙だけで良いと思ってたんすけどね。」


「…僕らの元に確実な情報として届いた訳では無いんですがね、シェリルさんの事件にファーデンが関わっている可能性がありました。

それをお伝えしたくて…。」


「あぁ、分かっていましたよ。

リアンさんは知らないかもしれませんけど、俺らは秘密警察部隊だったので。」


「あぁ…通りで。


あ、いえね、当然あなた方がファーデンにいた頃の事は調べたんですよ。

それが不自然な程分かりませんでしたから。

家族や親しい人もみんな鬼籍に入ってましたしね。


そうですか…ならば納得です。

10年ほど前ですか…。

なるほど、その頃は特に記録が残っていませんでしたね。


最近のはあるし、もっと前のは残っているんですけどねぇ。」


「あぁ、そりゃそっすよ。

イーセンベーレの奴がいたからなぁ。

首領でしょ?今のファーデンの。

だからじゃないすかね、掘り起こされるのを嫌ったんでしょ。

色々後ろ暗い事もある部隊だったからなぁ。」


「なるほど。

…そうですか…イーセンベーレが。


彼も幼少期の記録はありますけどね、最近のはてんで見つからなかったので、納得です。


スポーツ格闘技なんかで優秀だったらしいですねぇ。

今の感じからは想像出来ませんが。


首領になった後まで飛ぶんですよ、経歴が。」


「…あー。

あれか。

嫌な事件だったなぁ。

その前の港町の件ではまだ、俺らは気が付いてなかったんだけど、あれは決定的に国から心が離れる原因になったなぁ。」



時のファーデンの首領、ズゾルブの指示でイーセンベーレと俺ら兄弟は、ある女性を探していた。


セリアという名前らしく、秘書課に在籍していたが、機密を持ち出したまま失踪したらしい。


指示は3つ。


・セリアの確保

もしも自分の意思での失踪ならば生死不問で構わない。

・機密の回収

重要度ではこれが一番大切らしかった。

・背景の調査

正直これは、調査をするならば自然とわかっていくことなので、要は報告に隠し事をするなと、そういうことである。


俺とイーセンベーレが始めに渡り、兄貴は前回のソフィアの件での片付けが残っているので、そちらを終わらせてから合流するらしい。


「貴方のお兄さん、楽器がとても上手でしたねぇ。

私は音楽にとんと興味が湧かない性質なのですが、すごいのではないかというのはわかりましたよ。」


「ソフィアはとても良い娘だったのに、残念でしたねぇ。

給仕の仕事だって任務の為とはいえ、偽物の一生懸命さには見えませんでした。

そういうのって、隠しても伝わりますから、本当に一生懸命に働いていたんでしょうねぇ。」


「ミモザさんでしたっけ、貴方達の幼馴染のお嬢さんは。

学生課に聞きましたよ、兵站を希望しているんですってね。

見上げた物ですね、最近は兵役を嫌がる学生が多いと聞きますが。

アレですかね、貴方達が居るからその手伝いをしたいんでしょうかねぇ。

可愛らしいですねぇ。」


小さな事を褒めて、何に対してもありがとうとお礼を言うし、野営が必要な際は自分で働き、焚き火の風下に座り焼いた肉も、見栄えの良い方は俺の方へよそった。


道中、イーセンベーレは終始そんな感じだった。

ここに居ない人間を褒める会話と、俺の体調を気遣うような仕草で、正直俺はイーセンベーレへの猜疑心を一切持っていなかったどころか、少し好きな感じの人だな、なんて思い始めていた。


本当にそんな小さい事を積み重ねだが信頼していたので、

ふと思い返したら今でも、あのイーセンベーレが今の悪逆非道なファーデンの悪い部分の舵を切っているなんて想像もつかないくらいだ。


目的の街へ到着した俺たちは前と同じく兄弟という設定で、セリアを探しながら兄貴を待つことになった。


人伝に探すと察知されやすいので、始めは自分の足で情報を探す方針だ。

逃げ隠れている奴なんてのが居られるところなんて限られている。


人がいるところで、人の出入りに敏感ではない所。

例えばスラム街なんかを想像するが、今回はそこは除外出来る。

女が逃げ込むには適していないからだ。


娼館なんかも除外だ。

普通なら最初に探る場所だが、今回は「機密」を連れ出しているからだ。


機密。


今回の場合、情報や武器などの軍備品を盗んで逃げた訳ではないらしく、イーセンベーレが受けた指令書にハッキリと内容まで書かれていて、実はそんな事は珍しい。


ズゾルブとセリアの関係は不明だが、今回の機密の回収と言うのは、セリアの息子をズゾルブの元へ連れて行くと言うのがその中身になる。


まだ5歳を過ぎたばかりらしいので、幼児と言っていい子供を連れた母親が娼館やスラムには行かないだろうという見立てだ。


「そうは言ってもねぇ、そういう母親に親身な所もない訳じゃないですからね、絶対ないとは言い切れませんが。」


という訳で残りの可能性を探ることになる。


こういう時に隠れるパターンは2つ。

家族や親戚が匿うか、男が匿うかだ。

今回は後者は考えにくい。

連れ子持ちの女を匿う男なんてモラルが狂ってるか、頭のおかしいほどのお人好しかだ。

そんな珍獣の可能性はまず除外して、シンプルに従兄弟家族と、祖父母が暮らす家に別れて張る事にした。


まず3日間昼に見張り、次の3日は夜に見張る。

空いた時間に情報を合わせて、異常が発見できなければその時にまた考えていくという打ち合わせだけをして、イーセンベーレと別れた。


俺は市場を管理するところで許可を取り、フルーツジュースの屋台を開いた。

利益を追い求めなければ客入りを良くすることなんて簡単で、多少忙しい程度では注意散漫になるような鍛え方はしていないので問題はないし、女子供が好きな屋台を開いていればもしかしたらターゲットが直に引っかかるかもしれないと思いそうしたのだ。


目論見通り悲惨な利益率だが客入りは好調で、隣の屋台でピタを焼いている兄ちゃんと商品を交換したり、飴やのおっちゃんと仲良くなったりして、どちらかというと楽しい期間だった。


ターゲットの家からは時折祖父母と見える老夫婦の出入りがあるが、買い物の量も多くはなく、子供に必要な物を仕入れている様子はなかったので、ハズレなのでは無いかと感じ始めていたところに、監視していた家の祖母がジュースを買いにやって来た。


「おひとつ下さいな、味は、えーと…おすすめはあるかしら。」


「今の時期だとイチゴっすかね。

レモンも意外と酸っぱいだけじゃなくって美味しいっすよ。

迷っちゃうなら混ぜちゃいます?」


「あら、やんちゃね。

それじゃあ、混ぜたやつを二つ下さいな。


最近始めたのかしら、何処かから来たの?」


「はいよ。

え?

あぁ、そうです。

ファーデンから来たんすよ。

兄弟で引っ越して来てさー、あっちは果物多いから、やっぱりこういうのは得意だからさー、やってみよっかなって。


はい、おまち。」


一瞬だけ嘘をつく事も考えたが、どうせふと出る言葉のイントネーションなんかで出身はバレる事が多いので、逆にオープンに話して変に警戒されないほうがいいかと思った。


「ありがと、これお代ね。

うちの孫もファーデンで働いているのよぉ。

セリアって言うんだけどねぇ、歳も貴方とは少し離れているから知り合いでは無いとは思うんだけどねぇ。」


「そうなんすか、偶然すねぇ。

いや、確かに知り合いには居ないっすわ、セリアさん?

手紙とか来ないんすか?」


「あんまり来ないわねぇ。

でも、便りがないのが元気のしるしとも言うしね、娘夫婦もファーデンに居るんだから心配はないんだけどねぇ。」


「そうっすねぇ。

元気だといいですね。


どうすか、酸っぱ過ぎます?

あ、これ、もう一つもお待たせしました。」


「いえ、美味しいわ。

ありがと、夫には酸っぱいかもしれないけれど、あの人、野菜とか言っても言っても残すから、このくらいでいいのかもしれないわ。」


「あはは、男なんてそんなもんすよ。

俺も好きなもん食って、風邪引いた時とか腹壊した時だけ誓うんすよ。

次からは健康的な食事を心がけようってね。」


そんな話をして見送った。


話をして、孫娘を匿っているような悲壮感など感じなかったし、何も知らないのではないか。

そう感じた事をそのままイーセンベーレへと伝えた。


「こっちの従兄弟の家もそんな感じでしたねぇ。

ま、予定通り3日は様子を見ましょうか。

その頃には貴方の兄のアプリードも到着するでしょ。」



「あぁそう、まだ見つかってないのね。

僕はどうしようかなぁ。」


「俺の屋台で客寄せとかする?」


「いやぁ、せっかくだから僕は夜に探そうかな。

二人とも昼に動きがないならその方がいいでしょ。」


その頃の兄貴はなんだか超然とした感じで、何も考えていない様な、深く考えている様な不思議な人になっていた。

その時も何かを考える様子でそう答えると、何処かへ出て行ってしまった。


しかし、その頃からだったと思うが、色々な人が兄貴の事を気にかける様になったし、一人でいるのが、なんというか、似合う様なそんな雰囲気を持っていた。


イーセンベーレも兄貴の様子は気になる様で俺に何をしているかよく聞いてきていた。


今の兄貴は、一度記憶を失った影響かその雰囲気は失っているが、その分なんか親しみやすい感じがしていたが、シェリルの死がきっかけなのかこの頃の感じに戻りかけている感じもする。


この頃は特にその傾向が強く、出て行って帰って来て何かを纏めてまた消えたと思ったらいつの間にか、俺の朝飯が置いてあったりして、なんか少しカッコよかった。


兄貴が加わった事で俺は昼の屋台を続ける事にして、夜はもう任せてしまっていた。


イーセンベーレの方を手伝おうか話をしたが、彼は自分で情報を得てそれを自分で活かす方がやりやすいとの事だったので、そちらもお任せしていた。


屋台は好調だが調査としては、この3週間で4度訪れた祖母はやはり普通のおばあちゃんといった様子は変わらず、孫とそんなに歳の変わらない俺の屋台を気にしてやって来ているだけだろうという結論になった。


祖父だけが知っていて、祖母ら知らないなんて事はないだろう。


俺は調査をする必要がないと二人に伝えようとしたが、先に話した兄貴が、イーセンベーレには伝えずにそのまま続けろと言う。


「なんでだよ…兄貴の方になんかあったのか?」


「いや、イーセンベーレを信頼してないだけだ。

いいか?

お前には伝えておくが、俺は調査指令を無視してイーセンベーレを監視していた。

あいつはもう従兄弟の家を監視してはいない。


する必要が無いからだ。


恐らく、早ければ明日に配置の入れ替えを提案してくるだろう。


よく聞けよ、アイツは従兄弟一家をもう片付けている。

皆殺しだ。

監視してもなんの変化もないぜ、死んでるからな。

それでな、俺はもうセリアを見つけていると踏んでるんだ。

追い込む為だけ、それだけの為に従兄弟一家をそうした。


次は祖父母の家だ。


考えろよピアード。

僕たちとアイツの目的は違うと考えろ。


機密が機密である理由はなんだ。


俺らはズゾルブとセリアという男女が出て来た時点で、首領の不倫関係のスキャンダルを想像しているが、違うだろう、これは。


元々の条件から考えるべきだった。

セリアは重視されてなく、息子が重視されてんだ。

何故だ?

誰の息子だ。」


「なんだよ。

分かるわけがねぇだろう。」


「僕も指令書を読んだ時はさ、そう思ったんだけどね。

ソフィアの遺した物の片付けをして来たついでに調べたんだけど、セリアさんって人は軍部に関わりなんて全くなかったんだよ。

酒場や飲食店、商店なんかの不特定多数と出会う様な仕事でもなかった。


同じところへ行き、同じ事をする仕事だったんだ。

ならまず父親をそこから探そうと思うだろ?

んで、今回の上の慌てようをみて確信したよ。


ファーデンに王はいないけどさ、ファーデンがファーデンになる前に、独立した国があるんだよね。

ホールドウィンって初代様は他所の王家出身って話。

んで、いつだったか、その国をファーデンが飲み込んだんだけど国府って形として自治領として残されてたんだ。


今はそれすら無くなったけれど、王家の血筋が消えてなくなった訳じゃない。


自治領が自治区として縮小されてなんの力も無いけれど、維持はされている。


セリアはそこで働いていたんだ。」


「なんだよ。

つまり王様の子供ってことかよ。」


「そう、その通り。」


「なんだって今更…。

要は自治区なんつって閉じ込められてる王様の子供の何が欲しいんだよ。

出入りのメイドと恋仲になったってなんの問題にもならないくらいの奴なんだろ?」


「僕も不思議だった。

でもね、彼しか持ってない権利があるんだ。


ファーデンが飲み込んで自治領にした時にね、おそらくホールドウィンか誰かが、将来のファーデンの暴走を防ぐ為に権力を分けようとしたんだろうね。


彼は首領の任命権を持っているんだ。

実質飾りで、この人を任命して下さいねで辞令を下すだけの仕事なんだけどさ、あるのはあるんだ。」


「うん。

つまりなんだよ。

小さい子供の任命権が欲しくて奪い合ってるってことか?」


「そう。

新聞にも何にもなってないから知らなかったんだけど、最近王が死んだんだってさ。

確保した奴が次の首領に無理やりなる事も出来ちゃうのさ。


…僕はイーセンベーレを信用してない。


アイツは柔らかな人当たりと誠実そうな態度で油断するけど、ソフィアを殺したのも、ソフィアとカイさんの子供を殺したのもアイツだと思っている。


だから、僕はイーセンベーレがセリアさんとその息子を確保している前提で動く。


そして、今現在、セリアさんと息子を傀儡にする為に動いていると考えているんだ。」


「いや、飛躍してるって。

そんな…。」


「じゃなきゃ、イーセンベーレが来た途端に従兄弟一家は死なない。

うんざりだ。

国を誰がどうこうするだとか、国力がどうこうで人が要るとか要らないとか生きるとか死ぬとか。


ソフィア姐さんだって…。

この仕事終わったら辞めたいけどなぁ、辞められないよなぁ。

軍の暗部になんていてさ。

辞めさせてもらえないし、辞める雰囲気なんて出したら殺されるだろうね。」


「…兄貴。」



結局兄貴の言う通り次の日にイーセンベーレから、配置換えの提案があった。

何も知らない内に人質にされている、孫娘の心配をしているだけの優しい祖父母が殺される可能性が高い。


どうにかして回避したかったが、拒否する材料もなく、次の日から祖父母を見る事は無くなった。


兄貴はその間、逆に俺にイーセンベーレの監視を任せ、セリアとその息子を探していたが、その二人も見つかる事はなかった。


この街から従兄弟一家5人、祖父母、セリア親子の9人が消えた。


それでも何も変わらずにいる事が、なんだかとても悲しくなった。


兄貴は少し前からそうだったらしいが、俺もこの頃からファーデンの歪さが嫌になっていた。


兄貴と二人での帰り道になんとなく支給のナイフを抜いて、それが木製な事が急に恐ろしくなった。


人は裏切る。


この脆いナイフが裏切られて証に感じて、こっそり金属のナイフも帯びる様になった。


ファーデンに戻ると指示書に近い特徴の暗部が持っている孤児院の男の子が死んだとされていて、次の年にイーセンベーレが首領になった。


消えた男の子はイーセンベーレによく懐いていた子だったが、それから俺たちが国を逃げ出す日まで一度もその姿を見る事はなかった。

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