第34話 梨の王 潮風
「実を言うと、シェリル嬢と結婚してハンバート家の地盤を引き継いでファーデンの反乱を裏からサポートする事になるんじゃないかって、そう思ってたよ」
ネージュに言ったこのセリフは、普通の妻に言うのは不謹慎かもしれないが、ネージュには真意が伝わる。
「そうね。」
◆
・それではインタビューを始めさせていただきます。
新曲を披露するたびにご協力いただいてありがとうございます。
これで何度目でしょうか、今回もよろしくお願いいたします。
「ええ、よろしくお願いします。」
・不躾で失礼なのですが、新曲を聴きました。
夫婦での共作でいらっしゃるとか。
「ええ、妻と二人で作りました。
私の教え子が妻の妹だったので…。
お聞きになっているでしょうが、もう亡くなった区切りといったら悪いかもしれませんが、僕らの中での切り替えの儀式というか、そういう曲ですね。」
・とても悲しい曲に感じました。
貴方の曲は、周りを巻き込む様な熱狂を含んだところが特徴だと思うって居ましたが、今作は内向的な、自身の内側から絞り出す様な楽曲で驚きました。
「そうですね。
妻との共作というのが影響しているのではないかと思いますね。
元々外側に向けるというのは、ホールドウィンという苗字が表す通りに、隣国の創始者の血筋ですからそういう性質があるのかもしれません。
しかし、今回そのファーデンの嫌がらせで一人の女性が命を失いました。
なので、より自分を、自分の血筋を省みる必要があったのだと思いますね。」
・失礼ですが…あの、ネージュ様…奥様の狂信者が犯行を行ったと聞いておりますが…。
「あぁ、嘘ですね。
今回の事件は、ファーデンで私が披露した音楽が、国民に受け入れられたのを気に食わなかったファーデンの上層部からの嫌がらせです。
ファーデンの秘密警察という部隊のやり口なので、そこの所属か、元部隊員なのではないでしょうか。」
・あの…。
「あぁ、頭がおかしくなったと感じられるかもしれませんね。
陰謀だとか、そういうつもりはないんですよ。
騒ぎたい訳ではないんです。
心あるファーデン人からの密告と言いましょうか。
まぁとにかく、確信があっての話です。
私もそちらの生まれですからね、話には聞いて居ましたから。
私の血筋と国民に受け入れられる可能性が邪魔なんでしょう。
証拠もありますよ、ほらこれ、世界中何処を見てもあそこでしか使われない木のナイフです。」
音楽雑誌に載ったインタビューの内容は大きな話題となった。
普段なら絶対に掲載しない内容の記事であったが、貴族からの圧力が加わり掲載となり、更に同じ内容が経済誌や新聞にも載り、広く知られていった。
悲しみの余りに狂ってしまったと考える人もいたが、証拠を後出しで掲載する手法で何週にも渡っての話題となり、ファーデンという国のやり口が広がっていった。
金になる記事となり、ゴシップ扱いをされるものも多くあったが、有象無象のファーデンの記事もそこかしこで語られることとなり、残虐非道な国としての認識は着実に根付いてきている。
・本当に残念です。
私は貴方の純粋な音楽ファンでしたので…。
「すいません、こんなインタビューに巻き込んで。」
・それは構いませんが、やはり悲しいですね。
もしも何の不安もない中で曲を作ったら素晴らしいものが出来たのではないかもいう気持ちもあります。
しかし…。
「しかし?」
・いえ、こんな事を言うべきか、本当に迷うのですが、ファーデンとの事があって、悲しみに身を浸らせた貴方の曲は、美しい。
「…あぁ、もしかしたらそうかもしれませんね。
作品を作るという行為に移る時の精神状況が、平和なほど良いものを作れる人もいますし、逆に、不幸を背負えば背負うほどにキレを増すタイプもいますから。」
・そう、ですね。
分かるかもしれません。
大なり小なり心を動かされるものというのは、作り手の心の機微は影響すると思いますし、私も記事を書く身ですから、精神状況によってどんな文章になるか変わると思います。
やはり、この楽曲達は、悲しみが心を支配した結果、完成されたものなのでしょうか。
「いえ、怒りですね。」
◆
ラジオ放送が始まり、大きな話題となった音楽番組。
その中でも代表曲となりつつあるアプリードリヒ作曲による楽曲「未来の怪物」は、そのセンセーショナルな事件もあって、かなりの知名度となった。
曰く、先王の子孫である。
曰く、私物化された国の正統後継者である。
曰く、悪逆非道に残された良心である。
曰く、殺されたのは、彼の婚約者である。
曰く、曰く、曰く、と幾つもの噂も広がりを見せ、ラジオの普及に貢献した。
アプリードリヒの公演は人が溢れて入れなくなっても外で漏れる音を聴く人で埋まり、一度行った夫婦での公演は、登場の歓声で窓ガラスにヒビが入る程だったという。
何曲かの新曲も下ろして、その年の音楽協会が表彰する最優秀ヴァイオリニストにも選ばれて、アプリードは名実共に最高の演奏家としての評価を掴む事になった。
「兄貴、今年も来たぜ。
建国祭のお誘いだ。
どうする?
俺はなにも今年じゃなくたって良いと思う。
もっと地盤を固めて、戦略をたてて、民意を味方につけてからぶつかっても良いんじゃないかと。」
「当然今年も行くさ。
悪い事をしている訳じゃない。
それに、やっぱり今も何処かでシェリルや、憶えているかな、ソフィアの様な犠牲が生まれているとしたら、先延ばしは自分を許せない。」
「…ソフィア?
可哀想な出来事だとは思うけれど、関係ないだろ。」
「ある。
それに伴ってピアードに仕事を任せたい。
これ、これは、あの後にソフィアの荷物片付けに行った際に見つけたものだ。
これをカイさんに届けて説得して欲しい。」
「…プレート?
『イーセンベーレに殺される
奴は私の子供を奪った。』
何だこれ、そんな訳あるかよ。
子供が堕ちた時、介抱したのはイーセンベーレだ。
それに、あの頃ソフィアはほとんどカイさんの家にいて、俺らだってカイさんの見送りの日まで会わなかったじゃないか。
…その前に会ったのは結婚パーティーで、俺はそれ以来ほぼ毎日イーセンベーレと一緒にいたんだから、そんな、何か出来る隙間になんてなかった!」
「そのパーティで食べた鍋。
本来は俺が作るはずだったスープをイーセンベーレが作ったんだよ。
その時に入っていた芋がな、毒芋で、妊婦には食べさせてはいけないものだったらしい。」
「そんな今更!
証拠なんてないだろう!?」
「ない、ないが、俺は図書館にいたんだ。
そのプレートの事なんて忘れた事がなかったから、可能かどうかは調べたのさ。
それにな、ソフィアのその後も調べたんだ。
妻の、ネージュの後ろ盾のブリズ会、ギルバートの貴族の力、軍属のクレフとリアン、どのルートでも調べた。
女一人の足取りなんてその面子で集まらないなんてことはないだろう?
出発地もあの港町だってわかっているんだから。
それでも見つからなかった。
つまりは悲しみの余り失踪して、その先で死んだとかではない。
失踪したと思っていたが、すぐに殺されて居たって事だ。
あのタイミングでそんな事をする様な奴は一人しかいないだろ。」
「…分かった。
でもよ、カイさんに何で今更そんな事言いに行って欲しいんだよ。
もう悲しい事を忘れて幸せにやってるかもしれないのに。」
「そうだな。
幸せなら巻き込むのは本望じゃないけど、調べた中に、カイさんの海運会社がファーデンフロイツを仕入れてた情報もあった。
宗教本だからさ、普通ならそんなもん仕入れないだろ?
当時俺はイーセンベーレから聞いて、カイさんがファーデンに仕えたらしい事を聞いていたんだが、未だにその状況は続いているらしい。
その時は、状況も状況だったから、縋るもんも必要かって受け入れてたけどさ、あんまりだろう、そんなの。
最愛の妻と子を殺されて、罪を金属のせいにしたイーセンベーレとファーデンに取り込まれているのは。」
「…そうか。
とりあえず、行ってみて決める。
俺が見て、それから決める。
それで良いか?」
「あぁ。」
◆
「ほうか、オイラの手駒も貸してやろうか?」
親父にはそう言われたけれど、あんまり気は進まなかった。
カイさんに、マフィアになっちまった自分を胸を張って見せられないという気持ちがあったんだと思う。
今更後悔している訳ではないが、良くしてくれた兄貴みたいなもんだったから、少しでも恥ずかしい所を見せるのを嫌った。
久しぶりに港町へ到着して赤猫亭へ顔を出すと、あまり変わっていない女将さんが喜んでくれた。
「なんだいなんだい!
久しぶりじゃないか、お兄ちゃんは元気かい?
…そりゃあソフィアの事があったから、辛いのは分かるけどさ、たまには顔を出して欲しかったよ。
心配していたんだからね。」
歓迎されながら少し遅めの昼食と、もう飲める様になった酒を揶揄われながら飲んでいると、見知った顔が入って来た。
「アンタたち!
アプだよ!
アプが来てるんだ!」
女将さんがそういうと、ガヤガヤと集まって来てくれて、あっという間にカウンターでは席が足りなくなり、長い机を二つくっつけて大所帯での飲み会となった。
「なんだよ!アプ!
来てたのかよ!
…いやぁなぁ、あんな事があったんだから顔を出しにくいのは分かるけどよ、心配してたぜ、皆よ!
兄貴は何してんだ?」
「あはは、俺も会いたかったよ、皆に。
兄貴はヴァイオリニストになったよ。
ここらにあるのかな、ラジオって。」
「ここにもあるぜ?
あの無愛想だけど、絶品な唐揚げを揚げてた坊主がなぁ。
今だから言うけど、お前ら年を誤魔化してたのバレバレだったからな!
俺らみたいな海の男は雑だから気にしないけどよ、結構心配されてたんだから。
女将さん、ラジオ流してくれよ!
アプが弾いてる曲が流れてくるかもしれないんだってよ!」
女将さんがラジオの電源を入れると、音楽が流れ始める。
酒場なんかに卸している、大きめの音が大きいタイプだ。
結構高価な物だった気がするが、なぜ鳴らして居なかったのだろうか。
「…あぁ、カイの会社のやつがな、嫌がるんだってよ。」
それだけで伝わった。
やっぱりファーデンは兄貴を意識している。
かなりの頻度で兄貴の曲が流れるし、ファーデンの民衆の間でじわじわ広がりを見せている、解放の種と言うべき曲を他国であろうと好いて居ないらしい。
「そうなんだ。
…そう!そうだよ!
カイさんは元気か?
あんたらカイさんの会社の人だったろ!」
「いやぁ、俺らはもう離れてるからよ。」
当然と言えば当然だが、ここに来るまでに現状をかなり調べて来ている。
あの会社は名義上カイの会社のままだが、ファーデンから派遣された軍人に乗っ取られていると言っていい状態だった。
カイ自身の事は調べられていないが、この事自体で兄貴の言って居たことの裏付けが出来た。
「そっか…いや、カイさんに伝言があってさ。」
そう伝えると、完全に疎遠ではないらしく夜にまた呑みに連れて来てくれると言う。
夜を待つ間に、兄貴に聞いた芋とハーブを市場で集めて、懐かしい味だからと女将さんにスープにしてもらった。
一口飲むと、あの日の結婚パーティが脳裏に浮かぶ様だった。
本当だった。
兄貴が言っている事は。
あの日、ソフィアが狙われた。
カイさんの会社が、狙われたついでに。
◆
「…久しぶりだな、元気にしてたか。
心配してたぜ。」
記憶よりくたびれた感じがするカイは、そのせいかあの頃感じた覇気の様なものも失っていた。
「久しぶり。
ごめんな、疎遠になっちゃって。
あんちゃん達がカイさんの会社を辞めたって聞いて驚いたよ。」
「いや、良いんだ。
無理もないからな。
…あぁ、取り扱うもんも変わったからな。
楽しい楽しい海の旅って感じじゃなくなったんだ。」
それも調べた。
交易が主で、ついでに変な地域も寄ってくるような、探検家じみた会社から、ファーデンの利益の為に船を動かす様な会社に変わって居たのを知って悲しくなった。
「時が流れたら仕方ないよ。」
「あ、女将さん、ラジオ、消してくんねぇかな。」
「待てよカイさん、俺が鳴らしてくれる様に頼んだんだ。
せめてこの次の曲まで待ってくれ。」
「…なんだ?
再会だから聞いてやるがよ、あんまり聞けないんだ。
お前もファーデンの人間なら分かるだろ?」
それでも無理矢理消す様な事はせずに、苦い顔で酒を飲むカイ。
ぽつりぽつりと話す事の端々から、あの日の後悔が滲み出ている。
…そうか、もうかなり経つのに、この人は囚われたままなのだ。
今流れている曲が終わり、カイの会話を遮って次の曲を聴く様に促す。
兄貴の曲で、ファーデンの上層部に忌み嫌われている、前回の建国祭で流れた3コードの名もなき歌。
現在も正式な名前は付けられておらず、そのまま、名もなき歌や、あの曲なんて呼ばれている。
「…おい。
何だってんだ。
…正直嫌いじゃねぇんだがよ、宗教上の理由で聴けねぇんだ。」
「宗教上の理由じゃないだろ。
軍に嫌われてるだけだ。
…それにさ、この曲を作ったのは兄貴だ。
アプリードなんだよ。」
「…そうか、アプが。」
カイはそう言ったきり目を瞑り、大人しく曲を聴いて、その曲の終わりまで一言も話す事はなかった。
次の曲が始まり、カイが話しはじめようとしたのを、また遮った。
「…なんだよ、まさかこれもアプが?」
「そう、新曲。」
「…なんか、最初のヤツより大分暗いな。」
「そりゃそうだよ。
親しい人が死んだんだから。」
「…そうか、アイツも。」
「そう、兄貴も。
兄貴もだ。
アンタも、兄貴も、同じやつが犯人だ。
おかみさん、スープを下さい。」
「どう言う事だ?
あれは、変な食いもんが悪さをして…それで、ソフィアが心を病んだって話だろう?
俺の話に犯人なんていない!」
女将さんが、声を荒げるカイの元にスープを置く。
あの後、食べる機会はあっただろうか。
「いいから食ってみてくれよ。
これが毒薬だ。
俺やアンタが食っても何の効果も出ない、美味しい思い出のスープさ。
食って記憶を遡れ。
誰が作った?
どんな味だった?」
目を伏せ、震える手でスプーンを持ち、一口運ぶ。
芋と香草の風味が溶け込んだスープだ。
あの日、結婚パーティの時に飲んだのを良く覚えている。
始めはアプリードが作ったのだと思っていた。
アイツは最近揚げ物も上手くなったし、親父さんも女将さんも色々と料理を仕込んでいたから。
しかし、アプを褒めると、違うという。
自分は、最高の唐揚げを出す為に神経を尖らせているから、頼んだんだと。
そうだ。
頼んだんだ。
親父さんと女将さんはメインや肉の調理で手一杯だったし、親父さんは途中から参加していたから違う。
ピアードは俺の部下に絡まれて、給仕をしながらベロベロになっていたから違う。
ソフィアは、ずっと…泣いたり…笑ったりして、いた、から、ちが、う。
…そうか。
親友だと思っていた。
そう思っていたのだ。
「イーセンベーレ…!!!」
ピアードは立ち上がるとコートを着て、そのうちポケットからプレートを差し出した。
「…なんだこれ?
船舶員の識別じゃないか。
…俺の…?
…確定だな。
コレは分かりにくいが、各々違う溝が側面に掘られているんだ。
その溝で誰かわかるようになってる。
焦げてはいるが、こりゃあ俺のもんだ。
最初の出港前にソフィアにわたした、な。」
「…兄貴が…アプリードが謝りたいって言ってたよ。
ソフィアに霞草をプレゼントしたんだって。
俺らの故郷で、妊娠のお祝いのもんだからさ、何の悪気もなかったんだけどね。」
「それの何が悪りぃんだよ。」
「それをソフィアが飾っていなければ、イーセンベーレに妊娠を悟られなかったかもしれないって。
もちろん、気が付いてた可能性の方が高いだろうけどさ。
兄貴は今でも気に病んでる。
ソフィアから聞いていたかも知れないけれど、俺らは暗殺やなんかも生業にしてる軍人だったんだ。
ここに来た時もさ。
ソフィアって名前は誰かが適当に付けたもんでさ、霞草って意味なんだ。
俺と兄貴もそう。
俺は梨のピアーからだし、兄貴はリンゴのアップルから、愛情もなく付けられたものさ。
でも、あん時に兄貴は、ソフィアの花が霞草だって知って、さらに結婚の祝いに贈られる花だって知ってさ、すごく喜んでいたんだ。
運命だったんだって。
俺らのクソみたいな人生にもそういう、転機があってもいいんだって。
浮かれてプレゼントしたのは、周りを疑いもしない馬鹿だと思うけどさ、その話を知ってたから、俺は兄貴を責める気にはならなかった。
もし、アンタが、カイさんが兄貴を恨むなら少し待ってくれってさ。
やる事やったら、会いにくるから。
煮るでも焼くでも好きにしてくれって。」
「…あの馬鹿。
アイツは何をしようとしてんだ?
しょぼくれたロートルの俺まで引っ張り出してよ。」
「復讐だ。
俺や兄貴の人生の。
シェリルやソフィアの命の。
名前も知らないどこかで割りを食うだれかの。
…知ってるか分からないけど、今のファーデンのトップは、イーセンベーレだ。
アイツをどうにかしようとしてる。」
「…そうか。
…おい、最後にいいか?
この悲しい曲のタイトルはなんなんだ。」
「春を待つ霞草。」
「春を待つ?」
「うん。
兄貴に懐いていた、シェリルって女の子も偶然花の名前でね。
その子の親父に聞いたんだ。
春を待ち侘びる花の名前をつけたんだって。
未来が希望に満ち溢れている様にってね。」
「…そうか。」
「うん。」
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