第33話 梨の王 過去の話
シェリルの葬儀が終わり、半年後にアプリードリヒとネージュの結婚式が行われた。
表向きにはシェリルの死を共に悼む事で、二人が急接近しての婚姻ということになっているが、それだけではない。
あの日以降、ギルバート、ヴェン、ネージュの後ろについていたパトロンのマフィア、ブリズ会が各々調べた結果、あまり芳しい情報は得られなかった。
しかし、アプリードリヒとピアードにはやり口に心当たりがあったし、そこが古巣となると、別方向からの推測が立てやすく、こちらの方が動きが早かった。
「兄貴、やっぱりだった。
秘密警察部隊の仕業に間違いないと思う。
まぁ木のナイフの時点で確信してたけどよ。
そうだろ?
親父やギルバート様が集めた情報がバラバラ過ぎる。
整合性が取れないっつー整合性がある。
誰かが意図して暗躍しているとしか思えないね。
俺らが昔やってたような部隊が動いてるわ、こりゃ。」
アプリードとピアードが昔いた部隊。
軍属で兵士として名簿に載っているが、基本的な戦闘に参加していた訳では無かった。
噂や情報を使っての扇動、スパイ活動、暗殺、ゲリラ戦などを主な活動とした特殊部隊で、敵対者や裏切り者の調査と処理をメインとした活動をしていた。
今回のシェリルの件、二人は最初に自分たちが脱走したという、裏切りの制裁の線を考えた。
軍を脱走して隣国で名を上げた制裁に巻き込まれたものかもしれないと。
しかし調べて行く内に複雑な事情などなく、ただ単純にファーデン出身者の演奏者が、閉じたファーデンで人々に音楽という自由の種を植えつけた事が気に食わなかっただけだろうという結論に達したのだった。
大事になる可能性のある有名人の命は狙わずに、その近しい人を害して心を挫く。
それも良く知る手口の一つだったが、まさかそんな軽い理由で人の命を奪うなど、元隊員のアプリードですら思ってもみなかった。
自分たちが在籍していた頃には、その地域のマフィアに依頼して脅したり、恋人を寝取ったりするくらいだったが、離れて7、8年経った今もエスカレートし続けて来ているのがこれだけでもわかる。
アプリードリヒという人間が狙われなかったのは二つ。
ホールドウィンの血筋と世に知られているために、要らぬ反乱の材料となり得ることがある。
ファーデンで披露した演奏で、人気が上がっており、気にいらないとはいえ直接叩くと、国民の反感を買う可能性が大いにあったのだった。
もう一つは、本人たちは知らないが、ファーデン内でレジスタンス活動をしている、クレムとリアンが彼らの経歴を国の記録から抹消した事で国の上層部は二人が元軍人だとは知らなかった。
もし知られて居たならば、祭で演奏した日にすら襲撃の可能性があったくらいだ。
奇しくもピアードが両親と幼馴染を殺して処理していたのも辿る方法をなくした原因の一つでもあった。
ピアードからすると危険を未然に防いでいた、と捉えられるが、秘密警察のやり口があの日のピアードと共通する所がある。
アプリードやギルバートなどからすると、人を殺してまでと思うが、本来ならそれが彼らのやり方なのだ。
同じ穴の狢であるが、ピアードは気が付いて居ない。
彼らのやり方が骨の髄まで染み込んでいる事を。
知ればアプリードはピアードを非難する事だろう。
そして、記憶が完全に戻れば、アプリードは自分をどう思うのだろうか。
◆
ー10年ほど前
「僕ら、20歳以上に見えるかな。
この国の盛り場はそうじゃなきゃ入れないんだろう?」
「さあ?
大丈夫だろ。
身分証も用意されてたしそれには21歳ってなってるから、セキュリティもそっちを信じてくれるさ。」
僕と弟は上からの指示で港町に来て居た。
金属輸入を主にしている海運会社の社長がターゲットだ。
「ソフィア姐さんは先に来てるんだろう?
なら余計大丈夫さ。
赤猫亭だってよ。
とっとと行こうぜ。」
ソフィアは所謂ハニートラップ要員で、今回の場合は海運会社の社長をオトすのが仕事だ。
その為に前乗りし、僕たちは手伝いとして入国したのだった。
「あら、到着したのね。
女将さん、この子達が私の弟達のアプとピアよ。」
「あぁ、聞いて居たよ。
大変だったね、両親に暴力を振るわれているんだって?
綺麗な顔なのにアザがあるじゃないか。
ここにはそんな事する人は居ないからね、安心しておくれ。」
赤猫亭は社長が通う飲み屋なのでここに着くことになったが、意外にもというか、そういうお店ではない様だった。
荒くれ船乗りの集まる酒場。
良くも悪くもそんな感じだ。
僕らはソフィアの弟で親から殴られているという設定を守る為に、ここへ来る前にきちんとアザを作って来た。
本当の年齢は18歳だが、身分証で20歳となっている。
この国では20歳以下は酒場などの夜の店で働けないのだ。
夜になり始めて店に出るタイミングで、ソフィアがテーブルへ連れて行ってくれてターゲット含めて、新人として紹介してくれた。
社長はカイという名前で、想像して居たより大分若く、まだ30歳前後なのではないかと思えた。
後で聞いた話では、この少し前に代替わりしたばかりで、ファーデンに目をつけられたのもこの為だったらしい。
親父さんは切った貼ったで荒波を押さえつける海の男といった感じで、敵味方関係なく裏社会とも関わりがあり、気に食わなくても手を出すと、鬼が出るか蛇が出るか分からないような人だった。
息子のカイは海の男にしては知的で優しい人望のあるタイプだったが、いかんせん若く、ナメられることも多かったのだった。
それでも周りに人は多く、どうやら先輩よりも後輩に慕われるような男のようだ。
「おぉ!聞いてるよ!
ソフィアの弟達なんだって?
双子ってのは珍しいなぁ!
今度船に乗ってみるか?
双子を乗せるのは縁起が良いらしからなぁ。
給仕もいいけど海は男の仕事だからな、力もつくし、ソフィアも守ってやれる様になるぜ。
…いつかお前に暴力を振るう親からもだ。
気になったら俺に言えよ。」
設定だが、寄り添ってくれるカイに俺たち、とくにピアードはよく懐いた。
埠頭で一緒に魚釣りをしたり、遊びに連れて行って貰ったりしていた。
懐かない僕にも優しく、街に連れ出して一緒に行動していたし、船乗りの間で流行っていたボール遊びに連れ出されたり、飲み屋で気まぐれにヴァイオリンを弾いていると表に引っ張り出されて、音に合わせて歌ってくれたりしていて、正直好きな感じの人柄だった。
「お前らの過去はしらねぇけどさ、あんまり自分のやりたい事を後回しにすんなよ?
いつか歪みが生まれちゃうぞ。
昔はこうだったとかグダグダ管を巻いて酒を飲む親父になるのはまだいい。
あんなのは上等だ。
あんな事しなければに囚われてるやつも沢山いるんだよ、世の中。
そっちは辛いぞ、多分な。」
真剣な顔でそう言われたのをよく覚えている。
僕ら自体国のやり方にうっすら疑問を持ち始めた頃で、そんなピアードはカイに手を出すのをかなり嫌がっていて、方針の転換を相談された事が幾度もあった。
ソフィアも仕事で近づいたものの、優しいカイのことを本気で好きになっており、情報を抜くだとか隙を探るという事をしなくなっていた。
月の半分くらいはカイの家に通っていて、周りからも半分妻のような扱いをされていて、側からは健全な関係で受け入れられていた。
僕もこの街の生活が楽しくなっていて、このままは派遣を続けてくれないかとも思ったものだ。
しかしある日ファーデンからの手紙が来て状況が変わった。
簡単にいうと、そろそろ片付けろとの事だった。
しかし状況は難しい。
ピアードとソフィアはカイを気に入っていて、彼を害してやろうという気はとっくになくなっていたし、なんならソフィアは本気でカイと結婚をして生活をしていきたいようだった。
ピアードもそれを応援しており、そんなだから手の出しようもないし、カイの周りにはいつも人が多いので一人ではどうしようもなかった。
僕も考えることは辞めていて、その頃はいかに唐揚げをカラッと揚げられるかに青春を捧げていた。
それでもその頃は嫌い始めていたとはいえ、未だ部隊の人間としての自覚があったので、頭の中でカイを害するシミュレーションは続けていて、どう考えても本人に行くことは不可能だと感じていたので、考え方を変えて、ソフィアなら何とかなるのではないかと思っていた。
何通目かの催促が来てから、遂に本部の人間がやって来た。
名をイーセンベーレと言い、人を人とも思わないファーデンを体現したような人物で、当時の秘密警察の部隊長であった。
彼は3人個別に聴取し方針を決めるようで、ピアードとソフィアがなんと返答したのかは知らないが、僕は正直にカイを狙うのは無理だと思うと答えた。
ソフィアと僕らの兄で、先に家を出ていたという設定で酒場に顔を出すようになったイーセンベーレは、学者のような見た目をしながら、海の男とも対等に話しながら酒を浴びるように飲む事で彼らに気に入られて、よくカイとつるむようになっていた。
「アプリード、確かに彼を叩くのは無理そうですね。
良いやつで、一緒にいて楽し過ぎる。
人が集まるのも納得ですよ、ああいう男に生まれたかったものですねぇ。
そう思いませんか?
情の厚く仕事も熱心で…思いの外仲良くなってしまいましたよ。」
そう笑顔で話すイーセンベーレに、僕らは少し安堵していた。
もしかしたら追い込む必要など無いのではないかと、ただ仕事として鉱石の輸入をしているだけで、悪じゃないと分かってくれるのではないのだろうかと。
「あの人と、本当に結婚したいと思うの。」
そうソフィアに言われた時はイーセンベーレも含めた3人は賛成していた。
恐々話たソフィアも僕たちの賛成に安心して、実は数日前にプロポーズされていたらしく、その返事をした結果、次の週末に船乗りや関係者を集めてのパーティをする事になったので、料理を出す酒場で働いでいた僕は厨房で働いでいた。
「アプ、お前のカリカリな唐揚げが食いてぇ。」
新郎にそう言われてしまったら頑張るしかない。
この何ヶ月かで鍛えた唐揚げの集大成を見せようと張り切っていた。
いつもはスープ鍋も見ていたが、揚げ物に集中したい為にイーセンベーレに鍋を任せて、僕は最高の状態で出す事を心からのお祝いにしようと考えていた。
お祝いは夜更けまで続き、幸せな未来を感じ取れるようなそんなパーティで、血生臭い世界から抜けられそうなソフィアを祝福することが出来た自分が誇らしかった。
自分が、本当の姉のように共に育ったソフィアの幸せな姿に嫉妬しないで素直に祝えることで、心が安らいだ。
数日は幸せな空気が続き、カイが仕事で海運に出て、3週間ほど離れるという。
港からみんなで見送ったときもソフィアは明るかった。
「これから何回もこんなことがあるんだから、しょぼくれても仕方がないし、女がデンと待ってるから男は海に出られるんだって。
それにね…。」
ソフィアのお腹の中にはカイの子供がいるらしい。
まだ出来たばかりなので騒がない欲しいとお願いされた僕は、ファーデンでの妊娠のお祝いによく使われる霞草を摘んでプレゼントしたのをよく覚えている。
それが元気なソフィアに会った最後の姿だったから。
昼頃酒場に出てくると、やや騒がしかった。
常連のおじさんになにがあったのか聞くと、ソフィアが倒れたらしい。
「兄貴、ソフィア姐さんが…倒れたよ。
イーセンベーレさんが、もしかしたら妊娠したのがダメになったのかもしれないって…。
全然気が付かなかった…。」
「僕は聞いていたけれど…まだ出来たかもしれないって段階だから、話してないって言ってた…。」
「そっか…。
だから霞草が飾ってあったのか。」
「うん、僕が…。」
「…助かると良いな。」
運ばれていくソフィアの顔色は、とても悪かった。
◆
「なぁ、リリアン。
あのさ、もしそんなものがあったら教えて欲しいんだけどさ。」
「なんでも聞いて下さい。
司書なので、そういう漠然とした質問に答えるのも大好きですから。」
「真面目な話なんだけどさ、他の人には何の影響もなくって、妊婦だけに毒になる素材なんてあんのか?」
リリアンは本棚から濃緑の表紙の本を取り出してパラパラとめくり、これですね、と言った。
「何だこの本、植物図鑑か?」
「まぁ、ある意味。
ネイギンガ族の毒薬の本ですね。
ネイギンガ族っていうのは、昔の国に仕えた隠密の一族でしてね。
バレにくい変な毒なんかに詳しいんですよ。
それこそ今聞かれたような特殊な条件のターゲットだけを狙うようなものとかね。」
これか、ペール芋…。
食感はじゃがいもに似ていて、茹でた場合に見分けが付きにくい。
鉛様成分が多く、妊婦が食べた場合中毒になる可能性が高く、特定のハーブと組み合わせることで堕胎薬の代わりとなる。
「そうか、やっぱりあったのか。」
「なんですか?」
「いや、こっちの話。」
あの後、子供を失ったソフィアは10日ほど嘆き悲しんだ後、姿を消した。
それからまた10日くらい経って帰ってきたカイはその話を聞くと大きく取り乱したが、イーセンベーレが付き添って徐々に落ち着いていった。
その頃に帰還命令が出て、俺たちは帰ることになるが、友人を一人にできないという事で、イーセンベーレはかなり遅れて帰ってきた。
「いや、遅れた良い言い訳になりますね。
ソフィアを検査した血を調べたら鉛の成分が、普通の人よりかなり多かった、原因はそれだろうと思いますね。
やっぱりファーデンの教え通り、金属は人にはよろしくない様です。
…カイもファーデンに仕えてくれると言っていました。
妻の心と、子供を奪ったのが金属なら、許すことが出来ないと…。」
確かに落ち込んだ時には信じるものが必要なのかもしれない。
その時はなにも思わなかったが、荷物を片付ける為にもう一度赤猫亭へ伺った時に、兄弟なんだからとソフィアの持ち物を待たされた。
何の変哲もない使い古したタオルや服だったので、追悼を込めて帰り道に燃やすと、何処から出て来たのか金属片が焼け残った。
恐らくタオルか下着かに縫い付けられていたプレートだったのだろう。
結婚の記念品か何かだろうかと拾ってから煤を拭うと、文字が描かれていた。
「イーセンベーレに殺される。
奴は私の子供を奪った。」
そう刻まれていた。
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