第32話 梨の王 追い風 その2
「確かに意味深だなぁ。
そういうの、苦手だわ。」
帰ってからピアードに相談しても、俺とギルバートと同じ感想だったが、ギルに言わせると、俺らみんなが鈍すぎるだけで、普通の範疇だと言う。
「あんね、兄貴も旦那も団長さんも、恋の駆け引きとかしてこなかったわけ?
普通によ、普通に考えて、妹の気持ちの返答をいつまで待たせるつもりかってことでしょ。」
確かに。
なんで揃いも揃ってそんな事、頭をよぎりもしなかったのか。
「…ネージュの姉ちゃんが?
そんな普通なことをわざわざ言って来るかよ。」
あ、なるほどなぁ。
ネージュがやるから意味深なんだ。
同じことをシェリルにやられたなら、怒っているとすぐ分かるもの。
やらないだろうけどさ、シェリルは。
親の前でエロ小説音読させるなんて釘の刺し方、なかなかトリッキーだよ。
「確かに、とは思うわ。
妹をなんだと思っているのかってさ。」
「わかってるよ。」
◆
偶然にか、ネージュが思案してあの日に悪戯をしてきたのかはわからないが、そう遠くない日にギルバート、俺、ネージュが揃う楽団のパーティがあり、勝手に変な緊張感をもって臨んでいた。
演奏自体はなんの問題もなく終わり、盛況の内に幕を下ろした。
最近俺にもファンがついて来ており、今までの様に歩いて帰ったりすると中々前に進めなかったり、家まで着いて来てしまうので、団長が馬車に相乗りさせてくれる事になっていた。
夜風を浴びながら演奏の熱を冷ますのも好きな時間だったのだが、わがままを言っても仕方がない。
今回も馬車に乗せてもらう都合上、必然的に娘であるネージュも乗ることになり、個室に3人きりになってしまう。
「それで、お返事はいかがですの。
全く意図が伝わらないと言うことはないでしょう?」
走り出してすぐ、話を切り出して来た。
もちろん俺はなんの話をしているか分かるが…。
「正直貴族でもなんでもない俺が、名家のご令嬢に手を握られたからといって、安易に握り返すわけにもいきません。
家の為にならないと判断されれば、そこですっぱり離れるべき立場なので、浮かれて、熱のまま、という訳にも…。」
「そうね。
でも、二人とも成人していますし、ね、お父様、お父様はアプリードリヒが義息になるのは嫌かしら。」
「もちろん嫌ではないよ。
まだ行き遅れという歳ではないのだから、急がなくて良いと思っているだけで。」
「あら、私はもう行き遅れと言われてもおかしくないわよ。
嫌なお父様。
いつまでも子供を見る目で、私を見るのだから。」
馬車に静寂が流れる。
頭の中に描いた森の絵に、突然ピンク色でもぶちまけられた気分だ。
「え?」
「え?」
「…?
何かおかしなこといいまして?」
何かが食い違っている。
おそらく、決定的に話が噛み合っていない。
「…ネージュ、誰と誰の話をしているんだい?」
「私と、アプリードリヒ様の話ですけど。
気に入ってしまいましたので。」
大変面倒なことになって来たな。
てっきり、シェリルからプレゼントされた、愛の告白と同義の緑色のスカーフを知らないふりをして普段使いをしている俺に、皮肉混じりの釘を刺したのだと思っていた。
だから今回も、貴族的なやり取りは置いておいて、本人の意思を聞きたいだけだろうと、そう思っていた。
違った。
あの意味深なやり取りは、どこで学んだかは知らないけれど、俺を口説いていたつもりだったらしい。
つまりあの日言いたかったのは、真剣な気持ちを腐らせる様な真似をしていないで、早く返事をしてあげないと可哀想。
ではなく、修道女の様に、貴族だからと遠巻きにしないで、手を伸ばして欲しいと、そんな意味だったのか。
しかしそんな事するだろうか。
ネージュがシェリルの思い人に粉をかける?
ありえない。
「悪癖」に対して噂を鵜呑みにする様な輩はそう思うかもしれない。
また姉が妹のものを欲しがったのだと。
だがしかし、俺はこの前会った時にそう思っていない事を伝えているし、ネージュも分かっているはずだ。
このやり取り自体不自然極まりない。
ネージュはウィンクをして目線を御者へと向ける。
「気に入ってしまったものは仕方ありませんもの。
ね、お父様、センセとの婚約認めてくださる?」
これを誰かに聞かせたいのだ。
ネージュは変な女だが、変な事をするのはシェリルの為だけだ。
つまりはそう言う事だろう。
ギルバートも上級貴族だ。
すぐに娘の意図に気がつき、会話を続ける。
「すぐに、とはいかないが考えておこう。
確かに我が家との縁を、お前を通してアプリードリヒにも繋げたら喜ばしい事だと思う。
帰ってから、少し話そうか。
馬車では落ち着いてはなせないからな。」
普段のギルバートを知っていれば、棒読みで、考えたセリフを口に出してる事が丸出しだが、分かるまい。
屋敷に馬車がつき執務室へ3人で向かうと、家宰の爺さんがすっ飛んできた。
ギルバートは飲み物を運ぶ様に頼み、先に執務室へ向かうと、意外な人物が待っていた。
「悪りぃな、オイラの差金だ。」
親分さんじゃないか。
◆
「要は、襲撃犯を締め上げた結果、俺を狙う勢力がいるのは確実だってことですね。
いや、分かってましたが、人から聞くと嫌な気分になりますね。
それでなんでネージュさんが?」
どうやらネージュは別のマフィアがパトロンになっているらしく、そちらを経由して話を聞いていたらしい。
俺の無知で、スカーフを貰っている事を胸ポケットで見せびらかすことになった時から、情報は回っていたとのことで、そちらへ回ると言うことは、各方面へと回ってしまったということでもある。
「理解していただいた様ですが、顔を赤くしている場合ではありません。
かわいいシェリルが、貴方の行動を曇らせる為だけに犠牲になる可能性があるのは看過できないからです。
分かりますね?
私の先程の行動は、貴方を気に入っているのが半分、シェリルが心配なのが半分です。」
「…ネージュちゃん…半分もあったら意味が変わるぜ?」
「そもそも好いていなければ、私も嫌です。
と、言うわけで、お父様、アプリードリヒ様、ヴェンのおじ様、いつもの悪癖と処理されるのが、シェリルの醜聞の為にも一番よろしいかと。
センセ、酷い男になって貰いますからね。」
もちろんだ。
恋人でないにしろかわいい教え子で、団長の娘って事で親戚の子供みたいな感覚がある。
彼女を守る為なら、淡い恋心など気が付かなかったことにした方がいいに決まっている。
「ネージュさんは大丈夫なのですか?
シェリル嬢と同じ、俺から見ればか弱い女の子です。
それなら俺が誰にも靡かずに、これから生きて行ったほうがいいのでは?
流石に、ギルバート団長やヴェン親分を狙うほど無差別で頭のおかしな相手では無いはずですよね。」
「それはそうなのだけれど、多少親しい、というのも除外しておきたいの。
私に乗り換えたとなれば、その危険も減るでしょう。
私は…価値があるから、守られます。
人としての価値じゃないわよ?
商品として、奏者としてね。
パトロンも荒事に強いし、シェリルの何倍も安全ですから。」
それはそうかもしれないがやはり不安はある。
ネージュなら怖い目にあっていいわけではないのだから。
「親分さんに守ってもらうわけにもいかないのでしょう?
別のマフィアが関わっていると言う事は。
一人暮らしだと聞きましたが、大丈夫なのですか?」
「ええ、貴方の家に引っ越すから大丈夫よ。」
…そんな事だろうと思ったよ。
驚くだろうなぁ、ピアードとギル。
いや、新居を探すべきかな。
あんなキャバレーの2Fに住ませられないから。
そうして次の日、早速ネージュが引っ越して来て、事情を聞いた二人も頭を抱えた状態からギリギリ立ち直って歓迎の食事をした。
幸い部屋も余っていたし、下の階で昼間は練習し放題なので、居心地は悪くない様だった。
新居はセキュリティーの面でしばらくそのまま住む事にしたが、今のうちから候補を探しておかねばと話して、食事をしながらワイワイと資料を見ながら酒を飲み、寝たのは全員朝方になってからだった。
夕方に起きて、重い頭を引きずり、ネージュと水を分け合って飲んでいると、漠然とこれから上手くやっていけるんじゃないだろうかと思った。
そしてその次の日、シェリルが死んだ。
自宅のベットで殺されているのが見つかった。
◆
葬式は雨の日に執り行われた。
現実感はなく、なぜ殺されたのかも分からない。
捕まった男はネージュのストーカーで、ネージュの記憶に永遠に残る為に殺したと供述した後、牢屋で自殺した。
どうしてもそれを素直に信じることが出来ない。
大貴族であるハンバート家に素人が忍び込めるものだろうか。
未だに俺が伺った時だって衛兵の目がある。
そんなセキュリティーの中、正気じゃない男が忍び込めるとは思えないのだ。
それにシェリルの遺体は一突きで殺されており、犯人が言う動機と噛み合わない。
もっと残虐に殺されていてもおかしくなかったはずだ。
「…兄貴。
ナイフが、木だった。」
そうか、俺が甘かったのか。
俺が甘かったんだ。
次世代に託したって構わない?
今回は自分に降りかかって来たから理解できただけだ。
どこかで誰かが、同じ目に合っているのだろう。
まだ、だ。
まだ、俺らはファーデンに対して明確に敵対している訳ではないのに、これだ。
ただ、国民に自由の種を埋め込んだ音楽家に対してだ。
国民の反応が気に食わない、ただそれだけの話で、だ。
そうだった。
人の命を軽く扱う国が嫌いで、外に出たんだった。
ホールドウィンが、思いのほか人格者だったから、感化されてしまっていた。
俺達の話をしよう。
ヴェンに、ギルバートに、ネージュに、あらゆる人に、アイツらを追い落とす可能性がある全ての人に。
◆
明確にファーデン軍に敵対する組織が構成されたのは、シェリルの死がきっかけであった。
軍は分かっていなかった。
その台風の様な怒りを背に受け、襲いくる者がいる事を。
彼にはその力が備わりつつあることを。
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