第30話 梨の王 追い風 その1


「最近流行りの曲がありますね、閣下。」


「あぁ、軟弱なものだ。

教えを忘れたのかと言いたい。


我らは木の元に戦う民、ファーデン国民だと言うのに、兵士を鼓舞するでもないものを口遊むなど…嘆かわしいなぁ。

なぁ?」


「全くでございます。」


ファーデン軍司令イーセンベーレは苛立つ様子で葉巻を吹かしていた。

撫で付けられた金髪が逆立ちそうなほど、その件に関してよく思ってはいなかった。


「捕えるか…。

我が国の者なのだろう?


少し躾けてやらねばなるまいな。

残念ながら事故で指が無くなるかもしれないが、片手が生きていれば音楽の道はダメでも戦う事は出来よう。」


「しかしながら…。」


「なんだ。

お前たちに捕らえられない程の者か?」


「いえ、個人としてはただの音楽家でごさいまさが…。

ホールドウィンの血筋との噂が。」


「はっ。

吹かしているのだろう。

彼の人に家族など居なかったという話ではないか。」


「それが…仮にも王族だった者なので…情報が隠されていまして…。

過去には妻もおりましたし、可能性が無いわけではないのです。


…それにもう一つ懸念が。」


「なんだ。」


イーセンベーレは葉巻を噛みながら部下を見る。

大きな眼は人を威圧するのに十分な威容を持っているが、部下もさる者、目を合わせながら報告を完了した。


突如現れた、国の始祖で指導者のホールドウィンの血筋を名乗る音楽家、アプリードリヒ。


彼に二つの追い風が吹く。



「はぁ、ラジオ。」


「そうだとも!

音楽の歴史が変わるぞ!


この鉱石の振動は同じ調整をした鉱石に伝わる性質があるんだ。

君がヴァイオリンを弾くと、木の部分も震えるだろう?

それが顕著に起こると思ってくれたらいい。


聞きに行く時代から、家に音楽が届く時代が来るのだ!


とはいえ、実はもう実用化はされているんだよ。


軍用放送しか流れていないからね、それの音楽放送版を作ろうと動いているわけだ。


こっちの石に音楽を込められて、この機械ににはめると同じく鳴る。

音というのは空気の振動らしいよ。

だから石の振動を元の音の振動に戻してあげれば何処にいても音楽が聴けるわけだ。


石に込めた音楽を一日中流しておけるって訳さ。」


機械と石をくるくると回しながら見てみる。

機械はそんなに大きくなくただの箱の様で、殆どが振動を音に変換する仕組みで内部を使っているらしい。


前側に付いている黒い部分で音を大きくして流れてくると言う。

正直さっぱりだ。


そんな俺を見てか、ギルバートは早速機械に石を嵌めると箱から音楽が流れ始めた。


ふむ。

ピアノとヴァイオリンの音がする。


…なるほど。


「団長とネージュ様、シェリル嬢で弾いたんですね。

凄いな、音楽風な物が聞こえてくるだけかと思ったんですが、ちゃんと誰が弾いたか分かる。」


「そうなんだよ。


これは親機で、家庭では受信機を持つことになるけどね。

ほら、音楽の込めた石の複製がまだ難しいから。


音楽の歴史が変わると言ったのはそういうことだ。


これまで聴衆は舞台に観に来ていた。

舞台で流れる豪奢なオーケストラや、ミニマルな音を聴きに来たんだ。


それが各家庭で手軽に聴けるとなればどうなると思う?


より選別されるということさ。


好きな演奏家、好きな作曲家、好きな歌手。


舞台やパトロンが選ぶんじゃない、聴き手が自由に好きな物を選ぶ様になる。


誰かの好みじゃない、民衆の好みが直に反映されていくだろう?

そうすると、市政に紛れた化け物や天才が見つかる、裾野が広がる、音楽が広まって行くんだ。

夢があるだろう?」


確かにそうだ。

俺だって偶然団長に気に入られたからこんなに舞台に立てるが、悪魔のような演奏技術があっても、悪魔の様な性格の奴は舞台に立てない。

後ろ盾も、可愛がってくれる人も必要だからだ。


それでも本当は聴いてみたい筈なんだ。


破綻者の神業を。


芸術というのは、極論を言えば天才以外を必要としない。


リリアンの所にあった大量の本だって、団長が知る一分の隙もない楽譜だって、俺が持つこの楽器だってそうだ。

いつだって頭に残るのはただ1人の天才の仕業だ。


天才以外は求められていないが、天才以外も沢山いる。


当然の話で、愛したものに愛されるとは限らないのは恋愛だけの話ではなく、才能は振り向いてもらえることがない分残酷だ。


それでも彼ら、彼女らが取るに足らないのかと言えばそんな事はない。


もしかしたら、まだ拙いだけで才能に溢れているのかもしれないし、天才ではない者の作品に触れて、目覚めるかもしれない。

凡人の弟子が歴史を変えるかもしれない。


千人に1人が天才なら、最低でも千人には届けなければならない。

一万万人なら一万人に、一億なら一億に。


凡人の死体の上に天才は咲くものだ。


頑張った凡人が天才を理解して初めて愛されるのだから。

誰が愛するというのだ。

砂漠にぽつんと立つ天才を。

近くまで旅する物がいて初めて見つけてもらえるのだから。


「裾野を広げるというのは賛成です。

もちろん、私だって音楽を愛する一人ですから協力だってしますよ。


呼び出されて来ましたが、一体なんの話なんですか?」


ギルバートは嵌められた石を取り外すと、イタズラを考えた子供の様に笑った。


「ふっふっふっ。

君が吹き込むのだ。

音楽を、ラジオの運命を、命を。」



初の試み、公開録音。


客を入れて石に音を吹き込む様子を見せて、ラジオの宣伝に使う。


軍用から音楽用に進化させた部分もある。

それのお披露目も兼ねているのだ。


まず一つ目の変更部分。

録音用の石を4つ嵌められるようになっていること。

各々に音を込められて、一つ一つの楽器を別々に録り直したり編集したりしやすく出来る。


せーの、で息を合わせて始めなくて済む訳だ。

確かに軍用放送や会話劇なんかでは必要性が薄そうな変更点だ。


もう一つは音の録音に適したバージョンのものが出来たこと。


マイクが付いており、より指向性があるので細かな雑音に必要以上に神経質にならなくて良くなった。

前のものだと、厳密にいうと靴の擦れる音や布の擦れる音が入ってしまっていたらしい。


今俺は舞台袖で、観覧の注意事項説明なんかを聞きながら指の運動をしていた。

初の試みなので出来れば一発で決めたいし、散々未来だ、革新だと言われているので変に緊張している。


「これって俺がクシャミとかしたら台無しになる訳?」


ピアードが鼻をもむもむしている。


「そうらしいな。

ま、録り直しも出来るからそこまで神経質にならなくでも良いと思うぞ。


最低4回弾くからな、持たないだろ、そんなにカチカチだと。」


「あー。

ダメだ!

やっぱ袖じゃなくて、なるべく離れた客席に行くわ!

怖い!

俺が足を引っ張る気がする!」


そう言ってそそくさと裏へと消えていった弟を見て、少し緊張がほぐれた。


さ、気合いを入れようか。

誰もやったことがない事なんだから、些細な失敗なんて気がつかないだろう。


俺は天才なんかじゃないからな。

未来の怪物に好みを捧げて、よい供物となろうではないか。



4つの音を一つに合わせるという特徴から、今回は少し試したいこともある。


今までだと絶対にできなかった事。

自分とのデュオ、トリオ、カルテットだ。


客席は困惑するだろうが、まず最初に弾くのはベースライン。


それのみでは低音がなるだけで、曲としては成立しないが、必要な音だ。


4分ほどのベースラインを弾き終わり客席を見ると、やはり困惑した表情だ。


ふふっ。

音を出さないように息をするのも気を遣って聴こえてきたのが、ボーボーなる雑音の様な音楽。

さぞ面食らっただろうな。


次。

リズムを刻む。


これも規則的な音が並ぶだけの、聴きようによっては子供の練習曲の様だろう。

これもやはり困惑から立ち直ることの出来ない音だろう。


そして主旋律Aとしようか。

これは言うなれば女性ボーカル。

高い音でメロディアスに譜面が動く曲だ。


しかし、それでもやはり困惑は消えない。


最後に主旋律B、男性ボーカルだね。


Aで欠けている部分を補完する様な音を入れて行く。


メロディアスだが、これだけでも成立はしていない。


各4つの音はいずれもそれのみだと曲としては成立しない断片の様なもので、組み合わさって初めて音楽になる。


4曲目を弾き終わろうかというところで、袖が俄かに騒がしくなった。

視線を向ければ男性が腕を押さえて倒れており、客席の後ろの方からも声が聞こえる。


「兄貴!」


なるほどなるほど、襲撃だ。

手にはナイフ、半身で低く構えている。

ダメだな、君。


軍隊の動き丸出しで、自分が何処の所属か口に出さなくてもわかるよ。

ファーデンはお怒りか。

国民を軟弱にしたとか言っている奴が居るんだろうなぁ。


俺は人差し指を口に当てて、静かに、とジェスチャーする。

全く動じない俺に、困惑する客が一人増えたところで、石を4つ嵌めて曲を流し始めた。


ベース、リズム、二つの主旋律。

それぞれが合わさって曲が完成して行く。


素晴らしい!

弾き手が同じで、意図も完成されている。

別の人とやるとこうはいかないからね。

その分上振れする時もあるけれど。


しかしこれでも実は完成じゃないのさ。


離れたところでナイフを構えられているが、時間だ。


俺はヴァイオリンを構えると、演奏を始めた。


主旋律Cとしようか。

一番メロディが綺麗になるパートだ。


4つの石に5つ目?と思うかもしれないが、単純に一つだけ録音できる機械を別に置いているだけだ。

あとでAとBを合体させれば4つで収まると聞いて、せっかく客を入れるのだから驚かせようと思い、パートを5つつに分けたのだ。


邪魔をするなよ、テロリスト。

お前は今、未来の前に立っているんだから。


客も、襲撃者も、ギルバートも、ピアードも、結局曲が終わるまで動かなかった。


それ程5つ合わさった曲の素晴らしい事。

鬼気迫った演奏は、ギルバートをして始まりに相応しいと評される程だった。


しかし全員同じタイミングに我に返り、先に動き始めたピアードやピアードの配下が男を捉えた。


なんだ、もう襲撃を続ける目では無かったのだから、先に切り付けられた彼の治療費だけ頂けたら、俺は良かったのに。


しかしピアードの動きは早かったな。

恥ずかしかったのだろうなぁ、曲もクライマックス、美しい旋律がうねるようにユニゾンしているなかに混じって響く、

「兄貴!」

の叫び声。


こうして初の録音は、一つを録り直し完成した。


初のラジオ公開のための曲は未来と名づけられ、広く長く親しまれて行くことになる。


そして、兄貴!という合いの手が入ったバージョンは、初の犯罪を録音した音声となり、裁判の証拠に提出された。


「恥ずかしい…。

いくらでも払うし、なんなら治療費も俺が出すし、襲撃者の身柄も俺が引き受けるから、消して欲しい。」


ピアードはそれを聞いて、そう呟いた。

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