第29話 梨の王 禁忌と姉


少なくとも、アプリードが行った行動の中には暴力的なものはないと言って良かった。


後ろ盾がマフィアや大貴族の割に、普通なら叩けば出る埃すらも舞わない清廉な人物として映る。


過去を掘ろうとしても両親は他界しており、ファーデン時代を知るものなら口を揃えて仲が良かったと言うミモザも、アプリードが本格的にファーデンで活動をし始める頃には既に故人だった。



「おー、久しぶりだなミモザ。」


「…久しぶり、ピアードお兄ちゃん。

生きていたのね。

アプリードお兄ちゃんはなんか、有名になって。」


奥まった喫茶店の奥まった席での再会は、幼馴染や妹のように接していた女性との再会とは思えない程に張り詰めた空気だった。


「また裏切り者だと思ってんのか?

手紙で説明したろ、兄貴が神の導きでホールドウィンを背負うことになったって。


お告げで外に出るしか無かったんだ。

助けもないし、血筋の話だって親父もお袋も、なんならじいちゃんばあちゃん親戚一同だーれも自分がホールドウィンの家系だなんて知らなかったんだからな。


信心深いお前ならわかるだろう?

神に呼ばれたんだ。

何を捨ててもいくしかないし、あのタイミングでそんな事を言い出した兄貴を信じるのは俺しか居なかっただろ。


お前は信じたか?

今のファーデンを無闇に信じてるお前は。」


「信じるも信じないも、嘘でしょ?

ピアード!

貴方の嘘なんて全部わかる!


どれだけ一緒に居たと思ってるの。

貴方達の事なんて、わかるわよ…。」


「あんまり大きい声出すなよ。

俺らしか客が居なくたって、誰かはビックリするだろ。


…そう言えば、イセリアとはどうなってんだ?

結婚したのか?」


ミモザの首には結婚の際に贈られることの多いペンダントはあるが、あれから6年だ。

なんの変化があっても驚きはない。


「…ええ。

今日も話して来てるわ。」


恐らく子供はいないだろう。

カップを持つミモザの爪は子育てには向かない長さだ。

それなら安心だ。


「イセリアって中央塔の近くに住んでたんだよな。

ならこないだの広場でやった兄貴の演奏、家でもギリギリ聞こえて来たんじゃないか?」


「あぁ、あそこからはもう引っ越してしまっているの。

いまは旦那の仕事場が近いから東区域の住宅街よ。

軍略から管制に移ったから、あっちの方が近いのよ。」


「へー。

まぁ、軍略は戦地に行くこともあるもんなぁ。

嫁さんが出来れば危険の少ない管制のほうがいいか。」


「そうね。

本当に。

貴方達兄弟が兵士として戦場に出てる時なんて、気が気じゃなかったから、お願いしたの。


危険の少ないところにしてって。

それが結婚の条件。」


ペンダントの鎖を指で触りながら話す様子に、なんというか愛を感じる。

当然兄貴や俺は結婚式に出席していないが、どうだったろう。

出てたら泣いてしまっていたかもしれないな。


人妻の妹を見ると、少し寂しさを覚える。


「家、買ったのか?

前からなんか変なこだわり持ってたもんなー。

壁の色がどうだの、庭がどうだのって。」


「買ったけど…やっぱり実用的にしたわ。

それって小さい頃でしょう?

ピンクの壁と白い庭。


ピンクの壁は大人になってちょっと…。

白い庭はそもそも無理ね。

ふふふ。」


「なんだよ、落ち着いたもんだな。

そう言えば、イセリアって若い割にパタスやってろ?

スポーツのパタス。

あれ俺がお世話になってる上司がやっててさぁ、付き合わされんのよ。

イセリアとも周りたいもんだなぁ。」


「だめよ。

あの人、今でも少し貴方達を嫌がっているもの。」


「残念。

今もやってるなら、庭も道具とかゲート出しっぱになって憧れの庭とは全然違っちゃうんじゃないか?」


「ほんっとにそう!

でもね、真面目に働いて趣味はそれくらいだから、許してあげてるの。


この間優勝したとかで、景品の的みたいなのが送られてきてね?

邪魔ったらないんだけど、名前入りで捨てられないし、旦那もなんか気に入ってるからどこにもやれないんだけど、あれだけは庭に置くのが抵抗あるわね。」


笑顔も増えて来て、最初の顰めっ面は無くなって来た。

これだけでも会った価値があるってもんだなぁ。

今日は来て良かった。

俺がわざわざくる必要も暇も無かったんだけど、どうしてもなぁ。


さ、仕事だ。

給仕に小指、薬指、中指を立ててコーヒーのお代わりを注文する。


「なに、そのハンドサイン。」


「え?

2つ、俺とお前の分を頼んだんだけど…。

あ、そうか。

文化が違う。


あっちでは注文の数指を折るんだよ。

3つ来ちゃうかな。」


「来ちゃうわね。」


サラサラと紙に字を書いて折りたたむ。

3つ持って来た給仕に一つは誰か飲んで欲しいと伝えて、紙をそのカップに乗せた。


「何書いたの?」


「あぁ、給仕のねーちゃんが怒られないように支払うし、注文のミスじゃないって説明をな。」


「嘘ね。

どうせ可愛らしい娘だったから連絡先でも書いたんでしょう?」


「あ、本当に分かるんだな。

そう、大体の住所を書いた。

まだ何日か居るからな。」


「大体のって…。

相変わらず適当ね。

アプリードはキッチリしているのに、双子でこんなに違うの珍しいんじゃない?」


「ホテルの住所なんて覚えてないだろ。」


「…そうね。


ここ、コーヒーも食事も美味しいのにお客さん少ないわね。

今度旦那と来ようかしら。」


「お?

気がつくか。

そうなんだよ。

昨日やっと完成してさ、つっても明日には無くなっちまうんだけどな。」


「…え?」


パパンと銃声が鳴る。

ミモザの頭に5発の弾が当たり、机のカップやソーサーを床に落としながら崩れ落ちた。


「お疲れ様です。

コレはこちらで処理を。」


「おー。

頼むわ。

やっぱ妹分を撃つのは心が痛むからよ、帰って寝るわ。」


「はい、お疲れ様です。」


恐らく然程時間も経たずにイセリアも攫われて消される事だろう。


目立つ庭の目印も見つかった。

家に居るらしいこともわかった。

大体の住所もわかった。


コレだけあればマフィアには簡単に特定出来る。


「あとお二人ですか?

また後日になりますかね。」


「そうなぁ。

気が引けるよ、そっちはかなりさ。」


「そうですか。

すいませんが分かりませんね、親は…、親は親父だけですから、なんとも。

私とギルだけでやって来ましょうか?」


「いや、俺も行くよ。

ってもまぁ、しばらく空ける。

ミモザと両親の繋がりは俺らだけだからさ。


勘づかれたら面倒だ。」


「ええ、そうですね。

では私はこれで。」


「あぁ、ノア。

ギルにも言っておいてくんない?


兄貴には言うなって。


…言ったら…な。」


「ええ。」



「そうか…まぁ、親父とお袋はな…いい年だったから仕方ないか。


意外なのはミモザとイセリアの方だな。

何があったんだ?」


「さぁ、そこまでは調べちゃいねぇよ。

あ、それで権利書。

実家の名義は兄貴になってるから、あっちに行った時使えよな。


でも今は俺の部下のノアって奴を住まわせてるけどいいか?

祭りでの評判が良かったから、やり取りが必要なところが結構あってよ。


ホテル代もバカにならないし、浮いてる家があるんならそこ使ってもらったほうがいいかと思ってさ。


維持にも人手がいるし。」


「もちろん。

俺に実家の建物について口出しする権利はないよ。」


そうか、ファーデンに住んでいた頃に親しかった者はみんな鬼籍に入っていたか。

どう説得したものかと思っていたんだが…。

理解はしてもらえないだろうから、これで良かったのかもしれない。


少し心を挫かれるが、それでも故郷で、死んでいった同僚達も眠っている。


正したいという気持ちは変わらない。


何はともあれ仕事だ仕事。

今日は久しぶりにギルバート団長主催のコンサートだ。


巨大客船の海上で行われる、絵画の展示販売と演奏を聴きながらの立食パーティーというセレブリティが過ぎる催しらしい。


演奏家達はほとんど先に乗船しており、俺とピアードも与えられた部屋で待機している状況だ。

昨日には曲目の打ち合わせも終わり、ピアニストが1人別の仕事で遅れて乗船するという以外は変わったこともなかった。


先程の話は2人きりで、周りに聞かれないように配慮してくれたのだと思う。

今まであからさまな嘘はついてきてはいないが、コレからもそう出来るとは限らない。


過去を盛りに盛る必要があれば俺達はそうする。


なので今はミステリアスに見られるくらいで丁度いい。


絵の展示を見に行くから付き合えと言われ、ヴェンと共に部屋から出て行ったピアードと入れ違いにギルバートが女性を伴ってやって来た。


「やぁ、準備はどうだい?

あと2時間程でパーティに移行する予定だから、よろしく頼むよ。


…それでね、こちらがネージュ、本日の楽団はだった4人で行うカルテットなんだけど、そのピアノ担当だね。」


「よろしくお願いします、アプリードリヒ様。」


「よろしくお願いいたします、ネージュ・ハンバート様。」


「あら、お父様?」


「いや、私は何も言ってないよ?

アプリードリヒ?」


「いや、似てますから。

シェリル嬢もネージュ様も、団長夫婦にそっくりです。」


娘さんは親父に似てるなんて業腹だろうが、そうとしか言いようがない。

口が滑って飛び出てきたが、意外にもネージュは不快そうではなく、逆に、


「シェリルと似てます?

初めて言われたかも知れませんわ。」


と、妹とのことの方が気になるようだった。


世間の噂では、不仲と言われているシェリルとネージュ。


しかしシェリルに話を聞くと、とてもそんなことはないと言う。


確かにシェリルはネージュと自分を比べて自信喪失気味だったのは確からしいし、ネージュが家を出て行ったのも本当のことだ。


シェリルはそれで姉を恨んだことなど一度もなく、自分を責めるばかりだった。

そしてネージュはネージュでそんな妹を見て心を痛めており、近くにいると甘やかしてしまう癖があるので、少し物理的な距離を置くことにしたそうな。


それでも毎月シェリル宛に手紙は届くし、それを嬉しそうにしていたので微笑ましかった。


「私の悪癖と家を独身のまま出た事で少し嫌な噂を聞いているでしょう?

でもね、姉妹仲はいいのよ?」


「ええ、聞いておりますよ。

シェリル嬢は会心の出来の際は、姉様の様に弾けた、と喜ぶことがありますから、教えていて不仲と感じた事など一度もありません。」


悪癖。

ギルバートは贔屓目無しに抜擢する事が多い団長だ。

それで俺も気に入られたのだが、つまりは、ネージュも娘だからでねじ込むタイプじゃない。


きちんと演奏家として優秀と認めたと言う事だ。

しかしながら、シェリルよりも後にピアノを始めたと聞いている。


ネージュは自発的に何かに興味を持つタイプではなく、妹のお守りをしながら妹に付き合って一緒に何かを始める事が殆どだった。

それこそ、自発的に行ったのはシェリルの為に家から出て行くというのが初めてだったそうだ。


ピアノもシェリルが習い始めると、付き合ってネージュも始めたらしい。

それも3年ほど遅れてのスタートだったのだがすぐに追いつき、そのまま追い抜き、今では背中すら見えなくなってしまったとはシェリルの言だ。


万事が万事そんな調子で、嫌がらせの為にそんな事をしているのかと言えばノー。

ただただ妹と一緒に遊びたいだけらしい。


「ね、悪癖なんだけど、私にとっては妹と遊んでいるだけなのよ。

ただね、あの子もやってる思ったらずっとやれちゃうから、上手くなっただけ。」


シェリルの言葉を借りるなら、努力を努力と思わない人、らしい。

初めから勘がいいとかではなく、いざ始めるといつ寝てるのかと思うほど熱中するそうで、それが妹と同じことをやっている際は顕著らしく、それですぐ抜かされるらしい。


「なるほど、じゃあ努力してる姿を見せてくれるから仲が悪くなりようがないですね。

頑張ってるだけだから。」


「そうでしょうか。

シェリルがただいい子なだけかも。」


「両方でしょうかね。

他人の努力の結果でも嫉妬する奴はしますからね。

シェリルは正しく人を見られるいい子なんですね。」


「そうなの!」


「あ。


…じゃあ私は別の打ち合わせがあるから先に行くよ。

改めて、アプリードリヒ、ネージュ、あとでよろしく、いい演奏を。」


そそくさと出て行くギルバートを見送り2人で残されてしまった。

婚前の男女、しかも片方は貴族を残して行くなんて、と思ったが、なるほど。


あ。って言ってたもんなぁ。


ネージュのスイッチはそこか。


いよいよ演奏の為に幕裏に入らなければならないという時まで、ネージュはシェリルの自慢をし続けた。


団長も分かってたなら連れて行ってくれればいいのに。

無駄か。

無駄な目だったな。


演奏が始まるといつ打ち合わせたのか、ヴィオラとチェロは弾きはじめようとせず、ピアノ主導で曲が始まった。


ネージュからの目配せで察して俺は弾き始めたが、これは再現したいのだな?


シェリルとの初めてのデュオを。


彼女が弾くのは風と剣のロンド。

色々考えながら弾き始めてやっと周りが見えてきた時、苦笑いをしているギルバートが見えた。

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