梨の王 アプリードリヒ

第28話 梨の王 ファーデンにて


久しぶりとなるファーデンは、2人の記憶よりも少し寂れているような気がした。

一緒にギルが入国しているのと、どんな顔をして会ったものか分からないので、実家に泊まらずに無難にホテルを用意して貰った。


「どうだったんだよ、兄貴。

シェリル嬢と誕生日に会って来たんだろう?

進展はあったのか?」


不躾だが、マネジメント上も大切な情報共有と言い張る弟の話を逸らす事は出来なかった。


「どこから話したものかな。

まぁ、無難に上手く行ったと思うよ。


食事をして、ハンバート家で共に演奏をして、プレゼントを渡しただけだ。」


本当にそれだけで、他に特筆すべきはシェリルから貰ったスカーフを、今日のジャケットの胸ポケットに入れているくらいか。


「おぉ!良かったな。

プレゼントがあるってこたぁウケたって事だろ?

やるじゃねぇか。」


「返事はもうしたんすか?旦那。」


「え?」


「ん?」


返事?

なんの返事だ?


「あぁ、嬉しいことは伝えたよ。」


ギルは髪をかきあげてため息を深く吐いた。

そうだった。

この兄弟は故郷が違うし、文化も違う。


シェリル嬢も可哀想に。


「…あぁ、旦那、そのスカーフを広げて見せちゃくれませんか?」


アプリードが言われた通りに広げる。

スカーフには緑色の縁取りと、ハンバート家の家紋が入ってるもので、生地も良さそうだ。


「やっぱり。

アンタら兄弟にゃわからねぇかもしれないっすけどね、そりゃお付き合いをしたい異性に渡す柄なんですよ。


…はぁ、アニキにも前説明しませんでしたっけ。」


アプリードとピアードは流石双子なだけあると思わせる程全くおんなじ顔で顔を見合わせていた。


「鏡みてぇですよ。

全くもう。

旦那はまだいいけどさ、兄貴は知っておけって。

仕事先の文化を間違ったら、マネージャー失格でしょ。


兄貴も前に赤枠のハンカチを貰っててそのまま放置してた挙句に、俺にくれようとしたんすわ。


びっくりしましたよ。

マフィア過ぎて頭おかしくなったのかと思ったら、単純に知らねぇだけでよかったよ。」


「ピアード、お前最低だな。」


「は?

兄貴だって似たようなもんだろ、現状は!

聞いたっけなー…。

んで、緑は何で赤はなんなんだよ。

ギル。」


「赤はまだ良いっすよ。

好きですって、相手に伝えるだけだから、可愛いモンす。

学生の戯れなんかにも使われる軽いもんすよ。


緑は…赤より一つも二つも重い、お付き合いしてくださいってやつですねどねぇ、いや、家紋が入ってりゃもっとはっきりと、結婚を前提にお付き合いして下さいかな?


それで、アンタ嬉しいって言ったんだろ?

はい、おめでとう。」


「おお、俺はセーフじゃねぇか。

なぁ、ギル!

好きって言われただけだもんな!


あはは!


あ?

兄貴、それ、そのスカーフどこから付けて来た?

ずっと入れてたよな。」


「セーフじゃないだろ、相手の娘は可哀想に。

これは、うん。

ずっと胸ポケットの飾りにしてたよ。

…そうか、そんな意味だったか。」


「そうだよな。

出国する時も付けてたしな。

じゃあ、ギルバート様にもバレバレなわけだ。

見送りに来てくれたもんな、ハンバート家と親父。


浮かれて見せびらかすアホに見られてた訳だ。」


「おい、そんな事はないだろう?

なぁ、ギル。」


「いや、浮かれたアホに見えますね。

ギルバート様からしたらもっと苦々しいかもしれませんけどね。

そういえば、苦笑いでしたし。

…シェリル嬢も真っ赤でしたね。」


「だっはっは!

最悪だな!

口で言えってな!

相手の実父相手に匂わせんなって、娘との関係を。

気が気じゃなかったろうなぁ、ギルバート様。」


「そうでしょうねぇ。

俺にも娘がいるじゃないっすか、もし将来そんな事してくる男がいたらその場でぶち殺しますね、オレぁ。」


「あぁ、俺には娘はいないが、そうすると思うよ。

はぁ、もう帰りたくなってきた。

団長と話をしないともう、なんだ、落ち着かない。」


「腹括れ兄貴。

大成功させて、でっけぇ花とか買って行った方がカッコいいだろ。

どっちにしろぶん殴られるならカッコいい方がいいって。

ふはは。」


「笑うな。」


「あはは。

それで?

ちゃんとすんのか?」


「もし本当にそうなら、俺から改めて言うさ。」


「やるぅ!」



「ギルバートよぉ、リッヒは正気か?」


「知らん。

…あぁ、シェリルと仲が良いとは思っていたが、一体どこまで進んでいるんだろうか…。

ヴェンはいいよな、息子だからさ、そういう心配ないだろう?


娘はなぁ、気が気じゃないよ。

いや、当然娘がアプリードリヒを好きな事なんて気がついていたさ、あの娘は彼の話ばかりするからね。

レッスンの日だって朝から何度も何度も鏡を見たりしてさ、そんな様子をニヤニヤして見ていたんだから。


…まさか思い切るなんで思わないじゃないか。

チラッと家紋も見えたしさぁ!


胸ポケットに入ったスカーフを見た時の娘の顔を見た時、小さい頃の娘を思い出して危うく号泣する所だったよ。


あの頃はさあ、お父様と結婚するって言ってさぁ。」


「だっはっは!

まぁ、リッヒなら良いじゃねぇか。

いいヤツだし、誠実な方だと思うぜ?


お前にもなんとく近いだろ、性格とかよ。

おんなじ演奏者だし、なんの不満があんのよ。」


「不満があるなんて言ってないだろう?

確かにいいヤツだし、これからもっと有名になるだろうさ。

彼のヴァイオリンは大好きさ!

でもさぁ!そういう事じゃないんだよぉ、分からないかなぁ!

マフィアが長くなって機微を読むとかそういうの無くしちゃったんじゃないの?」


「馬鹿、おめぇ、オイラくらい心が豊かなマフィアはいねぇっての。


なんだ?

寂しいのか、そんな偉そうになっといて。」


「超寂しい。」


「…息子だとなぁ、あんまりわかんねぇからなぁ、その感覚は。

とっとと片付いて欲しいっつーのが強いわな。


それよりもよぉ、アイツ、リッヒのヤツ、多分その文化しらねぇぞ。

そんな親の前で話もしないで見せびらかす様なヤツじゃねぇだろぉ?


多分普通のプレゼントだと思って受け取ってるぜ?」


「そうだろうねぇ、そんな感じがするよ。

え?ここから娘が振られる事なんてあるかな。」


「そりゃあるだろ。

かわいい教え子程度にしか思ってない可能性だってあるんだからよ。」


「そんなの許さないよ!」


「なんなんだよ。

嫌なんだろ?

なら勘違いの方が都合の良い話じゃねぇの。」


「シェリルが可哀想じゃないか!

僕が寂しく感じるのとは別の話さ。

…それに嫌ではないんだ。


確かにアプリードリヒはいい男だと思う。

むしろそうなってくれたらなんて思わないでもないよ。」


「面倒くせぇ、なんなんだよ。

どっちだ?

家格の問題か?

家なんかじゃなくって、アイツがデカくならぁ、そっちの方が箔がキンキラキンだ馬鹿野郎。

良いのか悪いのかはっきりしねぇなんてシャバいな、ギルバート。」


「そういうのじゃないって言ってるじゃないか!

ガサツだなぁ!

こういう時は酒の一杯に付き合って愚痴を聞いてくれたらいいんだよ。


娘の前でも、アプリードリヒの前でもちゃんと顔には出さないし、こんな葛藤は面に出さないよ。」


「お前みたいなのが結婚式でワーワー泣くんだろうな。」


「泣くに決まってるだろ?」


「…。

あれ、おねーちゃんの方は片付いてないんだっけか。」


「まだだねぇ。

恋より仕事って感じさ。」


「大丈夫か?

妹のもんなんでも欲しがるタイプだったろ。」


「いや、そんな恋人までは…。

…。



ないよね?」


「知らねぇよー。

親はお前だろ。」


「はぁ、明後日あたりにまずはシェリルに気持ちを聞いておかないとなぁ…。」


「お?なんだよ、帰ってすぐ聞けばいいだろう?」


「今日はヴェンと前後不覚になるまで呑むから無理だよ。

明日も二日酔いで無理だね。」


「オイラは仕事があんだよぉ。

帰んなさいってば。」


「嫌だね。」


「おい。」


「絶対に呑む。」


「おい…。

ったく!

酒だ!

酒持って来い!

味はどうでも良いから強いヤツだ!


馬鹿を早く返すぞ!」


「はっ!

馬鹿は明日まで粘るさ。

必ずね。」


「帰れよもう。」



ホテルの一室にクレフが訪ねて来て、当日の打ち合わせを始める。

幸か不幸か建国祭自体はもう始まっていて、盛り上がりの規模も見えている。


肩の木をアピールしたポスターも手伝ってチケットはソールドアウト。

とはいえ席に着けなくとも見たり聴いたり出来るような開けた場所なので、当日の入りはまだ未定と言って良い。


少なくとも4000人は来る、とだけわかっている状況だ。


「アプリードリヒさんを疑っている訳じゃないんだけど、アンタの演奏でこれからの俺たちの身の振り方が決まるよ。

分かってくれなくてもいいけど、結構大事なイベントなんだ。


…分かってるかな、俺らは原理主義って言ったら良いのか、アンタが背負う名前のホールドウィン派だ。


軍人の集まりの改革派とは相容れないけれど、めちゃくちゃに国をかき乱すつもりは無い。


国民が望むのなら、身を捧げるのも辞さないってだけでね。


自信は?

一体全体なにをやる気なのか、教えてくれないかな。」


アプリードは立ち上がると徐に一曲弾き始めた。


それに合わせて、打ち合わせ通りにピアードとギルはドンドンと足と手でリズムを刻む。


ドン、パン

ドンドン、パン


単純だが美しいフレーズを澱みなく弾き続ける。


顎をしゃくりクレムにもリズムに加わるように促すと、戸惑いながらもクレムは参加してくれた。


ドン、パン

ドンドン、パン


クレムはようやく気がついた事がある。

この曲は知らないが、薄っすらと知っている部分もある。


曲名なんかは知らないが、昔からある民謡の様なもので、村々の集まりなんかで弾かれる事が多い曲の香りがする。


リズムはたったの3人だが、合わせると高揚感もあるし、何故だかヴァイオリンも胸に沁みるようだ。


演奏が終わっているのにも気がつかずに、一周多く手と足を鳴らしてしまった。


「これは…曲名は分かりませんが、知っているような、知らないような曲ですね。」


「あぁ、薄っすらとは伝わっているだろう?

あの曲の原曲だ。

アレンジは俺がしているがな。


ホールドウィン家に伝わる国家みたいなものさ。

みんなでリズムをとってるから、楽しいだろう?

のどかなメロディだから戦には向いてないから廃れたんだか、廃れさせられたんだかは分からないけど、俺らに刻み込まれた曲だ。」


もちろん嘘だ。

そんな曲は存在しないし、原曲を感じるフレーズが入っているだけで、本当に一瞬だ。

なんならクレムが気がついた曲だけではなく、何曲も何曲も名前のない誰かの家の民謡が入っている。


懐かしく感じる。

聴き覚えがある。

耳馴染みがある。


どれも似たようなものだが、それらの感情は親近感に繋がる。


それを綺麗な知らないフレーズで繋げてあるだけの曲だ。


不快ではない違和感を人は好意と呼ぶ。


それに参加して貰えば、巻き込むように参加させられれば、聞く耳くらい持ってくれるのではないかと思った。


そうしてこれを古くからある曲だとして刷り込む。


誰も嘘だとは分からないだろう。

しかし、戦争なんて民には関係ない。

それが無かった時代を象徴する曲として掲げられれば民意が得られるかもしれない。


分の悪いギャンブルだが、何人かに届けばいい。


俺じゃなくとも誰か、いつかホールドウィンが現れて、爺さんの遺志を思い出してくれればそれで。


「なるほど。


…なるほど。


分かりました。

サクラを用意します。

とりあえず参加して貰わなければいけないので、とっかかりにリズムを刻む人員は必要でしょう。


心に訴えかけるなら強制は逆効果なのでそこまでしか手伝えません。


しかし、気に入りました。

曲もですが、未来に繋げられれば良いという発想がです。


確かにそうですね。

急ぐから危ない。


ゆっくりやっていきましょう。」



3コードの簡単な曲。

誰でも参加しやすいその曲は後世にも残っている。


つまりはアプリードやクレムの目論見がうまく行った事を示しているが、残念ながら当時の記録は残っていない。


何故なら盛り上がり過ぎたそうなのだ。


クレムが指示して記録を担当していた当時の役員さえも、仕事を忘れて参加してしまった結果、人々に曲を記憶させた事実以外の一切を残せなかった。


しかしそれが彼らの望みであったために、唯一現代に残っているものから推測出来る当時の状況は、記録員が罰を受けた内容だけだ。


仕事をほっぽり出した割には軽いもので、当時軍政を敷いていた国と考えるとかなり優しい裁きだったと思える。


かなりの国民が参加した式典であったが、裏方として働いている役人には参加できないものもかなり多く、彼らを集めた打ち上げの際に記録員が前に立たされて、大声で歌わされたそうだ。


意外にも歌が上手く、そちらもかなりの盛り上がりを見せたようだが、その日はきちんと仕事をしていたようで、当日の記録を残している。


「記録員としてあるまじき失態の返上はかなりの恥をもって雪がれたと思いたい。

しかし、皆盛り上がっていた。

翌日から共に仕事をした事のない者からも声をかけられて、普段なら話すことも出来ないほどの偉い人からも話しかけられた。


気恥ずかしいが、悪くない。

歌というものは凄いものだと、改めて感じた。


恐らく国中で、聴いた者から家族へ、友人へと広がって行くのだろう。

兄弟よ。

恥じらって歌うより、開き直った方がいい結果になるぞ。」

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