ヴァロラブリーデリex
第27話 黒の街 リオネル
しこたま酒を飲んで川に落ちた。
死んだと思った。
それでいいとも思った。
気がつくと砂漠にいた。
訳がわからなかった。
近くに建物が見えたので向かった。
理由はなかった。
喉が渇いていた。
◆
左手のない男がドアから入って来たのには驚いた。
この図書館に入り口から入ってくる者がいるなんて、珍しい事だ。
大体は上から落ちて来たり、野垂れていたりで意味もなく立派な彫り物がされているドアを気の毒に思ったこともあった。
掃除がしにくくなるだけの彫り物だが、集客には効果があったようで、入って来た男はドアをマジマジと見ながら、なにやらぶつぶつ言っている。
「どうかしましたか?」
こちらをチラリとも見ずに、頭を縦にしたり横にしたりしてドアを見続けている。
たまにコンコンと叩いたり、彫りを指でなぞったり、なるほど、職人が何かか。
それなら気持ちはわかる。
リリアンだって本を作り続けているのだから、他所の技術がどうなっているかが気になるのだから。
こういうのは放っておくしかない。
必要があれば向こうから話しかけてくるだろう。
なんとなく水とパンを置いておくと、次の朝には空になっていた。
左手のない男はまだ色々見ているようで、本棚を見上げていたり、虫のように壁にへばりついている時もあった。
6日ほど経ち、本のための紙を裁断していると、初めて話しかけて来た。
「おもしろい。」
なにが面白いのかは分からないが気に入ったなら良い。
自慢の図書館なのだ。
手をクイクイやっているので、紙とペンを渡すと何かを書き始めた。
そうしてまた無言の時間が始まり、たまに立ち上がり何処かを見に行ったりしている以外は斜向かいに座って何かを書いている様子だった。
お互いの紙束が本2冊分にもなろうというあたりでまた口を開くと、
「木。」
とだけ言った。
…ふむ。
困ったな。
木はある。
地下に山程、無限にある。
だが素材として切り出したものは、この間屋根に大穴が空いた修繕として使った余りの端材だけだ。
とりあえずその端材を渡すと、自分の鞄をゴソゴソやってなんらかの道具を取り出し、また何かを始めた。
リリアンは少しだけ不満だった。
リリアンの喜びは、本を読んでもらってその感想を聞くことだったから、無言で自分の作業をしているこの男はどうしたら良いものかわからなかった。
やるべき事が決まった人間を初めて見た。
自分以外の。
親近感もあって邪魔をする気にもならないのでここまで放っておいた。
男は左手がないので木を押さえておく事が出来ないらしいが、それでも足や肘であっただろう部分を使いながら、器用に何かをしている。
お互いがお互いのことを勝手にやっている。
それはそれで居心地が良かった。
ある朝起きると、机に板が置いてあった。
よく見るとドアの意匠を再現したミニチュアであり、男はそのまま床で倒れ込んで寝ていた。
完璧だ。
ドアの意匠は毎日見ているが、すぐにそれだとわかるくらいの再現度だった。
寝ているという事は、ひと段落ついたのであろうから、ようやく、ようやく言える。
リリアンは男を蹴り起こすと、一言
「余りに臭いので水浴びしてください、本に臭いが移りますので。」
そういうと、寝ぼけた男はフラフラと立ち上がり、服を脱いで全裸になって、そのまま少しウロウロしてから我に返ったようだ。
「ここはなんだ?」
◆
「なんだ、やめろ。
水浴びは嫌いだ。」
なんなんだコイツは。
オレの言うことを一つとして聞いてくれない。
大体数日身体を清めないからなんだと言うのだ。
痒いところなど掻けば済むではないか。
「貴方の臭いが本に、紙に移るのが許せません。
やっと人の話を聞くようになった今、チャンスは逃したくありませんので、離しませんよ。」
ハゲに引きずられて地下室へ連れて行かれた。
途中ブン殴って逃げ出そうかと思ったが、どうやらメシやらなんやらはハゲが用意してくれた。
ばあちゃんに言われている。
飯をくれる人には優しくしなさいと。
殴れない。
しかし、ばあちゃんはやっぱり偉大だ。
ブン殴ったらこの景色は見られなかったかもしれない。
木だ。
木が逆さまに生えている。
まるで地上と地下を支えるように聳え立っている。
素晴らしい。
「うわ。
全然泡立たないじゃないですか。」
ハゲは何かをオレに擦り付けながら髪と髭をゴシゴシと洗う。
ばあちゃんがデカい犬のドギーを洗っている時みたいだ。
ドギーも今のオレと同じで難しい顔をして洗われていた。
ザバっと水をかけられて終わりかと思ったら、まだらしい。
早く木を見たいのに。
「一体いつから風呂に入ってないのですか。
もう2回くらいは洗わないとダメですね、多分。」
もう嫌だ。
どうでも良いではないか。
目に泡が入ってツーンとする。
「きちんと洗ったら木の枝を切る許可をあげますからね。」
なんと!
我慢できる。
オレはドギーの気持ちがわかった。
大人しく洗われていたのは、洗った後の骨が楽しみだったのだ。
◆
あれから彼はずーっと木の調子を確かめている。
いや、本当に洗っといてよかった。
またいつ意思疎通が取れる状態になるかわからないが、もしまた臭って来たら地下への扉の鍵を閉めて仕舞えば良い。
私に頼るしかないのだから。
ドカン!
と言う音に気がついて図書館を見回すと、せっかく直した天井にまた大穴が空いていた。
もしかしてまた誰か落ちて来たかと思ったが、彼が右手一本で破壊したらしい。
「せっかく治したのですがね!」
「ふん。
あれではないのと同じだ。」
そう言って、並べた木材で天井とその下の本棚を綺麗に直してしまった。
「素晴らしい腕前ですね。」
素直にそう称賛するが不機嫌そうなままだ。
「オレは細工師で大工じゃねぇ。
左手がこんな事になってなけりゃ、もっと細かい仕事が出来るのに、涙が出てくる。」
なるほど。
ふむ。
「左手の機能はなんですか?
左利きでした?」
「違う。
短くて支えにもならんし、重い物を持つ時に困るだけだ。
右手じゃなくて良かったと思ったが、不便だ。」
「なら、左手を作りましょうか。
こっち来て下さい。
たしか…そうだ。
アドルフマイヤー獣医の犬の為の義手義足全3巻、これですね。
残念ながら人用の義手の本はありませんが、人用のを改造して犬用のものを作っているはずです。
ならば犬用のものを改造して人用も作れるはず、細工のプロなら発想さえあれば自分で作れるでしょう?」
「貸せ。」
一度集中し始めると会話もままならないのは先の通りなので、どうしても聞いておきたい事がある。
「お名前は?」
「リオネル。」
「そうですか。
よろしく、リオネル。
私は…。」
瞳はもう真っ直ぐ向いていて、なにを言っても届きそうにないので、大きく紙にリリアンと書いて2巻に挟んでおいた。
それからしばらくは定期的に水に投げ込む以外は特に交流もなく、ある時からは1日の大半姿が見えなくなり、徐々に日に焼けて来たので、外で作業をしているようだった。
「本は素晴らしかった。
お前の作品を木屑で汚したくない。」
なんとも職人らしい理由での外作業であったが、砂漠の昼の暑さは危険なので地下を使っていいという事にした。
試作品として棒が伸びているだけの義手を作ってからは、彼の作業が飛躍していた。
目につく物を片っ端から修理して、リリアンから木工やからくりの本を借りて読むとそれらを取り入れて、義手を改造したりしている。
地下の木は素材としてかなり優秀なようで、それも創作意欲に火をつけているようだった。
肘の動きに連動して、掴む動きが出来る義手が出来た頃はリオネルの心も安定して来た様子で、夕食は共に食べるようになった。
「オレは元々は楽器を作りたかった。」
「作れば良いじゃないですか。」
「ああ、そうする。
左手もなんとかなるしな。」
しかし、地下の木の材質が合わないようで、リオネルは困り果てていた。
加工のしやすさも硬さもかなり上質で、よくしなり、よく響く。
それだけ聞くとかなり楽器に合う木材のように聞こえるが、一点だけ致命的な部分があった。
「ダメだ。
変化に弱すぎる。
いや、楽器じゃ無ければ長所にもなり得るんだ。
よく湿気を吸って、吐く。
家の建材なら最高かもしれない。
だが楽器だとダメだ。
昨日と今日で別の楽器だとダメなんだ。」
しかし、よく鳴る。
鳴りすぎるため、諦めきれない。
加工の仕方や彫り方で試行錯誤しているが、あまり上手くいっていないらしい。
塗装も工夫しているが、それでもダメ。
油に漬けてみたり、水に漬けてみたり、逆にとことん乾燥させてみたとしてもダメ。
「どこかに魔法のように木の性質を止めてしまう方法は無いだろうか。」
夢物語の様にリオネルは言ったが、心当たりがある。
黒の街は、50年経っても黒の街のままだ。
劣化はしているのかもしれないが、かなりゆっくりとしている。
そう伝えた次の日にリオネルは旅立った。
ルージュかヴァロが居たらいいと思い手紙を持たせたが、果たして生きているかは分からない。
魔女は長寿だと聞いているが。
◆
結果的にリオネルはヴァロと会えたし、ルージュとも会えた。
ソリに載せてたくさんの木材を引いたまま砂漠を越えようとした時は正気を疑ったが、彼の熱意が勝ったらしい。
黒の街に地下の木材を置き、変色した物から加工していく。
そうして出来た楽器は、地下の木の欠点を無くした上、何故だかとても良く響くようになった。
かなりの量の木を運んだつもりでいたが、計算するとたったの8つの楽器分しかなさそうだ。
「また取りに戻ればいい。」
リオネルはそう言っていたが、ルージュ曰く、今まで砂漠の図書館に行った事のある人を2人だけ知っているけれど、決して戻れはしなかったという。
ルージュ自身もかなり探し回ったが見つけられず、事故で訪れた一度のみしか辿り着いていない。
ルージュに至っては空を自由に移動できるのにも関わらずだ。
「なるほどな。
ならば今、という時に使うとしよう。
誰もいない家の建材は使っていいな?
普段はそれを使おう。」
「あぁ、いいよ。
あっちの家は僕のアトリエにしていて、その隣はルージュが帰って来た時に使っている。
それで、その向かいは画商との打ち合わせで使ってるかな。
それ以外はいいよ。
僕の筆も一本作ってくれよ。」
「あぁ。
お前の作品をモチーフに彫ろう。
代わりにこの板に絵を描いてくれ。
ヴィオリンの材料に使う。」
「いいよ。
…ふむ。
確かに今まで触った事のない感触だね。
安い板に絵を描いた事なんて山ほどある。
端材だから様々な種類だったけれど、どれとも違うね。
地下に生えてるんだっけ?」
「そう!
お父さんは行った事ないんだっけ。
なんかね、空から生えてる様に見えるのよ。
リオネルも見たんでしょ?
世界を支えてるみたいだったよね。」
「見た。
…そんな詩的な考えは浮かばなかったが。」
「なるほどね。
世界樹か。
分かった。
ただ少し時間をもらうよ。
僕もコレ、というタイミングで描きたいからね。」
「あぁ。」
黒の街の素材で作られた楽器に、リオネルは悪い物の名前をつけていた。
ヴァロの画商が興味を持って売ると、あっという間に売れてしまうほどの出来だった。
リオネルの悪夢と呼ばれた一連のシリーズは数が少ない割に有名となり、欲しがる演奏者も増えて来たが、作るペースは年に数本と変えずにいた。
世界樹と名付けた木材の残りが後2本程になった頃、ヴァロの今が来たらしい。
名残惜しそうなリオネルから奪い取って描いた絵は天使の絵だった。
「皮肉だ。
黒の街の素材で、黒に黒で描いた物が天使とはな。」
「美しい音なんだから、1人くらい天使が居てもいいと思ったのさ。」
「いい絵だ。
…ルージュに似ている様に感じる。」
「いや、ルージュじゃないよ。
僕の天使はたった1人。
ルージュの母親だから、ルージュに似てはいるけどね。
ちなみに、黒に黒で描いた訳じゃないんだ。
黒に、濃い赤で描いたのさ、彼女の色でね。」
「なるほど。
しかしオレは人を虜にするような楽器にしたい。
やはり悪魔を想像する。」
「いやぁ、僕は天使の虜だったよ。」
「はっ!
実は悪魔だったんじゃないのか。」
そうして出来上がったヴァイオリンは天使と悪魔という意味を込めてネフィリムと名付けた。
奏者ではないリオネルが鳴らしただけでもかなり響く、とんでもない楽器だった。
「これは…悪魔ではないが天使でもないな。
なんだ。
そんなものが陳腐に感じるほど素晴らしい。」
「結局母親がこの世で一番強いのさ。」
◆
どこをどう巡って図書館へ辿り着いたのか。
それは膨大な本のどれかには書かれているだろう。
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