第26話 梨の王 来月には
「つーわけで、9月の末空けてあるから予定入れないでくれよ。」
マネジメントを担当している弟からの指示はなるべく守る様にしてきた。
髭も整える様になったし、毎日風呂にも入っている。
嫌味にならない香水の付け方や、上品な服の着こなし方も教わった通りにしている。
なんかこう並べると母親の様だな。
リリアンに教わった礼儀関係は、言ってしまえばフィクションなので、現実に即していなかったり古かったりしていたのをピアードが矯正してくれた形になる。
…しかし9月末か…。
珍しく渋っている俺に気がついたようで、ピアードも首を傾げる。
「なんだよ。
結構大事なアレだから俺も譲れねぇんだけど、なんかあんの?」
ある。
あるのだが、とても言いにくい。
恥ずかしい。
「おい、なんとか言えって。
理由によっちゃあ向こうに行くのを遅らせたりも出来るから。
…おい。」
恥ずかしいが言うしかないな。
ここまで尽くしてくれている弟だ、笑いはしないだろう。
「シェリル嬢の誕生日が24日なんだ。」
自分でも顔が赤くなっているのが分かる。
「あ?パーティにでも呼ばれてるのか?
んー!
お世話んなってるから行っておきてぇな!
兄貴にとってもかわいい教え子だろ?
24日か…死ぬ気で急げば間に合うか…?」
あぁ…穴があったら入りたいが、隠れている場合ではない。
「ピアード、あのな、パーティじゃないんだ。
シェリル嬢と、その、2人でだな。
あー、食事をする予定なんだ。」
顔から火が出そうだ。
「えぇ…?
マジなやつ?
…はぁ、なら仕方なぇな。
建国祭は何日も続くから、初日から参加しなくてもいいだろ。
ぶち上げるつもりだったが、確かに後半にやった方がいいか。
分かった。
じゃあ翌月の1日以降は絶対開けておけよ。」
もう俺は頷く事しか出来ない。
目も合わせたくないくらいだ。
「…頑張れよ。
最初のデートで何処ぞの暗闇に連れ込むなよ。
俺はそれで顔張られたから。」
「するか!」
◆
今日は兄貴が居ない。
珍しく演奏と関係のない仕事で、音楽誌のインタビューを受けに行っている。
部屋にヴァイオリンを置いたままの滅多にない日だ。
ギルバート様、クレフさんから調べてみて欲しい事があると言われていたが、手掛かりがこれといってない。
今更なにかと問われれば当然、兄貴の空白期間の話だ。
兄貴は元々頭が良かったが、地頭の良さで説明がつかないほどの知識と振る舞い、演奏技術を身につけていている。
離れていたのはたった6年弱の話で、その間に死ぬ気で学んだとしても無理がある。
1人なら。
きっと兄貴に吹き込んだ奴がいる。
膨大な知識を持っていて、過去の出来事に詳しい奴だ。
兄貴に何度か聞いたが、図書館の司書の元に居たと言う。
その図書館の場所も中央砂漠の真ん中らしい。
そんな馬鹿な話があるか?
100歩譲ってそこに図書館があったとしよう。
補給や食料はどうするのだ。
ギルバート様も知らない。
クレフも知らない。
つまりは大貴族でも国の重鎮でも知らない図書館は、何処の国にも頼らず、大貴族が後ろにも居ないと言う事になる。
手が入れば、どちらかは気がつくからな、普通なら。
なら普通じゃない方面ではどうか。
心当たりというか、当然裏の人間で、そういうのに詳しい人に聞く事になる。
「で、俺か?
よその国のヤバい話も知ってはいるがなぁ。
親父に聞いて見たらどうだ?
あの人マフィアにゃならねぇって放浪してた時代があるからよ、そういうの知ってるかもしれねぇぞ?」
マフィアの知恵袋、スヴェンさんに聞くと親父に回された。
趣味人でフラフラしていて、芸事には詳しいが興味のないものはとことん興味がない親父なので、候補から外していた。
「かー!
野暮だね、アンタら皆んなさ。
オイラにとっちゃ謎のままの方がおいしいね。
で?
野暮なのを承知で聞きにきたんだろ?
リッヒはどうしてたって?」
俺が兄貴から聞いたままの謎の残りすぎる話を親父にすると、大笑いして、
「なるほどな!
いいか?
昔話なんだけどよ、リオネルっつーとんでもねぇ楽器職人がいたんだ。
たった120本程度の弦楽器、まぁ、ヴァイオリンとかチェロなんかのことだな、と2台のピアノ、1丁の弓だけを制作して世の中から消えた奴だ。
リオネルの楽器は行方が分かってるものもあるが、大抵どこ行ったかわかんねぇ。
そんでな?
奴の楽器にゃ悪魔の名前だったりが付けられてて、まぁ不気味なもんだ。
聞くところによると、楽器の内部は真っ黒らしいから、余計そう感じるわな。
そんな奴だが、30代に何年も失踪してんだ。
噂じゃ黒の街にアトリエ構えていたらしいんだが、あんなところに住む人間なんて居るわけないだろ?
でも戻ってきたら誰もを魅了する楽器を作るようになってやがった。
それにヤーヤー言う周りにな、リオネルは
『悪魔に魂を売った。
貴方もそうして見ては?』
ってよ。
痺れるだろ?
こえーが、確かにそのくらい迫力がある楽器だった。
オイラも一度だけ聴いた事があるぜ。
あれを聴けたのは宝物だな。
…正直言うと、リッヒのヴァイオリンもそのシリーズだと思っている。
経歴も似てるだろ?
失踪して帰って来たら、化け物みたいな技術を身につけてるんだから。
悪魔に魂を売った男が作った楽器を悪魔に魂を売った男が弾く、それくらいじゃねぇと納得がいかねぇくらい、リッヒの音に心を震わされた。
だからよ、あんま触れても仕方ねぇと思うのよ。
結局リオネルは死ぬまでそう言い続けたし、奴の楽器を使う奴らは批判なんて出来ねぇんだから。
人間じゃねぇんだ、そうなった奴らは。
人を惑わすかは資質次第だけどよ、可能だと思うよ。
本当も嘘も信じるしかねぇんだ。
惚れちまったんだから。
リッヒはいい男で、化け物みたいな腕前だ。
とりあえずはそれで納得するしかねぇんじゃねぇの。」
確かにそう思うところもある。
木と演奏技術、礼儀作法以外は昔から仲良かった兄貴そのまんまだ。
悪魔に魂を売ってても、まぁいいか。
しかし、リオネルの悪魔か。
それが気になり、兄貴の楽器を見る機会を待って、ようやく今日だ。
よく磨かれているが、普通のヴァイオリンに見える。
中を覗いて見ても、元が暗いので色合いなんかはわからない。
なんとか照らすと、確かに真っ黒な気がするが、他の楽器の内側なんて気にした事がないので、分からない。
「そのヴァイオリンはな、ネフィリムって名前だ。」
驚いた。
兄貴が帰ってきたのに気が付かなかった。
「リリアンが言うには有名な職人らしいんだがな、俺も詳しくはないんだ。
いや、教えてもらったな、確か。
でもなぁ、興味なくて聞き流してたからなぁ。」
「そういうところあるよな、兄貴。
悪い、勝手に触って。」
「構わないぞ、お前なら。
ほら、双子だからな。
ネフィリムもヘソを曲げないだろう。」
「へぇ…なら今度俺も女を紹介するわ。」
「…そうだな、悪かったよ、お前にもネフィリムにも。
コイツは今夜は大切に弾いてやる事にするよ。」
「ははっ。」
悪魔だのなんだの聞いたからか、ちょっとその楽器が怖ぇもんに見えて来たわ。
◆
あれは一体いつ頃だっただろうか。
私も仕事の合間に練習していたが、全然上手くならなかった。
理論的には完璧に理解している筈なのに!
ネフィリムと名付けられたソレは天使と悪魔という意味らしい。
リオネルが作った楽器でも後期の作品で、この後にメシアというヴァイオリンを作って以後は引退してしまったらしい。
それをアプリードに説明すると、
「ほぇえ。」
という気の抜けた返事だけが口から漏れていましたね。
彼が来たのはルージュが来た少し後くらいでしょうか。
彼が居なければ、天井に空いた穴とその下の崩れた本棚は雑に直されて終わりだったかもしれませんね。
木工の技術とは繊細な物だと思い知りました。
私が一生懸命直した棚を一目見た後にすぐに壊れるぞと、一言。
実際本を入れて見たらすぐに色々倒れたり折れたり、全然ダメでしたね。
彼は当時、相当自棄になっていました。
思い出しますね。
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