第23話 梨の王 空白期間4
「兄貴、下でなにやってんだよ。
場末も場末でよ。
しかもピアノ。
ピアノはあんまり上手くねぇのな。」
下、つまりネオンで飾ったというのもおこがましいほどにギンギラギンで客も飲みに来ているというよりは酔いに来ているようなバーだ。
バーテンダーも腰の曲がったお爺さんで、聞けば引退したマフィアらしい。
今は好々爺といった感じで、埃を被ったピアノを弾いて良いかと聞くと、快く応じてくれた。
「あんまりマーシャルおじさんに迷惑掛けるなよな、兄貴。
あ、上の兄貴の部屋に手紙来てた分置いてあるから読んでおいてくれよ。」
ピアードはそう言うと出て行った。
今日は本業があるのか、いつもより少しピリピリしている様子だった。
普通に機嫌が悪い可能性もあるか。
余り気にせずピアノを弾くが、ピアードの言う通り余り上手くはない。
自信をなくしていたらしいシェリルの方が何倍も上手いくらいだ。
マーシャルさんに酒をいっぱいもらい、ピアノの感想を聞くと、
「ここにお似合いのピアノだな。」
と言われた。
確かにそうで、下手さを誤魔化すために過剰に装飾した、ギラギラのピアノだった。
ベロベロな客にはウケそうだ。
やっぱり戯れに弾いてもダメそうだ。
諦めてヴァイオリンを弾き始めると、いつの間にかネオンサインを静かに消していた。
もう一度感想を聞くと、
「練習なら使っていいが、客がいない時にな。」
と言われた。
客層に合わなさそうなのでそう言われたのだと思ったが、後日親父さんに言うと褒められたらしい事を教わった。
マーシャルさんはコンサートには参加しないが、お気に入りを見つけると、その演奏家のソロをわざわざ探して聴きに行くタイプらしい。
昔、親父さんとマーシャルさんが理想の女の話をしている時に、マーシャルさんは自分だけを愛してくれる女と言っていたらしい。
「スケベなんだよ、アイツはよ。
まぁ、音楽でもそうなんだろうよ。」
確かにそれは褒められていると言って良い。
そうして自分の練習場はここになった。
スケベな聴衆と、必ず終わりに出してくれるシードルがお気に入りだ。
◆
前回のイレギュラーな訪問から丁度10日後に予定が合い、ギルバートの元へ尋ねる事になった。
前回買ったお菓子はピアードとギルと3人で試食した結果、こんな小さくて味もひたすら甘いものは自分では買わないが、女性には人気がありそうだという結論だったので、もう一度購入してから向かう予定だ。
しかし、絶対男は食べないであろう酒とも食事とも合わない本当に甘くカラフルなだけの物なのだが、大丈夫だろうか。
もし、正解だったのであれば、あのウェイトレスへも同じ物をあげようかと思う。
自分では頭に浮かびすらしなかったし、3人で食べても終始無言だった。
約束の時間は丁度昼食時なので、果たして食べてから行ったらいいのか分からない。
一食抜いたくらいではどうって事ないので食べないで行く事にするが、きっとギルバートやシェリルには言わなくても分かる貴族の不文律なんかもあるのだろう。
知識が不足している。
リリアンも頭には入っているのかもしれないが、別に貴族じゃない。
知っているのと実践できるのは天と地の差があるが、それを本人に言うと少し不満そうだったのを思い出す。
お菓子を買う際、前回は大分待たされたので早めに出たが今回はすんなり買えてしまったので、屋敷に早く着きすぎてしまった。
どうしようか、と思ったが既に門の前では家宰の爺さんが待っており、貴族とはそういうものか、と思ったがどうやら違うようで、もう直ぐシェリルがお稽古事から帰って来るらしく、それの迎えとの事だった。
「…私がお出迎えしたら、驚くと思います?」
なんの気なしにいたずらの提案をすると大笑いし、手をパンパンと2回叩くとメイドがやって来た。
すぐに俺は使用人室へ通されて、急いで執事服に着替えていると、ギルバートがやって来てドアの枠にもたれながらニヤニヤしていた。
「アプリードリヒも面白い事を思いつくもんじゃないか。
良い音楽家はお茶目なもんだ。
あぁ、挨拶はいいよ。
それよりもシェリルが驚く顔の方が大切だ。
あれから度々君の話しが娘から出てね。
あの演奏は素晴らしい思い出になっているようだ。
…ふふ。
しかし、どうしようかな。
陰から見るのも楽しそうだが、近くで見たい気持ちもあるね。
…おっと、そろそろ帰って来る頃かな?
私は…そうだな。
とりあえず隠れるとするかな。」
門のところへ戻ると家宰が手招きしている。
本当にもう直ぐ帰って来るのだろう。
「馬車から降りる際のエスコートもお願い致しますね。
普段は私の仕事なのですが、驚かせるならとことんやりましょう。
…旦那様はまたあんな所に。
子供に返るのですよ、たまにね。
私もあちらに居ましょうかね。
お任せする事にしましょう。
ふふふ。
楽しみですな。」
全く、陽気な家だ。
爺さんとギルバートが建物の陰に入った所で、坂の下からガタガタと馬車がやって来た。
濃い赤色に金の模様、この家の色だ。
なるべく顔を見せないように俯き気味で待つ。
まず御者の使用人と目があったが、前回踊ってくれた男の人だった。
俺だと気がついたようで目だけで辺りを見回し、陰にいる大きなイタズラ小僧達に気がついたようで、苦笑いをしていた。
門を開けて、馬車を誘導しながら小さな声で、
「誰の案ですか。」
と言って来たので、
「ぼそっと言ってしまったらあれよあれよと。」
と返すと、唇を噛んで笑いを堪えていた。
馬車が止まったのでドアを開けて、静かに待つ。
中でゴソゴソ準備をして、立ち上がった気配がしたので、ドアの陰から手だけを伸ばしてエスコートをする。
シェリルはそっと手を取り、ゆっくりと降りて来た。
お稽古後で疲れているのかこちらに気が付かず、2、3歩歩いたところでおそらくいつものように、
「いつもご苦労様」
と言おうとしたのだと思う。
しかし実際発せられたのは、
「いつ…」
迄で、俺に気がついたらしいシェリルは、髪やスカートや袖を順番にパタパタと触って、ようやく一言、
「お父様の仕業ですか。」
と言った。
◆
「いやぁ、悪かったよ。
でも楽しかったなぁ。
ヴージェもイタズラ好きなんだよ。
真面目な家宰姿からは想像できないだろう?
たまに油断していると、執務室の椅子の敷物がハート柄になっていたりするんだよ。」
着替えたあとにダイニングへ行くと、むくれたシェリルは、まだこのイタズラの発案者がギルバートだと思っているらしく、ギルバートもギルバートで、積極的に否定はしていない様だ。
「すいません、お嬢様。
私がぼそっと言ったばっかりに。
なので発案者は私、共犯はヴァージェさんで、団長は賑やかしですよ。」
「あら。
それでも止める立場はお父様ですから。
もう!
今度仕返ししますから!」
…これはこの家のコミュニケーションなのだろうな。
あぁそうだ。
お土産を渡さなくては。
「そうだ。
この間泊めて頂いたお礼にお土産を持って来たのですよ。
えー、まず、団長へはこちらですね。
謎の古酒です。」
「なんだいそれは。
興味をそそるね。
…確かに古そうだ。
何年ものだい?」
「160年らしいです。
弟にはからかわれていると言われましたが、友人に貰ったもので、あの、ほら、遭難してた時に助けて頂いたリリアンというのですが、その人から貰ったのですよ。
冗談かもしれないし、本当かもしれない。
でも古そうだし、面白いかなって。」
「…160年…。
本当なら凄いな…。
私も弟さんの意見に一票入れようか。
…もし開けてみて、本当に私が飲んだ事がない程の年代物なら、君の望みを一つ叶えよう。
ちなみに80年ものまでは飲んだ事があるね。
まぁ、古ければ古い程美味いというのは幻想らしいが…楽しいよな、こういうのは。
ありがとう。
後で本当に開けちゃうよ?
良いかい?」
「もちろんです。
正直私も、眉唾だとは思っているのですが…楽しいですよね、こういうの。
さて、もう一つはシェリル様にこちらはお菓子ですね。
気にいると良いのですが。」
「あら…。
…。
こちらは、その、リリアンさんからお聞きになって選ばれたのですか?」
…なぜリリアン…?
「いえ、私が、聞いて回って選びました…。
お気に召しませんでしたか…?
申し訳ない。」
「いえ!
いえいえ!
とんでもないです!
でも…あの…。
いえ、嬉しいです。
好きなのですよ、これ。
お稽古の帰りとかに食べると元気が出ます。
ありがとうございます。」
…ハズしたかな…。
まぁ、仕方ない。
今の知識で精一杯気を遣った結果だ。
「さ、まずは昼食にしようか。
シェリルも着替えておいで。」
ギルバートがそう促すとシェリルは一時退室した。
お菓子は持っていってくれた様だが、腑に落ちない。
「…あのお菓子はね、若い女性に人気って物でね。
あんまり男は買わないんだ。
しかも名前も売れ始めたばかりで、知る人ぞ知るってやつさ。
逆に言うと、君がその知る人から聞いたって事だろう?
あんなに情熱的なデュエットをしておいて、君も隅に置けないね。」
…は?
なにを言っているのだろうか。
なぜ急にギルバートまでも不機嫌になるのか。
「リリアンさんから教わったのかい?」
ん?
なるほど。
確かにリリアンは国によっては女性らしい名前に聞こえる。
「失礼。
リリアンはね、男ですよ。
ハゲた男です。
お菓子も色々リサーチした結果に、レストランのウェイトレスのおすすめを採用しただけですよ。」
「あ!そうかい。
それは失礼したね。
…ヴージェ、もしかして、今、僕は少し、やってしまったかな。」
「ええ旦那様。
もし我が家で同じ事をしたなら、私は娘から何年口を聞いて貰えないことやら。」
◆
食事の後にお暇しようと思っていたが、意外にもシェリルに引き留められた。
どうやら本日のお稽古で習った曲で納得のいっていないところがあるそうだ。
そうなると弾くしかない。
気持ちはよく分かる。
一通り弾いて貰うと、知らない曲だった。
タイトルはシンプルに「雨」
割と近年の曲らしく、ピアノでいう左手、低い伴奏がテクニカルな割に主旋律は穏やかで、感情的に弾いては台無しになりそうな曲だ。
「私もアプリードリヒ様に習って頭の中で風景を想像してみるようになりました。
それが必ずしも正解ではないとは分かってはいるのですけど、自分に合うというか、没頭出来るんです。
そうすると弾くのが楽しくなって。
ですが、この曲の場合…なんというか、普遍的なテーマであまり没頭するとダメそうで、お父様の言葉を借りるなら『ノレない』のですよ。」
ふむ。
確かに、そういう曲は確かに俺にもある。
例えば海の壮大さを謳った曲なんかは、実際に見た事がなくて分からないのでノレない曲だ。
リリアンにも話した事がある。
「リリアンは好きじゃない本とかあるのか?
それともこの形をしていたらなんでも好きなのか?」
嫌味ではなく、彼がこれは面白くないと言ったことがない事に対する疑問だった。
「そうですね。
…例えば、貴方はヴァイオリンを弾きますよね、それでふわっと通りがかりに、ワンフレーズだけ素晴らしい曲を聴いて、魅了されたとしましょう。」
「うん。
実際そういうことはあるな。」
「私も一文を読んだだけでワクワクする本がありますとも。
ね?
で、です。
そうなると先を想像しますよね。
こういう進行だったから、こうなると良いなぁ、と。
私でいうと、こういう入りだから、こういう話になっていくのではないかと想像をする訳です。」
「あぁ、それもあるな。
実際聴いてみると全然違って、ガッカリすることもある。」
「それです。
それを言いたかったのですよ。
貴方の想像したものは、貴方にとって最良のストーリーです。
貴方にとっては、貴方が最高の作者なはずです。
あらすじや一部分から、自分がなんとなく思い描いた続きが最高、要は好みなんですね。
しかしねぇ、実際の作品は作者の好みなんですよ。
しかし、完成された作品にも余白はあるわけで、そこを自分の宝物で埋めるのが読書だったり、演奏をすることになるわけです。
隙間に詰め込んだ物を含めての作品。
そうなると、隙間ごと面白くないなんて事はないですね。
だって、自分の好みを捩じ込んだのですから。」
「でもダメな曲も本もあるだろ?」
「ありますねぇ。
しかも対外的に評価されたりしていると、困っちゃいますね。
そういう場合は…。」
そうだ。
そんなこと言っていたな。
ふふ。
「お嬢様、余白は自分の好きに埋めてしまえば良いそうですよ。
例えば、描写はされていませんが、雨の降る場所が、屋敷の窓から見える景色だったり、楽しみなお出かけを邪魔する雨だったり。
それは弾き手の自由に任せられています。
貴女のお好きなように、ってね。
例えば、ヴァイオリンですが、前者を弾くと…、こんな感じで演奏しよかな、と思いますが、後者だと…こう。
頭に浮かべた景色の差で、同じ曲で楽譜通りから大きく外れてはないですが、結構違うでしょ?」
シェリルは真剣に聞いてくれており、目をパチパチさせている。
「この曲は、左手は完全に考えさせる余地を与えていませんが、右手は逆に投げっぱなしになっていて、どういう曲であるかを弾き手に任せっきりですね。
雨は降っている。
貴女が思い浮かべる雨はどんな物ですか。
そういう楽譜です。」
「ええ。
んー。
えー?」
「あはは。
そうなる曲もあります。
言ってる事は分かるけど…ってね。
そういう場合は…。」
「そういう場合は…?」
「あきらめましょ。
いつか自分が何かの経験をした時とか、成長した時にバチっとハマることもあります。」
「えぇ!
良いんですか?」
「え?
何故駄目なんです?
仕方ないじゃないですか、合わないんだから。
今は、ね。
まぁ一生ハマらない可能性もありますがね。
でも良いんですよ。
全部の曲を完璧な解釈で弾きこなせる人は変です。
お好きな曲をお好きな様に弾いたのを聴いた人が、次にまた好きに弾く。
それで良いではないですか。
いつか名演と呼ばれるものもその中から生まれるし、怪演と呼ばれるものも生まれますよ。
ま、でも弾きこなしてからの話ですから、練習はしないといけませんがね。」
「あら。
せっかくお父様を煙に巻いて、サボれると思いましたのに。」
ご令嬢はジョークも嗜みだ。
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