第22話 梨の王 迷子


「なぁ、リリアン、なんでこの曲はタイトル書いてないのよ。

面白い楽譜なんだけど聞いた事がないんだよなぁ。


結構古いだろ、これ。」


楽譜集を漁りながら弾いては次、弾いては次と繰り返してるうちに目に止まった古そうな楽譜本。

と言ってもこの図書館の本は随時リリアンの手で補修をされているので、古ければ古びているという事ではない。


しかし彼がいうには「免れた」本があるらしく、これも修繕の順番をスキップした物の一つらしい。


「え?

うわぁ!

トムおじさんのモテる音楽集じゃないですか!


懐かしいなぁ。

例の如くスキップしてしまった本ですね。


トムおじさんはアンティーク好きだったので、いい感じに古びて来ているのに、勝手にピカピカにされるのは嫌だったんでしょうね。」


「本に意思あるみたいに言うんだな。」


「これだけ囲まれているとね。

それでタイトルがないのはどの曲ですか?


んー…。

これは元々ない、というか、民謡の様に歌い継がれた物をトムおじさんが整えただけの曲なんですよ。


…どんな曲だったかなぁ。


私は楽譜から音楽が想像出来ませんので、ちょっと弾いてみて下さいよ。」


「いいけど、手伝ってくれよ。

手拍子と足でドンってな、交互に


チッチッチッチッ、このペースな。

あと、歌詞も書いてあるから、歌いたければ歌っていいぜ。

あ、楽譜読めないなら曲の想像つかねぇか。

悪い。

でもほとんどシンプルな進行だから歌えそうなら歌えよ。


ドン、パン、ドン、パン。

オッケー。

そのままキープしてくれよ。」


基本的に同じメロディで失恋を嘆く曲だ。

歌詞の内容としては夜中に元恋人に連絡をしようか葛藤している男の曲で、最後までその男がどうしたかは分からないが誰にでも普遍的にある情けなさを、ユーモラスに描いている。


経験上こうなってしまったらもう終わりなのだが、夜中だけはなんか静かな気配と回らない頭で、もう一度だけ話す事が出来たらまた前みたいに愛されると思い込んでしまう病の様なバカさは、正直よくわかる。


はっ、なんでこれがモテる歌なんだい?

トムさんとやら。

情けなく感じさせない歌唱力でもあったんだろうか。


曲自体は同じメロディの繰り返しで、4回愚痴と後悔を繰り返したら一度だけ相手はどうしているだろうか、となる部分だけメロディが少し違う。


恐らく客が満足するまで無限に続けられるタイプの曲で、バーのピアノが弾いていた系統なのだろう。

覚えやすく邪魔しない。

けれどよく聞けば美しいメロディと男のダメさが自虐的に描かれた歌詞。

なんだ、いい曲じゃないか。


曲が2周して、リリアンもリズムキープが上手だな、なんて思っていると、リリアンが歌い出した。


声は小さいが確かにリリアンの声だ。


歌詞自体は覚えているのだろうか、澱みなく、なんなら節から感じるに歌い慣れているようだ。


…なんだよ。

恥ずかしがっただけか?


ほら、愚痴を歌えよ。

そろそろ彼女を思い出す頃だ。

その直前だけ転調が入る。

本来ならリズムも一瞬変わる様だ。

そのままキープしても繋がるけどな。


お?

ははっ。

やっぱり知ってる曲なんだな。

リリアンはきちんと楽譜通り手拍子の方を一つ多くした。

もう一周くらいやろうか。

誰かと演るのはいいもんだ。




「久しぶりに聴きましたが、私はすきですねぇ、この曲。」


「俺も気に入ったよ。

普段練習してるテクニカルな曲じゃなくって、誰にでも覚えてもらえて、すぐ参加してもらう用の曲なんだろうけど、それはそれの良さがあるよな。


…しかし3周目のリリアンの歌声には驚かされた。


なんというか、いい歌だったよ。

いい声だ。」


「そうですか。

自分の声は自分では分かりませんからね。


でも、楽しかったですよ。」


同感だ。


「ところで、なんでモテる音楽集なんだ?

そんなものないだろう。」


「さぁ、でも楽器が出来たらモテるんじゃないですか?」


「偏見だよ。

俺から言わせれば、楽器が出来るからモテる訳じゃない。

モテる奴が楽器なんて目立つ物を持ったから目につくだけだ。

モテる奴はなにしてもモテる。」


「あはは。

そうですか。


…アプリードはどうでした?」



宿は引き払い、ピアードの事務所の上の階は人が住める様になっているそうなので、そこへ移った。

元々荷物なんてない様な物だし、引越しも親分さんのノースヴェンのところから帰って来た日の夜には完了した。


それから2日ほどは家具を買いに行ったりをピアードとギルとしていたが、引っ越して3日目の夜に、次の演奏会の話をされた。


「兄貴には今何ヶ所かから依頼が来てる。


その内の一つはギルバートさんで、兄貴の為にもなりそうだからコレは受けるべきだと思う。


革命家になるにしてもヴァイオリニストで生きていくにしても、理解者は必要だしな。


…あとは、親父が聴きたがってうるさい。

まぁ、アレでも組織の親だから無名の兄貴の為に大枚叩いてソロコンサートを開いたりなんて事はないけどよ、早く決めないと誰か八つ当たりされても可哀想だからなぁ。


他に有力なのは…これか。

通称顔見せって呼ばれている、音楽情報誌主催のコンサート。


インタビュー記事もセットで世に出るから、名前を売るのに手っ取り早いらしい。

無名新人の登竜門ってやつだな。


これの招待が来てるわ。


んー。

貴族主催のコンサートも色々来てるんだけどなぁ、正直こっちの興行に携わって来てなかったから全然わからねぇ。


それこそ、せっかく良くしてもらったギルバートさんと仲が悪い貴族の所にノコノコと行く様な不義理はしちゃいけないのはマフィアとおんなじだろ?


でも俺も詳しくはねぇんだよなぁ。


もうさ、ギルバートさんに服のお礼つってなんかお菓子とか買って挨拶してきてくれよ。


そんとき色々教えて貰ってくれ。

俺から手紙出しておくから。」


「あぁ、すまないな。

出来ればいい酒が売っている所も教えてくれないか?

貴族にそこらの安酒とかお菓子を買っていく訳にはいかないだろうからなぁ。


あんまり気にしなさそうな人柄だったが、失礼をしていい訳じゃないからな。」


「分かった。

それじゃあコレ、兄貴に来た招待状な。


こっちでもメモってあるから。

親父め、マネージャーみたいなものとして俺の名前出しやがったから、俺宛にモリモリ届くぜ。

宛名アプリードだから、見た目は変じゃないけど。


後で酒は誰かに聞いておくよ。


俺も詳しくはねぇんだ。

いや、高い酒はわかるよ。

でもよ、高いからいいって訳じゃないだろ?

多分。


娼館のたけー酒の銘柄とかわかるけどよ、あれは娼館だからたけーのか、たけーから娼館に置いてあんのかサッパリわかんねぇ。


俺も1人でそんなに呑む方じゃないしな。

古けりゃ高いけど良いもんかはわかんねぇし、誰が決めたのか知らねぇが、こだわる奴はこだわるしで面倒くせーよな、酒は。」


「…あ。」


「なんだよ。」


「…荷物に酒が2本入ってるんだけど、アレ相当古かったはずだな。」


「へー。

何年もの?

20年とか?」


「たしか、160年。」


「兄貴、それは…騙されてるよ。」




ともあれ酒は話の種になるし、無難な高級酒よりはギルバート好みだと思うので、これがいい気がする。


シェリルの好みはわからないので、アプリード経由で親父さんに聞いてみたが、知っているけど教えねぇ、と言われてしまった。


「おめぇで必死に考えて選ぶのが土産ってもんだろ、だってさ。」


一理ある。


という訳で買い物だ。

最近部屋の家具を整えたので、この辺の店の立地がわかって来た。


事務所の下はキャバレーだと思っていたが、ギンギラギンのネオン輝く装飾と客層が悪いだけで、ただのバーらしい。


つまり、ここは別にそういう立地じゃないのだ。


冷静な時に散歩していたら普通の商店もあるし、一本奥まっているだけで表に出れば賑わっている普通の繁華街といったところだ。


そこからギルバートの屋敷の方に歩くと上り坂になっていて、上に行けば行くほど高級店が増えていくらしい。


下の方は老舗のレストランが多く並んでおり、上に見える木は太く大きい。

最近資材にされ尽くされかけている為に見かけることが少なくなったので、あんなに太い木は木を信仰しているファーデンですらあまりみない。


つまりあの辺りは手を入れられていないという事だ。


やはり貴族は成るというよりは、在るという感じで、目的のためには地位的に近づかなくてはならないが、取り繕って成れるものではない。

歴史を感じる街並みを歩くと、よりそう思う。


さて、シェリルへの贈り物だが、案が一つもない。


お菓子、つまり消え物が無難だという事だったが、明らかにシェフがいる家に何を持って行ったものか。


ハンドクリームなんかも浮かんだが、女性に化粧品の分類のものを贈るのは怖い。

荒れたりしたら申し訳ないしね。


昼間はカフェとして開いているレストランに入り、飲み物を飲みながらウェイトレスの女性にそれとなく流行り物を聞いてみると、やはり土地柄か有名店らしいところをいくつか教えてもらえた。


女性に人気のお店という事で、大きく外しはしないだろう、シンプルな箱入りを選んだ。


意外と迷わず買えたので、早目に帰れると思いきや、帰り道で親父さんに出会い、呼び止められた。


「リッヒよぉ、上手い事買い物出来たかい?


…なんだぁ、可愛らしい箱じゃねぇか。

ん?

まだこっち来て日が浅いだろう?

足で探したのかい?」


「いえね、そこを登った所にあるレストランのウェイトレスのお姉さんに聞いたんですよ。


仰る通り土地勘もないのでね。」


「あぁ、なるほどなぁ。

…ふぅん、それを渡すのかい?


…あぁ、いや、ダメだって言ってる訳じゃねぇよ。


オイラには面白くなりそうだから是非そのまま渡して欲しいくらいだね。


アプの奴に報告させるさ。

楽しみだ。」


そう言って店の中に消えて行った親父さんだったが、これは待ち伏せされていたのだろうか。

…何故わざわざ。

まぁ、いい。

含みはあったが問題は無さそうだ。


アポイントメント用の手紙は、ピアードが送付してくれているはずだ。

そんなに遠くない日に渡せるだろう。


しかし、親父さんは何を楽しみにしてるのだ。

ピアードは知っているだろうか。


ピアードに聞くと、


「あー、親父はお節介なんだよ。

んで、どんなの買ってきたんだ?


…ふぅん。


面白くはねぇけど、面白い事にはなると思うわ。


でもまぁ、別に失礼じゃないし、それでいいと思うぜ。


はぁ、しかし親父はなぁ、どんなんになっても報告しねぇから安心してくれよ。」


腑に落ちない。

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