第10話 ヴァロラブリーデリ 著者 ヴァロラブリーデリ


「なぜ、この本の著者がヴァロラブリーデリなの?

自伝を残すような人には感じなかったけれど。」


ロウディアは疑問に思った。

彼の人生を辿り、どうしても自分の事を絵以外で描くような人には感じなかったからだ。


「あぁ、簡単な事ですよ。

彼ではないヴァロラブリーデリが、彼の事を教えてくれたんです。

私に、直接。


丁度貴女の様に遭難して、ここに来た時にね。」


直接…?

彼の親族は全て亡くなっているし、魔女も彼の魔法で滅びただろう。


彼をきちんと知るものは1人も残って居ないはずだ。


「本はね、ドンデン返しが醍醐味ですよ。

ヴァロの目線で描いた場合、彼が知らない事もあるのです。


娘が生きていた、とかね。」



ヴァロの母はヴァロを洞に入れた後、丘の街を通って王都へ向かおうとした。


しかし、その頃にはもう兵士が雪崩れ込み、戦火は街を飲み込んでいた。


顔を見られぬ様にしなくては。

もしかしたら魔女である私の顔を知る人物がいないとも限らないのだから。


遠くに見える丘の裏を周って行こうと思ったその時、丘から大きな火柱が立った。


「何故?

あっちに魔女が行く理由がない!

何故あそこで魔法が発動しているの…。」


もしかして。


彼女の想像は半分だけ当たっていた。


彼女はヴァロが目を覚ましてしまったと思った。


宿で絵を描く後ろ姿を見た時に、間違いなく魔法の才能があったし、何かのきっかけで能力が目覚める可能性もある。


魔法を行使出来れば有象無象には負けないだろうが、それは訓練していればの話だ。


彼女は急いで丘の上に向かうと、火柱の中心に居たのは赤毛の小さな女の子だった。


ルージュが火を迸らせていた。


兵士が剣を突き立てて来た瞬間、母のフェリノが庇い覆い被さった。

フェリノが刺された事に気がついた時に、ルージュの魔法は目覚めた。


扱い方を知らない大きな力。

それが火柱となり屋敷を燃やし尽くしたのだった。


彼女は直ぐに泣いているその子がヴァロラブリーデリの娘だと気がついて話しかけた。


「あなた、ヴァロの、ヴァロラブリーデリの子供かしら…。」


ルージュも初めて見るその女の人が、父と同じ顔をしている事に気がついた。

泣きながら頷くと、炎は消えてルージュは気を失った。


火柱に気がついた兵士達が駆けてくるのが見える。

ルージュが守る様に立っていた、女の人はもう生き絶えていた。

この子が息子の娘だというなら、恐らく妻で、自分の義娘だろう。

ほんの少し祈ってから、彼女はルージュを抱えて走り出した。


他の事はもう全てどうでも良い。


自分も死ぬわけには行かなくなった。

まさか、息子に子供がいるなんて。

まさか、自分に孫がいるなんて。


出来れば孫だけでも、叶うなら2人共を私が、守る。

その為に動き出した彼女は、ヴァロを隠した洞へ向かったが、そこにはもう誰も居なかった。


予想はしていたが、こんなに早く自分の魔法を抜け出すなんて。


親が子を見捨てる事などしない。

なるべく突き放そうとした自分ですらそうなのだ。

ならばヴァロは街へ向かったであろうことは予想出来る。

洞でヴァロの元に向かおうか、それとも確実に孫を守るべきか迷っていると、丘の方で莫大な魔力を感じた。


あぁ、ヴァロだ。

見た事ないほどの赤黒い魔力が暴れ狂い、丘が捲れ上がって行くのが見える。


悲しい光景。

妻を亡くした男の力は、世界を終わらせてしまいそうな程だ。


迷ったが、孫を守る事を優先する事にした。


ヴァロが正気か分からないし、あの魔法を制御できているのか分からない。


ヴァロに娘が生きている事を伝えぬまま、彼女はルージュと共に姿を消した。

戦場となる事が確定している王都へ向かう事も、もうやめた。


全てを捨ててでも背中でおぶられている孫を生かす事に決めた。


避難する民に紛れて小さな他国へ渡った2人は、そこから何年も2人で過ごして行く事となる。



「おばあちゃん?

お父さんのお母さんなのね。」


「そうよ。

離ればなれになっていたけれど、戦争が起こるって分かってヴァロを助けに行ったんだけどね、結婚していたなんて知らなかったの。


それで、その時偶然に貴女を見つけたの。


…覚えて、いるかしら、ごめんなさいね。

貴女を見つけた時には、もう…。」


ルージュはきちんと覚えていたし、理解していたので、この女性が自分を守ってくれた事も、母の死も理解していた。


そして、父が起こした丘の崩壊も、祖母の背中で見ていた。


「お母さんは、お父さんについて行く事にしたみたい。

あの時、お家が浮き上がって行くのが見えた時にそう感じたの。

だからいつか、また会えると思う。」


ルージュもやはり魔女だった。


この世界に2人残った正統な魔女。

この大切な孫に魔法を教える事を決めた。


彼女を守る為に。

いつか父と再会させてあげる力とする為に。


「おばあちゃんの名前はなんて言うの?

わたしはルージュっていうの。」


「私は、ノラ・ヴァロラブリーデリ。

じゃあ、貴女はルージュ・ヴァロラブリーデリね。」


「え?

お父さんの名前がヴァロラブリーデリじゃないの?」


「え?

あの子は、ヴァロ・ヴァロラブリーデリって言うのよ。


実はね、ヴァロって男の子って意味らしくって、本当はラブリーデリが家名だったんだって。

だけど、うちは何故かヴァロラブリーデリって言うのよ。

可笑しいでしょう。」


「変なのー。」


そういえば、村であの子の名前を呼ぶ者などいなかったな、と思った。


まぁ、もうどうでも良い事だ。

どうせあの子の名前を知る者も、ここにいる2人だけになってしまったのだから。


いつか、ルージュがそんな可笑しな話を教えてあげられるといい。



2人での生活を始めて1年ほど経った時、侵略していた方の国の異変が風の噂で伝わって来た。


雨が降り続けているらしい。


ノラは戦慄した。


「信じられないわ。

いくら魔法使いになったからってそんな大規模な魔法が使えるなんて有り得ない。


あの子、本当にすっごい才能があったのね。

男の魔女は魔法の才能が無いなんて聞いていたのに。


こんな事ならキチンと教えてあげればよかった。」


ルージュは魔法の練習中だったので、不思議に思った。

それがどの程度なのか分からなかったのだ。


「うーん。

どのくらい凄いのかって比べるのは難しいけど、一日だけ雨を降らせるだけだって、私とかルージュみたいな普通の魔女が5人くらい必要よ。


それを1年も続けるなんてどう考えても普通じゃ無いわよね。」


それを聞くと確かにそう感じる。


「私にもそのくらい才能があれば、お父さんも教えてくれたのかな。」


ルージュが口をとんがらせて呟くと、ノラは笑い、あの子は別に自分が魔女なのを分かって無いと思う、と話した。


雨が止んだと伝わって来たのはそれから5年ほど経ってからだった。

それを聞いたノラは、魔女が本当に自分たち一家の3人だけになったんだろうと思った。



19歳になったルージュは、旅に出る事にした。


魔法を修めたのもある。


ルージュはいつか、父に会いたいと前より強く思っていた。

当時は子供でよく分かっていなかったが、何故か最近街で父の絵を見る事があった。


母が作る赤い絵の具で、赤い絵ばっかり描いていたのを覚えている。

私は羊を描いた絵が好きだった。

よく見る光景が絵になり、赤くないところを赤く描いていて、ヘンテコな、力をもらえる様な絵だった。


ところが最近の作品だというこの絵は黒を基調に重くるしく、悲しい怒りをたたえる辛い絵だった。


それを見て決心した。

話そう。

父と、私で今までの全部を。


その話を祖母にすると、喜んで賛成してくれた。

ノラの賛成で旅立つ決心をした事もある。


若く見えるが、もう70近い祖母を1人で置いて行くのは迷ったが、父をここに連れて来るのも一つの目的にしよう。

2人の生活を始めて、本当に可愛がって貰ったと思う。


一度だけ、18歳のお祝いに一緒にお酒を呑む機会があり、祖母が父を村から出した際の事を聞いた。


後悔はしていないが、内心はかなり悲しんでいたのだと感じた。


「私の全てで突き放そうと思ったんだけど、やっぱり親は子供の事になると弱いもんでね。


一つとして繋がりを残さない予定だったんだけど、筆を作って渡しちゃったのよ。


…まぁ、それがギリギリ縁を繋いでくれて、ルージュを保護出来たんだから、今となればそれで良かったんだろうけどね。


もし普通の生活をしているなら、この筆が呪いになっていないかって不安だったのさ。


それこそ夢に見るほどね。


絵描きの夢に押しつぶされるあの子の姿が何度浮かんだ事か。

それでも絵描きとしてやっていけたんだ。

アンタの母親には大感謝さ。


多分その娘のお陰だ。

あの様子じゃ、絵を描く時に魔法が暴走していたはずなんだ。


今も、こんな絵になっちゃってるみたいだけど、描き続けてる。

多分、悲しい絵だとしても…良い事だと思うよ。


絵描きじゃなかったら、ただ単に世界を呪う化け物になっていたかもしれないから。


強大な魔力でね。」


ノラは魔女らしい、イタズラっぽい笑顔を見せた。



旅は基本的に絵を辿る旅となった。

父の絵を探し、絵が描かれた地へ行く。


その繰り返しだ。


誰かと積極的に関わる事もしていない様で、それくらいしかヒントがなかったし、人気があるようで大きな街なら1枚くらいは見つかったので、それを辿るのは父の軌跡を辿るようで楽しかった。


女の一人旅はもちろん危険が伴うが、魔女には問題ない。

姿も消せるし、少しの間なら棒を浮かせて飛ぶ術もあるからだ。


ルージュはこの飛ぶ魔法を気に入っていて、たまに人気のないところを姿を消して飛んでいた。


何年か父の絵を辿り、近づいている実感があったある日、父の絵をまとめて何枚か売っている画商がいた。


その画商に娘である事を話すと、彼に聞いてみると言ってくれた。


数日待ち、画商は父の居場所を教えてくれた。

滅びた黒の街にアトリエを構えており、そこなら雨が降ろうとも、もう人に迷惑が掛からないから、との事だった。


父のアトリエは滅んだ街の中に入ってすぐの所で、何も知らないと悪魔でも住んでいるのではと思うような外観だった。


真っ黒でボロボロなのに何故か荘厳。


そんな中へ入って行くと、真っ白なキャンバスを黒く染めている男が居た。


「今回は早いね。

まだ貴方に渡せるほど作品数はないよ。


ま、暇なら見て行ってもいいさ。


あ、丁度いいや。

あそこに立て掛けてある絵の額装、どんなのが良いかな。


一緒に考えてくれよ。

僕を手伝ってくれないか?」


ルージュは思い出した。


前にもこんなやり取りがあった事を。


父の部屋やアトリエに勝手に入った時も、こちらを見ずに自分だと気がついて話かけて来てくれる事が良くあった。


こちらを見ることはないが、邪険に扱う事もなく、こうやって絵の額装を聞いて来るのだ。


「…お父さん。」


少し震えてから、ゆっくりと振り返った男は、真っ黒な部屋にいたとは思えない程小綺麗だった。

間違いない。

間違いなく父のヴァロである。


「…お父さん。」


驚く顔をした男は、キャンバスへ顔を戻し、小さな声で話し出した。


「…ルージュかい?」


「うん。

おばあちゃんに助けられて、生きていたの。」


「…母さんが。

そうか。

ずいぶんお前を探したんだけど、見つからなくてね。


…母さんは、よく、して、くれたかい?」


「うん。

仲良くしてるよ。

今も手紙を出したりしてるの。


絵葉書が好きみたいでね、そこにある地域の景色なんかが描いてあるのを選ぶと、喜んでくれるんだ。


お父さんは元気だった?」


「…。


うん。


元気だった。

なんか、不思議なほどね。

…お母さんが近くにいるような気がして、なんか自暴自棄になりきれなかったのさ。」


父の握る黒い筆は、赤い毛先をしながら、絵の具もなにも付けずとも、黒い色を吐き出している。


「…会いたかったよ、おばあちゃんも会いたがってる。」


「…そうかい?

正直、お母さんにはあんまり良い思い出はないんだけどなぁ。

だけど、筆をくれた事は本当に嬉しかったよ。


あの時失ってしまったけど、もしかしたら母さんが持っているかも知れないって、そんな気がしてるんだ。


…今となれば、あの兵器工場の様な村を追い出したことは愛だと分かるけどね。」


「うん。

おばあちゃんも言ってた。」


「僕も、あいたかった。」


ルージュはそれから返事のないヴァロの服の裾を掴むと、ヴァロが泣いている事に気がついた。

再会の喜びもあるだろう。


キャンバスを見ると、黒い色の中に、真新しい赤色が挿されていた。


懐かしい、母の色だった。



「そうなの。

なんか、良かったわね。

娘さんが生きていて。」


リリアンは思い出す様に上を向き、本をポンポンと叩くと本棚へと戻した。


「そうですね。

お陰で私もこの本を残す事ができましたし、これも一つ役に立った事もありますしね。


ルージュも素敵な女性でしたよ。

ほら、あそこの上の方、修理した後があるの見えます?」


ロウディアが上を向くと、確かにそこだけレンガの色味が微妙に違うし、本棚の木の感じも微妙に違うのが分かった。


「あっはっは。

あそこから落ちてきたんですよ。


なんか、空を飛んでる時に突風に吹かれてね、砂漠の真ん中だからあんまり集中していなかったんですって。


それで、図書館にぶち当たってここにやって来たんですよ。」


おっちょこちょいなところもあるのね、と思ったが、ロウディアはそれを口に出さなかった。


自分も大した違いがない状況でここに運ばれているので、それに触れるのは恥ずかしい。


「ルージュさんが、本を残したのね。

じゃあ、ここに書いてある、著者のヴァロラブリーデリって言うのは…。」


「そうです。

著者はルージュ・ヴァロラブリーデリ。


タイトルは、ヴァロ・ヴァロラブリーデリって訳です。


どうでした?

初めての本は。」


「私は面白いと思ったわよ。


悲しいところもあったけど、それも含めて。

でも、わからない事が増えたわね。」


「何です?

ルージュの話をなるべく分かりやすく記したと思うんですけど…。」


「この話、相当昔よね。

なんせ、紙が使われているもの。

私が知る限り、200年は禁止されているのよ、紙の製造も、使用も。


そうでしょ?

魔女とはいえ、そんな何百年も生きられるものなの?


それとも、貴方の歳は見た目通りじゃないって言うの?」


リリアンはいつもの様に薄い笑みを掲げながら、静かに言った。


「昔から若見えする方でしてね。」

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