第9話 ヴァロラブリーデリ 黒の街


戦争は国を疲弊させた。


まず、死者が多く出た事が挙げられる。

兵士だけではなく、大規模攻撃を撃ち込まれた街が、王都を中心に周辺都市はかなりの打撃を受けた。


ヴァロラブリーデリの説明をする本著なので、それを中心にすると、結果的に彼が住む街は破壊し尽くされた。


牧歌的な街で、兵士も犯罪を取り締まる部門しか居らず、防衛を考える必要もなかった地域なので、攻撃には脆かった。


人口はそこそこ多いが、戦闘に大きく関わる産業があったわけでは無い。


一体何故、王都の都市で3番目と言う早いタイミングで攻撃されたのか。


その理由は意外なものだが、ヴァロが後に自分の身を纏う狂気の一つになり得るものだろう。



ヴァロは絵を描いていた。


クリムの死を知ってから、落ち込んでいるが気が昂っており、それをぶつける場所が絵だった。


彼は絵描きなのだ。

追悼と反戦と鎮魂全てを込めて絵を描いていた。


キャンバスはいつもの様に赤くエモーショナルなものでは無く、黒を基調とした暗く重い画風だった。


幸せな雰囲気を感じるような、赤の時代はこの時終わった。


雨が降る街の、アトリエがわりに使用している宿屋の一室に、1人の女性が訪ねてきた。


若い女性で、宿屋の夫婦は始めて会ったが、ヴァロの部屋に案内するのを躊躇うことは無かった。


彼女は、彼によく似ていた。

夫婦はその女性を、いつまでも若見えする彼の姉か妹かと思ったくらいだ。


あまり人が訪ねてくる事のないこの部屋に響くノックに、ヴァロは反応しなかった。


単純に集中して聞こえていなかった。


ドアを開けて彼女の目に映ったものは、魔力の奔流だった。


普通の人間にはわからないかもしれないが、彼女には分かった。

間違いなく我が子で、その子が魔法使いとしての才能を炸裂させている事が。

村にいた頃は分からなかったが、魔法の才能があったらしい。

産まれること自体かなり珍しい魔女の男は、魔力を持たない。


ヴァロは1000人に1人しか産まれないと言われる魔女の男の中でも、珍しい歴史上2人目の魔法使いだった。


「ヴァロ、久しぶり。

悪いけど、急ぐの。


それを辞めて話を聞いて頂戴。」


ヴァロはようやく部屋に人がいる事に気がつき、筆を止めた。


「…母さん?」


それは約15年ぶりの再会だった。



「魔女の村が無くなった。」


それは少し前、まだクリムが出兵する前に聞いた話だ。


普段魔女は村からあまり出ない。


兵器として出兵することはあるが、ほぼ全員村にいる事が多い。


外にいる魔女は王城で訓練に参加しているのが殆どで、そこへ派遣される彼女は当代随一の戦闘力を誇る、魔女が選ばれる。


3年に一度入れ替わり、戻った魔女は村の指導者となり、戦術のフィードバックを行う。


数少ない村の男衆の一つが、城へ派遣された彼女らの伴侶がいる。


単純にその際に恋愛関係になり、結婚してついてくる事もあれば、家の強化に推される事もあるが、今回の伴侶はスパイだった。


もしかしたら、ただ強さの秘密を探る為に近づいただけかもしれない。


もしかしたら、ただ彼女と気が合い、愛しあったのかもしれない。


しかし結果的に、その魔女は国を裏切った。


指導者は最新兵器として、戦闘で使われる戦術の解説とともに、村との取引先としても扱われる。


彼女は村に、夫の息の掛かった、スパイ仲間を村へ引き込んだ。

例えば、出入りの服飾職人や行商人、様々な形で入り込み、状況としてはいつでも400人規模の村など破壊できる工作も済んでいた。


彼女が戻り2年半ほど経ったある日、指導者として村人を集めて、彼女は語った。


この国の腐敗と、他国の素晴らしさを。


当然反発もあり、村が3つに分かれた。


保守派と、革新派。


そして中立。


保守派は、自身の兵器としての責任を説いた。

世界のバランスが崩れることを危惧していた。


革新派は、自身の兵器としての役割を説いた。

世界のバランスを、自分達で取るべく学ぶべきとした。


中立派は、両方の架け橋をしていたが、最終的にどちらかの勢力に飲み込まれた。


話し合いは平行線を辿り、現在の指導者が帰ってくる日まであと数日となったタイミングで、革新派が戦闘を開始した。


スパイらが準備を万端にしていたので、一方的で、翌朝になる迄に制圧が完了していた。


魔女達は気がついていなかったが、スパイの伴侶は最新の指導者の帰還を危惧していたのだ。

現在村で説いて周った言説の矛盾を突かれるのを避けたかったので、このタイミングに決行する事になった。


勝利した革新派の魔女は他国に飲み込まれた。


何故そんなことになったのか。

魔女は感情のない兵器ではない。


1人の男を愛する女だった。


城に派遣されていた何も知らない魔女が村に帰った時、村は無くなっていた。


その魔女が城へ報告をして事態がようやく露見して、騒ぎになる。


そうして両国は戦争状態へ移行した。


後に、恋愛戦争と名付けられるその戦争の始まりは、この様な流れだ。


150人ほどの魔女が他国に流れ、王国に残った魔女は城に居たたった1人。


彼女は、負ける事を確信すると、何年も前に突き放してしまった息子を思い出した。


村の事を考えて、兵器としての魔女を考えて、敢えて他所へやった、愛する息子。


彼女はどうしても会いたくなり、行方を眩ませて、息子へ会いに行った。


そう、魔女は感情のない兵器ではないのだから。



「早くこの街から逃げてほしい。」


久しぶりに会う母の台詞は、成熟した精神を持つ様になったヴァロにも呑み込めるものではなかった。


聞けば、魔女の村は単純に壊滅したわけでは無く、裏切った魔女が他国についた事が原因との事だった。


「母さん、こちらには何人の魔女が残っていますか?」


「私だけ、だから確実に勝てないわ。

どうしても貴方だけでも生きて欲しくて、抜け出して来たの。

私は、兵器としての責任があるから、直ぐに戻るけれど、ここは戦闘になる。


魔女の村から、王都までの通り道だから、絶対。


向こうはまだこちらが気がついているのが分かっていない。


既に取っているし立地のいい魔女の村に陣立てそこからも攻めてくると思う。


通り道のここは確実に巻き込まれる。」


ヴァロは魔女の威力を知っているし、それが相手についた事の厄介さを理解しているので、頷いた。


しかし、家族を残して行くわけにはいかない。


「母さん、申し訳ないけど、直ぐに動くわけにはいかないんだ。

なるべく早く逃げたいし、母さんを疑っている訳じゃないけど、僕にも理由がある。」


「ダメ、時間がないの。

今、直ぐでなくちゃ、戦争が始まってしまうの。」


「なら、僕は残る!」


その言葉に息子の成長に涙が出そうになった。

村では虐げられかけていた我が子。


あの時突き放して良かった。

そう思った。


しかし、最期になるだろうが、自分が息子を守らない選択肢はない。


彼女は魔法を発動して、ヴァロを眠らせた。


彼女は知らなかった。

彼に家族が、妻子がいる事を。

彼にも守るものができたことを。


考えすらしなかった。

魔女の村の特異な環境で育った保守的な彼女が、政治的な意味や、繁殖以外で伴侶を見つける発想を持たないからだ。


そのまま息子を担いで、姿を消して森の奥にある、あらかじめ準備を整えた洞に彼を置いて行くと、戦場へ向かった。


洞にはその他の画材も運び出しておいた。

アトリエにある大体のものを魔法で運び入れた。


村を出る際に渡した筆は、その時彼女が持って行った。

修理を重ねてまだ使っていた事が嬉しかった。


自分はこの後死ぬ。

ならば、自分の物を、かわいい我が子の元に遺さない方がいいと思った。



明け方、街は火に包まれた。


裏切った魔女達の日の魔法が降り注ぎ、なす術なく、街を守る人達は倒れて行った。


昼頃には兵士が雪崩れ込み、占領状態と言っていい状態となった。


フェリノはヴァロの行方が分からなくなり、ずっと探していたが、アトリエが空になっていた事で、心が折れた。


最近兄を亡くし心が弱っていたのもあるだろう。


そんな事はないと否定したい気持ちもある。

しかし、現実、捨てられたと思った。


丘に戻り茫然として、避難などもせず、家にいた。

その様子をみたルージュが寄り添っていたが、母の気力が戻る事はなく、そのまま雪崩れ込んで来た兵士に一家は殺された。


街外れの丘は、陣立てるのに都合がいい場所だった。

ただ、それだけだった。


騒乱の日の夕方、ヴァロは目を覚ました。

魔女は2日程眠り続ける魔法をかけたが、ヴァロの才能は半日ほどで抵抗することに成功した。


理解が出来ない状況に、少し呆けたが、直ぐに母の話を思い出し、洞を飛び出して街へ走った。


森を抜けた先で見た光景は、赤く光る街。


丘の家へ走る。


せめて、妻子が生きてくれている事を願っていたが、辿り着いたヴァロが見たものは、燃え落ちた家と、飼っていた羊を食糧として解体している兵士達だった。


その光景はヴァロの目には、羊ではなく、愛する家族の姿に見えた。


暗いので、ヴァロは兵士達に気づかれては居なかった。


燃え落ちた家へ入り込み、もしかしたら生きているかもしれない妻子を探した。


フェリノの部屋があったあたりで瓦礫の下に腕が見えた。

掘り出して、妻の死を確認した彼から、魔力が吹き出した。


意思とは別に辺りを巻き込みながら竜巻が舞う。

燃え残った種火が再燃して火災旋風が起きる。


ヴァロを中心に発生した炎の竜巻は丘の上の全てを燃やし尽くしていく。


彼の家を壊したもの達も、ただ任務に邁進した兵士も、生き残った羊も、建てられた陣も、赤い絵の具を作っていた小屋も。


全てを家より黒い灰にした。


丘の上が更地になってもまだヴァロの怒りは収まらず、普段歩き回る家の中が徐々に捲れていった。


家は全て浮き上がり、1箇所に集まって行った。


ルージュもフェリノも、彼女の両親も、クリムの妻子も巻き込みながら凝縮されていく。


最初は丸い、真っ黒なものが浮いていたが、徐々に細くなっていき、最終的に筆になった。


シンプルな黒い軸は彼が母に貰った筆によく似ていて、毛先は、彼の妻子を思い出す赤毛をしていた。


それを掴み、真っ黒な丘の上で、灰を集めて、それらを持って洞へ戻ると、頭に浮かぶ街の風景を絵にし始めた。


猫と船があった港。


フェリノの絵の具を買ったあとも、色々とお世話になった画材屋。


何故かいつの間にか話しかけられる様になった市場。


娼婦を描いた娼館、フラワーローズ。


アトリエとして使わせて貰っていた、ヴァロラブリーデリにとっての実家の様な宿屋。


丘の上の家。


フェリノの工房。


フェリノと、ルージュの姿。



その日、侵略された街に大雨が降った。

手を伸ばすと、その手の先が霞む程の豪雨だった。


魔女達は、魔法だと言っていた。

しかし、信じられないとも。


天候を操るなど神の御業だ。

普通の人からみて、魔女の魔法は正しくそう見えていたが、彼女らに言わせると、これは格が違うとの事だった。


雨は戦火を消し去り、兵士達が予定していた更に進軍して当たる予定だった王都への裏をついた攻撃も不可能になった。


その雨は、7日間降り注いだ。


その街に遺る全てのものは、雨に消えて行って、止んで直ぐに兵士達は自国へ帰還した。


魔女達が騒いだのもある。

神と見紛う大魔法使いがいる、と。


王都は予定より時間は掛かったが、陥落した。

魔女が裏切って起こった戦力の差が、裏どりの戦術を防いだとて関係がないほど大きかった。


この頃のヴァロラブリーデリの行方はわからない。

少なくともこの7日間は街の絵を描いていたと思われるが、そこから暫く、一年程は彼がどうしていたのかを辿る術がない。


本人に聞いた者もいるが、唯一見つからなかった娘を探していただけ、との事だった。

本人も自失で、どこをどう探したのかの記憶がはっきりしないとの事だった。


一年程探して諦めた彼が次にどうしたか。


ここから狂気の画家、ヴァロラブリーデリの作品として有名な黒の街が始まる。


黒の街は、絵の作品ではない。

彼の行動の結果だ。



隣国の侵略も落ち着き、平和が戻った隣国に、ある時から雨が降り始めた。


始めはだれも気にしなかった。

今年は長雨ね、などと話していたのだが、徐々に様子が変わっていく。


雨が止まない。

1週間経ち、1ヶ月経ち、ずっと同じ様にシトシトと雨が降り続けていた。


国の王は魔女に相談したが、こんな現象を起こす事は不可能だと言う。

魔女が言うには、天候を操るなど、人間には不可能で、そんなことは神にしか出来ないと。


しかし魔女の中で、王国の裏取りをしに行った一行から、丘の街での出来事が話された。


直ぐ目の先も見えない豪雨が7日続いたと。


火の魔法が使われた後に、よく雨が降ることは彼女らの間では有名だ。

しかし、あんなに降った事はないと言う。


魔女達は不思議な術を使う。

なので、神霊を重んじる。


彼女らは慄いた。

なにか、自分達が村の掟を破り裏切った為に、起こしてはいけないものを起こしてしまったのではないかと思った。


調査は続くが、原因が分からないまま雨は降り続けた。

何故か降った雨は当たった物を濡らしては行くが、水が溜まる事はなく、それでも降り続けた。

それも魔法の雨である事を証明していた。


3ヶ月が経つ頃、国には病が流行した。

家屋は湿気り、カビが繁殖し気管支に重い症状をもたらした。


別の事も危惧された。


暗い空は植物を育む事もなく、食糧難が危惧された。

枯れていく畑を農家の人達は見ていることしかできないし、家畜も濡れた地面に耐えられず、弱っていった。


1年も経つと国の人口は3分の1程まで減り、機能不全を起こしていた。


他国へ脱出したり、病で亡くなったりでどんどんと人がいなくなっていった。


王も逃げ出そうとしたことがあるが、王族と魔女が外に出ようとする時だけ、シトシトとした雨は戦火を消した時の豪雨の様に変わり、彼らを逃さなかった。


5年ほど降り続いた雨は、ある日突然止んだ。


最後の王族と、魔女が殺し合いの末、共に亡くなったその日に。


街は雨の影響か、誰もいなくなった頃、真っ黒に染まっていた。


それは、まるで家と家族を燃やされた、ヴァロラブリーデリの怒りを表した様だった。


それからその街は黒の街と呼ばれるようになる。


後年、画家として再評価されるヴァロラブリーデリがその原因となっていた事が分かるが、それを恨みに思う人間は1人もこの世に残って居なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る