第8話 ヴァロラブリーデリ 赤の時代と原点


早くに結婚した、ヴァロラブリーデリの幸せな期間を赤の時代とする事が多い。


妻のフェリノが作るシープベリーと呼ばれる花を使った、後にソルフェリーノと呼ばれる特徴的なピンクがかった赤は、画集の表紙に使われる程認知されている、彼の色となっている。


初期は特徴的な赤のモチーフを必要としていたが、市場を描いた「喧騒」あたりから、場のエネルギーをありありと表現するかの様に全体が赤い構成も増えてきていた。


その中で異質な絵が2つある。

前項で記した、赤と白の2輪が小さく描かれた、ミニマルなもの。


もう一つ、そちらは連作で、その絵は1人の人を描いたものだが、この辺りのエモーショナルでエネルギーに満ちた物とは違い、静かな、しかし強い感情に溢れている。



「ほら、これも持っていきな。

そろそろだろう?


タオルなんていくらあったっていいんだ。

…なんか私らの方が張り切ってしまっているね。


あっはっは!」


フェリノと結婚して数年たち、画家としても食うには困らない程になり、それでもヴァロは宿屋の一室をずっと借りていた。


一度作品に取り掛かると社会性が死に、生活能力が無くなるし、なんとなく薄っすら人の話し声が聞こえている方が集中できるタイプなので、そこをアトリエとしていた。


フェリノはちょくちょく来て片付けて行ったり、話をして行ったりしているし、ヴァロはヴァロで、丘の上の家に部屋をもらい、絵にのめり込んでいる時以外はそちらで過ごしている。


最初はフェリノの両親はその生活スタイルに余り理解を示していなかったが、何ヶ月か経って2人が幸せそうだし、フェリノも絵の具の改良や、新色の研究をしてダメダメになる事が多かったので、この2人はこれでいいのかもと、今は思っている。


なんだかんだと2人で色々なところへ出掛けているようだし、お土産のセンスはないが、必ず買ってきてくれる。


穏やかで、少し卑屈なところがあるが優しい彼は上手く受け入れられたと言っていいだろう。


ここ数日、ヴァロは絵を一切描いていなかった。


両親は仕事なんだから、描いていて構わないと言ってくれたが、ヴァロが手につかず、ずっとお腹の大きくなったフェリノの近くで、お腹に耳を当てたり、子供が産まれる準備をしたり、この街に来てから彼の親代わりと言っていい宿屋の夫婦に子供が出来たらやるべき事を聞きに行ったりしている。


子供が産まれるのだ。


自分の出生もあるので、妊娠が発覚した時は凄く不安な気持ちになったが、周りが皆んな大喜びで、おじさんも親父さんもベロベロになって踊り狂い、羊に埋もれて眠る程だったので、なんかヴァロも釣られて嬉しくなり、今はただただ楽しみにしている。


フェリノと話してはいるが、夫婦で秘密にしている不安もある。


ヴァロの魔女の血だ。


ヴァロがフェリノ以外の絵の具を使って絵を描くと雨が降るのは、おそらく魔法だ。


キチンと学んでいないので、半端に発動しているのだろうという結論に落ち着いた。


それすらも誰かに聞いて確認した訳ではなく、多分そうなのだろうということと、文献に残った野良魔女の魔法が近いような現象を起こしていたので、恐らくそうだろうと言う事だ。


「ヴァロの雨を降らせるって魔法、規模で言えばかなり大きいから、もし魔法を学んでいたらすっごく有名な魔法使いになれたかもね。」


フェリノはそう言ってくれたが、ヴァロ自身は、漏れでた魔法が危ない物ではなくて本当に良かったと思っていた。


今が幸せなのだ。


文献には野良魔女が料理をすると、火が爆発的に大きくなったり、水に触ると尖りながら凍ったりする様な危険な物も沢山あったのだ。


我が子にそんな事が起こらなければいいね、と夫婦で話していた。

平和な今、彼か彼女か今は分からないが、危ない目にあって欲しくはなかった。


女将さんに貰った大量のタオルを丘の上の家に運んで、一枚ずつたたみ直していると、家の中が騒がしい。


早足でフェリノの部屋へ行くと、産気づいたフェリノがいた。


以前のヴァロなら自分を見失う程慌てたに違いない。

しかし、この数年で随分落ち着いた物だ。

ギリギリ自我を保ったまま大慌てで義母を呼びに行った。


「義母さん!

あ、フェリノ、フェリノが、フェリノ!」


「あらぁ、そろそろだと思ったけど、今日来たのね。

じゃあ私はフェリノに付くから、ヴァロちゃんは産婆さん呼んで来てね。

お父さんはお湯を沸かしておいて。

後で必要になるからたくさんね。


はい!動く動く。


いってらっしゃい。」


こんな時に母の強さを感じたヴァロは、小走りで産婆さんの家へ向かう途中に、自分の母親も、僕が産まれる前はこんな感じだったのだろうかと考えていた。


ちょっとだけ、今の幸せな様子を見せたいと思った。



男どもが義母と産婆と女将さんの操り人形となって無心で働いている間に、いつの間にか我が子は誕生していた。


その瞬間ヴァロは義父と親父さんと3人でタライのお湯を運んでいる最中で、基礎体力のない中の重労働で、なにも考える事が出来ない程酸欠状態だったので、赤ん坊の鳴き声が薄ら聞こえた時にも、喜ぶということと産まれたという事がはっきり繋がらず、泣きながら抱き合うおっさんを見ながら呆然としていた。


皆に促されてフェリノと会い、その腕の中の小さな生き物を見た時に、ようやく自分の事だと理解して、力が抜けて、涙が出てきた。


「すごいな、フェリノは。

僕がいくら頑張ったって生き物は生めないんだから。

これよりすごい絵を描ける事はないんだろうね。」


とても画家らしい情緒がやや欠けている感想だったが、フェリノの手を握って、顔はぐちゃぐちゃで、彼がこの子の誕生を喜んで居ないと感じるものは居なかった。


「お父さんになって、最初の仕事よ。

この子の名前、考えてあるかしら。」


赤色を作る母親と赤色を使う父親から産まれた赤ん坊は、産まれたてということもあり、とても「赤」かったので、今まで色々考えていた名前なんて全部吹き飛び、ルージュという名前が与えられた。


元気な、女の子だ。



生後数日しても魔法の兆候はなく、とりあえず無差別に撒き散らす魔法では無さそうだし、もしかしたら魔法を持っていないかもしれない。


ヴァロは一安心した。


聞いた話の中に、産まれた直後にその子を中心に竜巻が起きて、一つの村が壊滅するなんて事もあったらしい。


今腕の中にいる我が子は、むにゃむにゃと何かを言いながら難しい顔で眠っているだけだ。


「あら、寝顔がパパそっくりね。

難しい顔して寝るのよ、あなたも。

知らなかったでしょ。」


「そうなんだ。

自分の寝顔はわからないものなぁ。


ルージュ。

君は寝相はいいだろうか、僕は静かに寝る方だけど、ママはよく動くタイプなんだ。」


それに応えるように、腕の中でワキワキと動いてる愛娘。


「ダメみたいだ。

寝相は君似だね。」


「そう。

いい運動になって、良いんじゃないかしら。」


真顔でそう言う彼女に何度掛けものを奪われたり、ベッドから蹴落とされたものか。


でも、なんでも良いか。

健やかそうによく動く。


ルージュをフェリノに預けて、椅子に座りスケッチを始める。

ここから毎年恒例になっていく、ルージュの誕生日付近で描かれる絵の、初めの一枚だ。


これはルージュが14歳になる迄毎年続けられることとなる。


始めは母の腕の中で、自分で立てるようになる頃に膝の上へ。

そばに立ち、椅子に座ったフェリノとルージュの高さが同じくらいになる頃、ルージュは10歳で、フェリノは36歳、ヴァロは31歳になっていた。


この頃ようやく、ヴァロはもう一つの魔女の血を感じ始めていた。


魔力が何かはよく分かってはいないが、それを紡ぐ濃い血族を魔女と呼んでいた。

男が産まれることは珍しく、全体の0.1%程度。


ヴァロの気質で、種馬になれないとヴァロは感じていたが、実際は血が濃くなり過ぎるのを防ぐために魔女と魔女の男との交わりは禁止されていた。


特徴は、彼女らが使う強力な術や、知識。

先に記した女のみの集団。

整った顔立ちと、はっきり黒い髪の毛。


そして、長寿。


ヴァロの見た目は20歳頃から変化しておらず、村で見た魔女の特徴を携えていることを、鏡を見る度に突きつけられた。



ある日ヴァロが自室で絵の仕上げをして、額装の構想を紙に描いていると、急にドアが開いた。


10歳になったばかりのルージュ以外は、無遠慮にドアを開けることなどしないので、そっちを見ないでもルージュだと思い、声を掛けるが帰ってこない。


「ルージュ?

まぁ、ちょうどいいや。

この絵には、どんな額が合うと思う?

パパを手伝ってくれないか?」


そう言いながら振り向くと、筋骨隆々な男が立っていた。


「あ、いや、すまない。

怪しい物ではないのだ。


俺は、あの、この部屋の元の主というか…。


フェリノの!

兄だ!」


大きな身体を小さくしながら話す彼はどこか愛する妻に似ていた。


「ええ、お聞きしています。

お帰りなさい、クリムさん。


お部屋、頂いてしまいました。」


手を差し出すと、大きな両手で掴み、ぶんぶんと振られた。


あぁ、この人も赤色の人だなぁと思った。

この家の人は皆、赤色だ。


「俺も手紙で聞いていたよ。

ヴァロ、よろしくな!


フェリノと仲良くしてくれてありがとう。

俺も会いたかった。」


クリムの帰宅は家族を明るくした。

性格がカラッとしてよく働く事もあるが、彼にも妻と娘がおり、フェリノやルージュと年齢も近いので気が合うようで、5人で過ごしていた家が、8人になり明るくなった。


クリムはよそ者であるヴァロにも優しく、兵士と絵描きという全く違う世界を持つもの同士だったが、尊重しあって仲良く過ごす事が出来た。


1ヶ月ほどが経ち、子供たちが寝静まった後に、クリムが


「大事な話をしたい。」


と言った。


大人がリビングに集まると、少し緊張したクリムが話し始めた。


「妻と娘をここで預かって欲しい。


俺は一時帰省という、長期間働いた褒美で貰ったが、そろそろ戻らなくてはならない。


王都は今、少し慌しい。


隣国との小競り合いは今まで何度もあったが、今回は話が違いそうだ。


我が国の強みは魔女という、戦闘民族がいる事、それを補助する兵士がそれに特化している事だが、最近急速に魔女が討ち取られている。


知っているかは分からないが、魔女は女しか居ないから、旅の男や、街の男をを誘い子を成しているのだが、そこに暗殺者が混じって居たらしい。


魔女の村もガタガタだ。


今は全員城で匿っているが、村はもう壊滅したと言って良い。」


…村がもうない?


気がつくとフェリノが僕の袖を握って居た。

フェリノを見ると心配そうにこちらを見ていた。


「大丈夫。

思ったよりショックじゃない。


クリムさん。

俺は魔女の子です。

だから尚更信じられない…。

あの人達が負けるなんて…。」


クリムは少し驚いたが、兵士は魔女に慣れているので、強力なユニットだという以外の偏見がなかった。


「そうか…。

珍しいな、男の魔女は。


大変だったろう。


いや、それより、家族が心配かもしれんな。

大丈夫か?」


「男の魔女は居ないものとして扱われるので、村への思い入れがあまりなく…なので、ありがとう、大丈夫です。」


「あぁ、そうか…。


…それでな、数人が他人のフリをして潜り込み、一気に火をつけて、その混乱に乗じて大暴れしたらしい。


魔女の数は俺たちが把握している限り3割ほどまで数を減らしている。


つまり…大きな戦争が、もう始まっている。

しかも大分不利な形で始まってしまった。」


皆、静かに聞いていた。

兵士であるクリムは警告と、家族を避難させる為に帰って来ていたのだ。

ささやかな平穏も望んで。


「すまないが、妻子を頼む。


ここは田舎だから戦火に飲まれないかもしれない。

少なくとも王都よりは確実にそうだ。


親父、お袋、フェリノ、ヴァロ。

頼む。」


皆でクリムの王都行きを止めたが、無理だった。


現代でいう、警察のような役割もこなしていた兵士の仕事。


平和が続いていたので、義母も義父も、そして同じく今頃この話を息子から聞いているだろう、宿屋の夫婦も、こんな事が起きるなら我が子を兵士になんてさせるんじゃ無かったと思っているだろう。


クリムは明日の朝には出発するという。


ヴァロは伝統的な御守りの図案に羊を足して、フェリノの絵の具で描いて、クリムが居る寝室へ行った。


しかしそこにはクリムは居らず、寝息を立てる彼の妻子が居るだけだった。


なんとなく外へ出ると、月明かりの下でクリムが切り株に座っていた。


「…見つかってしまったな。

いや、覚悟をしていたのだが、実家に帰ってくると、やはり気が重くなるな。


ヴァロも呑むぞ。


男同士で呑む機会は結局作れなかったからな。」


クリムの座る切り株の横の大きな石に腰掛けて、酒を煽り、ヴァロは御守りを差し出した。


「これ、御守りです。

ほら、僕、魔女の子だから普通のものより効果あるかと思って。

それに、フェリノの絵の具を使っているから、貴方を守ってくれるはずだ。」


クリムは一口酒を呑むと、笑顔で受け取ってくれた。


「ありがとな。

確かによく効きそうだ。


ん?

もう一つは?」


「あぁ、宿屋の親父さんと女将さんに、とてもお世話になっていて、出来れば息子さんにも渡して欲しいなって。」


「あぁ、頼まれた。

ウチは羊で、アイツはベッドか。

家業の意匠だな。


…小さい頃からつるんでいて、なんの疑問も無かったが、改めて図案でみると、なんとも良く眠れそうな2人組だな。


ははは。」


たしかに。

羊と寝具だ。


「クリムさん、気をつけて。」


「ああ、ヴァロ、ヴァロラブリーデリ。

妻子と、家族、姪っ子を頼んだ。」


そうして翌朝出発した、クリムは戦場へ行った。


彼の戦死が報されるまで、たったの2ヶ月しかなかった。



ヴァロラブリーデリの妻、フェリノの兄、クリムの死からの連作


「再生」


それは赤を使用せず、黒を基調としたモノトーンの画風が特徴で、戦争への怒りがありありと描かれている。


唯一連作の3枚目にのみ、ソルフェリーノを使用した兵士が描かれているが、彼がクリムだと言う見方が強い。


合計5作のこれらの作品は、戦争の愚かさを後に伝える教材として、王立美術館に寄贈されているので、諸君もそこで見る事ができる。


赤の時代の後に来る、狂気の画家ヴァロラブリーデリを有名にした、黒の時代。


その幕開けとして語られる事も多いこの作品群を自身は気に入ってはいなかった様だ。


「この時、始めて気がついたんですよ。

今まで真っ黒なんて使った事なかったから、ほら、丁度フェリノの絵の具の逆、真っ黒で絵を塗ると、雨が強まるんです。


少しだけ、気分が晴れました。

これが全部洗い流してくれたらと。


でも、ダメでしたね。」


それでも、私は傑作と評する事とする。

狂気の画家、彼が狂気を宿した原点として。

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