第7話 ヴァロラブリーデリ 喧騒と二つの花


ヴァロは何も手につかなくなっていた。


どうしよう、どうしようと思いながら、もう三日もキャンバスの前に立っていない。

これは彼が物心ついてからの最長日数かも知れない。


食事にも集中せず何かを考えながら唸っているヴァロを見て、女将さんはイライラしていたらしく、ついに我慢の限界がやってきた。


「シャキッとしな!男らしくないね!」


そんな檄を飛ばされてもちょっと無理だ。


そもそもシャキッとなんて人生で一度もした事がないのに、こんな気持ちの時にそんなこと言われても困ってしまう。


目下の悩みは、心当たりが一つもないが、どうやらフェリノが怒っているという事だ。


いつも絵の具を買いに行く時は少し長話をしてしまったり、一緒に花蜜のお茶を飲んだりしていたのに、ドレスの依頼をしてからというものの、何やらそっけない。


もしかすると、代金を催促されているのかと思って、銀貨を少しずつ渡そうとしても受け取っては貰えない。


自分一人では解決できないかもしれない。

今までであれば、ただ諦めてフェリノの元へは通わなくなっていただろう。


しかし今のヴァロには一つだけこうしてみようかな、流石芸術家とでもというべき画期的なアイディアが生まれていた。


「…相談、してみよう、かな。」


…女将さんには…違う気がするな。


誰かに相談はしたいけれど、女将さんは違うと思う。

なにが違うのかは分からないけど、違う事だけはは分かる。

話は聞いてくれるだろうだけど…。


そうだ、親父さんに相談したいな。

でも今は洗い物をしているし、忙しいかもしれない。

食堂に座って、チラチラと親父さんの様子を窺うが、今じゃない方がいいかもしれない、後の方がいいかもしれない、とモジモジモジモジしていると、女将さんに親父さんと共に宿から追い出された。


「ウジウジウジウジと!


全く!女々しいったらないね!


ヴァロ、男らしくないよ。

ねえ、そんなに要らないならさ、ちょんぎるよ。」


人差し指と中指をチョキチョキしている女将さんを見て、ヴァロと親父さんは青ざめていた。


親父さんが近所のまだ開いていない酒場へ連れて行ってくれた。

親父さんの馴染みの店らしく、そこでゆっくりと話そうという訳だ。


「ほら、乾杯だ。

…それでどうしたんだ、最近。


かーちゃんじゃないけどよ、あんまりウジウジしてるのはカッコ悪いぞ?」


フェリノの様子がおかしい。

怒らせたのかもしれないが、そうなった理由が分からない。

思い当たることが一つもないので、ドレスの作製依頼辺りからの事を親父さんに全部話した。


「はぁーん、クリムの妹も素直じゃねぇなぁ。


…ヴァロ、お前は別に悪くねぇと思うぜ。

勝手に告白だと勘違いして、勝手に怒ってるだけだ。


ほっとけ。」


…うーん。

それでいいのだろうか。

勝手に怒ったと言っても、怒らせた事は変わらないのに。


カウンターの向こうでグラスを磨きながら静かに聞いていた、酒場のマスターが静かに口を開いた。


「坊主、ガサツなこいつの言うことはな、聞くな。」


「なっ!お前!俺は繊細なタイプだ!」


「いいか、坊主。


大事なのは、お前がどう思っているかだ。

困っているんだろ?

こんな、ガサツな親父に相談しなければならない程に。


なににだ?お前の心は何に困っているんだ。」


何に…?


絵の具が買えなくなることだろうか。


それは大丈夫だ。

画材屋さんに多めに取り寄せて貰えばいい。

会わないでいようと思えば、そう出来るはずなのだ。


何だろう。

何に困っているのだろう。


「…フェリノと話せなくなるのは…嫌だ。」


ぽろっと自分の口から出た言葉に自分で驚いた。


「なら、動け。

少なくとも詫びてぇなら自分から動くべきだろう。」


確かにそうだ。

なんだったっけ、プレゼントの色って…。

お礼は黄色い袋だったはずだ。


「そうです。


黄色い袋、買ってくるよ。

中は何を、入れるとか、決まっているの?」


娼館で確か聞いた、日頃のお礼には黄色い袋だ。


「…黄色なのか?

ん、あぁ、いや、日頃のお礼だからなぁ。


決まってないんだ。

相手の好きそうなものを入れることが多いぞ。」


「俺はかーちゃんに、いっつもでっかい甘いものを入れてるぜ。」


そうか、フェリノの好きそうな物か、自分で考えなきゃな。


「ありがとう、親父さん、マスター。

早速買いに行くよ。」


店を飛び出るヴァロを見送った2人は無言でグラスを合わせた。


「なんだありゃ、初恋か?」


「うん、そうだと思うぜ。

地元にあんまりいい思い出がないらしいからな…。


はは、楽しそうでなによりだ。」


「それにしてもお前、よく結婚出来たな。」


「あ…?俺ぁな、恋愛マスターだぞ?

コツはな、決して諦めないことさ。」


「ははは、違ぇねぇな。」



意気揚々と市場へ出かけたヴァロは、世の中にはこんなにも商品があるのかと思った。


自分が必要なものといえば画材と食べ物くらいなもので、擦り切れたりした際に服を買い足すくらいでだった。


なのでこういう時に何を買っていいか分からなかった。


親父さんの言う通り、黄色い袋に甘いものでも入れたらいいのだろうか…。


とりあえず道具屋で黄色い袋だけは買った。


けれども甘いものは最終手段として残し、自分でこれというものを選ぼうと思った。


吟味しながら市場を二周したあたりでベンチに座り途方に暮れて頭を抱えていた。


黄色い袋を持って市場をずっとウロウロしているヴァロを、店員たちは心の中で応援していた。


「あの子、アレだよな。」


「そうね、アレよね。

なら、貴方の屋台も私のところもダメね。」


「ああ、ヒゲ爺さんのところの可愛い感じの布なんかを選んで欲しいな。」


「きゃー!そんなの見たら堪らないわ!」


屋台には、たまにこんな感じの男の子や女の子が来る事がある。


アレ、つまりは、恋をしてしまったのだろう。

初恋かもしれない。

自覚はないのかもしれない。


そんな想像をしながら、態度には一切出さない様に応援している。

わたわたと迷う様子は微笑ましい。

なるべく見ていることが伝わらない様にじっくりと観察していた。


「あら、絵描きさんじゃない。

あらあら?


…黄色い袋を買ったのね、恋人かしら。」


まちかどのモデルになってくれたお姉さんだ。

自分のモデルになってくれたことで、ヴァロはなんとなく心を許している。

どんな物がいいか相談しようと彼女の手を取り、ベンチまで引っ張って行く。


市場の心の声はその様子を見て一つになった。


「その人は無理よ。」


明らかに慣れてない青年には荷が重そうな夜の香りのする女は、青年の隣に腰掛け、なにやら話を聞いている。


皆んなが皆んな耳を傾けているので、いつもは活気に満ちた市場が静まり返っていた。


「ふぅん。


あの赤いドレスを染めてくれた娘がいたのね。

それでなんでか分からないけど怒らせてしまったと。


…子鹿ちゃん、あなた…。

まぁいいわ。

それで、子鹿ちゃんはどうしたいの。

どんな気持ちを伝えたいの?」


「まだ分からないんだけど、もう話せなくなるのは嫌なんだ。」


「うふふ、そう!そうなのね!


それじゃあ…その娘の部屋に飾ってあった物とかないの?」


「クマちゃんがあったな…。


なんか、部屋が染料の材料で可愛くないのを気にしてたから…。


そうだ、さっき見たお店にウサギがいた!

それにするよ!


ありがとう!」


そう言うとヴァロは立ち上がり走り去って行った。


残された娼婦は背伸びをして、ヴァロが走り去った方をみて微笑んでいた。


「上手く行くかね。」


屋台のおばちゃんが娼婦に話しかけた。


「さぁ?

ダメなら、私が慰めてあげようかしら。

それが仕事だもの。」


「あっはっは。

そうしてやんな。


それにしても、可愛らしいもんだね。

思い出しちゃったよ。

自分の初恋を。」


おばちゃんは売り物のコーヒーを娼婦に渡して乾杯をした。

砂糖やミルクの入れていないそのままのはずだが、なんだか甘く感じた。


ウサギのぬいぐるみを買って黄色い袋に入れ、もう一度お礼を言おうとベンチへ戻ると、娼婦はもういなかった。


まだ辺りにいないかキョロキョロしていると、屋台のおばちゃんに話しかけられた。


「伝言があるよ。

深呼吸、落ち着けってさ。」


…落ち着け、か。

確かにここ数日ずっと心が焦っていたかもしれない。


おばちゃんからコーヒーを買ってベンチに座り、一口飲むとやっと視界が開けた。


あ、今日はなんだか赤い気がする。


いつもはそんな事を感じない市場だが、今日は赤い。


ヴァロはいつも持っている小さめのキャンバスにスケッチを始めた。

落ち着かない様子でヴァロを見守っていた人たちは、そんな事をしていないで早く持って行けと思っている。


大急ぎでスケッチを描き、宿へと戻って行ったヴァロを市場の人達は初めて認識した。


その後、宿屋の女将さんにあの子はどうなったとちょくちょく人が訊ねるようになった。


放っておきな、なんて言うタイプじゃない女将さんは話してしまうので、市場の人達はヴァロを応援するようになっていった。


部屋で赤い市場の絵を小さいキャンバスに描き、裏に「喧騒」とタイトルをつけた。


買ったぬいぐるみのウサギの横に絵を立てて、久しぶりにゆっくりと眠れた次の日に、フェリノに会いに行く事にした。


黄色い袋と


部屋を出ると女将さんに捕まり、親父さんに返却した整髪料で髪を整えられて送り出された。



フェリノの家の前に立つと緊張してきたが、ちょっとワクワクもしていた。


トントンとノックをすると扉が開き、中からフェリノのお父さんが出てきた。


「お?ヴァロじゃないか。

いらっしゃい。


…それ、フェリノにかい?


おいおい、どっちだ?

黄色い袋か、赤い絵か、どっちがメインだ?」


「え…?

黄色い袋です。

この前仕事を依頼して大成功だったから、そのお礼も兼ねて。


中身は…内緒の方がいいかもしれないけど、ウサギのぬいぐるみです。


部屋が可愛くないって気にしていたから…。」


質問の意図が分からず、素直返したヴァロ。

おじさんの後ろから見ていたフェリノのお母さんは、何故か頭を抱えていた。


「そうかそうか、お礼な!

あっはっは!

フェリノを呼んでくるよ。」


閉じかけのドアから、おじさんがおばさんに脇腹を殴られているのが見えた。


フェリノが出て来て顔を見ると、色々言おうと思ったことが、一つも出てこなくなってしまった。


「…それ、今度は私にくれるのよね。」


「…うん。

開けてみて。」


「あは、ウサちゃんね。

…工房へ行きましょう。

早く友達を紹介したいわ。」


工房はやはり独特な香りだが、何度か訪ねているので、今はもう、逆に安らぐ。


クマの横にウサギを並べたフェリノは、2匹の間に市場の絵を置き、椅子に座った。


「これ、どっちがメインなの。」


またそれか。

どっちがメインってなんなんだ。


「あの、さっきおじさんにも聞かれたけど、普段のお礼だと、どっちなの。」


「黄色の袋の方ね。」


「絵だと、どういう意味になるの。」


「…ほんとに知らなかったのね。」


「ドレスは、絵のモデルになってくれた人に着て欲しかったんだ。

君の、その、絵の具をね、どうしても使いたくて。」


「そう。

ヴァロ、プレゼントの色についてなんて教わったの?」


「黄色い袋は日頃の感謝。

青い布は奥さんへの感謝。

赤い服は、愛の告白。

白い花はプロポーズ。」


フェリノは少し考えて、やっと合点がいったようだ。


「あのね、プレゼントの意味は色だけでいいのよ。

例えで物をくっつけて教えてくれたんだと思うわ、その人。」


そうだったのか。

じゃあ、赤い絵は、愛の告白で、白い服はプロポーズだったんだ。


僕は知らずにプロポーズしていたのか。


「白いドレスを赤く、私の染料で染めるなんて、なんてドラマチックなんだろうって思ったの。


1人で舞いあがっちゃって、勝手に怒って…。

ごめんね。


でも、なんだかすごく嬉しかったのよ。」


確かにドラマチックだ。

それは流石に僕でもわかる。


「だから、もう、怒ってはいないわ。」


ヴァロはフェリノの手を掴むと工房の外へ出て、イーゼルを立てた。


「見てて。」


困惑するフェリノをヨソにヴァロは工房の隅に咲いた白い花を描き始めた。


「僕は、多分呪われているんだ。

世界に嫌われていると思って生きて来た。」


滑らかに動く筆と似つかわしくないセリフだ。


「絵を描く事は、気がついた時にはもう好きだったから、いつからとかは分からないけど、生まれた時から好きなんだと思う。


でも、ほら、見て。」


雨が降って来ていた。


「僕が絵を描くと雨が降るんだ。

理由はわからない。


だから、なんというか、人と一緒に生きていくなんて事を考えてことがなくて。


でも、フェリノの絵の具を使うと、何故か雨が止む。


これを見つけた時、どれだけ僕の心は救われたか、君に分かるかな。」


不思議な光景だ。


キャンバスに雨は当たっていない。

でも、花も、工房も、ヴァロも私もずぶ濡れになっている。


ヴァロが描くとそうなるからなんだというのだろう。

2人ともずぶ濡れなのに。


フェリノは無言で工房に入ると、すぐに絵の具を持って出てきた。


チューブから直接キャンバスに色を乗せると、そのまま指で伸ばしても、雨は止まない。


「知らなかった。

貸して、僕が塗らなきゃダメなのか。」


ヴァロはフェリノがのせた赤色を使って白い花の隣に赤い花を描いた。


すると、みるみるうちに雨は止み始め、まるで初めから降っていなかったかのように、太陽が刺してきた。


「本当だ。

すごいね、ヴァロ。」


ヴァロは頬を掻いている。

顔色が悪い。

真っ青だ。


言うんじゃなかったと言う気持ちもある。


それどころではない、たった今気がついた事もある。


「…望んでこうなっているわけじゃない。

気持ち悪いでしょ?」


顔を見る事が出来ないが、横に立ったまま腕を組んでいるフェリノが見える。


「それで、その絵は、私にくれるの?」


「今気がついた。


…君が好きだ。


でも、ほら、僕はこんなんだから、また、旅に出ることにするよ。」


「違うわ、ヴァロ。

絵を頂けるのかと、聞いているの。」


ヴァロはイーゼルから絵を取ると、フェリノへと手渡した。


「愛してる、フェリノ。」


「ええ、お受けいたします。

ヴァロ。


バカね。

私の絵の具で雨が止むなら、それでいいじゃない。」


確かに、それでいいかもしれない。

空には虹が掛かっていた。



後年、ヴァロラブリーデリの作と認められた二つの紅白の花が描かれた小さな絵は、彼の妻フェリノが所有していたと見られている。


簡素な絵に素朴な額装がされたその絵は、現在、フェリノの眠る墓地の管理室に飾られている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る