第7話 ヴァロラブリーデリ 喧騒と二つの花
ヴァロは大慌てだ。
もう、どうしよう、どうしようと3日も筆が手に付かない程で、ただ頭を抱えるばかりだ。
「シャキッとしな!
男らしくないね!」
そんな檄を飛ばされても、ちょっと無理だ。
シャキッとなんて人生で一度もした事がないし、今回はもしかしたら自分が他人を傷つけてしまったのかもしれないのだから。
…女将さん、は違うな。
相談はしたいけれど、なんか女将さんは違う。
なにが、と言われれば分からないけど、違うのはわかる。
…親父さんに相談してみようかな。
洗い物が終わったっぽいタイミングで、話しかけてみようかな。
チラチラと親父さんの様子を窺うが、忙しいかもしれない、今じゃなくていいかもしれない、後の方がいいかもしれない、とモジモジしていた。
そうして話しかけられないまま、次の日になり、また次の日、また次の日になった辺りで、女将さんに親父さんと共に宿から追い出された。
「ウジウジウジウジと!
女々しいったらないね。
ヴァロ、男らしくないよ!
そんなに要らないなら、ちょんぎるよ。」
と人差し指と中指をチョキチョキしていた。
親父さんに連れられて、近所のまだ開いていない酒場へ行き、馴染みらしく、そこで話をさせて貰えることになった。
「…それで、どうしたんだ。
かーちゃんじゃないけど、あんまりウジウジしてるのはカッコ悪いぞ?」
自分でもわかっているがどうしようもない。
フェリノを傷つけてしまったようで、絵の具を買いに行ってもなんだか冷たい。
銀貨1000枚の支払いもなんだかんだと理由をつけて受け取ってくれない。
思い当たることが一つもないので、様子がおかしくなった、ドレスの作製依頼辺りからの事を親父さんに全部話した。
「はぁーん。
クリムの妹も素直じゃねぇなぁ。
…ヴァロ、お前は別に悪くねぇと思うぜ。
勝手に告白だと勘違いして、勝手に怒ってるだけだ。
ほっとけ。」
…うーん。
そういうものだろうか。
ずっとグラスを磨きながら静かにしていた店のマスターが静かに口を開いた。
「ガサツなこいつの言うことはな、聞くな。」
「なっ!
お前!
俺は繊細なタイプだ!」
「いいか、ヴァロ。
大事なのは、お前がどう思っているかだ。
なんで、困っているんだ?
さっき言っていたろう?
困ったって。
なんでだ?
お前の心は何に困っている。」
何に…?
絵の具が買えなくなること?
それは大丈夫だ。
画材屋さんに多めに取り寄せて貰えばいい。
なんでだ?
「…フェリノと話せなくなるのは…嫌だ。」
ぽろっと口から出た言葉は自分でも意外だった。
「なら、動け。
少なくとも、詫びてぇなら自分から動くべきだろ。」
確かにそうだ。
なんだったっけ、プレゼントの色って…。
お礼は黄色い袋だったはずだ。
「ありがとう。
黄色い袋、買ってくるよ。
中は何を入れるとか決まっているの?」
「…黄色?
ん、あぁ、いや、日頃のお礼だからな、決まってない。
相手の好きそうなものを入れることが多いぞ。」
「俺はかーちゃんには、いっつもでっかい甘いものを入れてるぜ!」
そうか、フェリノの好きそうな物か。
自分で考えなきゃな。
「ありがとう、早速買いに行くよ。」
店を飛び出るヴァロを見送った2人は無言でグラスを合わせた。
「なんだありゃ、初恋か?」
「そうだと思うぜ。
地元にあんまりいい思い出がないらしいからな。
楽しそうでなによりだ。」
「それにしてもお前、よく結婚出来たな。」
「あ?
俺ぁ恋愛マスターだぞ?
コツはな、諦めねぇことだ。」
「ははっ。
違ぇねぇ。」
◆
意気揚々と市場へ出かけたヴァロは、世の中にはこんなにも商品があるのかと思った。
自分が必要なものといえば、画材と食べ物くらいで、擦り切れたりした際に服を買い足すくらいで、こういう時に何を買っていいかさっぱり分からなかった。
親父さんの言う通り、黄色い袋に甘いものでも入れたらいいのだろうか…。
とりあえず道具屋で黄色い袋だけは買った。
けれども、なんか甘いものは最終手段として残し、自分でこれというものを選ぼうと思った。
市場を2周したあたりでベンチに座り、途方に暮れていた。
黄色い袋を持って市場をずっとウロウロしているヴァロを、店員たちは心の中で応援していた。
心の声はハモり、変なものを買おうとするとそっと、違うものに誘導していた。
「初恋だ!」
わたわたと迷う青年に頑張れと思いながら、なるべく見ないように、気にしないふりをしていた。
「あら、絵描きさんじゃない。
…黄色い袋買ったのね。
あら、恋人?」
まちかどのモデルになってくれたお姉さんだ。
自分のモデルになってくれたことで、ヴァロはなんとなく心を許している。
手を挙げて挨拶をして、相談しようと思った。
市場の心の声はもう一度ハモった。
「その人は無理よ。」
明らかに慣れてない青年には荷が重そうな夜の香りのする女は、青年の隣に腰掛け、なにやら話を聞いている。
皆んなが皆んな耳を傾けているので、いつもは活気に満ちた市場が静まり返っていた。
「ふーん。
あの赤いドレスを染めてくれた娘がいたのね。
そんで、その時、なんでか分からないけど怒らせてしまったと。
…あんた、それ…。
いや、それで、あんたはどうしたいのよ。」
「分からないんだけど、もう話せなくなるのは嫌なんだ。」
「あはは。
そう。
そうなの。
その娘の部屋に飾ってあった物とかないの?
それが好きかもしれないわよ。」
「クマちゃんがあった!
なんか、部屋が染料の材料で可愛くないのを気にしてたから…。
そうか!
ありがとう!
さっき見たお店にウサギがいたなぁ。
それにするよ!」
そう言うとヴァロは立ち上がり走り去って行った。
残されは娼婦は背伸びをして、ヴァロが走り去った方をみて微笑んでいた。
「上手く行くかね。」
近くの屋台のおばちゃんが話しかけてきた。
「さぁ?
ダメなら、私が慰めてあげようかしら。
それが仕事だもの。」
「あっはっは。
そうしてやんな。
それにしても、可愛らしいもんだね。
思い出しちゃったよ。
自分の初恋を。」
おばちゃんは売り物のコーヒーを娼婦に渡して乾杯をした。
ブラックのはずが、甘く感じた。
◆
ウサギのぬいぐるみを買って袋に入れ、お礼を言おうとベンチへ戻ると、娼婦はもういなかった。
そこにはカップが残されていて
「深呼吸」
と描いてあった。
「落ち着けってことさ。」
と屋台のおばちゃんに言われた。
ここ数日ずっと心が焦っていたかもしれない。
ベンチに座りコーヒーを買って、一口飲むと、やっと視界が開けた。
あ、今日はなんだか赤い気がする。
いつもはそんな事を感じない市場だが、今日は赤い。
ヴァロはいつも持っている小さめのキャンバスにスケッチを始めた。
落ち着かない様子でヴァロを見守っていた人たちは、こんな事していないで早く持って行けと思っていた。
大急ぎでスケッチを描き、宿へと戻って行ったヴァロを市場の人達は初めて認識した。
その後、宿屋の女将さんにあの子はどうなったとちょくちょく人が訊ねるようになった。
放っておきな、なんて言うタイプじゃない女将さんは話してしまうので、市場の人達はヴァロを応援するようになっていった。
部屋で赤い市場の絵を完成させて、裏に「喧騒」とタイトルをつけた。
ウサギに持たせて久しぶりにゆっくりと眠れた次の日に、フェリノに会いに行く事にした。
部屋を出ると女将さんに捕まり、親父さんの整髪料で髪を整えられて送り出された。
家の前に立つと緊張してきたが、ちょっとワクワクもしていた。
トントンとノックをすると、扉が開き、中からフェリノのお父さんが出てきた。
「お?
ヴァロ。
いらっしゃい。
…それ、フェリノにかい?
おい、どっちだ?
黄色い袋か、赤い絵か、どっちがメインだ?」
「え…?
黄色い袋です。
この前仕事を依頼して大成功だったから、そのお礼も兼ねて。
中身は…内緒の方がいいかもしれないけど、ウサギのぬいぐるみです。
部屋が可愛くないって気にしていたから…。」
質問の意図が分からず、素直返したヴァロ。
おじさんの後ろから見ていたフェリノのお母さんは、何故か頭を抱えていた。
「そうかそうか、お礼な!
あっはっは!
フェリノを呼んでくるよ。」
閉じかけのドアから、おじさんがおばさんに脇腹を殴られているのが見えた。
◆
フェリノが出て来て顔を見ると、色々言おうと思ったことが、一つも出てこなくなってしまった。
「…それ、今度は私にくれるのよね。」
「…うん。
開けてみて。」
「あは、ウサちゃんね。
…工房へ行きましょう。
早く友達を紹介したいわ。」
工房はやはり独特な香りだが、何度か訪ねているので、今はもう、逆に安らぐ。
クマの横にウサギを並べたフェリノは、2匹の間に市場の絵を置き、椅子に座った。
「これ、どっちがメインなの。」
またそれか。
どっちがメインってなんなんだ。
「あの、さっきおじさんにも聞かれたけど、普段のお礼だと、どっちなの。」
「黄色の袋の方ね。」
「絵だと、どういう意味になるの。」
「…ほんとに知らなかったのね。」
「ドレスは、絵のモデルになってくれた人に着て欲しかったんだ。
君の、その、どうしても絵の具を使いたくて。」
「そう。
ヴァロ、プレゼントの色についてなんて教わったの?」
「黄色い袋は日頃の感謝。
青い布は奥さんへの感謝。
赤い服は、愛の告白。
白い花はプロポーズ。」
フェリノは少し考えて、やっと合点がいったようだ。
「あのね、プレゼントの意味は色だけでいいのよ。
例えで物をくっつけて教えてくれたんだと思うわ、その人。」
そうだったのか。
じゃあ、赤い絵は、愛の告白で、白い服はプロポーズだったんだ。
僕は知らずにプロポーズしていたのか。
「白いドレスを赤く、私の染料で染めるなんて、なんてドラマチックなんだろうって思ったの。
1人で舞いあがっちゃって、勝手に怒って…。
ごめんね。
でも、なんだかすごく嬉しかったのよ。」
確かにドラマチックだ。
流石に僕でもわかる。
「だから、もう、怒ってはいないわ。」
ヴァロはフェリノの手を掴むと工房の外へ出て、イーゼルを立てた。
「見てて。」
困惑するフェリノをヨソにヴァロは工房の隅に咲いた白い花を描き始めた。
「僕は、多分呪われているんだ。
世界に嫌われていると思って生きて来た。」
滑らかに動く筆と似つかわしくないセリフだ。
「絵を描く事は、気がついた時にはもう好きだったから、いつからとかは分からないけど、生まれた時から好きなんだと思う。
でも、ほら、見て。」
雨が降って来ていた。
「僕が絵を描くと雨が降るんだ。
理由はわからない。
だから、なんというか、人と一緒に生きていくなんて事を考えてことがなくて。
でも、フェリノの絵の具を使うと、何故か雨が止む。
これを見つけた時、どれだけ僕の心は救われたか、君に分かるかな。」
不思議な光景だ。
キャンバスに雨は当たっていない。
でも、花も、工房も、ヴァロも私もずぶ濡れになっている。
ヴァロが描くとそうなるからなんだというのだろう。
2人ともずぶ濡れなのに。
フェリノは無言で工房に入ると、すぐに絵の具を持って出てきた。
チューブから直接キャンバスに色を乗せると、そのまま指で伸ばしても、雨は止まない。
「知らなかった。
貸して、僕が塗らなきゃダメなのか。」
ヴァロはフェリノがのせた赤色を使って白い花の隣に赤い花を描いた。
すると、みるみるうちに雨は止み始め、まるで初めから降っていなかったかのように、太陽が刺してきた。
「本当だ。
すごいね、ヴァロ。」
ヴァロは頬を掻いている。
顔色が悪い。
真っ青だ。
言うんじゃなかったと言う気持ちもある。
それどころではない、たった今気がついた事もある。
「…望んでこうなっているわけじゃない。
気持ち悪いでしょ?」
「それで、その絵は、私にくれるの?」
「今気がついた。
…君が好きだ。
でも、ほら、僕はこんなんだから、また、旅に出ることにするよ。」
「違うわ、ヴァロ。
絵を頂けるのかと、聞いているの。」
ヴァロはイーゼルから絵を取ると、フェリノへと手渡した。
「愛してる、フェリノ。」
「ええ、お受けいたします。
ヴァロ。
バカね。
私の絵の具で雨が止むなら、それでいいじゃない。」
確かに、それでいいかもしれない。
空には虹が掛かっていた。
◆
後年、ヴァロラブリーデリの作と認められた二つの紅白の花が描かれた小さな絵は、彼の妻フェリノが所有していたと見られている。
簡素な絵に素朴な額装がされたその絵は、現在、フェリノの眠る墓地の管理室に飾られている。
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