第6話 ヴァロラブリーデリ まちかど

フェリノのとの出会いを経て、心配ない量の赤い絵の具を仕入れたヴァロは赤い物を探して街を

彷徨っていた。


赤くないものを赤く描いても良い。

やや赤いものを過剰に赤くしたって結構。


しかし、赤とは生命の色だ。

力強い、パワーの色だ。


呪われて不幸で穏やかな風景ばっかり描き、食事も肉より野菜な草食系絵描きは、モチーフの選定に困っていた。


描きたいものは山ほどある。

だけど、フェリノの赤を使ってまで表現するのに適していると思えない。


適していそうな相手には、声を掛けられない部分もある。


草食系絵描きには赤を背負う人間は強すぎて、ふぇ、と、ふぁ、しか喋れなくなるのだ。


「まぁ、無理しても仕方ないか。」


そうしてイーゼルを建てたのは、周りに誰もいない奥まった路地の古びたレンガの建物で、築何年なんてどうでもいいほどの風格があり、大通りに面していないが、それでも堂々としていた。


僕もこうなりたいものだね。


そんな気持ちで下書きの鉛筆を走らせていた。


建物は看板もなく、一体なんの為のものかさっぱり分からないが、カッコいい。

もし個人の家で怒られたら謝ろう。

シャカシャカと無心に描いていたが、画角に変化があった。


人が通っても、気にはならない。

動物が通っても同様だが、上から二つ目、一番右の窓から人がこちらを見ている。


すごく気になる。


ヴァロは前髪が目にかかるほど長いので、目が合ったことはバレていないと思うが、あんなにジッと見られると覗きでもしている気分になって気まずい。


粗方下書きは書いてしまって居るから、もうお暇してもいいのだが、彼女が気になって来た。


建物が似合うような、似合わないような、馴染んでいるような、反発しているような。


描き足してしまおうかと思ったが、窓から覗く彼女をこの建物に足すのはなんか違う気がした。


何度か描いては消してしていると、上から声を掛けられた。


「もう少し夜になってからおいで。」


驚いて顔を上げるとひらひらと白い手が振られていた。

ヴァロはすごく恥ずかしくなって、筆を片して去る事にした。


「…しまった…。」


ヴァロは年頃だが、免疫がない。

草食系絵描きは草食系男子で、心も体も肉を欲していない。


そこは娼館だった。



宿に戻ると、暇を持て余した「お淑やか」な女将さんが手招きしているのを避けて、部屋に戻ろうとしたが、無駄だ。


どうやったのかは分からないが肩を掴まれたと思って、気がつくと椅子に座っていた。


「今度はなにを描いて来たんだい?

…あら、フラワーローズじゃないか。

アンタも男の子だからね、私は解ってあげるけど、フェリノに見せたらダメだよ。


おやおや?

窓のところ…!

描いたり消したりしてるね。


かわいい娘でもいたかい?

手を振られて、今夜来てねなんて言われたんだろう!


あっはっは。


ちょっとこっち来な!

カッコよくしてやるから。」


怯えた目で親父さんを見たが、どうしても目が合わなかった。


「ここに座って大人しくしな!

動くと耳が落ちるよ!」


完全に人質になった気分だ。

「お淑やか」な山賊は、銀色のハサミで無遠慮に髪を切り落としていく。

拘りが合ったわけではないが、長めだった黒髪は落ちている量を見る限り、かなり切られている。

村では女ばかりなので、短くする事は無かったし、今までも目が隠れる程度が心地良かったので、初めてかもしれない。


「そら、男前になったよ!

アンタ!

アンタの整髪料貸しな!


もう色気付く必要なんてないんだから、この子にやっていいね。」


そっと両手を差し出した親父さんは反論する事なく、瓶を渡した。

身だしなみより、平和を取ったのだろう。

後で内緒で返しておこう。

落ち込んだ気分で作る、夜ご飯の味も落ちかねない。


「じゃあ行ってらっしゃい。


フェリノには内緒にしておいてやるからさ。」


そういって僕は宿を叩き出された。

…困った…。


本当に困ったぞ。

友達など居ないし、他に宿を取るのも大変だ。

幸い帰って来たままの荷物なので画材はある。

何処か人気のないところで絵を描いて過ごそうか…。


街が赤から青に変わる頃、人気のない場所へ向かって歩き出したヴァロだが、昼に賑わう場所と夜に賑わう場所が違うという事を理解していなかった。


いつもは閑散としている裏路地は人で溢れ、なんとなくの人波に流されて運ばれるままだった。


浮かんだ樽より容易く流されたヴァロは上の方を見て、覚えのある道を見つけた。


あの角を入ると公園があったはず!

そこに避難できれば、息が出来る!


「すいません、すいません、あの、そっちの公園へ行きたいんです。」


やっと出したか細い声に反応した隣のおっちゃんは、ヴァロを見てニヤッと笑い、親指を立てると、


「ごめんよ!

通してやんな!


大切な用があるんだってよ!」


と、大きな声で人よけをしてくれた。


「張り切るんだぜ!」


とまた人波に消えていったおっちゃんにお礼を言おうと思ったが、やめた。


いつも閑静で色を塗るのに丁度いい公園は、色を買うのに丁度いい公園へと変貌を遂げていた。


そりゃ張り切るんだぜって言うわけだ。


じっとりとした視線を分けて公園を通り抜けようとしたヴァロは1人の娼婦で立ち止まってしまった。


「あら、子鹿ちゃん、本当に来てくれたのね。

いいわ、おいで。

髪まで切って気合いを入れて来てくれたのだもの、たっぷりサービスしてあげる。」


窓から出していた白い腕を絡ませて耳元で囁く狼を振り解く術など、子鹿ちゃんは持っていない。


あれよあれよという間に壮健な建物の中の薄暗い、彼女が乗り出していたであろう部屋へ通された。


ベッドに座らされたヴァロの横に腰掛けながら外套を脱ぎ、シャツの中に白い手を入れてくる。


彼が出来た唯一の抵抗は、悲鳴を上げる事だけだった。



「なによ、キャーって。

失礼ね。

こういう所初めて?

もしかして、どういう所かも知らなかったの?」


こくこくと頷く真っ赤な顔で、全てを察した彼女は、なんか楽しくなって来た。


「外で絵を描いていたわよね。

あんな所で描いているから、とんだスケベかと思ったら、真面目な絵描きさんだったなんて。


いや、まだわからないわね。

初めての後から、とんだスケベになる人も居るもの。」


ヴァロは呑まれていたが、勇気を振り絞って絵を取り出した。


「あ、あ、あの、ここの建物が格好良くて描いて居ただけなんです…。

それで、窓から、貴女が出て来て、なんか、似合うような、そうでも無いような、そんな気がして、描くか迷っていたんです。

ほら、消したり、描いたりしてるでしょ?」


彼女は一度立ち上がり、棚から2人分の酒をグラスへ注ぎ一つを渡して、もう一つから呑むと、もう一度ヴァロの隣で絵をじっと観ていた。


「なるほどね。

似合うわけ無いわ。


私たちは夜にしか飛べないもの。

こんな明るい、青空の下に、合うわけ無いわ。


ボウヤ、建物を描くなら夜に描きなさいな。

そうしたら似合って差し上げるわ。


今日はもう帰りなさい、お酒はサービスにしといてあげる。

それとも、もっと私と居る?

触ってみてもいいのよ。

それも絵のためでしょう。」


ヴァロは首を振り立ち上がると、もう一度娼婦を見た。


…何しにここに来たんだっけ。

そうだ!

赤い絵をのモチーフを探しに来たんだった。


赤いじゃないか。

この人はこんなにも赤い。

似合うだろうなぁ。


「お姉さん、一晩幾らなの。」


彼女は少し驚いた後、薄っすら笑い、3つ指を立てた。


「銀貨3枚。

なに?買ってくれるのかしら。」


ヴァロはカバンから銀貨3枚を出して手渡した。


「1週間後、それで貴女の一晩を下さい。」


彼女はヴァロの首に腕を巻き、キスをした後に、いいわよ、と言った。



興奮しながら宿屋へ戻って行ったヴァロは、女将さんに見つかって、


「あら、口紅なんて付けて。

…それにしては早いね。


まぁ、初めてならそんなもんか。」


と言われて背中をバシっと叩かれた。


その日の夕飯は何故かデザートが付いていた。


次の日に、風景画をなんとか2枚売り、その足で服屋へ行って、シンプルな白いドレスと、白いリボンを買った。


そのまま丘の上へ行き、フェリノに仕事を依頼する。


「このドレスと、リボン。

フェリノの色に染めて欲しいんだけど。」


「えっ!

いいの?

嬉しいわ!

ヴァロ、本当に?」


喜んでくれて良かったな。

仕事を依頼されるって嬉しいし、それが知りあいなら尚更だ。


コクっと頷いたヴァロを抱きしめると、フェリノは工房へ引っ張っていき、染め方の説明をすると、3日後に来てねと言った。


3日後に戻ると、何故かフェリノがドレスを着ており、工房の赤と混じりまるでこの部屋の妖精の様だった。

やはり赤いドレスはとても良いものに見える。


「綺麗だ。

やっぱり、思った通りだ。」


「えへへ、ありがとう。」


顔まで赤く染まったフェリノはまたヴァロを抱きしめる。


「それでいくらかな、金額の話を、しなかったから。」


「…え?」


「え?」


フェリノは奥に引っ込み着替えて、ドレスをヴァロに渡した。

心なしか元気が無くなった気がする。


「…銀貨100枚。」


「え…。

高い!


でも、そうか、必ず払うよ。

少しづつになるかもしれないけれど、必ず。」


フェリノの目を見て真剣な顔で話すヴァロに返って来た返事は、強烈なビンタだった。


釈然としない思いを持ちながら、宿屋へ帰ると、女将さんが頬を赤くしたヴァロと手に持ったドレスを見て、無言で抱きしめて来た。


頬をビンタされて傷ついた心に染みる。

何故されたのかはわからないけれど。


その日の夕食も何故かデザートが付いていた。



約束の日。

あの日から1週間後、再びヴァロは娼館に来ていた。


予約がきちんと通っており、魔女の村でも浮かないであろう老婆に案内されて、あの部屋へと戻って来た。


「いらっしゃい絵描きさん。

それで、1週間なぜ待たされたのかしら。」


相変わらず妖艶な薄い笑みを浮かべる彼女にヴァロは袋を手渡した。


「なに…?

…真っ赤なドレス。


あなた、見かけによらず情熱的なのね。」


彼女は目の前で、今まで唯一着ていた、紺色のドレスをしゅるしゅると脱ぐと、少し笑って、


「せっかく脱いだのに、また着るのなんて初めてだわ。」


と言った。


ヴァロは女性を前に興奮していた。


赤いドレスを纏うのを待ち、立ち上がって彼女に近づき、椅子に座らせる。


「うごかないでね。」


そういうと持って来た櫛で髪をとかし始めた。


サラサラという音に、彼女の方が恥ずかしくなって来て、後ろに立つヴァロのシャツを後ろ手に掴んだ。


ヴァロは慣れた手つきで赤いリボンを髪に編み込みながらアレンジしていく。


一本はサイドに編み込む様に、一本は大きく纏めた髪をサイドに合流する様に編んでいった。


「慣れているのね。

この間はボウヤかと思ったんだけど。」


「あぁ、生まれたところは女の人が多くてね。

沢山練習させられたんだ。

あまり褒められる事はなかったけど、手先は器用な方だから、こういうのは得意で。」


ヴァロは鏡を手渡すと、彼女色々な角度を写し、笑顔を見せた。


「そ、それで、あの、…いいかな。」


彼女は立ち上がり、ヴァロの足の間に自分の足を入れた。


「ええ。

これで貴方のモノよ。

好きにして。」


ヴァロは優しく抱き寄せながらゆっくりとベッドへ座らせると、少し離れた位置にイーゼルを置き始めた。


「え?」


「え?」


「あの…え?」


「うん、絵。」


「いや、違うわよ。

赤いドレスを贈るのって…。

貴方もしかして知らないの?」


「え?」


彼女はゆっくり息を吸い、部屋に行き渡るほどのため息を吐いた。


「あのね、贈り物って意味があるの。

青い布は奥さんへの労いとか、黄色い袋は日頃の感謝とかね。


はぁ、あのね、赤と白だけで良いから覚えておきなさい。

白い花はプロポーズの花。

わかった?

赤い服は告白の証。

貴方を自分のものにしたいってそういう意味になるの。」


「えー!」


「もう!

はぁ、いいわ。

貴方は全部が絵描きなのね。

ほらほら、手を動かしなさい。

朝までに終わらないわよ。


あ、一つアイディアがあるんだけど良い?」


彼女は明かりの代わりのキャンドルを消すと、ベッドへ戻って行った。


「どう?

今日は晴れていたし、この時間は月明かりが部屋に入るの。」


ヴァロは興奮しながら鉛筆を動かす。


「綺麗だ。」


その様子を見て、彼女はいつもの妖艶な笑みではなく、困った様に笑った。



「まちかど」に描かれた赤いドレスの女性を、ヴァロラブリーデリの初恋とする事が多い。


当時の風潮で赤い衣服を贈ることはそういう意味があったからだ。


月明かりで優しく笑う彼女は、後々の伴侶として知られるフェリノと違う女性だという事はハッキリしている。

髪の色や、特徴が全く異なるのだ。


「最愛」の初心な雰囲気とはまた違ったこの作品に、賛否はあるが、名画という評価は変わらない。


最愛の持つ雰囲気と一途性。

それと反する様なこの絵を仕方ない事だと思うか、裏切りと捉えるかは、オーディエンス次第なのだ。


しかし、歴史には残らない。


ヴァロラブリーデリが、フェリノにこの後、黄色い贈り物をして、赤い贈り物をして、それから追い詰められた彼が真っ青な顔をしながら白い花を送ったことを。

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