第5話 ヴァロラブリーデリ 青春期の終わり頃


先にも記したが、ヴァロラブリーデリの残した絵画に人物画は極めて少ない。

特に青春期と称される十代後半から二十歳過ぎまでの絵に関しては顕著である。


正式な題は不明だが、伝わり聞く宿屋の夫婦を描いたもの。

港の漁師を描いたもの。

この佳作の2作は、本人達を目の前にして描いた訳ではないと言われているが今となっては不明となっている。


そして有名な「まちかど」


発見されたのはたった3作品で、どれも高値で取引されているが、研究家やコレクターの中では、おそらくもっとあったのだろうが、戦禍で焼けてしまったのではないかと言われている。



ヴァロは止まらなくなってしまった。


赤い絵の具を気に入ったこと、ここから見える樫の木の下で丘の絵を描いたこと、おじさんに声を掛けてもらったこと、樫の木の葉っぱに山ほど毛虫が付いていて、今日改めて見た時に気がついて、背筋が凍ったこと。


今までで最高な絵を描けたこと。


宿屋の女将さんに絵を見せたらどうかと提案されたこと、前に書いた猫の事が今更ながら気になってしかたがないこと、犬に朝食べながら来たピタサンドのタレをベチャベチャに舐められたこと、今まで困っていたことが、赤い絵の具を使うと怒らなかったこと。


今、初めて会ったのに、絵の具のことをたくさん考えたからか、初めてあった気がしないこと。


恐らく14年間居た村の誰よりも、もう沢山喋り掛けた気がする。


「…絵の具のお客さん?

お父さんのお客さん?


それとも、私を口説きに来たの?」


くど…?


「分からないんだ。

なんか、なんだか、すごい絵が描けた気がして、絵の具のお陰な気がして、家を飛び出てしまったから。」


浮かれた熱が下がっていくと、その分ヴァロはどんどん恥ずかしくなって来た。


「あっはっは。

貴方が分からないなら、私もわからないわ。


おいで、こっちで絵の具を作っているの。

前に山羊も飼っていたんだけど、今は辞めちゃって、そこを改装して使っているのよ。」


ワシっと腕を掴まれ、引っ張られながら立て掛けた絵を回収してついて行く。


「お、おかしいな、女将さんは引っ込み思案な子って言ってたのに…。」


「えー!?

そんなこと言われたことないよ。

他になんか言ってた?

かわいいとか、美しいとか、花が咲いているようだとか!」


…生まれて初めて頑張ってお世辞を言おうと思ったが、何ひとつ浮かんで来なかった。

聞いていた話と違うし、想像して心構えをしていた架空の女の子とのギャップが大きくて、その段差をまだよじ登れていなかった。


「あ、あの、あっと…。

あ!」


「なになに?」


「…いや、あれは別の人か。」


「えー!

なんかあったでしょ。

なんかあって欲しい、流石に!」


普段絵の具を最後まで使い切る派のヴァロもここまで搾り出したことは無いんじゃないだろうか、と言う程考えてようやく思い出した、いい子って言っていたということは、無理矢理ひり出した様に見えたのか、無慈悲にも一言で切り飛ばされた。


「嘘でしょ、それー。

なんでお淑やかだなんて思われてたのかしら。」


「いや、お淑やかなんて言ってなかったよ。

引っ込み思案ないい子って言ってた。」


恐らくこれから行く工房の鍵についた輪っかを指で回しながら、彼女が思い出を空中で探している。

僕には見えないが、目線の先には色々な風景が通り過ぎているのだろう。


「あ!

あー…。」


「なにか思い出した?」


気まずそうな彼女は、今までで一番小さな声で、初恋だったの、と言った。


「なるほど、小さい頃のね。」


「そう!

聞いてない?

息子さん。

今は街に居ないんだっけ。


ウチにもお兄ちゃんが居て、同い年で仲が良いのよ。

それでお兄ちゃんが遊びに行く時について行って、ほら、小さい頃の淡い恋心ってやつよ!


だから多分、小さい時に早くおっきくなろうと思ってたのがお淑やかに見えたのね。


あー!

小さい頃のイメージっていつまでも残るんだから!


うちの親だっていまだになんだかんだってハチミツナッツばっかり買ってくるんだから!」


「あはは。

だから、お淑やかじゃなくて、引っ込み思案ね。


宿でも出たよ、ハチミツナッツが、ベーコンに掛かってるやつ。

僕は好きだったなぁ…。

今は嫌いなの?」


「…大好きだけど。

なんか、子供はいつまでも子供なのね。


…でも、あの女将さんに比べたら誰でもそう見えるかも。

この間もヤクザものが宿の食堂で暴れていたのをぶん殴ってたもの。


グーで。

ドアの外まで。


駆けつけた警邏のおじさんも苦笑いしてたわよ。


さ、さ、着いたわよ。

お淑やかな私の城、染料場へようこそ!」


だから…いや、いいか。

女将さん比だ。

今思えば、悪い気はしなかったから気にしていなかったが、寝ている客室に勝手に入って来たりめちゃくちゃだ。

定規の方がおかしかったことにしよう。


ドアを開けるとモワッとした空気と、嗅いだことのある不思議な匂いがする。

草を酸っぱくして、甘くしたような香りだ。


逆さまに吊るされた山ほどのブーケと、小さく沸々と煮える大鍋と机に置かれたアンバランスな可愛い置物、それらが帰ることのない故郷を思い出す。


「天井から花ばっかり吊るして、魔女の家みたいでしょ。

だから、ホラ。

不気味にならないように置いてみたの。

クマちゃん。」


「いや、魔女の家にもクマちゃんはあったよ。

この部屋を、見ても思い出すけど、クマちゃんを見て余計に、思い出したもの。」


「えー!

魔女の家行ったことあるんだ!

よく無事だったね。

人を拐って食べちゃうんでしょ。」


大袈裟に驚く彼女だが、この反応は普通だ。

旅している最中も色々見聞きした魔女の噂はどれもネガティブなものだった。


実際どこからか誘われて、種となる男は居ても食事に上がった事などなかったと思う。

…いや、全部が全部何のお肉かなんて考えていなかったけれど。


「噂で聞くような村ではなかったよ。

大人は女の人しかいないから異様な感じはすると思うけどね。」


そうなんだーと言いながら彼女は鍋をぐるぐるかき混ぜた。

真っ赤っか過ぎて黒く見える中身はこの花達なのだろう。


「あっ!跳ねた!

もー、水じゃ取れないのよこの汁。


羊達の放牧場の端っこにもよく生えてね、羊は食べないんだけど、上を通ったりすると色がついちゃうでしょ?

そしたらその部分の毛は使えなくなっちゃうから、花は取らなきゃいけないのよ。


でも、嫌な赤じゃないから染料とかにしちゃえないかなって始めたの。

そしたら、絵描きさんを連れて来てくれた。

どう?

絵描きさん。

私の赤は。」


ヴァロは少し困った。

赤色自体は最高だ。


しかしヴァロにはもっと最高な副産物があった。


この絵の具を使えば雨が降らない。


これはどう伝えたものか。

恐らく魔女の子供ということが関係している。

それを話したら怖がられたり、嫌われたりしないだろうか。


…やめよう。

言うのは簡単だけど、理解してもらうのは難しい。


ヴァロは持ったままの包みを解き出して中の絵を取り出した。

口でこの色の良さを説明するより解って貰えそうだ。


部屋に溶けるような、この部屋から抜け出たような、そんな絵は当然ここによく馴染む。

部屋を彩っている花達が材料なのだから。


「すごいね。」


そう、すごいんだ。

君の絵の具は。


「あなた、すごい絵描きさんなのね。」


違うよ。

不幸を呼ぶ絵描きさ。

でも、君の絵の具を使うとそうじゃなくなるんだ。


「ヴァロ、ラブリーデリ。

ヴァロラブリーデリっていうのね、あなた。


合ってる?

サインって読みにくいわよね。


そういえば名前も聞いてなかった。

私はフェリノ。


よろしくね、ヴァロ。」



ここからヴァロラブリーデリの絵には赤色が増えて行くこととなる。


その始まりの「まちかど」は赤いドレスの娼婦を描いたものだし、フェリノを描いた「最愛」は赤を基調とした絵画だ。


まちかどは青春期に分類されるが、最愛は赤の時代に分類されることには研究者の間で様々な議論が交わされているが、本人は、夕陽こそ赤の時代の始まりと捉えているという研究者もいる。


本人に話を聞いた数少ない者が


「まちかどは、夕陽と一緒で、確かにフェリノの絵はそれとは違うかもしれない。


赤色が僕の色になったのは、それよりも後だから、貴方達が分けたいなら、まちかどより後のあれ、あの、なんだったっけか。


あぁ、喧騒ってタイトルにしたっけ。

そこからだと思う。

そこからは赤い時代だった。」


という本人の言から、喧騒以後を赤の時代とすることが多い。

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