第11話




§



 対岸の火事という慣用句は他人事という意味で使われる。

 けれど不思議な事に、自分事なのに他人事のように思える事もある。

 ――たとえば、目の前で自分の住む家が燃えている時とか。



「危険ですので離れて下さい! 早く避難して下さい! そこ、立ち止まらない!」



 立ち尽くす僕を、警察官の男性が肩を押してこの場から避難するよう呼びかけるけども、僕は上の空で、ただ目の前の状況を空っぽの瞳で見つめていた。僕の瞳は、光を反射して物体を映し出すだけのガラスのように、見ているものと感情が結びつかない。



 ――一体、目の前でなにが起きているのか。

 僕は警察官に住民である事を伝えると、



「まだ現場検証がまだなのでハッキリした事は分かっていません。あなたがここの住人なら後に現場検証に立ち会う事になりますから、そこで改めて話を聞いた方がいいでしょう」



 淡々とした受け答えだった。

 警察官からしたら業務の一環でしかないのだから仕方ない。僕はぼくで頭が真っ白だしどの道、理由を聞いてもだ。

 その後、アパートが鎮火するまでの間、僕は近くのファミレスで待機し、その後、消防士から掛かってくる電話を待った。



 一時間後、再びアパートへと向かうと住民や大家、消防署や警察、市役所からも人が派遣されて話し合いが行われる。その後、現場検証が始まると、自室の写真を何枚も撮る。これは後に保険の申請で必要になる為だ。加えて動画も撮影した。



 現場では、数時間の間に色んな事が行われる。現場検証もそうだし、加害者側のお詫び、仮住まいの確保、保険の申請など多岐に渡る。



 火災と聞いて、一瞬焦ったけど火の元は一階に住む住人のタバコの不始末が原因だと言う。そして火災が起きたのは僕がアパートから戻ってくる十数分前の事だったらしい。ニアミスで難を逃れた事になり、仮にもっと早く家に帰ってきていたら命お落としていたかもしれないと思うとゾッとする思いだ。



 お姉さんに引き止められた事が、まさか命を拾う結果になろうとは・・・・・・。

 一通り話を聞き終えた僕は、急いで市役所へと向かい、罹災状況申請書を受け取る。書類を提出後、罹災証明書を受け取るのだが、一週間ほど時間が掛かるそうだ。



 火事が起きたらとにかく色んな申請をせねばならず、僕は数日仕事を休む事を余儀なくされた。

 保険がすぐに降りない事から、仕事を休む事に不安がありつつも、やむなしと判断した。



 それにお姉さんからもらった食べ物があるので、これで食費はだいぶ押さえられる筈だ。



 仮住まいに格安のホテルで寝泊まりした僕は、とにかく疲弊していた。実家を出て一人暮らしを始めてから色んな公的な手続きに戸惑ったりしたけど、今回は本当にてんやわんやだ。



 あまりにも忙しなくて、頭がパンクしそうだった。

 金銭的に余裕がない僕は実家に戻る事も考える。が、そこで父親の顔が過って、首を横に振った。家には帰りたくない。



 緊急事態でも意地を張る自分がひどく子供じみていると感じるも、それでも帰りたくないものは帰りたくないのだ。

 父親とは絶賛喧嘩中なのである。



 けれど、元の生活に戻す為にはそれなりにお金が必要になってくる。保険が降りるとはいえ、申請してから受け取りまで時間が掛かり過ぎる。お金を借りる事も考えたけれど、利子が付く事を考えると・・・・・・。



 僕の頭はグルグルと色んな選択肢を考慮に入れては、色んな問題を炙り出していく。

 いよいよ疲弊し切った時、僕はベッドに横になり、考える事を放棄する。と、その時だった。



「・・・・・・?」



 ――不意に。

 スマホから着信が鳴る。一瞬それが電話の着信音だと気づかなかった。というのも、普段アラームとして使用していたのと、僕のスマホはスマホなのにほとんど電話が掛かってこないのでそれが着信音だとは思わなかった。



 アラームを設定した覚えがなかったので不思議に思いながらスマホを拾うと、それは着信だった。

 端的に、お姉さんからだった。



 昨日の今日で連絡とは、はて。なにか連絡を寄越すような理由があるのだろうか、それともただ暇だから掛けてきたのか。いや、流石に友達感覚で連絡を寄越す事はしないか。



 お姉さんに少しでも常識的な感覚がある事を信じて僕は数拍遅れで電話に出る。



「もしもし・・・・・・」



 すると、

『もしもし生きてるっっっ?』



 開口一番、安否確認をされた。

 なんだ一体・・・・・・。



「え、生きてますけど?」



 面喰らった僕は、戸惑いながらそう答えると、受話器越しに溜め息が聞こえた。



『そう・・・・・・よかった。いやその、君の家が火事になったって、コンビニの人が話してたのをたまたま耳にして・・・・・・』

「そうなんですか。ん?」



 それって、コンビニにお姉さんが訪れたって事だよな。



『や、その、買い物しに来ただけだよっ? 別に君に会いたくて買い物しに来た訳じゃないからねっ?』



 自ら言うところが実に言い訳がましい。いやまぁ、どこに行くのもお姉さんの自由ではあるけれど、あんな事があった翌日に来れる辺り、図太い神経をしているのは確かだ。



『それより火事って本当なの・・・・・・? 大丈夫? もしかして私が早く帰したせいで直接危ない目に遭ってない?』



 矢継ぎ早にお姉さんは言うので、僕はまず病院にお世話になっていない事は伝えておいた。



「ニアミスで回避出来たので、むしろお姉さんが引き止めてくれた事に感謝したいくらいですよ」


『そうなんだ・・・・・・。それはよかった、けど。その、大丈夫? 気持ち的な事とか・・・・・・』



 デリケートな部分に、慎重に問い掛けるお姉さん。その気遣いを受けて、僕は少し気持ちが和らぐ。



「まぁ、ショックはショックですが、無事ですし。それに家にも大したものは置いてなかったですからそこまで大きな損害はないですよ。食欲もありますし、お姉さんの料理をいただいてます」


『今ってどこにいるの? お家が燃え立って事は仮住まいだよね?』


「今はホテルを借りてます。いずれは近所にある公営住宅を借りるつもりです。火事の後も何度も現場を行き来しなきゃいけないみたいで、借りるなら近所の方がいいらしんですよね」


『・・・・・・その、大丈夫なのかな? 保険に入ってると思うから補償はあると思うけど、生活品とか一から揃えなきゃいけないよね? 元の生活に戻るのにお金も掛かるだろうし。もし私でよければ力になるよ?』


「それは・・・・・・」



 一瞬、僕は考えてしまう。

 今しがた、お金の事について考えていたところだったから、それがあまりにも自分に都合のいいタイミングで話題に上がったので、つい食いついてしまう。



 でもすぐに僕は自制心を働かせ「いえ、そういう訳には」と言っていた。けど、断るには少し語気が弱い。



『まぁ、家族に助けてもらえるなら心配は杞憂なのかもしれないけど・・・・・・』



 という可能性を、お姉さんが考慮に入れた時、僕は割かしすぐにそれを否定していた。



「あぁ、いえ。家族に支援してもらうとかはないんですけど」


『え? でも流石に事が大ごとだけにそういう訳にはいかないと思うけど』


「助けてもらうとなったらきっと、実家に戻る事になると思うんですよね。でも僕はまだ実家に戻る気はないので」


『それなら仕送りとか・・・・・・』


「いえ、一方的な援助は借りを作るみたいでイヤですし・・・・・・。とにかく家族に助けてもらう選択肢は僕にはありません!」


『・・・・・・意外と意地っ張りなところあるよね、君』



 そう言うお姉さんは少し呆気に取られているようだった。まぁ、事が事だけにそう思うのは当然の事だ。



「ともかく、お金の事はどうにかします。上京するにあたって、バイトで稼いだ軍資金はまだ残ってますからね。なんとかなりますよ」


『具体性に欠けるところに計画性のなさを感じるんだけど・・・・・・』



 お姉さんは尚も心配そうに言うも、僕は気丈に振る舞う事でそれを払拭する事に努める。

 話しながらやっぱりお姉さんに頼るのは違う気がしてきて、僕の語気はさっきよりも強くなっていた。



 これがもしかすると空元気なのかもしれない。けど空でも元気であるなら問題ない。

 お姉さんの言う通り全く計画性なんてないけれど、そして軍資金だってほとんどないけれど漠然と大丈夫な気がしてきた。

 これは無鉄砲ってやつだ。



『誰かを頼りにする事は甘えじゃないんだよ? まして君の置かれた立場を思えば尚更ね。でももし家族との間になにかあって頼みづらい気持ちがあるなら、私の事頼ってくれてもいいんだよ?』


「・・・・・・・・・・・・」


『これは提案なんだけど、よかったらうちに来ない? 部屋なら空いてるし、君が元の生活に戻るまでの間、私が君の面倒を見てもいいよ。家賃や食費が掛からなければ、その分のお金を貯めておけるでしょ?』


「それは・・・・・・」



 また突拍子もない提案だ。お姉さんの家に住まわしてもらうって、色んな意味で大丈夫なんだろうか?



『ほら君、猫が好きって言ってたし』


「いや、大事な決断を猫がいるかどうかで決めないですけども・・・・・・」


『まぁ、オプションとして考えてくれれば』


「はぁ。・・・・・・いやでもそれは流石に迷惑では」


『迷惑っていうのはね、相手に不快な思いをさせたり不利益を被るような事が起きた場合に使う言葉なんだよ。君がうちに来る事で被る迷惑って、せいぜい二酸化炭素が増える事くらいだよ』


「もっと他にあるでしょっ?」


『べ、別に、君を家に連れ込んで悪巧みしようとか考えてなんかないからねっ? 本当だよっ? 神に誓って! いや、君に誓って!』


「そうして自己弁護せずにはいられない感じが怪しいんですが・・・・・・」


『ぐ・・・・・・それは』



 と、一瞬押し黙るも、すぐに二の句を継いで自己弁護が続く。



『それに私は立場的に不祥事とか簡単に起こせないし!』



「? あぁ」お姉さん、自称漫画家なんだった。確証がないのであれだけど、もし本当なら確かに不祥事には厳しい立場だろう。



 じゃあストーカーで警察に捕まるなよと思うんだけど。



『でも抵抗があるのも当然だと思うし、お金を貸すだけでもいいよ。とにかく、困ってるなら力になりたいの』

「・・・・・・・・・・・・」



 その言葉を受けて、どこまでお人好しなのかと思う。僕の不振感も加味してドライな関係を厭わない提案を申し出てくれるお姉さんに、疑う事がバカらしく思えた。



 後は僕が、その厚意にどう応えるか。お姉さんの提案自体、喉から手が出るほど有り難いものだ。



「・・・・・・本音を言いますと、お姉さんの提案はすごく有り難いです。貯金だってその実ほとんどないので・・・・・・」



 高校時代に貯めたお金も、家具や家電など初期投資に費やした他、観光で散財した事もあり、ほとんど残っていない・・・・・・。



「なので、助けてもらえるなら、助かります・・・・・・」

『うん、困った時は頼ったらいいんだよ』



 そんな風に頼りになる大人の対応を取るお姉さんに、僕はまだまだ未熟者なのだと、その差を見せつけられる。



『じゃあどうしようか。お金の貸し借りだけでもいいし、うちに居候してもいいし。君の好きな方を選んでくれたら。でももしうちに来るならお金のやりとりは一切するつもりはないから、そっちの方が経済的な不安はなくなると思うけど』



 暗に、うちに来て欲しいと言われているようで、すぐには返しづらかったけれど、確かにそれは魅力的な提案だ。

 言葉を真に受けてなにも返さないつもりはないけれど、単純な厚意によって僕を招いてくれてるのは有り難い。



 僕は逡巡しながらその実、どちらがいいか迷ってなどいなくて、単純に体裁を取りたかっただけだった。

 結局僕は、



「ご迷惑でなければ、居候させてもらえたら」



 僕は結構厚かましい人間だな、とこの時、自分の本性を知った。

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