第10話
§
そしていよいよ帰宅する事に。
てゆうかここまで長かった。なんだかんだとお姉さんに付き合っていたら時間は正午を回っていて、目覚めてからおよそ二時間ほど滞在していた事になる。
「もう帰っちゃうんだね・・・・・・」
お姉さんは名残惜しそうに言うので、
「はい、それではさようなら」
僕はあっけらかんと別れを済ませた。今生の別れを。
「冷たいっ! 曲がりなりにも色々と話をしたのに、後腐れがないっ!」
なにを言ってるんだこの人、後腐れなんてある訳なかろう。いやでも、猫ちゃんたちとはもう会えないと思うと一抹の寂しさが込み上げてくる。雪ちゃん、豆ちゃん元気でね。
「それじゃあ僕帰るんで」
「あ、待って! 作り置きの料理持って帰ってよ」
お姉さんは言って、昨日くれた作り置きの料理を紙袋に入れる。そして、それだけに留まらず、戸棚からレトルト食品や日持ちのするお菓子、カップ麺、調味料なんかを別の紙袋に入れて、計三つの紙袋を持たされる事に。
「・・・・・・多い」
「一人暮らしはなにかと必要になってくるでしょ? 遠慮せずにもらってね」
「お姉さん、お母さんみたいですね」
「え、おばさん扱い・・・・・・」
「や、世話焼きだなって事です。気を遣っていただいて恐縮です」
「いいんだよ。でも出来ればちゃんと自分で料理作って栄養の取れた食事をして欲しいけどね」
「それはまぁ、頑張ります」
「不安だなぁ」
曖昧な返事を受けて、お姉さんはそう言った。
ともあれ、これでいよいよここに留まる理由もなくなったので、自分の荷物とお姉さんの持たせてくれた荷物を持ってお暇させていただく事に。
するとお姉さんは、
「ねぇ、途中まで見送りさせてくれないかな?」
と、もう少しだけ粘ろうとする。
「家まで付いて行ったりしないから。本当に途中まででいいから」
申し訳なさそうにしつつ、簡単には引き下がりそうにない言葉の強さがあった。ので僕は、
「分かりました」
お世話になった恩もあるし、お姉さんを無下にするのは躊躇われた。
するとお姉さんは嬉しそうにパッと花が咲いたように笑顔になる。
「じゃあ、途中まで一緒に行こうっ」
という訳で、己影さんと途中まで一緒に帰る事になった。
§
家を出て分かったけれど、お姉さんの済むマンションは二十階建てのタワーマンションだった。部屋自体は四階にあるけれど、いいところに住んでいるのは間違いない。
マンションの敷地内を後にすると、見慣れない風景が広がっていて、全く土地勘のないところだったけれど、しかしお姉さんは毎日、僕のコンビニを訪れていたから、ここから家までは決して遠くはない筈。
「そう言えば」
と僕はふとした違和感を覚える。
今日は平日。今は正午を回っているけれど「お姉さんってなんのお仕事されてるんですか?」
普通なら職場にいる時間だろう。
僕の場合はシフト制なので平日でも休みがあるけれど、お姉さんが平日、僕に付き合っている事に遅蒔きながら違和感を覚える――いやもちろん、土日仕事がある人もいるだろうし、僕のようにシフト制もいるだろうから、たまたまお姉さんも休みだった可能性は十分にあるのだけど。
ただ僕は少し気になったし、丁度いい会話のネタだと思って訊ねてみると、お姉さんは少し間を空けてから返答した。
「私、在宅ワークなんだ。フリーランスで仕事してるの」
「へぇ、そうなんですか。お姉さんって二匹も猫を飼っていたり、いいマンションに住んでたり、結構いい生活してますよね。フリーランスで安定した生活が出来てるって、お姉さんすごい人だったりして」
「そんな、そこまでではないけど・・・・・・」
「ちなみに在宅ワークって、なんの仕事ですか?」
返事が抽象的だったので、僕はもう一度同じ質問を繰り返すと、お姉さんはまたしても間を空けて、意外と考え込む。
そして、ようやく決心したかと思うと、お姉さんは思い掛けない言葉を口にした。
「・・・・・・私、漫画家なの」
「え?」
「だから、漫画家なの」
「え、はい?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
でももう一度訊ねても同じ返事が返ってくる。
まんが、家・・・・・・え?
「お姉さん、それ本当に言ってます?」
「本当だよ・・・・・・まぁ、疑うのは当然だと思うけど」
「いや、ちょっと待って下さいよ。なんでそんな大事な事、今まで黙ってたんですかっ?」
「え、だって話す機会なんてなかったじゃない・・・・・・」
「いや、あったでしょ! お姉さんの素性が分かっていれば僕だって多少は安心出来ましたよ!」
「それは確かに・・・・・・」
「え、でも本当かな? 証拠がないから嘘という可能性も・・・・・・」
「そ、そんな大胆な嘘吐かないよ流石に・・・・・・。それに証拠だって、絵を描いて見せればいい訳だし。・・・・・・あ、でも最近はアナログで描いてないから上手く描けないかもだけど」
「言い逃れですか。それによく考えたら漫画家ってアシスタントがいるものですよね。でもお姉さんは一人暮らしだし」
「今はリモートでアシスタントも在宅ワークの時代だよ」
「嘘の設定にしては細かいですね」
「う、嘘じゃないってばぁ。そ、そこまで言うなら家に帰って漫画の原稿見せようかっ? 次号に載せる話なら、絶対に真似の仕様もないし、本人だって証明になるでしょっ?」
「ム・・・・・・そこまで言うって事は、本当なんでしょうか」
「本当だよ。『影踏舞衣』のペンネームで活動してて、デビュー作の『隣の芝生は藍い』は今も月刊ピクニックで連載中だよ」
具体的なところまで詰めてきた・・・・・・。これは、本当の本当に本当の話って事?
「ならその作品を調べてみましょう」
僕は確信を得る為、作品名とペンネームが本当に存在するのか確認してみる。と、検索がヒットする。
作家・影踏舞衣のデビュー作『隣の芝生は藍い』は現在10巻まで発行され現在も連載中。累計部数200万冊を突破。物語のあらすじ――
『同じアパートに暮らすお隣さん同士のアットホームコメディ。主人公の直人は小説家を目指す大学生。非凡を求め、個性を追求する日々を送っている。彼は日頃不摂生な生活を送っており、それを見かねたお隣さんのしがない会社努めである明はひょんな事から彼に手料理を振る舞う事に。そこから彼女のお節介は続き、いつしか交友関係を築く事になる二人。明は平凡な毎日を過ごすも幸せを感じている。日常にあるささやかな幸せに光を当てる彼女にいつしか引かれる直人は、次第に恋に落ちていき?』
確かに作品も作家も存在する。ただこれがお姉さんだという確たる証拠にはなり得ない。なりきりという可能性もあるからだ。けど、そんな大胆な嘘を吐いてもすぐにバレるだろうしそんな嘘を吐く理由も分からない。作風的にお姉さんっぽさが垣間見えるところもあるけれど、どうだろう。あらすじだけでは限界があるか。
試しに一話を読んでみる。三話まで無料で登録なしで読めるので僕はページをパラパラめくる。
読み進めていきながら、ある違和感を覚える。違和感というか、既視感というか。
あれ、もしかして。
「お姉さんが言ってた、僕が好きなキャラクターに似てるって」
「・・・・・・うん。この漫画の主人公がそれだよ」
「え、て事はお姉さん。自分の描いたキャラクターが推しなんですか」
「・・・・・・うん」
それは自画自賛? いや、自分のキャラクターを一番に愛せなきゃ作家にはなれまい。我が子が一番可愛いものだろう。
確かに、言われてみればこの主人公、そこはかとなく僕に似てる・・・・・・。
「ちなみに・・・・・・推しって、どういうニュアンスなんでしょう」
二次元を嫁にするオタクもいるくらいだ、推しに恋愛感情を抱いてるとしたら・・・・・・。
「あ、あくまで可愛いって意味だから! べ、別に好きとかそういう感じじゃないよ?」
「あ、はい。それはもちろん・・・・・・」
と、すっとぼける。
なんだかそこまで言われると、意識した僕がバカみたいだし、見栄を張ってしまう。
ともあれ、
「もしお姉さんが『影踏舞衣』であるならすごいですね。結構人気漫画家さんじゃないですか」
「えへへ、どういたしまして」
「もし本当ならね」
「・・・・・・信じてくれないんだ。でもいいよ、じゃあ今度家に来る時に証拠用意しておくから」
「はい?」
「次、家に来た時、私が漫画家だって事ちゃんと証明するよ」
「いえ、そうじゃなくて。なんで僕、お姉さんの家に行く事前提なんですか?」
「え、だってほら、料理食べ終わったら空の容器返してもらわないと」
「はっ! しまった、そんな周到な接点の残し方があったとは!」
「食べ終わったらそのタッパー返しに来てね? それだってタダじゃないんだから」
「いや、返すつもりでしたし、お礼もしなきゃいけないとは思ってましたけどね。でも家に行く必要はないでしょ」
「まぁ、それでもいいよ。でも家に来てくれないなら落ち合う為にお互いの連絡先を知ってなくちゃいけないよね?」
「なるほど、どちらにせよお姉さんが得するんですね」
「なんかさっきから私が打算的な人間だと思ってない? いや、君に料理を振る舞いたい気持ちがまず第一にあるんだからねっ? 本当に!」
「はい、それは感謝してます。お姉さんの料理美味しいですし」
「えへへ、ありがとう~」
そう言ってお姉さんは屈託なく笑う。こうしたピュアな一面を見せられるとギャップで可愛く思えてしまう。いや、お姉さんは外面は美人なのだ。中身があれだから騙されてはいけないけども。
歩く内、段々と見知った景色が見えてきて、その先には最寄り駅があった。僕はそこを目的地にするとお姉さんの歩調がさっきよりゆっくりになる。
「お姉さん、もう少し早く歩いてくれません?」
「早く着いたら別れるのが早くなるじゃない・・・・・・」
「せいぜい数分の差。誤差ですよ」
「時間の感じ方は人それぞれなんだよ」
さいですか。
でも僕としては早く家に帰りたい。あんな家でも一応は住み慣れた僕の城なのだ。我が家が一番落ち着ける。 お姉さんの最後の抵抗に渋々付き合いつつ、ようやく駅に着くと僕は改めて向かい合う。
「それじゃあ僕はこれで。お姉さん、体には気を付けて」
「ちょちょちょ、勝手に締めないで? 大事な事忘れてるよ?」
「はて? なにかありましたかな?」
「連絡先交換してくれないと。タッパー返してもらわなきゃ。私のタッパー。借パクとかダメだよ」
「バレたか」
別にタッパーに思い入れなんてないだろうに。まぁ、人のモノはちゃんと返すのは人として当然の事。それにお礼も返さなきゃいけない。
「分かってますよ、交換しますとも」
僕がスマホを取り出すと、お姉さんも嬉しそうにスマホをポケットから取り出して準備を始める。で、トークアプリでIDを交換すると、お姉さんの連絡先が登録された。
見てみれば、プロフィールのアイコンが雪ちゃん豆ちゃんのツーショットだった。そして当然だけど、そこには名前も明記されていた。
「お姉さんの名前、己影って言うんですね」
「え、今なんて?」
「え?」
不意に聞き返されて僕は戸惑う。え、だから「己影って」
するとお姉さんは申し訳なさそうな顔をしつつ、
「え、もう一回いい?」
「だからお姉さんの名前、己影って言うんですね」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
なぜか急に溜め息を吐かれた。なんで僕はガッカリされたんだろう。
「いや、違うの。これは感嘆の溜め息だよ。君に名前を呼んでもらって感無量なの。恐悦至極ですらある。有り難き幸せ、身に余る光栄です。本当、ありがとうございます・・・・・・」
しみじみと言われた。なんだこいつ。
「折角だし、お互いにお姉さんとか君とかじゃなくて名前で呼ぶのもいいと思うんだけど」
「いや、別に今のままでもいいと思いますけど」
「反応がドライだ・・・・・・。うん、そうだよね、分かった」
物分かりがよくて助かります。
さて。それより連絡先も交換した事だしいよいよする事もなくなった筈だ。僕は切り替えて別れの挨拶を済ませる事に。
「それじゃあ本当に、ここでお別れという事で。料理は沢山あるので食べ終わるのに時間が掛かると思いますが、ちゃんと容器は洗って返しますから。その時に改めてお礼もさせて下さい」
「お礼なんていいよ、私が好きでやってる事だから。それより体には気を付けるように! 私の料理だけじゃ偏るから、野菜もちゃんと食べた方がいいよ! 味噌汁に野菜を入れるだけでもいいし、コンビニ弁当ばっか食べてちゃダメだよ?」
「はい、分かりました」
「後、なにかあったら頼ってくれてもいいからね? 親元を離れて色々大変な事もあるだろうし、私でよければ力になるから!」
「大丈夫ですよ、そういうのは上京する時に覚悟してますから」
「あんまり一人で抱え込んじゃダメだよ? これは本当のホントに老婆心で言ってるんだけど」
そう言って真面目な顔をするので僕は神妙に頷く。
「ありがとうございます、その気持ちはお守りとして受け取っておきますね」
「結構強情だね・・・・・・」
というか、簡単に人に頼るという選択をしたくないのだ。自分で出来る範囲は自分でしたい。一度甘えたら崩れていきそうで怖いし。
「僕は大丈夫ですから。それよりお姉さんも気を付けて下さいね」
「え、私?」
「はい。お姉さんは非常識が過ぎるので、そこんところもっと自覚した方がいいと思いますよ。悪気がないでは通用しない事もありますから」
「・・・・・・はい」
「まぁ、親切にしてもらった恩もありますから大目に見ますけど」
「はい、すみませんでした、はい」
平身低頭に努めるお姉さん。悪いという自覚があるだけマシかもしれない。
「さて、それじゃあそろそろ帰りますね」
「うん、気を付けて帰ってね」
「と言っても、家までそう遠くないですけどね」
「うん。でも一応、気を付けて」
まぁ、ただの定型句だろう。でも一応、その気遣いは受け取っておこう。
僕は改めてお礼を言った後、お姉さんと別れた。踵を返すと、背中からお姉さんの視線を感じたような気がするけれど振り返らなかったので分からない。
家路に就きながら、今日までの一部始終を振り返ってみる。昨日の夜、衝撃的な出会いを果たしてから今日に至るまでの経験は随分と濃厚なものだった。
改めてお姉さんの存在について、
「変な人だよなぁ」
と、しみじみ思う。
変な人だったし、非常識な人だった。
でも、彼女から伝う気遣いや優しさには裏がなくて誠実だった。と思う。
料理に加えて備蓄品もあれこれ持たせてくれたお姉さんのこれが打算だとするには無理がありそうだ。
紙袋三つ分の重みが、単なる物質的な重さに留まらない気がしてならない。
――ふと。
遠くからサイレンの音が聞こえてきた。方角は家のある方からで、少し周囲が騒がしいような気がした。
この時、僕は知る由もなかった。
僕が歩いているこの道が家路でなくなっている事に。
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