第9話




「お風呂上がるの早くない?」



 己影さんは怪訝そうに言うので、僕はかぶりを振って答えた。



「いえ、そんな長風呂するのも申し訳ないですし」

「遠慮しなくていいのに」



 遠慮ではないんだけども。

 お姉さんは若干、不服そうな顔をするもすぐに切り替える。



「それよりアイス食べない? コンビニで買ってきたんだ。一緒に食べようよ」



 と言って冷蔵庫からカップアイスを二つ持ってくる。高級アイスの代名詞・バーゲンダッツの抹茶とバニラだった。

 お風呂上がりで丁度冷たいものが食べたいと思っていたので、ありがたい提案だった。もしかしたらそれを見越して買ってきてくれたのかもしれない。根回し・・・・・・じゃなくて気遣いがすごい。容易く家に帰してもらえない。



 という訳で僕は抹茶をいただく事にし、お姉さんとテーブルで向かい合って食べる。

 するとそこへ、



「あ、雪ちゃん」



 僕らがアイスを食べているのに釣られたか、白猫の雪ちゃんがテーブルの上に飛び乗ってきた。



「ダメだよ、アイス食べちゃ。君もあげちゃダメだよ? 猫は乳製品を消化できないから」

「そうなんですね」



 あらかじめフタに付いたフィルムを捨てていたのは、これを見越してだったのか。

 でも雪ちゃん、物欲しそうにアイスを見ている。お姉さんのバニラアイスに興味津々だ。



「そんな顔してもあげないからねっ? あげないんだからねっ?」



 なんかツンデレっぽくなってる。本当はあげたいのかもしれない。

 そんな誘惑に負ける前に完食してしまおうと、お姉さんは高級アイスをガツガツと食べ進めて、瞬く間に平らげてしまう。



 僕も釣られて早いペースで食べてしまった。少し勿体なく感じるけど仕方ない。

 デザートを食べ終えると、いよいよ猫ちゃんタイムだ。



「僕、試したい事があったんですよね」



 僕はスマホを取り出し、アプリを開く。



「『にゃんこトーク』! これがあれば猫の言葉が分かるんですよ!」

「なにそれ、そんなのあるんだ」



 僕は秘密道具を取り出した時のような高らかな声でアプリの説明をすると、お姉さんは興味を示す。



「猫の声音からおおよその気持ちを図れるらしいんですよ。アプリの評価も結構高くて、信憑性あるらしいんですよね」

「へぇ、面白そう! 私も雪ちゃん豆ちゃんがなに喋ってるのか気になる!」



 という訳でまず最初は側にいた雪ちゃんを捕まえてアプリの性能を試してみる事に。

 お姉さんに雪ちゃんを抱っこしてもらってスマホをテーブルに置いてスピーカーを雪ちゃんの方に向けてスタンバイすると、



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 ・・・・・・全然鳴かない。


「元々猫って、そんなに鳴かないからね」

「そっか・・・・・・」

「もう少し待ってみよう」



 と、お姉さんは辛抱強さを見せるので、もう少しだけ待っていると――、



「にゃー」

 !

「「鳴いた!」」



 ついテンションが上がって声がハモる。



「なに喋ったのかなっ?」



 お姉さんは嬉々とした表情でスマホを覗き込む。アプリの翻訳機能は自動で行われるので、解析中のマークが出た後、日本語訳が画面に表示される。

 で、解析結果はと言うと、



『え、今これなんの時間?』



 だった。

「なにこれ、雪ちゃんこんな事思ってるの? すごいシュールなんだけど」

「猫も場の空気に突っ込めるんですね」

「にゃー」



 きた!

 立て続けに雪ちゃんが鳴き声を発する。



『君ら、よくもさっきはおやつくれへんかったな。マジで見せつけるように食べやがって』


「なんか雪ちゃん関西弁なんだけど」


「猫でも方便があるのかもしれませんね」


「でも雪ちゃん都内出身だよ?」


「方便の分かりやすい例として関西弁を採用してるだけなのかもしれませんね。てゆうか、さっきのアイス根に持ってますね」


『いやマジで君ら、見せつけてくれてたよな。それでアイスくれへんってなに? 新手の拷問? せめてじゅ~るくれてもええんちゃうん? なに、自分らだけ食後のデザート食べてんの?』


「てゆうか、絶対的に尺が合ってないんだけど」


「心を読み取ったらこれくらいの尺になっても仕方ないんじゃないですか?」

「うーん、そうなのかなぁ。後、口が悪いのも気になる・・・・・・」


「関西弁だからそう思えるだけじゃないですか? たぶん、警戒してるんですよ。雪ちゃん、大丈夫だよ、怖くないよ」


『うるさいねん、なに気安くちゃん付けしとんねん。十年早いわ』


「あ、すみません・・・・・・」

『君、歳いくつや』

「え、十九です・・・・・・」


『俺は六歳や。人間で言う四十歳や。つまり君とは倍以上歳が離れてんねん。年上には敬語な?』



 なんか急に先輩風吹かせてきた・・・・・・。



「はい、すいません・・・・・・」



 するとお姉さんが間に割って入る。


「雪ちゃん、ちょっとお客さんに対して横柄じゃない? ダメだよ、そんな口の利き方したら」


『姉さんも姉さんやで』


「姉さんっ? 雪ちゃん、私の事姉さんって呼んでたのっ?」


『さっきこの子が寝てる時、ほっぺたツンツンしてたよな』


「え、お姉さんそれ本当ですか?」


「ち、違うよっ? それは雪ちゃんだよっ? 私は指一本も触れてないよっ?」


「そう言えば指一本しか触れてないって言ってましたよね? そういう事ですか」


「だから雪ちゃんだってば!」

『姉さん、もうバレてるって』


「お姉さん、人が寝てる時に。最低ですね」


『いや、君も大概やで?』

「え」


『さっき見てたで。洗面所で姉さんの下着触ってたん』


「ち、ちちちょっと! なにしてるのっ?」


「ち、違いますよ! そんな事する訳ないでしょっ? 翻訳の間違いですよ!」


『姉さん、騙されたらあかんで。俺はこの目で確かに見たんや。ゲスゲスゲスって笑いながら白い下着を眺めてたんやこの少年は』


「このアプリ、適当な事ばっか言うなー」


「この際だから白状するけど、確かに私、君が寝てる時にほっぺたをぷにぷにしました。つまり、この翻訳は正しい! という事は君が私の下着を眺めてたのも事実だって事! なにしてるのっ?」


「・・・・・・お互いに黙っていれば嘘だと一蹴できたものを」


「やっぱり事実なんだ・・・・・・!」


「そもそも見えるところに下着を置いていたお姉さんが悪い。てゆうかお姉さんも僕が寝てるのをいい事にほっぺたを触ってるじゃないですか」


「ほっぺを触るのと下着を手に取って眺めるのを倫理的に同列には扱えないよ?」


「てゆうかもうやめにしましょう。これ以上は争いの火種になりますし、アプリ閉じますね」


『え、ちょお待ってくれよ。折角話出来るようになったのにもうやめんの? おもろい話あるからもう少し待ってぇな』


「面白い話?」

『姉さんのマル秘情報や』

「ほう。続きをお聞かせ願えますかな?」


「ちょっ、勝手に話を進めないでくれるっ? 雪ちゃん、なにを暴露するつもりっ?」


『この前、姉さんのベッド下の収納スペーを漁ってたら蹴りぐるみが出てきてな。それで遊んどったら、それ見た姉さんがえらい慌ててな。実はそれ、おと――』


「雪ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!」



 お姉さんは裂帛を放つと同時にテーブルに置いた僕のスマホを、カルタでも取るみたいにはたき落とす。



「お姉さんっっ? 僕のスマホになにしてるんですかっっ?」

「ハッ! ご、ごごめんつい!」

「壊れたらどうしてくれるんですかっ!」



 僕は慌てて床に落ちたスマホを拾おうとすると、丁度もう一匹のハチワレ猫の豆ちゃんがトコトコとスマホに近付き、「にゃー」と一声鳴くので、アプリが起動して翻訳を開始してさっきの翻訳が上書きされる。



「あ、まださっきの読んでないのに・・・・・・」


「読まないでいいよ! てゆうか、もうそのアプリ閉まって! 私ばっかり損するじゃんこんなの!」



 と、ご立腹の様子だった。

 言葉を喋れない猫も、しっかり感情を持っていたり色んな事を見てるのだと思うと、なかなか下手な事は出来ないな。

 僕はスマホを拾い上げ、上書きされた豆ちゃんの翻訳を見てみると、当たり障りないコメントが表示されていた。



 どうやら命拾いしたらしい。

 スマホを壊されない為にも、切りよくここで終わりにしよう。僕はスマホを仕舞うと、お姉さんは安堵の溜め息を吐くと共に僕の気が変わる前に猫グッズで興味を引かせようとあれこれとケースから取り出す。



 すると猫ちゃんたちは遊んでもらえるのかと思って近寄ってくる。

 僕は無難に猫じゃらしを選択して、試しに二匹の前でヒラヒラと揺らしてみると、いの一番に雪ちゃんが飛びついてきた。



 猫じゃらしを床に這わせると、前足で押さえに掛かろうとするし、上でヒラヒラさせると思い切りジャンプしたりして楽しそうだ。

 でもふと、さっきの関西弁を思い出す。



 やたらと先輩風吹かせていた雪ちゃんが無邪気に猫じゃらしで遊んでいるのを、純粋な目で見られない。

 ――やっぱり猫の気持ちを知るのは野暮な事なのかもしれない。



 気持ちを察するくらいの方が人間とペットの距離感的には十分なのかも。

 なんて事を思いながら猫ちゃんたちとのお戯れをしばし堪能するのだった。

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