第8話
§
食事を終えた後、食器を洗うのを手伝おうとしたところ、お姉さんに止められてしまった。
「君はお客さんだから、お客さんの手を煩わせる訳にはいかないよ」
お客さん(寝てるところを連れ込まれた)ね、はいはい。
「それよりお風呂入っておいでよ。もうすぐお湯が溜まる筈だから」
「お風呂?」
「うん。お風呂入ってないから気持ち悪いでしょ? 体洗って綺麗さっぱりしてきなよ」
「え、僕をお風呂に入れてなにをしようとしてるんですか?」
「ただの親切心だよっ? 逆になにを企んでると思ってたのっ?」
「お風呂に入ってる間に僕のスマホや財布から個人情報を抜き取るのかと」
「しないよ! てゆうかそれなら君が寝てるうちにしてるだろうし」
「! しまった、もう済んでいたのか!」
「違うってば、私なにもしてないよ! 神に誓って! いや、君に誓って!」
「てゆうか、いいですよ。替えの下着もないし」
「大丈夫、君がお風呂に入ってる間、私が近くのコンビニで下着買ってくるから」
「・・・・・・え、お姉さんが選んだ下着を僕が履くんですか? てゆうか、サイズ分かるん・・・・・・はっ! 寝てる間にっ? へ、変態!」
「ねぇ、さっきから私への偏見ヒドくないっ? だから君には指一本触れてないから!」
「いや本当にいいですって。なんか色々お姉さんしか得しないし・・・・・・」
「得とかじゃなくて親切心なんだけど・・・・・・。それにほら、猫ちゃんと遊ぶんでしょ? 猫は綺麗好きだからお風呂入って綺麗にしないと相手してくれないよ?」
「ぐっ・・・・・・猫を人質にするとは卑怯な!」
「ふっ。分かったら早くお風呂に入ってきて。雪ちゃん豆ちゃんと触れ合いたいならね」
「くそぅ、まさか猫を人質に取られるなんて」
「いや、私の猫なんだけどね」
「分かりました、お風呂入ってきます・・・・・・。その代わり、お風呂から上がったら猫ちゃんと戯れさせて下さいよ?」
「うん、そりゃあもう猫可愛がりしてあげて」
そういう事だから、お姉さんのお風呂を拝借する事になった。
§
余所の家のお風呂に入るのはなかなかに勇気がいる。他人のテリトリーで衣服を脱ぎ捨て、無防備を晒すのだから当然だ。
あまつさえストーカーであるお姉さんの根城で素っ裸になろうというのだから尚更である。
けれども全ては猫ちゅわんと戯れる為、仕方ない。
それにお姉さんの言う通り、一日お風呂に入らなかった不快感はあって、汗を流してさっぱりしたい気持ちも事実だし、曲がりなりにも他人の家なのだし不潔な状態でいるのも失礼だろう。
という訳だから僕は覚悟を決めて衣服を脱ぎ捨てて素っ裸になると、お風呂場の扉を開いた。
端的に、浴室は広々としていた。あれだけの広い間取りだ。そりゃあ浴室も大きいですよ。明かり取りの窓から差し込む光によって室内は自然光で十分な明るさがあった。
しかし、それにしても。
他人の家のお風呂場って緊張してしまう。お風呂場では皆、誰しもが平等に素っ裸になり体を洗っているのだ。
そう考えると、急に居たたまれない気持ちになる。別に顔を突き合わせている訳でもないのに、鉢合わせしてしまったような気まずさがある。いや、間接的には接触していると言えるし、だから僕は今、お姉さんと一緒にお風呂に入ってるも同然の状況だった。
不意にさっき見た白のブラジャーを思い出す。サイズからして相当なスケールだし、それをここでは惜しげもなく晒していたと思うと・・・・・・。 ダメだ・・・・・・想像が止まらない。
僕は強制的に思考をシャットアウトすべく、シャワーを浴びる事にした。それも冷水。
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
自分を罰する意味も込めて僕は数十秒間、冷水に打たれた。初夏とはいえ冷水は体に堪える、が。浴場で欲情してしまった罰だこれは。
僕はしばらくの間、冷水に打たれ体を清めると、ようやく自身を許す気になって温水に切り替えた。
僕はまともにお風呂に入る事すら出来ないのか。
さて、切り替えて僕は体を洗う為、何の気なしにバスチェアーに腰掛けようと身を屈める。屈める途中でハッとする。
これ、お姉さんも使ってるんだよな? という事は一度、お姉さんがお尻を付着させている訳で、僕はそこに自分のお尻を重ね合わせようとしている・・・・・・つまり、お姉さんのお尻と僕のお尻を突き合わせているって事じゃないのか? それは・・・・・・。
僕はまたしても思考に囚われてしまう。今までなら素通りしていた事も、お風呂場という異常に意識せざるを得ない空間によって、僕の疑問に及ぶ範囲がとてつもなく広がっていた。
結局、僕はバスチェアに座る事が出来ずに立ったままシャワーを浴びる事に。
でもシャンプーやボディーソープなどは下段の棚に置いてあるから手に取る時は身を屈まなくてはいけなので面倒だ。なにしてるんだ、僕。
まぁいい、これ以上考えるのはよそう。
で、僕は先に頭を洗う為、シャンプーを探すけども、お姉さんの使う容器はどれも英語表記でパッと見、どれがどれだか分からない。
それっぽい容器を手に取って確認してみるとトリートメントと表記されていて、次に手に取った容器はリンスと表記されていた。
いや、リンスとトリートメントってなにが違うんだよ。てゆうかまだるっこしい、男は黙ってシャンプー一択だろ。
で、次に手に取った容器がシャンプーだったので僕はようやく髪の毛を泡立てる事に成功する。
しゃわしゃわしゃわ、と髪を泡立て洗っていると、とてもいい匂いがした。花の香りのような仄かな甘さが浴室に充満する。
そういえばお姉さんからもこんな匂いがしたなぁ。そりゃあ、お姉さんも同じ洗剤を使ってるのだから当然だ。
で、この後も体を洗う為、同じ洗剤を使う事になるので全身お姉さんと同じ匂いを纏う事になるのだ。なんだかそれって、お姉さんに抱きつかれてるみたいじゃないか?
「抱きつかれる・・・・・・」
バックハグのように後ろから抱きつかれるのを想像して、僕の背中には当たってない筈なのに柔らかく生温かい胸の感触が感じられた。
お姉さんの体はさぞ、柔らかい事だろう。きっとマシュマロのような弾力となめらかさを有しているに違いない。
・・・・・・だから、浴場で欲情するなバカ!
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
本日二回目の冷水。
自分を罰した後、今度は体を洗う。 が、ここでも問題が発生してしまう。
体を洗う為には、洗剤を泡立てるボディタオルを使う必要がある。けれど、さっきのシャンプーと違ってこれは完全に間接的なお姉さんの接触となってしまう。
さっきバスチェアは自意識過剰によって避けたけれど、ボディタオルに関しては避けては通れない道だ。 僕は躊躇いながらも、ボディータオルを手に取って、洗剤を泡立てる。「ゴクリ」僕は息を吞みながら、ボディータオルで体を洗う。
腕、肩、首回りの順番で洗っていき、上半身、下半身、全身を泡まみれにしていく。
ただ普通に体を洗っているだけなのに、まるで正当な理由を口実にしてお姉さんの垢を全身に擦りつけているような気がしてならない。
変な性癖の人と誤解されてしまう!
ち、違うんです! 僕はただ、普通に体を洗っているだけで、別になにもやましい事なんてなにもしてないんです! 本当です、信じて下さい!
誰もいないのに自己弁護せずにはいられないほど自意識に囚われてしまう・・・・・・。
バツが悪くて、さっさと体を洗い流して湯船に浸かる事にした。
少し手を浸けてみて温度を計ると丁度いい湯加減だったので片足ずつ入れてゆっくり腰を下ろす。すると、「ふぅぅぅ」とついジジ臭い声が漏れてしまった。
いつもは近所の銭湯に行ってるので湯船に浸かる事自体は毎日してるのだけど、自宅の浴槽に浸かるのは実家以来の事だった。銭湯とは違う完全個室の自宅の浴槽はまた違った魅力がある。
肩まで浸かると、体がゆっくり解けて輪郭が曖昧になる感覚があった。 しばし湯船に身を浸していると、遠くからガチャン、という扉の開く音が聞こえる。次いで、足音。どうやらお姉さんが帰ってきたようだ。段々と近付く足音に僕は緊張が高まる。
そして――、
「下着買ってきたからここに置いとくね? 後バスタオルも。それと下着を入れる用の袋もここに置いておくね?」
「は、はい」
僕はなるべく音を立てず、手短に返事を返すに留める。
するとお姉さんはすぐには立ち去る事はせず、話を続ける。
「湯加減どう? 気持ちいい?」
「はい、最高の湯加減です」
「長居してのぼせたらダメだよ?」
「はい」
「お風呂から上がったら栓だけ抜いといてくれる?」
「はい、はい」
「え、なんか怒ってる?」
・・・・・・この人、わざと話を長引かせてないか?
察してくれないかな? こっちは素っ裸なんだよ、見えてないとはいえ恥ずかしいんだよ!
「怒ってないですから、早く一人にして下さい」
「分かった・・・・・・」
するとようやく足音が聞こえて、お姉さんが立ち去るのが分かった。
「はぁ・・・・・・」
なんだか湯冷めした気分だった。
もう少しだけ入るつもりでいたけれど、やっぱり止めておこう。
ほどなくして湯船から上り、風呂場の栓を抜くと、その間にシャワーで体を洗い流した。
そして一度、浴室から出てバスタオルと着替えを浴室に持ち込み、中で着替える。用意された下着はシンプルな黒のボクサーパンツとグレーのTシャツだった。流石にコンビニで買ってきたものなのでおかしなデザインという事はなかった。お姉さんが選んだものを履く事に若干の抵抗を覚えたものの、折角体を洗ったのに下着を変えないというのも気持ち悪かったのでそこは新しい下着を使わせてもらう。
着替えを済ませた後、再びリビングへと戻る。
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