第5話




§



「にゃー」



 という声が聞こえた。

 でも聞こえてすぐは、その声に、否、それが声とすら判別出来ておらず僕はその音に気にも留めずにいると、再び「にゃー」という声が聞こえてきた。今度はそれが声だと分かる。



 そして「にゃー」という声と共に今度は頬にちょんちょんと触れる感触があった。

 それはまるで、人の指に触れられたような感覚に近い。



「んんー・・・・・・」



 そこで僕の意識は表層へと浮上し、目を覚ます。

 すると目の前には「にゃー」と鳴く猫がいた。可愛い白猫だ。

 ん・・・・・・しかし、なんで僕の家に猫ちゅわんが?



 僕の暮らす『キャッスル』はペット禁止だ。てゆうかペット飼えるお金ないし。

 でも現にここに可愛い猫ちゅわんがいる。白猫ちゅわんが。

 とりあえず、僕はゆっくりと体を起こす。すると、



「うわぁぁぁっっ?」

「ひゃえぇぇっっ?」



 ふと隣に、人の気配がすると思って振り返ってみたら、そこには女の人が立っていた。



「な、なんで僕の家に女の人がっっ? ・・・・・・ってあれ? お姉さん、どこかで見たような・・・・・・」



 眠気眼を擦って、目の前にいるお姉さんの顔を観察すると、僕は遅蒔きながら思い出す。



「あ・・・・・・昨日のストーカーのお姉さん」


「一晩経ったうちに記憶が改竄されてるよっ? 私ストーカーじゃないから!」


「いや、普通に考えてストーカーでしょ」



 一晩ぐっすり寝た後だから、昨日の件を冷静に見られていた。この人は間違いなくストーカーだ。



「て、てゆうか! なんで僕の家にお姉さんいるんですかっ? 不法侵入ですよっ?」


「違うよ。ここは私の家」


「はい? いつから僕たち同居してました? お姉さんに気を許した覚えはありませんけど?」


「・・・・・・そうだったの? 私の手料理食べてくれたから、てっきり気を許してくれたのかと・・・・・・」


「はっ! そうだ!」



 思いっ・・・・・・だした!

 昨日、警察官から解放された後、二人で公園で話をして、その時に手料理を食べる事にしたのだ。そして焼き鮭を食べた後、僕は意識を失って・・・・・・。



「お姉さんっ、料理になにを仕込んだんですかっ? 僕、急に意識を失って・・・・・・」


「わ、私もビックリしたよ! だって急に意識を失うんだもん・・・・・・それで私、心配になって家まで運んできたの」


「・・・・・・僕の家、知ってたんですね」



 ジト目で見つめると、お姉さんはしらばっくれたようにキョトンとした顔を見せる。そしてすぐにかぶりを振った。



「違うよ、ここは私の家だよ。君のお家は知らないから、私の家に連れてきたの」

「は?」

「君、猫飼ってないでしょ?」

「猫・・・・・・」



 確かに、ここに全く身に覚えのない猫ちゅわんがいる。可愛い。

 いやじゃなくて――。



「え、て事はここ、お姉さんの家って事ですか?」

「そうだよ」



 さもありなんと、お姉さんは頷く。 僕は遅蒔きながら自分がいる寝床を見てみると、ベッドの上にいた。僕の寝具は布団だ。ホームセンターで買ったうすあげみたいにペラペラな格安布団で、こんな雲の上にいるみたいなフカフカベッドなんてありはしない。



 そして周囲を見渡せば全然知らない部屋の中にいた。

 え、ちょっと待って? て事は僕、寝ている間にお姉さんの家に運ばれたって事?

 それってつまり――、



「ワイセツ罪じゃないかっ!」

「ワイセツっっ?」



 いや、なにを心外、みたいな顔してるんだ! 意識がない事を利用して自分の家に連れ込んで!

 ちょっと待て? 僕、なにもされてないよな?



 すぐに衣服を確認すると、着ているのは僕の私服だ。けど、寝てる間に脱がされてる可能性も・・・・・・。



「わ、私っ、君には指一本しか触れてないよっ?」

「触れてるじゃん!」

「あ! 違っ、今のは言葉の綾! 君には指一本触れてないから!」

「嘘吐け! そしたらどうやって僕を運んだって言うんですかっ?」

「そ、それはノーカンで・・・・・・」


「都合いいですね。ん、でもお姉さん、僕をここまでどうやって運んだんですか?」

「それは、おんぶして、だけど」

「おんぶ? お姉さんが?」


「君、身長の割にすごく体軽いよね? 確かにここまで運ぶのに一苦労したけど、背負えない事はなかったもん」


「いや、てゆうかなんで救急車や警察を呼ぼうって発想はなかったんですか・・・・・・」


「警察の人とまたすぐに顔を合わせるのは気まずかったし・・・・・・それに何度か肩を揺すったら意識はあったから、寝てるんだと思って」


「だからって寝てる人を勝手に家に連れ込むのはマズいですよ。普通に犯罪ですからね」


「家も近かったし、顔見知りだから大丈夫かと・・・・・・」

「認識甘過ぎません?」



 顔見知りは素性を知ってるからこその信頼性があるけれどストーカーしてた人に信頼も信用もある訳ない。



「で、でも本当にっ、寝込みを襲ったりとかしてないから! 神に誓って! いや、君に誓って!」

「・・・・・・・・・・・・」

「うぅ・・・・・・」



 僕のジト目に、心苦しそうだった。 お姉さんを見て不思議に思うのが、これだけ美人なのに、その美貌に違うおかしな挙動、言動が多いという事だ。



 美人は放っておいても周りに人が集まるから、自然と経験豊富で着々と精神を研ぎ澄ませていく筈だけど、このお姉さんは世間知らずで拗らせた陰キャの末路みたいな残念な仕上がりになっている。

 この人、一体どんな生活をしてたらこんな風になるんだろう。心底不思議でならない。



「はぁぁ。もういいです、とにかく僕もう帰ります」

「ま、待って!」


「なんです・・・・・・まさか帰さないつもりじゃないでしょうね?」


「や、その・・・・・・朝ご飯作ったから、よかったら食べないかな、と」


「・・・・・・なんでそんな悠長な会話してられるんですか? 昨日、あなたの作った料理食べて気を失ったのに朝食を食べる訳ないですよね?」


「それなんだけど・・・・・・」



 と、物申したい事があるのか、お姉さんは食い下がった。



「昨日、君が気を失ったのって栄養失調じゃないかな? と思って」

「はい?」


「君、すごく体細いし、血色もよくないから・・・・・・。自炊してないって言ってたし日頃、栄養をちゃんと摂ってないから、いきなり栄養のあるものを食べて体調を崩したんじゃないかと思って・・・・・・」


「それは・・・・・・」



 確かに日頃、偏った食事をしてるのは事実だ。朝は基本的になにも食べず、昼と夜はコンビニのパンや売れ残りのお弁当を食べている事がほとんどで、野菜や果物など全くと言っていいほど食べていない。



 お姉さんの仮説は、一蹴するには妙に筋が通っていて無下にしづらいものがあった。が、でもそれで気を失うまであるだろうか?



「ごはんはちゃんと食べた方がいいと思うんだ」

 それは御説最もだけど・・・・・・。

「いや、でも」



 とはいえ、昨日の今日でこの人の料理を口に運ぶのはちょっとなぁ。



「ど、毒味するから! 私が毒味したら食べてくれるっ?」



 毒味て。

 自分の料理を蔑ろに言わせてしまった事への罪悪感が募る・・・・・・。



「それか、君の前で料理を作ってもいいよ! そしたら怪しいものなんて入れる隙はないでしょっ?」



 必死の提案に僕は思案する。

 ここまで言わせて断るのも申し訳ないとか、この期に及んで同情めいた感情を抱く僕の神経はどうかしてる。



 でも無下にするにはお姉さんの頑張りはあまりにも一生懸命過ぎるのだ。必死に食い下がるところを見ると少しくらい融通を利かせてもいいかと思える。

「分かりました、いただきます」

 結局、僕はお姉さんに流されてしまう。

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