第2話




§



 仕事が終わると時刻は十八時半を過ぎる。六月の空はこの時間まだ暗く、街灯のない帰り道は不安を掻き立てる。



 僕がいつも通る道には街灯が少なく、暗い道筋がずっと続いている。比較的、駅からは近いのだけど、駅の北出口と南出口とで街並みは随分と変わる。僕の済むエリアは南出口の方面で、古い町並みが多く残るエリアとなっている。



 古い町並に溶け込むようにして僕の暮らす木造二階建てのアパート『キャッスル』はある。



 アパートなのに『キャッスル』と名付けるところに愛らしさを感じずにはいられない築五十五年の我が住処はとにかく格安だ。東京23区という土地柄にも関わらず家賃は三万円。その代わり風呂なし、トイレ共用。洗濯機はベランダにあるなど、家賃相応の内容。



 実家から上京するに辺り、住まいのグレードは問わず、とにかく都心に近いところで暮らしたいという希望があったので、不動産で相談したら今のアパートを紹介してもらった。



 住めば都とは言うけれど現状、都とは言い難い。右側の部屋からは楽器を演奏する音が毎日聞こえてくるし、左側の部屋からは男女の喘ぎ声が毎晩聞こえてくる。しかも女性の声は毎回違うので、違う人を連れてきているのだろう。寝静まる頃には天井からネズミの走り回る音が聞こえてくるし、ハッキリ言ってなにが『キャッスル』だよふざけんなよ、という気持ちである。



 いや、ただの八つ当たりですけどね。 

 家賃の安さは捨てがたい魅力がある。現状、僕の経済力でこれ以上の家賃のところに住むのは苦しい。

 けど最近、新たな悩みが浮上した事で、真剣に引っ越しを検討しなければいけなくなっている・・・・・・。



 流石にストーカーに付けられるとなると、考えざるを得ないだろう。

 てゆうか誰だよ、僕みたいなしょうもない男をつけ回す輩は。僕なんかに執着しても得られるものなんてなにもないよ?



「あの――」

「・・・・・・っっっ?」



 突然、背後から肩を掴まれる。

 僕は咄嗟に振り返ると、そこにいたのは――、



「へ・・・・・・?」



 僕の目の前にいたのは――警察官だった。

 仰々しい制服に身を包んだ、立ってるだけで威圧感たっぷりの警察官の男性が、僕の目の前に表れた。

 突然の出来事に僕は理解が追いつかない。



 なんで警察官が?

 なんで僕、肩を掴まれた?

 一体なにが起きているのか、なにも分からない――ただ。

 警察服、そのユニフォームを見て僕は咄嗟に、



「す、す・・・・・・すみませんでしたぁ!」

 謝っていた。

「は?」



 僕の性急な謝罪に、警察官は困惑した様子だったけれど、しかしすぐに、



「なに君、もしかしてなにかしたの? その袋もしかして万引きした商品?」

「ち、違います・・・・・・!」



 しまった! 警察官を見たらなぜだか急に自分が悪い事をしたような気がして謝ってしまった。



「いや、違うんです! つい謝りたくなってしまっただけで、別に怪しい事なんて一つも、これっぽぽっちもあ、あぁりませんけどぉぉぉっっ?」


「君のその挙動と言動は怪しさしかないけどね?」


「人を見た目で判断するのはよくないと思います! そんなのはただの偏見です! 誤認逮捕で困るのはあなたですよっ?」


「怪しきは罰せず、だけど確認はしといた方がいいから。身分証見せてくれる?」



 なんか大事になってしまった・・・・・・。

 一体僕はなにをしてるんだろう・・・・・・。



 僕の余計な言動を呼び水に、職質を受ける羽目になってしまった。もちろん、僕は無実なので事なきを得る訳だけど、話が終わると警察官は溜め息交じりに苦言を呈する。



「あんまり紛らわしい事しないでくれる? こっちだって暇じゃないんだからさ」

「すみませんでした・・・・・・」

「それで、話を戻すんだけど」



 あぁ、そうだ。そう言えばなんで僕、声を掛けられたんだろう。お陰で職質を受ける羽目になってしまった。そもそも警察官が話しかけなければこんな事にはなってなかったのだ。さっきは溜め息を吐いて苦言を呈してきたけど、溜め息を吐きたいのはこっちの方だよ全く。



 でもまぁ、職質を受ける経験なんて滅多にないし、ちょっと非日常感を味わえたのも事実なので、大目に見てあげよう。



「ちょっと君に聞きたい事があってね」



 なんか、含みのある言い方・・・・・・は! まさか!



「ぼ、僕、麻薬なんてしてませんよっ? 運び屋もやってませんし、一切そういう悪事で手を染めた事なんてありませんから! そういう事は絶対しないって心に決めてるんです! あっ、今の決めてるは『キメてる』と掛けてる訳じゃないですからねっ? 本当ですからねっ?」


「君、本当に大丈夫?」



 憐れみの目で僕を見ないで・・・・・・!

 警察官は呆れながら僕の言葉を聞き流して、話を進める。



「聞きたい事と言うのはね。――最近この辺りで不審者が出没していると近隣住人から報告があるんだよ。それでなんだが――」


「違う! 僕じゃない! 僕もその近隣住人の一人です! なんでしたら僕の住んでるアパート来てみますかっ? 絶対違うから! 僕はなにもしてない、無実だ!」


「いや、話聞いて」

「・・・・・・あ、すみません」



 つい・・・・・・。てゆうか真顔で言われた、警察官の真顔コワい・・・・・・。



「で、その不審者と思われる人をさっき見つけてね」

「え・・・・・・?」

「勿論、君の事じゃない。いや、君も不審者と言って差し支えない言動と挙動をしているけども」



 ぐうの音も出ない。

「その人がだね、どうやら君の事を付けていたようなんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 ・・・・・・・・・・・・え?

「・・・・・・それって」



「? なにか心当たりでも?」



 僕がポツリと漏らした一言に、警察官は繋がりを見出そうと、そんな風に問いただすのだった。



「心当たりっていうか・・・・・・」

「なんでもいい、話してくれないかな?」



 と言うので、僕は少し言葉を詰まらせるけれど、些細な事でも大事な情報なのかもしれないと、僕は、最近あった出来事について話をする――ストーカーに付けられているかもしれないという話を。

 すると、



「なるほど」と一つ相槌が打たれた。そして、


「その視線が、本当かどうか、直接本人に聞いてみましょう。君がその人を知っているのかどうかも確認したい」


「え、いるんですか? その人」「あぁ、ついさっき捕まえたばかりだからね」



 なんだなんだ、一体なにが起きているんだ僕の身に?

 あまりにも非現実な事が起こり過ぎて僕はどこか、他人事のように聞いてしまっている。



 でも実際には僕はこうして警察官と関わっているし、ストーカーらしき人物が捕まったと言う・・・・・・。

 日常に潜む影は、こんなすぐ側で蠢いていたのだ。そう思うとゾッとする。

 で、僕は警察官に連れられ、後を付いて行く。



 するとその先で、もう一人の警察官の人と、私服姿の女性を見つけた。 で、その女性がなにやら声高に叫んで抗議をしている。

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