第7話
10分後。
午後の授業が始まった。窓の外は薄暗く、いつの間にか豪雨になっている。
「突然ですがー」
教卓前、森先生が口を開いた。
「今日はこちらの彼に、私の研究会に入部資格があるかどうか、入部試験を実施することになりました」
おれは森先生の隣、震えながら立ちつくしていた。
ここは3年2組——選抜クラスだ。
先生はにこやかにみんなを見回した。
「そこで、本日は皆さんに協力を頼みます。
彼に、私の代わりに授業をしていただくので、皆さんには試験監督をしていただきます。
試験範囲は国連について」
えっ、教室がどよめいた。
選抜クラスだけあってみんな優秀そうに見える。
一番後ろの席にあっくんがいる。目が合うと、あっくんが頷いた。
「——彼の発言に間違いがあったり、質問や気になることがあればどんどん発言してください。
普段、他者の噛み砕かれた知識を耳にする機会はほぼないと思います。
ここから何か得るものがあるかも知れませんし、ただの退屈な時間となる可能性もあります。
後者と判断できれば、お得意のイヤフォン装着で自習していただいても、昨夜の睡眠不足を補う昼寝時間にしても構いません。
なお、毎度申し上げますように、皆さんの授業態度は基本的に評価しませんのでお気になさらず」
そう言って、先生は教室を出ていこうとした。
——が、一人の生徒の挙手に振り返った。
ミスターコン優勝者、高橋くんだった。
「先生、いいんですか。入部試験なのに」
抑揚のない、淡々とした話し方が教室に響いた。
でも、その声でその場の女子たちが一斉に高橋くんを見たのはきっと、気のせいじゃない。
ええ。先生はにっこり微笑んだ。
「試験監督の皆さんから感想を聞いて判断します」
「——全員聞いてない場合は?」
高橋くんは人形みたいにきれいな顔で続ける。
基本的に彫刻のように無表情、感情が読めない所は中等部の時から変わっていない。でも、そんな所がミステリアスでたまらないと女子たちは熱く語る。
「その時は彼が不合格になるだけですねー」
先生は満面の笑みで断言した。
そして、本当に教室を出ていった。
その場に残されたおれを、教室中の視線が襲った。
おれは、冷たい手先を握り締めた。
——あなたは興味深い思考回路をお持ちです。
先生はそう言った。
——私が認めたあなたが、それを断ることはとてつもなく愚かなことです。
——数少ないあなたを評価する者の頼みを断れば——。
確かに、これまでおれを評価してくれた人なんて、あっくんくらいしかいなかった。
なんで、よりによって森先生がおれなんか認めてくれたのか分かんないけど、でも、ああ言ってくれたことは、嫌じゃなかった。
深呼吸をする。
みんなを見回した。
やってみよう。
先生も、完璧なんて求めてないって言ってたし。
「……は、初めまして。1組の成田といいます」
震える声で自己紹介した。真ん中の席の高橋くんと目が合った。ガラス玉みたいに無機質な目でこっちを見ている。
窓を雨が叩く音がする。暗い空に雨の止む気配はない。
「おれは、その、勉強が得意じゃなくて……」
クラスの半数以上が下を向いた。数人がイヤフォンを耳にはめる。
あっくんとまた目が合う。
——大丈夫。
「でも、ロシアのウクライナ侵攻があって……おれは、知りたいと思いました。
今、世界で何が起こっているのか。
世界が平和であるために、世界は何もしていないのか」
また一人、イヤフォンを耳にはめた。
「調べているなかで、国連、というものの存在を知りました」
手元のメモ帳を見下ろした。忘れないようにメモしたものだ。
でも、メモ帳を開こうと思わなかった。
知った知識を自分の言葉で伝えたかった。メモ帳を見たらきっと読むだけになってしまう。
「それで、驚きました。国連って、国際連合の略だったんです」
ブフッ、どこかで吹き出す声がした。
「あ、あと、国際連合は世界平和のための機関で、いわゆる、地球防衛隊だと知りました」
一瞬の間。
「ンンッ?」
「おいおいおい」、「今、なんつった?」急に男子たちが身を乗り出した。
今まで一度も顔を上げていなかった数人もこっちを見た。
「成田くん、説明してよ」
前のボブカットの女子が肩を揺らしておれを見た。
その顔は笑顔だ。
でも、なんでだろ。
なんか、笑われても嬉しい。
あっくんも嬉しそうにみんなを見ている。
「始まりは第一次世界大戦」
「いや、そこからかよ」
スポーツ刈りの男子がイヤフォンを外した。
「第一次世界大戦は、すっごく昔に起こった戦争なんですけど」
「1914年から4年続いた戦争のことね」
前にいたポニーテールの女子が小声で言ってくれた。おれはお礼を言う。
「驚いたのは——」
「歴史上はじめての世界戦争と言われてること、ですか」
茶髪の男子が聞いてくれた。
「いや、おれのおじいちゃんも生まれていない時代から、そんな戦争があったことに驚いて」
「個人的感想かよ」
「この戦争では今まで使われたことのなかった新しい兵器が使われて——」
「戦車、戦闘機、毒ガスなどの化学兵器」
前髪の長い男子が補足してくれる。またお礼を言う。
「とにかくたくさんの人が死んだそうです。
その数はあまりに途方もない数で、おれにはピンとこなくて。
でも、あっく……おれの友達から、東京ドーム何個分も人が亡くなったって聞いて、すごく、ショックでした」
教室が静かになった。
「おれは、推しのミクミクのライブに行ったことがあるんですけど」
「いや、なんの話?」
「東京ドームで、たくさんのファンと一緒になった時、その一体感がうれしくて。
だから、それだけの数の、さらに何倍も多くの人が死んじゃったら、すごく悲しい、と思う」
ボブカットの女子が頷いてくれた。
「だから、おれはすごく、戦争を嫌だ、と思いました」
「いいじゃん」
スポーツ刈りが呟いた。「それで?」
「それで」
息を吸い込んだ。
「第一次世界大戦中、ある国の大統領が終戦のきっかけになる原則……」
「アメリカの、ウィルソン大統領の14カ条の原則」
金縁眼鏡の女子が教えてくれる。おれはお礼を言う。
「——そのアメリカの大統領の原則はとにかくすごい原則で、
その大統領はすごい賞もとったんです」
「せーの、ノーベル平和賞」
後ろに座るスポーツ刈り男子三人が声を合わせて言った。おれは吹き出した。その場からも笑いが起こる。
「あ、ありがとうございます……」苦笑するしかない。
「いーよ、いーよ」三人は楽しそうに手を振った。
「だって成田くんさ、すげぇ頑張ってんじゃん」
——え。
「それにさ」もう一人が言う。
「ただ聞いているだけの授業より、話し合ってる感覚がすげぇ楽しい」
……話し合ってる?
「同じ目線で話しかけてくる感覚は、聞き手側としては嬉しいし」
同じ目線。
——だって。
常に、同じ目線で話をしてくれる存在が、おれはすごく嬉しかったから。
あっくん。
あっくんを見る。あっくんは目を細めて笑った。
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