第32話 閑話 瑾曦・2
事件の調査として取り調べの様子を見学したあと。
「梓宸。ちょっと二人きりになりましょう」
「お!? おぉ!? おおお!? ついにか!? よし内廷の部屋に来てくれ!」
なんとも浮かれる劉宸だが、分かっているのだろうか? 今の凜風は獲物を前にした虎の瞳をしているのだが……。
(……爺さん、あれ、マズいんじゃないか?)
瑾曦が小声で張に確認すると、張も困ったように顎髭を撫でた。
(そうですなぁ。貧乳扱いされたことがずいぶんお気に召さないようで。……おそらく地元にいた頃から
(あぁ……)
後宮には胸の大きい妃もたくさんいるからなぁ。と同情する瑾曦であった。かくいう彼女も上位に位置しているのだが。
(……死にはしないよな?)
(ご安心を。凜風様は荒事の経験が豊富なようで。人がギリギリ死なない範囲は分かっているでしょう。いざとなれば神仙術で回復すればいいのですし)
(それは安心していいのかい?)
こっちは心配しているというのに劉宸は浮かれた様子で凜風を内廷(皇帝の私的空間)に連れ込んだ。
あー、まぁ、少しは痛い目に遭えばいいか。
瑾曦が全てを諦めてからしばらくして。皇帝の叫び声とゴキベキバキという音が外廷にまで響いてきた。
◇
偉大なる皇帝陛下は謎の腹痛と腰痛と首痛で動けなくなったので、今日の事件調査は終了。解散となった。
凜風は今日も後宮に泊まるというので、一緒に内廷を通り抜け、後宮に繋がる門を潜る。そのまましばらく後宮の中を歩いていると、
「――あら、野蛮人と道士が一緒だわ」
「怖いわねぇ」
「一体に何を企んでいるのやら」
そんな蔑みの声が瑾曦の耳に届いた。
視線を向けると、そこにいたのは三人の中級妃。いかにも馬鹿にしきった目を瑾曦と凜風に向けている。
普通であれば『格』の関係であんな無礼な口はきけないものなのだが……彼女たちは瑾曦と対立関係にある太妃派であり、藍妃・海藍の庇護があるのであれだけ強く出られるのだろう。
あとは、相手が『下賤な』北狄の女と、身分も怪しい道士であることも一因だろうか。
いざ瑾曦が報復に動いたとき、海藍と太妃派が守ってくれるとは限らないのだが……。中級妃程度ではそんなことにも気づけないらしい。
後宮ではよくある光景。
複数からの明確な敵意を向けられれば、普通は萎縮したり心に傷を負ってしまうものだ。
さて、『面白い』この女はどんな反応をするだろうかと瑾曦が期待の目を凜風に向けると――
「――あ゛ん?」
思いっきり、睨み付けていた。
それどころか『殺気』を放っていた。
「ひっ!?」
「な、なによ!?」
「あ、あわわ……」
他の妃からの敵意には慣れていても、狩人からの殺気を受けたのは初めてなのか面白いくらい動揺する中級妃たちだった。そのまま泡を食って逃げ出してしまう。
「…………」
そして容赦なく追いかけようとする凜風。
「いやいやいや、待て待て待て。マズいマズいマズい」
思わず凜風の首根っこを掴んで止める瑾曦であった。
◇
「凜風はさぁ、もうちょっと手加減をしてやれないのかい?」
思わず苦言を呈する瑾曦だが、凜風に悪びれた様子はない。
「喧嘩を売ってきたのはあっちでしょう?」
「いやまぁ中級妃についてもそうなんだが……皇帝陛下にもだよ」
「手加減をしていなければ今ごろ梓宸は天に召されておりますが?」
「天に召されるってのは欧羅の考えだったかい? いやそうじゃなくて……。あたしは凜風のことが気に入っているからね。あまり無茶をして後宮を追い出されたら面白くないんだよ」
これは瑾曦の紛れもない本音であった。劉宸相手に嫉妬心など抱かないのだから、凜風のような面白い女とは長く付き合いたいというのが本心だ。
「そもそも私は長居するつもりはありませんが」
「まだそんなことを言っているのかい……。とにかく、いくら幼なじみでもやりすぎると嫌われるよ? こういうのは色々と加減をしてだね――」
瑾曦の助言に対して、凜風は憂鬱そうなため息をつく。
「――むしろ、
「……なんだって?」
「本来なら私は梓宸が皇帝になった時点で――いいえ、梓宸が
「……よく分からないが、今からでも嫌われて追い出されれば元の予定に戻ると?」
「えぇ、そうなるんじゃないかなぁ~とですね――痛い!?」
思わず凜風の脳天に手刀を叩き込む瑾曦だった。
「あんたは自覚がなさ過ぎる!」
「じ、瑾曦様?」
「あいつが
「え? え……?」
「あの単純馬鹿が皇帝を目指したのはなぜだと思う? 皇帝になってからも一生懸命仕事をしているのはなんでだと思う? 美人なんて好き放題選べるってのに、それでもなお凜風を迎えに行ったのはどうしてだと思う? ――凜風が好きで、凜風と結婚したかったからだろうが!」
「…………」
「一人の男の人生をこれだけ狂わせておいて、自己満足でハイさようならなんてのは許されないよ! 天が許してもあたしが許さないよ! 自分がやったことなら最後まで責任を取りな!」
「い、いえ、でもですね……」
「言い訳しない!」
もう一度瑾曦が凜風の頭に手刀を叩き込むと、凜風は耐えきれないとばかりに呻きながらしゃがみ込んだ。実際、瑾曦は狩りで鍛えていたので威力は高いのだろう。
「暴力はんたーい……」
「皇帝を足蹴にしている女が、面白い冗談だね」
「……瑾曦様はどういうつもりなんです? 私の応援なんかして……。あなた梓宸の子供まで産んだんでしょう?」
「あたしだって一国の王女なんだから、必要とあれば子供くらい産むさ。それで祖国が豊かになるのなら願ったり叶ったりだ」
「……私には、そんな覚悟なんて持てません」
「ははっ、いいことを教えてやろう。覚悟なんてのは状況に応じてあとから付いてくるもんだ。難しいことは後から考えて、まずは突撃すればいいんだよ」
「それはもう最初から覚悟が決まってませんか?」
「はははっ、まっ、少しはゆっくり考えてみればいいさ。皇后じゃなくても愛妃になるって手もあるしね」
「…………。…………。……いや待ってください。私が梓宸のことが好きみたいな前提で話すのはやめてください」
「嫌いなのかい?」
「きーらーいーでーすー! 私のことを12年も放置していた男なんて、きーらーいーでーすー!」
「はいはい」
素直じゃない妹を見るような目で笑う瑾曦であった。
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