第7話 閑話 凜風という女(皇帝・梓宸視点)


 まだ少年か、青年と呼べるような年齢だった頃の話。


『――あなたは皇帝になるのよ』


『――皇帝になって、あの女共に復讐するのよ』


『――両手両足を切り落とし、それでも殺さず、地べたを這いずり回らせて、一生後悔させてやるのよ』



 俺の母親は、よくそんな呪詛を吐く女だった。

 自分は皇帝の妃だったとか、俺が皇帝の息子だとか、嫉妬に狂った他の妃たちに嵌められたとか、そんな、にわかには信じがたい話をする女だった。


 もちろん俺自身も本気で信じていたわけではない。

 地元の人間も、狂人の戯言だと相手にしていなかった。男に捨てられた可哀想な流れ者の女だと。


 ただ、ひとりを除いては。


「――信じてあげなさいよ」


 とある日の河原で。母親の妄言癖はどうにかならないものかと愚痴をこぼすと……彼女、凜風はそんなことを口にした。


 とてつもない美少女だと思う。

 烏の濡れ羽色・・・・・・をした髪の毛は艶やかに腰まで伸び、肌の白さは寒い年の初雪を思わせる。

 そして、瞳。

 他に例がないという金色の瞳はまさしく黄金のような輝きで。彼女の美しさを一層際立たせていた。


 そんな美貌に対し、家柄も決して劣っていない。

 今はなき南朝貴族の末裔。かつ、ここら一帯を実質的に支配する大商家の愛娘。……そして、日傭取りである俺の雇い主の娘。

 本来なら声をかけることすら憚られる存在であるのに、凜風はなぜか暇を見ては俺に話しかけてきてくれた。


 …………。


 もしかして俺のことが好きなのか?


 と、聞いたら殴られた。拳骨で。


 まぁ俺は肉体労働で鍛えているし、凜風は同年代の女子に比べても小柄なうえ、そもそも本気で殴られたわけではないので痛くはない。猫に甘噛みされているようなものだ。


「信じてあげなさいよ」


 先ほどの拳骨が幻であったかのように話を続ける凜風だった。


「愛する人から捨てられて。妃の座からは蹴落とされ。そのうえ実の息子にすら信じてもらえないだなんて可哀想すぎるじゃない」


「……可哀想だから話を合わせてやれってことか?」


「違うわよ。そんなことをする必要なんてない。だって発言内容は一貫しているじゃない。皇帝の愛妃で、貶められて、追い出されて……。あの人はずっと事実を話しているのよ」


「まさか、本当だとでも? 本当に俺が皇帝の息子だとでも?」


 ついつい鼻で笑ってしまう。俺に学はないが、馬鹿じゃあない。都の人間が好きな小説でもあるまいし、そんな非現実的なことがあるわけ――


「――現実よ」


 まるで心を読んだかのように凜風は断言した。

 彼女と話しているとこういうことがよくある。

 本来なら怖がったり気味悪がったりするものなのかもしれないが、あの金色の瞳を見ているとなぜか「そういうもの」として受け入れてしまう俺だった。


「そもそもあなた、私の言うことが信じられないの?」


「…………」


 ここで他の女が相手なら「信じてやれずに傷つけてしまっただろうか?」と不安になるところ。

 だが、凜風の場合は「この私の言うことが信じられないの? そんなはずないわよね? 何とか言ったらどうなの? 返事次第では――」と脅されている気になるのはどうしてだろうか?


 ……日頃の行いだな、うん。


「ぶん殴るわよ?」


 そういうところが「日頃の行い」なのだが。という指摘ツッコミは言葉にする前に飲み込んだ。本当に拳が飛んでくるからな。


 呆れたようにため息をつく凜風。


「まぁいいわ。別に『皇帝になれ』とまでは言わないから、これからはもう少しだけお母様に優しくしてあげなさい」


「へいへい」


「なに? その返事は?」


「……はい、分かりました」


「うん、よろしい」


 満足げに笑った彼女はやはりとてつもない美少女であり。


 正直言えば、

 俺は、その笑顔が好きだった。


 今のようなやり取りも好きだった。

 楽しかった。

 ずっと一緒にいたいと思っていた。


 でも、俺はしょせん流れ者の息子であり。


 南朝貴族の血を引き、大商人の娘でもある凜風とずっと一緒にいることなんて不可能だった。

 それこそ、俺が皇帝・・にでもならない限り――


 ――――。


 逆に言えば。

 俺が相応の地位に就けば、凜風と添い遂げることも可能になるのか。


 皇帝になんて興味はないし、どんな仕事をしているのかすら知らない。何をすればいいのかなんて分からないし、なれたとしても凜風を手に入れられる保証などない。


 でも、

 それでも、

 俺には、これしか道がなかった。

 凜風と一緒にいるために――


「――俺は、皇帝になる!」


「あなた馬鹿でしょう?」


 即座の否定に俺の心は折れた。音を立てて。

 思わず膝を突いてうなだれると、凜風も視線の高さを揃えるようにしゃがみ込んだ。


「まぁ、でも、馬鹿な男は嫌いじゃないわ」


 俺の頭を撫でながらくすくすと笑う凜風。西洋に住むという聖女はきっとこのような笑い方をするに違いない。あるいは人を破滅させるという悪魔は以下略。


「梓宸。読み書きもできないままじゃ皇帝になれないわよ?」


「む、勉強か……」


 勉強には苦手意識があるが、それ以前の問題として勉強することは難しいだろう。この辺には小学(庶民向けの学校)なんてないし、近くに住む賢人に教えを請うだけの金もない。何かをしてもらうなら代償として金を払う。当たり前の話だ。報酬もなしに勉強を教えてくれる奇特な人間なんて――


「しょーがないわね。ここはお姉さんが勉強を教えてあげましょう」


 いた。

 奇特の塊のような人間が、目の前にいた。

 同い年なのに姉扱いを求めてくる人間を、奇特以外の何と表現すればいいのだろう?


「……いや凜風。姉って。一月早く産まれただけで姉ぶられても……」


 凜風を『姉』扱いするのは無理がある。こいつは同年代の女の中でも背が低く、女性らしさの指標となる胸部の膨らみも絶無絶壁――


「あ゛ん?」


「わ、わーい、凜風お姉ちゃんに勉強を教えてもらえるなんて光栄だなー」


 表向き喜んだ俺だったが、内心では冷や汗を掻いていた。

 なにせ凜風は天才だ。一度読んだだけの本の内容を数年後もそらんじることができるほどに。

 つまり、彼女にとって、勉強とは『一度読んで覚える』だけのことであり。そんな彼女が凡人にまともな教育を施せるのかというと……。




 とても、とても苦労した。

 あのときのことを、俺はそう表現することしかできない。



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