第6話 親衛隊長


 謎の腹痛に苦しむ幼なじみを見下していると、部屋の中の騒ぎを聞きつけたのか、鎧を身につけた男性が室内に駆け込んできた。


「梓宸! どうした!?」


 下町の屋敷とはいえ、皇帝陛下のいる場所に帯剣土足で入り込めるのだから禁軍の近衛兵(親衛隊)だろう。……いや近衛兵にしてはありえないほど乱雑な口調だけど。皇帝の昔の名前を呼び捨てとかありえないだろうに。


「おいどうした!? 無事か!?」


 近衛兵が梓宸に駆け寄り、慎重に助け起こした。


 さて、面倒くさいことになった。

 この場にいるのが浄や張さんだけならいくらでも誤魔化しがきいただろうけど、赤の他人である近衛兵に知られてしまった。


 ここはやはり当初の予定通り安心安全信頼実績抜群の神仙術で近衛兵の記憶を消してしまおうか……。


 私が仙人らしからぬ悪巧みをしていると、梓宸から説明を受けた近衛兵が私に歩み寄ってきた。


 大きい。


 身の丈六尺を越える浄よりもさらに大きい。身長はもちろんのこと鍛え上げた肉体はもはや岩山のよう。鬼神もかくや。神仙術を使っても勝てる気がしないわ、これ。


『…………』


 近づいてくる近衛兵と私の間に浄が割り込もうとする。

 でも、私はそれを手で制した。心配してくれるのは嬉しいけれど心配は無用だ。


 だって、この近衛兵からは殺気が感じられなかったから。

 むしろその瞳からは好奇心や親しみすらにじみ出ていて……?


 う~む、改めて見ると中々の美丈夫だ。いかにも『好漢』といった雰囲気を醸し出している。年齢は二十代の後半から三十代の前半ってところか。


 小麦色をした肌色やハッキリとした目鼻立ちからして『北狄ホクテキ』の人間かもしれないわね。

 北方で暮らし馬を自分の手足のように扱うとされる彼らは古来より蛮族とされてきたけれど、最近では中央の役人になる北狄出身者も多いとか。


 そんな近衛兵は私の目と鼻の先で立ち止まり――


「――嬢ちゃん! 皇帝陛下を殴るとはやるじゃないか!」


 なぜだか嬉しそうに私の背中を叩いてきた。殺気はない。敵意もない。でも岩山のような肉体から繰り出される張り手は、本人にそのつもりがなくても結構な破壊力を秘めていてとても痛い。ものすっごく痛い。背骨折れるんじゃなかろうか?


『やめろこの馬鹿力!』


 浄が引きはがしてくれたので私はやっと衝撃の連続から解放された。


 乱暴に引き離された近衛兵は、しかしどこか嬉しそうに浄へと視線を向ける。


「おっ、青年。その歳の割には鍛えているな。名は何という?」


『……人に尋ねるときはまず自分から名乗れ』


「はっはっはっ、それもそうか。俺の名前は孫武スェンウー。皇帝陛下の親衛隊長をやらせてもらっている。ま~こいつは軟弱だから鍛えてやってもいるんで、そういう意味だと師でもあるな」


 こいつって。近衛の隊長が皇帝陛下をこいつ扱いって。

 あと幼なじみとしての贔屓目を抜きにしても梓宸は荷運びで鍛えた肉体を誇っているはずなのだけど……。うん、孫武さんに比べると軟弱に見えてしまうかもしれない。その場合、世間一般的な男性はみんな葦や枯れ枝になってしまうけれど。


「で? お前さんは?」


 孫武さんからの改めての問いを受け、なぜだか浄は私の腕を抱き寄せた。


許浄・・。許凜風の息子だ』


 許というのは私の名字だ。

 まぁ、死んだ母鹿に代わって浄を育てたのだから、その意味では息子と表現しても間違いではないかもしれない。

 ちなみに人の姿を取っている浄の外見年齢は十代後半くらいに見える。いくら何でも実の息子と誤解されることはないはず――


「む、息子!?」


 と大声を上げたのは梓宸。「いつの間に子供を産んだのだ!?」と、この世の終わりみたいな声で絶叫している。


 私の歳でこんな大きな息子がいるわけないだろうに。もしかして梓宸は私が思っている以上に阿呆だったのだろうか? 昔、「読み書きもできないままじゃ皇帝になれないわよ?」と勉強を教えてあげたのに……。


 放っておくとさらに騒ぎ出しそうなので補足説明することにした。


「義理の息子よ。私が産んだわけじゃないわ」


 私の説明に浄が深々と頷いた。


『そう、義理だ。血縁はないから何の問題もない・・・・・・・。凜風を12年も放っていた貴様よりは可能性があるだろう』


「ぬ、ぬぬぬ……」


 なぜだか勝ち誇る浄と、なぜだか悔しがる梓宸。なにこれ? どういう状況よ?


「鈍いですなぁ」


 心底面白そうに頬を緩める張さんだった。

 張さんは頼りにならなそうなので私はこの場に残った最後の一人、親衛隊長の孫武さんに視線を投げかけた。この状況を何とかしてくださいと。


 孫武さんはすべてを理解したように頷いてから私の肩に手を置いた。


「嬢ちゃん。いや、凜風だったか? 未婚のまま息子を育てるのは大変だろう? ここはいっちょ俺の嫁にならんか?」


 …………。


 ……はぃ?


 なんでそうなるの?


 いや女手一つで子供を育てるのは大変だから、稼ぎ頭である夫が必要だという理屈は分かるけど……。


 孫武さんは衝撃で固まった梓宸(と浄)を親指で指差した。


「だいたいこの男は軟弱すぎる。惚れた女がいるならグダグダと理由を並べ立てる前にまず迎えに行けばいいのだ。だというのに12年も待たせやがって……。こんな情けない男にお前さんのような面白い女はもったいない。だから俺の嫁にならんか?」


 いやそりゃあ皇帝陛下をぶん殴る女は面白いでしょうけど、これ、どちらかというと珍獣扱いされてないかしら私?


「ちょ、ちょっと待て孫武!」


『そ、そうだそうだふざけるな!』


 孫武さんに仲良く詰め寄る梓宸と浄だった。なんだろうこれ? さっきより混沌としているんですけど? 西洋風に言えばカオス……。


「そうとうに鈍いですなぁ」


 張さんも面白がってないでそろそろ止めてくれませんかね?





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