第六話

 それからどのくらい時間が経ったろうか。

 俺は泣き疲れてしばらく眠っていたらしい。何にせよ、俺が目覚めたのは身体への振動と声だった。


「──蒼太。あんた一人でよく頑張ったね」


 目を開くと母さんが、しゃがみ込んで俺を揺さ振っていた。

 俺は激しく安堵したが、同時に驚いた。

 母さんが普段だったら絶対に着ない、じいちゃんと同じ袈裟衣をまとっていたからだ。



 俺「──その格好、一体どうしたの?」

 母「──私も、もう一生着たくないと思っていたわよ。それより、一緒にお父さんのところに急ぎましょう」



 俺は躊躇ためらったが、すぐに母さんに従った。

 本堂の引き戸を開くと、じいちゃんは俺が最後に見た位置ではなかったが、確かに外陣に横たわっていた。両方の眼をバチバチに開き、それでも微動だにしないその姿は、何か睡眠中の吸血鬼を想わせ本当に気持ちが悪かった。


 俺が噛みつかれそうになった話をすると、母さんは今後の事も考えて、まずは口を塞いでおくと言った。

 問題はそのやり方だ。


 俺は破れていない座布団を拾うと、じいちゃんの頭側に回った。

 母さんはガムテを持ち、身体側からゆっくり近付いて行く。

 もしじいちゃんが動いた場合、俺が座布団でカバーする──これが作戦だった。

 母さんはじいちゃんの前で一旦止まると、しばらく様子をうかがった。

 じいちゃんはさっきと同じで、全く動く気配はない。

 不気味なのは、開いた眼も全然動かない事だ。天井に向けられたまま、ただ一点を見つめ続けている。


 母さんは、一歩、また一歩と進んだ。

 じいちゃんの身体をまたぎ、上から見下ろす格好になる。

 そして一度、ぐるぐる巻きになった胴体を足で踏みつけた。


 瞬間、じいちゃんの上半身が跳ね上がった。


 まるで平らだった座椅子がリクライニングするみたいだった。


 俺の座布団は間に合わず、じいちゃんは母さんの袖に噛みついた。

 歯の力で強く固定しながら、じいちゃんが同時にぶんぶんと頭を振る。

 咄嗟に、俺が座布団で何度も顔面を叩くと、じいちゃんはまるで条件反射のように、今度は座布団に噛みついた。


 無表情のまま、じいちゃんがそれを食べだしたので、俺と母さんは一旦、退避した。

 袈裟の袖が長かったので母さん自身に怪我はなかったが、噛みつかれた部分はびりびりで、しっかりと歯型も付いていた。

「なかなか骨が折れるわね──」母さんが言った。


 その後、何度かの失敗のあと、じいちゃんをうつ伏せの姿勢に持って行った俺たちは口にタオルを噛ませ、それを縛る事に成功した。

 正直、途中から何をやっているかよく解らなくなり、まるでテロリストの拷問係みたいな気分だった。

 俺と母さんはそれだけでかなり疲労し、しばらくの間、休憩した。


 次に母さんは、総代さんが残していった例の壺を調べ始めた。

 母さんはそれを手に取ったり、割れ目を覗き込んだり、また臭いを嗅いだりしていた。

 俺も近くに寄ってみると、壺の中は黒く汚れていて、まるで粉状の炭でも入れてあったかのようだった。不思議と臭いは特に感じなかった。



 俺「これ、一体何なの?」

 母「これは──オミキよ」

 俺「オミキ? それって神棚とかに置く、あのお神酒?」

 母「そう。ただしオミキには表と裏があって、蒼太が言ってるのはいわゆる表のお神酒。これは裏のオミキよ。表が神様なら、裏は神様じゃないものへの供物なの」

 俺「──じゃあ、じいちゃんには、何か神様じゃない悪いものが憑いているってこと?」

 母「まあ──そういうことになるわね」



 俺は今までずっと言い出せなかった質問をした。



 俺「母さん、どうして今まで黙っていたのさ? 俺に嘘まで吐いて──」

 母「そりゃあ決まってるわ。こんな世界に関わりたく無いからよ」

 俺「こんな世界って、そんな言い方──」


 母「あんたは知らないと思うけど、そもそもお父さんが所属している宗派には、除霊やお祓いなんていう儀式はないの。それは本山に行って修行するときだってそう。そんな事をやれという慣例も無いし、やり方だって習わないものなの。それなのに、お父さんは勝手にやっている。──どうしてだと思う?」


 俺「力がある、から──?」


 母「──あんたも見たんでしょう? お父さんの集めている呪物のコレクションを。──あれ、どういう目的で置いてあるか、


 俺「たしか、中のものが消えるまで置いてあるって──」


 母「半分は本当。だけど、半分は嘘よ。お父さんがあれをさっさと処分しないのは、。毒をもって毒を制すじゃないけれど、強い呪いは扱い方によって強い力になるわ。ただし、それなりの代償が必要になる──。


 ああ見えて、お父さんの身体はボロボロなの。腎臓の一つと、肝臓の一部が機能しなくなっている。ホント、よく生きてるわと思うくらいよ。それが、力のために払った代償──。


 私は、あんたにこんな世界を覗いて欲しくなかった。興味を持って欲しくなかった。だから、出来るだけ遠ざけようと思った。それなのに、お父さんはあんたを巻き込んだ! 私の努力も知らないで、自分勝手に──」



「お前の所為だ」



 声がした。

 見ると、じいちゃんが無表情のまま、こちらを凝視していた。

 結び方が緩かったのだろうか、タオルがいつの間にか外れていた。

 じいちゃんは感情の無い声で続けた。



「お前が逃げ出さなければ、こんな事にはならなかった。お前が寺と、この役目を継いでいればこんな事にならなかった。お前がどこの馬の骨とも判らん男と駆け落ちしなければ、こんな事にはならなかった。ワシが蒼太を巻き込んだのでは無い、お前が蒼太を巻き込んだのだ。全てお前の所為だ。お前の所為だ。お前の所為だ。お前の所為だ。お前の所為だ。お前の所為だ──」



 その言葉はじいちゃん本人が語っているのか、それとも何かに言わされているのか、よく解らなかった。ただ、それ以上のことはなるべく考えたくなかったし、知りたくなかった。


 俺と母さんはまた、じいちゃんにタオルで猿ぐつわをした。(今度はギリギリ限界まで固く結んだ)

 しばらくの気まずい沈黙が続いたあと、母さんは「──儀式を始めるよ」と言った。

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