第五話

 俺はじいちゃんに駆け寄った。

 畳の上のじいちゃんは肩で小さく息をしていて、赤く腫らした頬が痛々しかった。

 俺が何度も声をかけると、ようやくその目を薄く開き「──やっちまったよ」と言った。



 俺「大丈夫なのか、じいちゃん! いったい──何がどうなったんだ?」

 じ「──お前は──どう感じている?」

 俺「まだテストするのかよ? そんな場合じゃないだろ!」

 じ「──本当は、解っているのだろ? お前は、どう感じている?」



 俺は言葉に詰まったが、仕方なく感じたままを言った。



 俺「──じいちゃんの中に────」

 じ「そうだ。正しい直感だ。──だから、良いか蒼太? 今からワシは幾つかの指示をお前に伝える。もしかしたら奇妙に思う事もあるだろうが、必ず言われたとおりにやって欲しい。これは、本当に、一刻を争う事なんだ──」



 じいちゃんはまず俺に、庫裏くりからロープとガムテープを持って来させ、自分の手足を縛り、また銀行強盗の人質みたいにガムテでぐるぐる巻きにするよう言った。

 苦労して俺がそれを終えると、今度は総代さんの様子を見るように言った。


 顔面を畳にくっ付けて伸びる総代さんは、じいちゃん以上に痛々しく、「──コレ、死んでる?」と思ったくらいだったが、鼻の辺りに手を近づけるとしっかり息があった。


 じいちゃんは続いて医者を呼ぶように言った。ただし、電話するのは女の子の時と違って本当に近所の「■■医院」という町医者だった。

 曰く、「あそこの老医院長はワシの同級生で、頼りになる」とのこと。実際、電話口で事情を説明すると、「住職の為ならすぐ行ってやる」との返答だった。


 医者の到着を待つ間、じいちゃんは次の指示を出したが、それは俺を驚かせた。

 なんと、「母さんを呼べ」というのだ。

 俺は困惑しつつ、じいちゃんの居る前で電話するのが躊躇ためらわれ、一度本堂の外に出た。


「何で私が行かなくちゃいけないのよ!」


 ──そんな感じで、キレ散らかされる未来しか見えなかった。


 電話口の母さんは、確かに初めはそんな雰囲気だった。

「じいちゃんは変な人間で、何故お前がそこへ行きたがるか理解できない」とも言った。が、今起こっている事態を順に話して行くと豹変し、



 母「──本堂の外の四隅に、飾りの付いた■■が立てて置かれてあるでしょう? それが抜けたり倒れたりしていないか、今すぐ確認しなさい。その結界がもし破れたら、お父さん(じいちゃんのこと)は大変な事になる。それから、お父さんの身体はちゃんと拘束した? ──ああ、もうやったのね。悪いことは言わないから、私の到着までにガムテープはもっとしっかり巻いた方がいいわよ?」



 俺は呆気に取られながら電話を切った。

 どうして母さんが、こういった事に詳しいのか訳が解らなかった。(ちなみに、本堂の四隅にあったものは抜けたり倒れたりはしていなかった)


 やがて、■■医院の医者が二人、本堂に現れた。

 一人は縦にも横にも大柄な、じいちゃんとは種類の違うお爺さん。そして、その息子さんらしい中年男性だった。


 二人は堂内の異様な様子──血まみれの総代さんや、縛られたじいちゃん──を見て、とても驚いた表情を見せた。


 考えてみれば、警察に通報されてもおかしくない状況だった。

 けれども、すぐにお爺さん先生の方が、「──住職、これは一つ貸しだからな?」と言い、総代さんの診察を始めてくれた。命に別条は無いが、精密検査が必要、との診断だった。


「──ところで住職、あんたの治療は必要ないのかね?」お爺さん先生が言った。

「必要ない。それより、ここには長居しない方がいい」じいちゃんが言った。

「そうか。──さっきも言ったとおり、あんたは私に貸しがある。それを返すまで、何があっても死ぬんじゃないぞ?」


 お爺さん先生はそう言い残すと、折り畳み担架に総代さんを乗せ、本堂から運び去って行った。

 二人でぼんやりとそれを見送っていると、おもむろにじいちゃんが言った。



 じ「──なあ、蒼太。そろそろ、ガムテープとロープを解いてくれないか?」

 俺「──え? どうしていきなり?」

 じ「ロープがな、手に食い込んで痛いのだよ」

 俺「さっきと、言ってることが違うじゃないか」

 じ「──ほんの、ほんの少しで良いんだがなあ」

 俺「ロープを解くには、まずガムテープを全て取らないと。そんな簡単には出来ないよ?」

 じ「それじゃあ──本堂の外の四隅に■■が立てて置いてあるだろう? あれはもう不用だから、?」



 ──

 俺がそれに気付いた瞬間、じいちゃんが跳ねるように上半身を起こした。

 不気味な低い唸りと共に、がちがちと歯を鳴らし、俺の顔面に噛みつこうとする!

 が、咄嗟の機転で俺は畳の座布団をつかんでいた。


 じいちゃんの口が座布団に食らいつき、むしゃむしゃと咀嚼そしゃくする。

 俺が飛び退って逃げると、口の端から千切れた布と中綿がこぼれ落ちた。


 じいちゃんはしばらく、獣のような唸り声と歯ぎしりを続けていたが、ふいにそれを止め、まるで何事も無かったかのように、


「──なあ、蒼太。そろそろ、ガムテープとロープを解いてくれないか?」と言った。


 俺は本堂を逃げ出した。

 こんな状態のじいちゃんを、監視し続ける勇気も自信もなかった。

 庫裏の一室に逃げ込んだ俺はそこで膝を抱えるように縮こまり、ただ母さんを待った。


 本堂からはときおり、何か身体をぶつけるような衝突音や、「──なあ、蒼太?」「──ほんの少しで良いんだ」と呼ぶ声が続いていた。頼れる人は誰もおらず、こんな寺にただ一人で居ることが余計に不安を募らせた。


 ふいに、夢うつつに感じたあのヘドロの臭いがどこかからまた漂った。

 俺はそれを切っ掛けにして、声を殺して泣いた。

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