第13章: 最後の選択

1. 覚悟の決断


3月下旬、桜が満開に咲き誇る季節、僕は研究施設で千紗を待っていた。両親との対話を終えた彼女が、どんな決断をしてここに来るのか、正直なところ僕にはまだ予測がついていなかった。隣に立つ佳奈も、どこか落ち着かない様子で、何度も窓の外の桜を見つめている。


千紗が施設に現れた。彼女の足取りはどこか重く、それでも目には強い決意が宿っているように見えた。僕は彼女を迎えるために一歩前に出た。


佳奈が先に口を開いた。「千紗ちゃん…」その声は震えていた。


千紗は僕たちを見つめながら静かに言った。「将人くん、このプロジェクトのこと、もう一度詳しく説明してくれない?」


僕はその言葉を受け、冷静に説明を始めた。「このプロジェクトは、政府の極秘研究で、量子コンピューティングを使って現実世界をシミュレートし、さらにはそれを操作する…まるでSF小説のような研究だよ。」


千紗は僕の話を静かに聞いていたが、目の奥には不安の色が浮かんでいた。「でも、なぜ私たちが…?」


僕は少し躊躇してから答えた。「実は、このプロジェクトには深い歴史があるんだ。かつて、大城戸将人という研究者がいてね。彼は…私たちのような若者たちを失った経験から、この社会システムの構築に関わったんだ。」


千紗は黙って僕の話を聞いていた。僕の中には、大城戸の記憶が重くのしかかる。彼の夢、そして犠牲。それを僕が今、どうするべきなのか。その答えを見つけることができていなかった。


「このプロジェクトは、大城戸が信じた若い世代の可能性を信じ、彼の意思を受け継いだ研究者たちによって立ち上げられた。僕たちがここにいるのは、その意志を継ぐためなんだよ。」


佳奈の声が震えた。「そんな重要なプロジェクトに…」


僕は頷きながら、目の前に立つ千紗の強さを感じた。「ああ。特に千紗さんの量子力学への理解度は驚異的だ。それに…君の浩介くんへの想いが、大城戸の経験と重なるんだ。」


千紗の表情は複雑で、何かを決心しようとしているのが見えた。「そう…でも、犠牲が必要なんでしょ?」


僕は視線を外さずに答えた。「ああ…このプロジェクトで過去を変えるには、等価交換のような原理が働く。つまり…」


千紗は僕の言葉を遮るように、「誰かの命と引き換えってこと?」と静かに言った。


僕は頷き、千紗の目を見つめた。「そうだ…浩介くんを救うためには、誰かが彼の代わりに…消えなければならない。」


佳奈が声を震わせた。「そんなの…ひどすぎる…」


千紗は窓の外の桜を見つめ、微笑んだ。「うん。私、考えたの。両親…AIの両親に、この世界は私たちが幸せになるためにあるって言われたの。」


佳奈が涙ぐみながら言った。「そのとおりよ。だから誰かの犠牲なんて…」


千紗は静かに続けた。「でも、私の幸せは…こーちゃんが生きていることなんだ。それに…私たちは試験管ベビーで、遺伝子情報は保管されてる。つまり…私と同じ遺伝子を持つ人間を…また作れるんだよ。」


僕と佳奈は驚きに目を見開いた。「でも、それは千紗ちゃんじゃない!」佳奈が叫んだ。


千紗は優しく微笑み、「うん…でも、こーちゃんなら、きっと私の分まで幸せに生きてくれると思う。それが…私の幸せなの」と言った。


僕は深く息を吐き、千紗をまっすぐに見つめて言った。「千紗さん、実は話があるんだ。この世界はね、一度書き換えられてるんだ」


千紗は驚き、佳奈は頷いた。僕は続けた。「大城戸も、かつて君のように大切な人を失った。そして…君と同じように、大切な人を救うために自分を犠牲にしたんだ。」


千紗は呟く。「そんな…」


「このプロジェクトは、君たちが幸せになるためにあるんだ。」僕は真剣な眼差しで言った。「もし君にとっての幸せがそうであるなら…その気持ちを尊重したい。でも、僕としては絶対嫌だ。最後まで他の方法を探すことは諦めない。」


佳奈が激しく首を振り、千紗の手を握りしめた。「だめよ!絶対にだめ!千紗ちゃん、こんな方法じゃなくて…私たちで一緒に乗り越えていこう。」


千紗の目に涙が浮かんだ。「佳奈ちゃん…」


佳奈は決然とした口調で言った。「千紗ちゃんがいなくなるなんて、そんな世界…想像したくもない。」


千紗は佳奈を優しく抱きしめた。「うん、私も、佳奈ちゃんがいない世界なんて想像したくない。でも、こーちゃんがいない世界も想像できなかったよ…だから…」


佳奈は叫んだ。「嫌よ!浩介くんだって、こんなこと望んでないわ。千紗ちゃんが犠牲になるなんて…絶対に許さない。」


僕は二人を見つめ、静かに言った。「佳奈さんの言う通りだ。千紗、その行動は、身勝手過ぎると思わないか?」


千紗は一瞬躊躇しながらも決意の表情を浮かべ、「ごめん。何回も…でも…このままじゃこーちゃんと会えない…」と答えた。


佳奈は涙を流しながら千紗にすがりつき、「諦めないってみんなで決めたじゃない。だから…」と言った。


僕は深いため息をつき、千紗に頼んだ。「約束してくれ。最後の最後まで他の方法を探し続ける。自分のことを犠牲にするようなことは、もう、言わないでくれ。」


千紗は感謝の笑顔を浮かべ、「ありがとう、将人くん、佳奈ちゃん、大丈夫、私も死にたいわけじゃない。こーちゃんと生きて幸せになりたい。だから…最後まで諦めないから」と言った。



2. 希望のシミュレーション


千紗の決意に触れた後、僕は再びシミュレーションルームへ戻り、データ解析を続けていた。何度も未来の可能性を探り続けているうちに、時間の感覚が薄れていく。桜の舞う外の景色さえも、今の僕には無意味に思えた。佳奈の「少し休んで」という言葉も耳に届かなかった。休んでいる暇などない。この手で千紗の選択を覆さなければならないからだ。


僕の脳裏に浮かぶのは、千紗の静かな微笑み。そして、その裏に隠された決意の重さ。彼女の思いを理解しながらも、僕は彼女が選ぶべきではない道を拒絶したい気持ちでいっぱいだった。


「本当にこれでいいのか…」


データの中に、皆が幸せになる世界が映し出されている。しかし、その裏に潜む不安定な要素が、僕の心を捉えて離さない。シミュレーションはあくまでも予測であり、未来が絶対に保証されるものではない。全員が無事に生きている姿が見えるが、そこに漂う不安定なバランスが、どこかで崩れるのではないかという疑念が拭いきれなかった。


千紗もまた、そのことを感じ取っているのだろうか。


千紗は、静まり返った研究室のスクリーンを見つめていた。シミュレーションの映像には、僕たち3人の未来が鮮明に映し出されている。新しい世界で浩介はバスケットボール部のキャプテンとして、仲間と共に活躍していた。佳奈は将来の夢を見据え、進学に向けて頑張っている。そして千紗自身も、笑顔で僕たちと共に過ごしている姿がそこにあった。


「これが、私たちの未来…」千紗は心の中で呟いたのだろう。僕にはそのつぶやきが聞こえた気がした。


僕は彼女の隣で、淡々とシミュレーションのデータを解析し続けた。「この世界では、全員が無事に幸せに暮らしている。君が望んでいた通り、浩介も、佳奈も、みんな未来を手に入れたんだ。」そう言いながらも、自分の言葉にどこか不安がよぎっていた。


千紗はしばらく黙ってスクリーンを見つめ続けていた。確かに、表面上では何の問題もない。全員が元気に生きて、未来へと歩みを進めている。しかし、彼女の心には不穏な予感が漂っていた。


「このシミュレーション、何度も確認してきたんだよね?全員が無事な未来が本当に続くって、言えるの?」千紗は静かに僕に問いかけた。


僕は一瞬、彼女の質問に答えるのをためらったが、冷静さを保つようにデータをさらに詳しく解析した。「この未来は、今のところ安定している。少なくとも、この数年の間は…。でも…」


「でも?」千紗の視線が、僕の内心を見透かすかのように鋭く感じた。


佳奈も、不安げな表情で僕を見つめていた。「将人くん、これで本当に全員助かるの?」


僕は少し間をおいて、意図的に軽い口調で返答した。「大丈夫、シミュレーション上ではみんな無事だ。全員助かっている。」


千紗はその答えを受け入れようとしていたが、その目には何かが引っかかっている様子があった。彼女はシミュレーションのデータをさらに深く見つめ始めた。しばらくして、彼女は気づいたように口を開いた。「…これって、未来のどこかで再び悲劇が起きる可能性を示しているんじゃない?」


千紗の声には冷静さと確信が混じっていた。画面に映し出された無事な未来が、永遠に続くわけではないことを彼女は感じ取っていた。一定の時間が経てば、この新しい世界のバランスがどこかで崩れ、また何らかの悲劇が起こるかもしれない。それは、シミュレーションの限界が示す現実だった。


僕は千紗の言葉に対し、軽く頷きながら言った。「そうだ…でもそれは、遥か先のことだよ。このシミュレーションから観測できる範囲では、僕たち全員が無事なんだ。それだけでも十分じゃないか?」


千紗は深く息をつきながらも、「でもそれって、私たちの知らない他の誰かが…」と続けようとした。


「それはわからない!わからないんだ!だが観測できていない以上、犠牲者はいない。そうだろう?」僕は思わず声を荒げてしまった。全員を救うことができる未来が、実際には誰かの犠牲の上に成り立っているかもしれないという疑念が、僕自身をも苦しめていたからだ。


佳奈がそっと言葉を口にした。「…私は、それでも、みんなに生きていてほしい。身勝手かもしれないけど、他の誰かが犠牲になっても、浩介くんや千紗ちゃん、将人くんに幸せでいてほしい。」


その言葉が、僕たちの胸に重く響いた。千紗も、佳奈の言葉を受け止めつつ、再びスクリーンを見つめ直した。目の前に広がる未来は、表面上は完璧に見えるが、その奥にはまだ見ぬ危うさが潜んでいることを、千紗はすでに理解していた。


千紗は微笑みながら言った。「佳奈ちゃんの言うこと、わかるよ。そうだね、これ以上はやめよう。せっかくみんなが生きている未来が見つかったんだ。誰かが犠牲になることより、今はその未来を信じたい。」


僕はその微笑みに込められた千紗の本当の気持ちに気づいていた。彼女が全てを理解していること、そしてその上で決断をしていることを。


「千紗、君がそれでいいなら…」僕は最後まで言い切れなかった。


「うん、大丈夫。ありがとう、将人くん、佳奈ちゃん。」千紗は優しい声でそう答えた。


僕たちが研究室を後にする時、千紗は一人静かに残り、スクリーンに映る未来をじっと見つめ続けていた。



3. 大切な友達


佳奈と千紗が二人で話しているのを見て、僕は遠くからその様子を眺めていた。研究施設の一室、薄明かりの中で交わされる言葉は聞こえない。だけど、二人の表情から何が話されているのかは痛いほど分かる。千紗は何かを決意している。佳奈もまた、それを理解しているようだった。


僕はコンピュータのモニターに視線を戻したが、心のどこかで千紗の声に集中していた。


「佳奈ちゃん、ちょっと話があるの」


その言葉が届いた瞬間、僕の心臓が音を立てて跳ねた。千紗は冷静に、しかしどこか硬い表情で佳奈と向き合っている。僕がいないこの時間に、千紗が何を伝えようとしているのか、それを知りたくてたまらなかった。けれど、僕はその場に割り込むことができず、ただ遠くから見守ることしかできなかった。


佳奈が不安そうに千紗の顔を見つめ、そして頷くのが見えた。二人の会話は、静かな空気に包まれていたが、そこに込められた感情は重く、痛烈だった。千紗が口にしたのは、彼女自身が犠牲になるという覚悟だと、僕は直感した。自分が何かを諦めることで、浩介と佳奈、そして僕を守ろうとしている。


僕は画面に映し出されたデータをただ見つめながら、自分の無力さに苛まれていた。このシミュレーションが何を示しているのか、僕には理解できる。けれど、千紗が自らを犠牲にしようとするその姿勢を、どうしても認めることができなかった。


「もし…私たちの誰かに何かあったら…こーちゃんのこと、みんなで支えあっていけるよね?」


千紗のその言葉が、遠くから僕の耳に届く。彼女の声は静かで、けれど深い決意が滲んでいた。その言葉を聞いた瞬間、胸が痛み、息が詰まる感覚がした。千紗は、自分が消えることで他の皆が幸せになると信じている。それが間違いだと、僕は声を大にして伝えたい。でも、千紗の固い決意を前に、僕の声は届かないだろう。


佳奈も千紗の言葉に涙を滲ませていた。僕たちは皆、同じ気持ちを抱えている。誰も犠牲になるべきではないし、誰かを失うことを受け入れることなどできない。僕たちの間に、そんな選択は存在しないはずだ。けれど、千紗はそんな僕たちの気持ちに背を向けているように見えた。


「千紗ちゃん、約束して。何があっても一人で抱え込まないって」


佳奈が千紗にそう語りかける姿を見て、僕は思わず席を立とうとした。今すぐにでも二人の元に駆け寄り、千紗の考えを止めなければならないという思いが込み上げてきた。しかし、僕の足はその場で固まり、動かなかった。千紗の決意を止めるには、何よりも彼女の信念を揺るがすだけの理由が必要だと理解していたからだ。


「千紗さん、君が自分を犠牲にするなんて、僕には絶対に認められないんだ」心の中でそう叫びながらも、僕は自分の無力さを痛感していた。



4. 新しい世界へ


夜が更け、千紗の家の灯りが一つ消えた。彼女の決断の日が迫っていることを考えると、眠れない夜が続いた。研究室で過ごす時間も、彼女のために何かできないかと考えるばかりで、思考は常に堂々巡りを繰り返していた。


シミュレーションの結果を何度も確認し、データを読み直す。何かが変わるのではないかという希望を捨てきれず、時間を忘れてデータに向き合うが、結論は変わらない。このままでは、千紗が自らを犠牲にすることでしか、皆の未来は守れない。


「まだ方法があるはずだ。千紗さんを失わずに済む方法が…」


朝が来るまでの間、僕は研究室で何度もシミュレーションを見直し、千紗の選択が唯一の解決策だとは信じたくなかった。夜が明けると、僕は千紗がいるはずの施設へと急いだ。足が止まることはなく、ただ彼女を止めるためだけに走った。


施設に到着した時、廊下には千紗の気配が感じられた。彼女がシミュレーションルームにいることを直感的に悟り、僕はその部屋のドアを開け放った。


「千紗さん!」


声が震えた。彼女は驚いた表情で僕を振り返った。スクリーンにはシミュレーションの結果が表示され、彼女の手は操作パネルの上に置かれていた。その一瞬が、僕たちの運命を左右するかのように感じられた。


「だあめだ、千紗さん!他の方法を探そう。君がいなくなるなんて、絶対に許せない!」


千紗の目が潤んでいたが、彼女は微笑んだ。「将人くん、ありがとう。でも、これが私にできることなの。」


僕は彼女の言葉を聞き入れず、パネルに手を伸ばしてシミュレーションの停止を試みた。しかし、その瞬間、千紗の指が最後のボタンを押した。


まばゆい光が僕たちを包み込み、千紗の姿が一瞬消えるように見えた。僕は手を伸ばして彼女に触れようとしたが、その感覚は虚空に吸い込まれていった。


気がつくと、僕は研究室の椅子に座っていた。視界がぼんやりとして、頭の中が混乱している。夢を見ていたかのような感覚だったが、目の前には確かに新しいシミュレーションの結果が映し出されていた。


スクリーンには、千紗が望んだ未来が広がっている。浩介はバスケットボール部のキャプテンとして輝き、佳奈は進学に向けて努力を重ねている。僕自身も、新しい研究に打ち込んでいる姿が映し出されていた。


しかし、その世界には千紗の姿がない。彼女がいたはずの場所がぽっかりと空いている。そのことに気づいた瞬間、僕の胸が締め付けられた。


「こんな世界、望んでない…」


僕はスクリーンに向かってそう呟いた。千紗がいない未来なんて、僕たちにとって何の価値もない。彼女が犠牲になったことで、この世界が生まれたとしても、それは決して幸せなものではないと僕は強く思った。


僕は立ち上がり、再びシミュレーションルームに向かった。千紗が最後に残したメッセージを探し、彼女の想いを見つけるために。ドアを開けた瞬間、そこには薄暗い部屋と、彼女が最後に触れたパネルが静かに光を放っていた。


「千紗…君はどんな気持ちでこれを残したんだ?」


僕は手を伸ばし、千紗の残したデータを確認した。その中には、彼女の最後のメッセージが込められていた。新しい未来を見届けるために、僕はそのデータを解析し続けた。



5. 千紗の遺言


将人は、静まり返ったシミュレーションルームに立ち尽くしていた。千紗のいない世界で、彼女がどのような思いでこの場所にいたのかを知りたくて、データを探り始めた。モニターに映る無数のシミュレーション結果は、千紗が何度も失敗を繰り返しながら、ただ一つの成功を見つけたことを示していた。その成功は、彼女の犠牲によるものであった。


「千紗さん、どうして…」


将人は、千紗の思いが込められたデータを見つめながら、心の奥に押し寄せる感情を抑えられなかった。彼女は浩介のため、愛する人たちのために、自分の命を差し出す選択をしていたのだ。そして、その選択は、かつて大城戸が千紗のために選んだ道と全く同じだった。


ふと、モニターの片隅に小さなメッセージが表示された。それは千紗が最後に残したメッセージだった。震える手でメッセージを開くと、千紗の言葉が浮かび上がった。


将人は、モニターの片隅に表示されたメッセージを開く。千紗が最後に残した言葉は、彼女の思いが詰まったもので、将人の胸を打った。


「将人くんへ」


千紗の声が静かに響き、将人はその言葉に耳を傾けた。


「これを見ているということは、私はもうここにはいないんだね。ごめんね、将人くん。でも、君にどうしても伝えたかったことがあるの。」


千紗の声は、どこか懐かしく、しかし力強さを持っていた。


「将人くん、君が教えてくれた量子力学のこと、そしていつも冷静で頼りになる君の姿に、どれだけ助けられたかわからない。君のおかげで、私はここまで来ることができた。本当にありがとう。」


将人の胸に、千紗の感謝の気持ちがひしひしと伝わってきた。彼女は自分が支えになったことを知っていたのだろうか。彼女の言葉は、優しさと強い信念に満ちていた。


「でも、私がいなくなった後は、君が未来を守ってくれるって信じてる。君の知恵と勇気は、きっとたくさんの人を救うはず。だから、どうか諦めずに進んでいってほしい。私たちのために、この未来を守って。」


千紗の言葉は、将人への信頼と未来への希望を込めたものだった。彼女は誰かに託すことなく、自分の道を選び、そしてその先にある未来を将人に託していた。


「ありがとう、千紗さん。君の言葉、ちゃんと受け取ったよ。」


将人は静かに呟いた。


「千紗さん、君は結局、大城戸と同じ選択をしたんだね。かつての千紗も、世界の、そして愛する人たちの幸せを願っていた。君の願いが大城戸を動かし、君の願いが世界を変えたんだ……」


将人の言葉には、千紗が自分の願いを胸に、誰にも知られずに世界を変えたという事実が込められていた。千紗が大城戸にとっての希望であり、そしてその願いが将人の心をも動かしていることを、彼は深く理解したのだ。


「ごめん。僕の提案は君を傷つけるだけだったね。他の誰かの犠牲の上に立つ幸せなんて、君が望むはずはなかったのに…」


将人は、あの時の千紗との会話を思い出す。


「…これって、未来のどこかで再び悲劇が起きる可能性を示しているんじゃない?」


千紗の声には、冷静さと確信が混じっていた。画面には確かに彼女たちの無事な姿が映し出されていたが、その未来が無限に続くわけではない。一定の時間が経てば、また何らかの悲劇が起こる可能性が高まる。それは、この新しい世界のバランスがどこかで崩れることを示していた。


でも、僕はあの時、それでいいと思った。でも君は、それでも納得しなかったんだね…。君はただ、誰もが平穏で幸せに暮らせる世界を本当に求めていたんだ。


将人の視線はモニターに戻り、千紗のメッセージとシミュレーション結果が再び目に入った。彼女が繰り返し行ったシミュレーションの記録、その中には何度も失敗を繰り返しながらも、最後にはただ一つの選択に辿り着いた千紗の葛藤と意志が浮かび上がっていた。


「千紗さん…君は、自分の犠牲でしか世界を守れないと悟ったんだね。」


彼の胸の中に、千紗が感じていたであろう恐れと悲しみ、そして彼女の決意がじわじわと染み込んでいく。将人は、千紗が選んだその道がどれほど苦しく、孤独なものだったかを痛感し、彼女が最後に見たであろう未来のビジョンをもう一度見つめた。


千紗は、誰の影響も受けずに、己の信念だけを頼りにその選択をした。それはかつての大城戸と同じ道であり、彼らの選択はただ一人のためではなく、皆の幸せを願った結果だった。


「君の選択が、大城戸を動かした。そして君の選択が、この世界を変えた。僕の提案が君に重荷を背負わせてしまったのなら、本当にごめん。でも君は、誰かのために笑顔を守るために、最も尊い選択をしたんだね。」


将人の言葉は静かで、だがその中にある感情は深い後悔と尊敬が込められていた。千紗が何を思い、何を願っていたのか、将人はようやくその全てを理解した。


彼はモニターの画面にそっと触れ、千紗の笑顔を目に焼き付けた。その笑顔にはどこか寂しさがあったが、それ以上に誰かの幸せを願う暖かさが感じられた。彼女の選択が、この新しい世界を守り続けるための礎となり、彼女の願いが未来へと受け継がれていくのだと確信した。


「千紗さん、大城戸、君たちの選んだ道が繋がっている。この世界を守るために、僕もまたここにいるよ。僕が、君たちの願いを背負って、この未来を見届けるから。」


将人は深く息を吸い、モニターを切った。シミュレーションルームの静寂が彼の周りに広がる中で、将人は二人の意志と自分の新たな決意を胸に抱いていた。


外へと向かう彼の足取りは、どこか力強く、新しい季節を迎える桜の季節へと続いていた。千紗と大城戸がつないだ未来を見届けるために、そしてこれから始まる自分の使命を果たすために、将人は静かに、しかし確かな意志を持って歩き続けた。


その背中には、彼が守り抜くべき未来と、受け継ぐべき意志が、これからの新しい世界への道しるべとなっていた。

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