第12話 考える人
高校で『文章力を鍛えなさい』という授業を受けたんですよ。
文章力=思考力みたいな。
私はそれが全然納得できない。
ちょうど最近『ビジュアルシンカー』っていう人がいることを知ったんですよ。
簡単に説明すると、思考をする時、表現をする時に、絵や図を用いる人たちのことです。
私は違うんですけど、私の妹はたぶんそうです。
例えば私が説明を求めると、語彙力的には私とそこまで違いはないはずなのに、私と比べて言葉にかなり詰まります。そこまで入り組んだことでなくとも、図を使います。結果的に理解が及ばず両者イライラすることもしばしば。
生意気な妹なので、このまま妹の能力が低いみたいな感じで終わらせたいところですが、事実そうではありません。
もう一つ例を上げます。私は数学の空間図形の問題がとても苦手です。二次元に描かれた図形を三次元的に見ること、裏側を想像すること、ましてや展開図を描くことなんて本当にできません。
妹はそれがものすごく得意です。
おそらく、妹の頭の中にはその図形がそのまま存在するのでしょう。私の頭の中には線が何本で、面が何枚で…という文章化された情報しか存在しません。
これはきっと空間図形の問題だけではなくて、どんな些細な考え事でも同じなのだと思います。
頭の中で完結することならなんの問題もありません。
しかし世の中、説明に迫られる場面は多いです。
私の場合は簡単です。頭の中に存在する文章をそのまま言えばいいのですから。
しかし妹、『ビジュアルシンカー』の場合はどうでしょうか。同じ『ビジュアルシンカー』同士だったら説明は容易です。しかしそうでない場合はこうだよ(俺の頭の中を見ろ)、としか言いようがないのではと思いました。
『ビジュアルシンカー』はマイノリティであり、そうでない人と対峙する場合の方が多いため、イライラされる、能力が低いと切り捨てられることも多くなり、それが続いていった結果の、文章力=思考力という教えなのではないでしょうか。
これは本来優劣ではないと思うんですよ。ただ二つの思考があるよねって話じゃないですか。
たまたま文章力のある人が好かれる社会のようですけども。
空間図形の問題が試験の十割を占める世界線だってありえたわけですし。
たまたまマジョリティを引けただけで、そんなお高く留まるのはいかがなものかと、妹の姉はここに問いかけたいのです。
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