第9話

雨が降ると、いつも駅まで傘を持ってきてくれた。


『天気予報ちゃんと見なよー』呆れたようにそう言いながら差し出される紺色の傘と、隣に並ぶ花柄の傘。


嬉しかったのに、『ありがとう』って一度も言えなかった。




寝るときは、狭いシングルベッドで二人寄り添っていた。


『コウちゃんって寝顔可愛いんだよ』って悪戯気に笑う由麻にイラッとして。


だけど内心、お前のが可愛いしって思っていた。


口には出さなかったけど、もしも言葉にできていたら由麻はどんな顔をしただろう。




なんて、そんなこと考えるだけ無駄だ。


この部屋にあるのは、もう思い出だけ。




本当に大切なものは失ってから気付くらしい。


よく耳にしていた言葉だけど、由麻を失って初めてその意味が分かった気がした。



何一つ満たされないままゴロン、とベッドに横たわり見上げた天井。



『おやすみ、コウちゃん。大好きだよ』



寝る間際、いつも癒されていた声。


どんなに願ったって、その声が耳に届く日は…もう二度と来ない。

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