第12話 告知


「エディス様、検査結果が出ました」と、カタリナは穏やかながら慎重な声で告げた。「ノンキャリアです。お身体に問題はありません」




エディスは自宅の応接室に座りながら、その言葉を聞いた。


カタリナがわざわざ訪問してくれたことに感謝しながらも、エディスは内心、緊張していた。

カタリナの静かな口調はいつも通りだったが、その知らせがもたらす影響を考えると、胸の奥で何かがぎゅっと固まるような気がした。


「ほっとしましたね、エディス様」と、カタリナが少し優しい笑みを浮かべて言った。


「…そうね」とエディスは頷いたが、自分の感情を上手く言葉にすることができなかった。


確かに安心感があった。

しかし、同時に自分でも説明のつかない、冷たくて重い感覚が心の奥に広がっていくのを感じたのだ。


カタリナがエディスに寄り添い、「これで少し安心できたでしょう?」と優しく声をかける。

その問いかけに、エディスは曖昧に笑ってみせたが、本心は複雑だった。

ずっと抱えていた不安が消えたはずなのに、どこか心が軽くならない。

まるで、もう一つの別の不安が顔を出したかのように。


「ありがとう、カタリナ」とエディスは礼を述べたが、その声は自分でも他人事のように感じた。


遺伝子検査の結果は、確かにエディスを見えない未来の重圧から解放するものだった。


それにもかかわらず、解放されたことで生まれた空虚感が、今や彼女の心の中で大きく膨らんでいた。


「もしよければ、もう少しお話しませんか?」カタリナは言ったが、エディスはそれを断り、静かに微笑んだ。「ありがとう。でも、今日は一人で少し考えたいの」


カタリナは軽く頷き、席を立った。「分かりました。また何かあれば、いつでも声をかけてください」


エディスは玄関までカタリナを見送ったが、彼女がどうやって帰路についたのか、いつ別れを告げたのか、後で振り返っても記憶に残っていなかった。









自分の子どもが苦しむ様子なんて、見たくはなかった。



エディスには弟がいたが、彼もまた健康に問題があり、その存在は秘匿とされた。


母は錯乱し、このことが広まる前に、娘たちの婚姻を急いだ。

気づけば誰もが同じ病を抱えているようにし、特別視されないようにしようとした。


姉妹たちは、いつか自分が息子を持つ日を思い、将来に対する不安を抱えながらも、心の準備をしていた。



エディスは、そんな連鎖を断ち切りたくて、不妊を選択した。


不妊であることを夫も理解を示してくれた。

エディスはそのことに深く感謝し、彼に報いるために献身的に尽くしていた。


何の不満もなかった。

むしろ、彼女の生活は完璧だった。


結婚と病気は切り離せないものだと、ずっと信じてきたからだ。




しかし、少しずつ気づき始めていた。


すべては杞憂だったのだと。


実際には、自分の未来にはもっと自由があり、選択肢があるのだと。







気づけば、エディスは自分の屋敷の中で、ぽつんと一人立ち尽くしていた。







その夜、ジュリアンと共に過ごす時間が、いつも以上に息苦しく感じられた。

彼は変わらず優しく、何も変わっていない。

しかし、彼と向き合うたびに、エディスの胸の中で重たくのしかかる感情があった。


それは、ただの夫婦の役割や生活の枠組みでは説明できない何かだった。


彼女はずっと、二人の関係が互いに都合の良い契約のようなものだと思っていた。

自分は彼の支えであり、彼もまた自分の支えである。

それが結婚の意味だと信じていた。


けれど、遺伝子検査の結果が出た今、エディスの中でその大義名分が突然消えてしまった。

これまで彼と共に築いてきたもののすべてが揺らぎ、彼に対して騙しているような感覚になり、自分が彼を利用している悪女のように思えてきた。







動揺しつつも、なんとか夫との夕食をいつも通り終えられた。



それは酷く疲れるもので、エディスは早めに寝室へ向かった。


足取りは軽いように見えるが、心はまるで重い鎖に縛られているかのようだった。

寝室に入ると、ジュリアンが笑顔で彼女を迎えた。


「もう休むのか?今日は少し早いね」と彼は言った。


エディスは微笑み返したが、どこかぎこちなく、それでも普段通りに振る舞おうと努めた。




ジュリアンは常に優しく、彼女を気遣ってくれている。

しかし、その優しさが逆にエディスを苦しめていた。

彼は何も知らず、エディスが安定した生活を送るために利用されている。

エディスは、ジュリアンが彼女の選択に従っただけであり、本来ならもっと自由な人生を送れるはずだったと感じ始めていたのだ。



「彼はもう、本当に愛する人といられるべきだ…」エディスはそう思った瞬間、胸に刺すような痛みを感じた。

自分の感情が愛ではない何かで結ばれていると気付いたことが、彼女を苦しめた。


エディスは思考がまとまらないまま、ジュリアンに対して無意識に距離を置こうとし始めた。

彼の優しさや気遣いが、今は重たく感じられる。

ベッドに入ると、ジュリアンがいつものように後ろからそっと抱きしめた。

その瞬間、エディスは彼の温もりを受け入れられない自分に気付いた。


彼の腕が彼女を包むたびに、体が硬直し、胸が押しつぶされそうになる。


「今日は少し寒いね」とジュリアンが柔らかな声で言うが、その優しさが逆にエディスを追い詰めた。

もう、彼と一緒にいるのが耐えられない。


「…ごめんなさい!」突然、エディスはジュリアンの腕を振りほどき、ベッドから飛び起きた。

ジュリアンは驚き、何が起こったのか理解できない様子だった。


「エディス、どうしたんだ?」彼は心配そうに声をかけたが、エディスは返事をすることなく寝室を飛び出し、そのまま廊下を歩き続けた。


ジュリアンの声が背後から追ってくるが、エディスは振り返らず、ただ歩き続けた。



以前はその腕に抱かれるたびに、すべての不安が消えていくような気がした。

彼が後ろから優しく抱きしめてくれるだけで、どんな困難も乗り越えられると感じていた。

だが今、その腕はまるで鉄の枷のように感じられる。

かつての温もりが、なぜこんなにも重く冷たく感じられるのか、自分でも理解できなかった。


自分がここにいたら壊れてしまう——そんな衝動に駆られていた。


別の部屋にたどり着き、ドアを閉めたエディスは、両手で震える体を抱きしめた。涙が止めどなく流れ、心の中は混乱でいっぱいだった。ジュリアンを傷つけたくない。


しかし、もう自分を偽ることもできない。




翌朝、気がつくとエディスはカタリナの研究所を訪れていた。

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