超激爆炎駆動エゼル!!

タブ崎

第1話:一寸先の太陽

 『雨の日に侵略者が来る』

 それは古くからの予言であり、躾の為に言い聞かせる迷信でもある。

 誰が言い出したかも分からない割に全人類が知っているようなその言葉を真に受けている者など居なかった。

 雨の日には傘を差す。人類は、ただそれだけの事をしていた。雨の日に出歩くのならば傘を差す。それ以上でも以下でもなかった。

 なかったのだが。

 40年前の夏、記録的豪雨の日に悲劇が起こった。

 雨雲を割って現れた空には太陽が無かった。ガラスのように空間が割れ、その亀裂の奥には真っ黒な異空間が広がっていた。

 そこから現れた"魔族"、あるいは"魔物"を前に傘しか持たない人類は成す術もなく蹂躙されるかに思えた。

 しかしそこに現れたのは──



──────────

───────

────


 初夏を追うように訪れるジメジメとした季節、梅雨。

 夏本番の前に立ちはだかるそいつを特に憎らしく思う事も無く、幼馴染の話に耳を傾けていた青年、阿津坂あつざか熱弥ねつやは『この退屈な時間はいつ終わるのだろう』と、半ば無心で遠くの街路樹の葉を見つめていた。


「──兄ちゃん、聞いてる?」


「ん? うん。聞こえてる」


「"聞こえてる"って、聞いてはいないって事じゃん! ちゃんと聞いてよ!」


 黒髪の少女、常夜とこよひかりがポニーテールを風に揺らしながら澄んだ瞳で熱弥を見上げる。

 熱弥の目の前に突き出されたスマホには赤く巨大なロボットの写真が表示されていた。


「"ちゃんと聞いて"って。お前なあ、登校中からそんな勉強みたいな話聞かされる身にもなってみろって」


「勉強じゃなくって推しの布教! 楽しい話だっつの!」


「こっちからしたらお前の語る事なんざ1、2年前に授業で聞いた内容だっての」


 蹂躙されるかに思えた人類の前に現れたのは、まさに今ひかりのスマホに映っていた巨大な人型戦闘機"エゼルステギア"だった。いわゆる巨大ロボットのようなそれは防衛隊が保有する人類の最高戦力である。魔族について語られる際には必ず一緒に名前が出る、人類と魔族の戦いの歴史における主役のような存在だ。


「……んー」


 何処か寂し気にむくれるひかりの姿を見た熱弥は、若干慌てながらいつも通り話に付き合う事を決めた。


「あー、でもまあ話したくなる気持ちも分かる。最近は更に人気だもんな、あのロボット」


「……ん、なんたってヒーローだからね。パイロット試験だって毎回エグい倍率らしいし」


「試験なあ。一機しか無いから採用枠は一人って聞いた事あるけど、あれってマジの話なのか?」


「サブパイロットとしての採用はあるみたいだよ。まあ、そっちもほんの数人だけだって」


「超激戦区だな。冗談みたいな話だ」


 エゼルステギアは40年前の戦いから今日に至るまで平和を守り続けている人類の希望だ。故にヒーロー視するファンも多ければパイロットを志す勇士も多い。

 任期は基本的に五年なので五年毎にパイロット試験が行われている。特にファンではない熱弥も、その時期になると噂を耳にする事が多い。

 今期のパイロットは歴代最年少だとか、今回は歴代でも最大規模となる倍率600倍を超える狭き門だったとか、最近はどのメディアもそういった噂で持ち切りだ。


「んふ、今期のパイロットは19歳のイケメンだって噂だよ。兄ちゃんの二つ上って考えると凄いね」


「そうだな。ひかりは目指したりしないのか?」


「私は見る専なんで」


「ほーん。まあ危険な仕事だし、目指すって言われるよりかは安心だな」


「そう言う兄ちゃんは目指したりしないの?」


「俺も別に」


 熱弥も多少なりともエゼルステギアへの関心はある。しかし憧れたり推したりする程ではない。

 話題に出た今期のパイロットについて調べようとスマホを取り出すと、ブラウザよりも先に現在時刻が目に入った。


「あ!? やっべ、そろそろ電車来るっ!! 悪い、先行くわ!!」


「高校生って大変だね。いってらっしゃーい」


「お前も遅刻すんなよ!」


「あーい」


 いつも通りの一日が始まる。

 駅で合流した友人、冴崎健司さえざきけんじと共に二つ隣の町へ行き、更に20分歩いて学校へ。

 そして退屈な授業を生真面目に受け、ようやく昼休みの時間が訪れると再び健司と合流して各々用意していた昼食を食べる。

 これが熱弥にとっての"いつも通り"。彼の身の回りは平和だった。

 魔族と人類の戦いは今なお続いているとは言っても、全面戦争という訳ではない。『前回の襲撃はこの街、前々回はずっと離れたこの街、次は何処に来るのか分からない』といった風に、現れる時間も地点も不規則なのだ。故に"自分の街が襲撃を受ける"というのは地域によっては極めて稀な出来事であった。


「また生でエゼルステギアを見られないもんかな」


 食べ終えたサンドイッチの包装紙を小さく纏めながら健司が呟く。彼もひかりと同じくエゼルステギアのファンだ。

 17年、約5,100日もの時間を生きてきた熱弥達の周りで魔族の襲撃が起こったのはたったの7度。主要都市であればもっと多いのだが、熱弥の住む八岬町の周辺は良くも悪くも平凡な土地である。魔族としてもわざわざ干渉するメリットなど無いのだと町民たちは自覚している。


「縁起でもない事言うなよ」


「でもどこも被害なんて全然出てないでしょ。不謹慎って程でもないと思うけど」


「まあそうだけど」


 人類にはエゼルステギアがある。そして防衛隊員も優秀だ。加えて市民も度重なる避難訓練を経て避難行動が洗練されている。更には魔族の移動手段である"裂け目"の出現を事前に検知する技術のおかげで、直近30年での魔族による死者は一人も居ないのである。


「でも危険である事に変わりは──」


『えー、隣町にて裂け目警報が発令されました。屋上を含む屋外に出ている方は速やかに校内へ戻って下さい』


 熱弥が食べ終えた弁当箱を片付けていると、教室のスピーカーから男性教員の声が鳴り響いた。

 するとその場にいる生徒の半数ほどが反射的に席を立った。


「言ってたら早速来た!! 隣町ならきっと屋上からエゼルステギアが見えるよ!? しかも今日からだよ、新しいパイロットが戦うの!! 熱弥も行こう!」


「いや屋上出るなって今放送で言ってただろ」


「先行ってるよ!」


「あ、おい!」


 興奮気味に席を立った健司が流れるような足運びで机の間をすり抜け廊下を走ってゆく。他の生徒達も同じように駆けて行き、教室には興味の無さそうな生徒達や少しだけ怖がっている生徒のみが残っていた。

 徐々に遠ざかる喧騒を聞きながら、微かな胸騒ぎを覚えた熱弥は裂け目の詳細について調べる事にした。


「……うわ、隣町って八岬やみさき町の事か」


 八岬町には熱弥の家やひかりの通う中学校がある。

 万が一にも一般人に被害が及ぶことは無いと理解している。それでも家族や知り合いが危険な状況に置かれている事に変わりは無い。

 遠くの曇り空を眺めながら、熱弥は念のため母のスマートフォンに連絡を入れた。


「あっ、母さん。そっちは大丈夫か?」


『大丈夫よぉ。買い物帰りでね、丁度陽ヶ林ひがばやし中の近くに居たのよー』


「そっか。父さん…… は仕事だから居ないか」


 緊急時には避難所として国に指定された学校の体育館が解放される。八岬町は小中高合わせて20校ほどが避難所として利用できる。陽ヶ林中学校もその避難所に含まれているのだ。


「ひかりは?」


『ひかりちゃんもひかりママも一緒よ。皆避難出来てるわ』


「そうか、気を付けて」


『はーい、お勉強頑張ってね』


 良くも悪くもいつも通りな母の声に胸を撫で下ろし、通話終了のボタンを押す。

 再び目を向けた窓の外ではどこからともなく大型の魔物が出現しているのが見えた。

 最初は小型の魔物が出現し、最後に親玉となる大型の魔物が姿を現す。これは40年の時の中で一度も変わらなかった戦いの流れだ。そして大型の魔物が現れればエゼルステギアも姿を現す。これも不変的なお決まりのパターンだ。


「ここからじゃあんまり見えないかあ」


 真っ黒な裂け目とは対照的な、地から天を突き刺す光の柱が出現する。その中から現れた燃え滾るような紅い機体は早速魔物へと立ち向かって行った。

 戦況が気にはなるが、わざわざ窓から身を乗り出して目を凝らす程ではない。

 数分もせずに戦いが終わる事を察して安心した熱弥は、それでも少しだけ落ち着かない気持ちで午後の授業の準備を始めた。




 ──────────


 放課後。数時間前までの厚い雲は風に攫われ空には夏らしい青空が広がっていた。

 他校のブレザーを着た生徒たちを眺めながら、少数派の学ランを着た熱弥と健司は駅へと入ってゆく。道行く人々にも列車の時間にも特に変化は無い。

 あの後特に問題無く魔物を退けられたらしく、後処理の終了を知らせる速報が入っていた。

 大抵は遅延が発生するはずだが、今回は幸運にも早く決着が付いた事から平常運転へ戻るのも早かったようだ。


「流石の仕事の速さだな。混んでるかと思ったけど普通にいつも通りだ」


「魔物の数自体が少なかったみたいだよ。そもそも線路付近では戦いが起こらなかったっていうのも影響してるみたい」


 電子掲示板を眺めながらホームに降り、タイミングよく停車した電車に乗り込む。

 そのまま数分電車に揺られ、八岬駅に到着するかといった所で異変が起こった。

 車内が急にけたたましいサイレンで埋め尽くされたのだ。その正体が乗客それぞれのスマホから鳴り響いている警報だと気付いた時、晴れ渡る遠くの空に裂け目が発生した。


「な、なんだよあれ!?」


 いち早く気付いた一人の男が声を上げると、それまで静かだった車内がどよめきに包まれた。イレギュラーな光景を前に冷静さを保っていられる人間は一人として居ない。


「また裂け目!?」


「健司、同じ地域に一日二回なんて今までにあったっけか!?」


「主要都市でもこんな事無い、初めてだよ……!!」


 落ち着いた声の車内アナウンスが鳴り始める。

 動揺した頭では何を言ったのかよく理解できなかった。しかし聞こえた単語を組み合わせて必死に解釈した熱弥は、今乗っている電車はとりあえず八岬町の駅で停車する事を理解した。その後は駅員の指示に従って避難という流れになる事も何となく頭に入っている。


「……なんか、とても嫌な予感がする」


 零れ落ちるように現れる魔物達を見ながら、熱弥は先程のように母のスマホへ電話を入れた。

 普通であれば車内は通話禁止だが、こういった場合は安否の確認として通話が許可されている。


「あっ、母さん! 大丈夫か!?」


『何とか大丈夫よ。お隣の方が車を出してくれたから避難は出来たわ』


「他に誰かと合流できたか?」


『ひかりママとは会えたんだけど…… ひかりちゃんがまだ来ていないみたい』


「そっか。俺はもう少しで八岬駅に着くから、そこの避難所で探してみる」


『お願いね。見つけたら連絡頂戴ね』


 通話を終えると丁度電車のドアが開いた。それと同時に人ごみそのものが波のように動き出した。抗いようのないその流れに揉まれながらも駅内の避難スペースに着いた熱弥は、とりあえずひかりの姿を探し始めた。


「ネツヤ、誰か探してるの?」


「ん、ああ。ひかりだ。家族たちと合流できてないって聞いたからここにいるんじゃないかと思ったんだけど……」


 姿が見えない。同じ学校の制服を着た者は確認できるが、ひかり本人は見当たらない。


「どこにも居ないね…… この時間帯だと下校中だったんだよね? ここに居ないとなると、学校に引き返したとか?」


「学校にも居ないらしいんだ」


「こっから陽ヶ林中なら…… 通学路に三か所避難できる建物があるね、そこに居るんじゃないかな?」


「だよな。 ……そう、だよな」


 落ち着いて情報を噛み締めると、逆に心臓が慌てたように脈を打ち始めた。


「……ちょっと探してくる」


「え、外に? こういうのはプロに任せといた方が良いんじゃ……」


「んんー……! それは分かってんだけど……!!」


 防衛隊は逃げ遅れた人を保護する役割も担っている。だが万が一があるかもしれない。

 一瞬で良くない事を色々と想像してしまった熱弥は堪らず駆けだした。


「やっぱだめだ! 行ってくる! みつけたら連絡入れてくれ!」


「あ、ちょっと!」


 静止を振り切り、それでも改札のみは丁寧に通り抜けて屋外へ出ると少し遠くに魔物達が押し寄せて来ている光景が見えた。


「っ、ひかりぃー!! どこだーっっ!!」


 八岬駅はひかりの通学路の途中にある。諸々の状況から考えるとひかりはここへ辿り着く前に中学校へ引き返したのかもしれない。そう安直な結論を出した熱弥は戦いの音が轟く通学路をひた走った。

 これまでの人生でここまでの修羅場は経験した事が無い。自分自身が死ぬかもしれない。幼馴染の安否が分からない。そんな実感すらも湧かないフワフワとした危機感の中ただ走っていると、ふと自らの息遣いとは違う何か苦しそうな呼吸音が聞こえる事に気が付いた。

 周囲を警戒しながら一歩、また一歩と進むほどに苦しそうな声へと近付いてゆく。

 咳き込む声からして男性である事が伺える。ひかりではない。自分の目的とは全く関係の無い者だから無視して先へ行くこともできたのだが──


「……おおーい!! 誰か居ますよね! 聞こえますか!」


 それでも熱弥は大声で声の主へと呼びかけた。

 最優先の物事は有れど、かといって他者を見捨てられる程のメンタルは持ち合わせていなかった。


「返事、できますかーっ! 怪我をしているんですかーっ!」


 学校への道から逸れた熱弥は警戒しつつも建物の間の物陰へと声を送った。


「──」


 微かな声だが返事が返って来た。この先に誰かが存在する事を確信した熱弥は意を決して恐る恐る足を運んだ。


「そ、その服装は…… 防衛隊員?」


「っ、良かった。人だ」


 熱弥の姿を見た若い防衛隊員は少しだけ安心したように銃口を下げた。

 背中には現代社会に似つかわしくない剣を背負い、その背後では肘と膝を擦りむいた小学生くらいの少女が不安そうにこちらを見つめていた。


「僕は防衛隊に所属している水凪拓斗みなぎたくとと申します。君の名前は?」


「阿津坂熱弥です」


「阿津坂さん。申し訳ないんですが、少し頼まれてくれませんか」


「は、はい。 ……え? 他の隊員はどうしたんですか?」


「分断されてしまったんです。無線機は壊れてしまったし、この脚では探しに行く事も出来ない」


 地に付いた膝へと視線を移すと、血の滲んだ包帯が巻かれていた。折れてはいないが全力で走れるような状態ではない事は一目で分かった。


「そうですか…… 分かりました。何をすればいいんですか?」


 熱弥が改まって聞く姿勢を作ると拓斗は子どもの背中を優しく押して熱弥の前に立たせた。


「この子を避難所まで連れて行ってほしい。 ……この脚では守りながら移動するなんて事はとても出来ません」


「……分かりました」


「お願いします。くれぐれも気を付けて」


 熱弥が子供に頷くと、その子は熱弥の隣へと歩み寄った。


「それと…… これを」


 片手に銃を持ったまま器用に背中の剣を手に取った拓斗はそれを鞘ごと熱弥に手渡した。


「ぶ、武器まで借りるのはちょっとマズくないっすか? 俺、防衛隊とは全く無関係の者ですよ」


「いいえ、貸す訳ではありません。絶対に使わないでください。避難所まで持って行くか、道中で他の防衛隊員に会ったら僕から受け取った事を伝えながら渡してほしいんです」


「使っちゃ駄目…… とは?」


 両腕に掛かる重みを何とか支えながら尋ねると、拓斗は力強い眼差しで熱弥の瞳を見つめた。


「それを使ってしまうと少なくとも魔物からしたら阿津坂さんは"部外者"ではなくなる。危険な目に遭う確率がグンと跳ね上がってしまうんです」


「そんな物をどうして俺に?」


「絶対に失ってはいけない物なんです。満足に動けない僕が持っていたらきっと魔族に奪われてしまう。だから……!」


「……分かりました。きっと届けて見せます」


「ありがとう」


 拓斗としても心苦しい選択である事を察した熱弥が深く頷くと拓斗は安堵に表情を和らげた。

 そのまま銃に弾を装填し直した拓斗は、次に熱弥が持つ剣をじっと見つめた。


「……万が一の時は、頼んだよ」


 その言葉が剣へ向けられたものなのか自分へ向けられたものなのか、熱弥にはよく分からなかった。


「え?」


「いえ、なんでもありません。行ってください。もうじきこの辺にも魔物が増えてくるはずです。安全に移動できるうちに早く」


「……分かりました。拓斗さんも無事で居て下さいよ」


 呟くように語り掛けられた言葉への疑問は一先ず考えない事にした。

 晴らせなかった疑問を飲み込んで左腕に剣を抱き、言われた通り逃げようと振り返った瞬間、魔物の咆哮が近くに聞こえた。


「うおおっ、ビビった!」


「早く逃げて! 僕が注意を引く!!」


「分かりました! 君、走れるか!?」


「う、うんっ! 出て右に近道があるからそっち行こ!」


「おおっ、分かった!」


 ひかりを探したかったが、既に防衛隊員に発見されていると信じて子供が示した方へと走る。

 拓斗の隠れていた場所から十分な距離が取れた頃、自らの居所を示すように銃声が四度鳴り響いた。

 破裂音に驚き振り返ると、そこには物陰から出た拓斗がこちらに背を向けて立っていた。


「拓斗さん……! くそっ、急ごう!! 俺たちが無事に避難出来ねえと無駄死にになっちまう!!」


「うん! 次はそっちの道!」


 狭い道から広い道へ。道なりに走ったり、横断したり。そうやって辿り着いた先は袋小路であった。


「今度はこの屏を越えるのか。この剣を持ちながら登るは少しキツいな。君は先に行って、上まで行ったら一旦コレを受け取ってくれないか」


「う、うん。お兄さんもすぐに来──」


「っ──!! 誰だ!!」


 壁に剣を立て掛けて子供を抱え上げると急に背後から足音が聞こえた。

 反射的に視線を送ると魔物が複数現れた。直立二足歩行でシルエットこそ人間に似ているが、外骨格に包まれたその姿はまさに怪人と言う他無かった。


「ほう、気付くか。感覚の鋭い奴だ」


「……君は先に行って」


「で、でも……」


「ここは危険だ。親が心配してんじゃないか? 早く行ってやんな。近道を沢山知ってる君ならきっと逃げ切れる! 大丈夫だ、頑張れ!!」


 心配そうに熱弥と剣を見下ろす少女を無理やり塀の上に押し上げると、その子は数秒の葛藤を乗り越えて逃げて行った。


「用は済んだか?」


「ああ、待たせたな」


 剣を手に取り、どうにか逃げられそうなルートを探す。敵は全部で六体、捕まらずに間を通り抜ける事は不可能だろう。


「お前ら魔族って人間の言葉も喋れるんだな、知らなかったぜ」


「我々は人間と比べて高尚かつ高位の存在だからな。言語を修得するのは造作もない事よ!」


「そりゃご苦労さん。それでその高位の存在である魔族様は何のためにわざわざ俺達と同じ言語を使ってくれているんだ?」


 行くとしたらやはり塀を越えて道なき道を行くしかない。

 剣を塀の向こう側へ投げて、乗り越えてから拾って逃げる。そんな単純なアイデアを考えつつも時間稼ぎの質問を投げかけると、魔物はほくそ笑みながらその場に立ち止まった。


「理由は三つ。まずは一つ、話が分かるヤツとの争いを避ける為! 二つ、選択の余地を与える為! そして最後に脅す為!!」


 リーダー格と思われる奴が歪んだ笑みを浮かべると、周りに居た他の魔物達が同時に長い爪を剥き出しにした。この集団が既に陣形を完成させている事に気付いた熱弥は若干の焦りを感じつつも、引き続き隙を探るように言葉を投げかけた。


「んな低俗なチンピラみてえな事して"高尚"ってのはお笑いのつもりで言ってんのか?」


「なかなか強い口調だな、聞かなかった事にしてやろう。我々と取引をしないか?」


「取引? 聞くだけ聞こうかな」


「十分だ! 単刀直入に言おう、その剣をこちらに寄越せ!!」


 長い爪で熱弥の手元を指差す。鋭利な物がこちらへ向いている様を見た熱弥は、とある事に気が付いた。

 『ここまできたらもう部外者だとかは関係ないのでは』。

 拓斗は一般人である熱弥が標的にされる事を案じて『剣を使うな』と言った。その事は熱弥も十分理解している。理解しているからこそ、現状において拓斗の制止に従う意味がもう無い事に気が付いてしまった。


「この剣が欲しいのか」


「そう! 断れば死あるのみ!!」


「従ったら何が貰えるんだ?」


「残念ながらプレゼント出来る物など無い。しかしその代わりに殺さず逃がす事を約束しよう」


「……渡さないと殺されるって事か」


「考え方を変えよう。『渡さないと殺される』のではない。『渡すだけで見逃される』のだ! 受け取ったら何もせずに立ち去るとここに誓おう! どうだ!?」


 魔物達が熱弥を取り囲む。完全に逃げ道が絶たれてしまったが、抗うつもりになった熱弥にとってそれは大した問題ではなかった。


『───け、青年』


「……ん?」


「"時間切れ"などという意地悪な事を言うつもりは無い。だからよく考えてみてほしい! その間我々は大人しく待っているからな!!」


「ちょっと静かに」


「了解だ…… でもなるべく早く決めてほしい……」


 騒がしかった魔物の声とは別に、脳に直接入ってくるような声を感じた。

 底無しの闇を感じさせる魔物の声ではなく、揺らめく炎のように透き通るような力強さを感じる声だ。


『剣を抜け、青年ッッ!!』


「こっちもこっちでうるせえ! 幻聴じゃないのか?」


『ああ、幻聴などではない。私はここだッ!! まだ見えないだろうけど、ここだッ!!』


「近くに居るのか? まだ見えないって…… この剣ではなく?」


『その剣とは別に存在しているぞ!』


 周囲を見渡す。声の発生源を探そうにも、頭の中に直接響いているため見当もつかない。


『おッ、今目が合った!! そうだ、私はここに居るッ!』


「隣に居るのか。この剣を抜けばいいのか?」


『ああ!!』


 『目が合った』と言われた位置を見つめながら訪ねると、その声は食い気味に返事をした。


『このままだと君は死ぬかもしれないッ! 私と一緒に戦おう!!』


「……そうだな。実の所まだ少しだけ迷ってたけど、お前がそう言うのならやってやる……!」


 鞘に納められた剣を目の前に構える。すると魔物達が期待に満ちた眼差しで熱弥を見つめた。


「おおっ、取引に応じてくれるのか? そのポーズ、こちらに差し出してるって事で良いんだな!?」


「交渉決裂だ! これは渡さない!!」


 勢いよく剣を引き抜くと、刃から光が放たれた。


「うおっ、超まぶしい! 何だこれ!?」


『いくぞ青年ッ、変身だ!』


「変身!?」


『かっこいいポーズ! ……早く! かっこいいポーズ!!!』


「必要か、それ!?」


 "意味不明"が続いて無自覚に疲弊した脳が身体を一時停止させる。

 視界を包む光が止んで再び物が見えるようになった時、熱弥の姿は大きな変化を遂げていた。

 頭髪は燃えるような赤に染まり、平凡な学ランはファンタジーのような服装へ、更に帽子を被っていなかった頭にも何らかの飾りが装着させられている。そして背中ではマントがバサバサと音を立て靡いていた。


「うっわなんだこのコスプレ!? 趣味に合わない!!」


『コスプレなもんか! コレこそがエゼルステギアのパイロットの正装だ! 名付けてエゼルステギア・フルドレス・フォォォーームッッ!!』


「正装で"フルドレスフォーム"って、まんまじゃねえか!! てかエゼルステギアってお前──」


『来るぞ青年ッ!! 構えるんだ!!』


「!」


 反射反応のように剣を握り直すと、複数居る魔物のうちの三体が一斉に攻撃を仕掛けてきた。


「言っただろう!! 断れば死あるのみ!! かかれぇい!!」


「うおおっ!?」


『軌道は私が導く! 防御にしても攻撃にしても、青年はとにかく剣を動かしてくれ! 直感で構わないッッ!!』


「助かる、頼むぜ!」


 防御するように構えた剣が勝手に動き、三人の攻撃を弾き返した。


「防いだ!? 素人のくせになかなかやるな!」


「俺の力じゃっ、ねえよっ!」


 続けざまに仕掛けられた攻撃も次々と弾き返すと一体の魔物に隙が生まれた。その隙を逃さんとばかりに今度は熱弥が踏み込んだ。


「おらっ!!」


『良いパワーだ!! ならば私は技を補おう!!』


 力のままに剣を振るうと、またしても剣が勝手に動いて勢いを活かした叩き切りが放たれた。

 大振りの攻撃を受けた魔物の一人は弾き飛ばされるように壁に叩きつけられ、そのまま気を失った。


「な、何だこの力?」


『防御魔法か。今の奴はまだ生きているようだが、どうする?』


 噛み合わない問いかけを投げかけた声に対して熱弥は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、瞬時に残る敵の方へ視線を向けた。


「とにかく今は動ける奴の数を減らそう! 殺しとか正直ちょっと無理!」


『了解、ならば手加減モードだなッ! 続けて行くぞッッ!!』


「おう!」


 『誰と会話しているんだ』と困惑する魔物達へ向けて剣を構えると、リーダー格の者が声を張り上げた。


「みんな!! "エゼル"に関する話を思い出せ!! あいつはそれと作戦会議をしたんだろう!! あいつ自身は戦闘慣れしてない筈だから無闇に突っ込まず慎重に行け!!」


「エゼル……? って言うのか? 俺に話しかけてくる奴」


「お前は交渉に乗ってくれなかったから教えてやらん」


『あいつはああ言っているが君の予想通りだ! 我が名はエゼル!! 君の名は!?』


「っ、俺から訊いといて悪いけど後にしよう! 敵が来てる!」


 構えた剣の緊張を解かずに周囲を確認する。仲間が数人倒されても魔物達は依然として余裕そうな振る舞いでジリジリと間合いを詰めている。


『どうする、青年。相手はリーダーの指示通り慎重に動くようだ』


「さっきみたいに攻撃に対処して反撃するしか思いつかないな」


『ふむ、基本に忠実だな。では一つ特別なワザを伝授しよう』


「おお?」


「かかれぇい!!!」


 一斉突撃を始めた魔物達へと勝手に切先が向く。意思に反する動きに驚いた熱弥へ向けて、声は更に言葉を続けた。


『エゼ・ラウズと叫ぶんだ!!』


「何が起こるんだ?」


『私の魂が猛り轟く!!』


「何一つとして分からねえが、やってみるぜ!」


 魔物達が飛び掛かる。その先頭にいる一人を睨むと剣の装飾が緑色の光を放ち始めた。


『よし! そのまま叫ぶんだ!!』


「"エゼ・ラウズ"!!」


 その瞬間、地面が割れて無数の植物の蔓が突き出た。

 スルスルと伸びる蔓が魔物の身体を持ち上げると、そのまま拘束するように身体に絡みつき木化して魔物の行動を封じた。


「な、何だぁこれ! 硬くて抜けられなぁい!!」


「くっ…… 切ろうにも、自分じゃやりにくいわ……! そもそも爪が通らないじゃない……っ」


 魔物達が拘束から脱しようと身をよじる。その様子を見たリーダー格の魔物は歯を食いしばって熱弥を睨んだ。

 この力を駆使すれば無事にこの場を切り抜けることが出来る。そう希望を抱いた熱弥は続けて他の魔物へと切っ先を向けた。


「植物を操る力か、もう一度いくぞ!」


『ああ! 残りはリーダーを合わせて三人、纏めて片付けて他の隊員を探しに行こう!』


「拓斗さんも助けられるかもしれねえ。エゼ──」


 再び植物による拘束を試みようと声を張り上げると、急に後頭部に激痛が走った。

 石が足元で音を立てる。背後から石を当てられた事を察した熱弥は激痛にぼやける頭を抱えながらも剣を構え直した。


『不意打ちか……! すまない、気が付かなかった! 青年、無事かっ!?』


「痛っっってぇ…… 全然無事じゃない、超三途の川見えてる……」


「ふふっ、君もあのお兄さんと同じだねっ。後ろからこっそりやると馬鹿みたいに当たっちゃって」


 揺れの治まった視界に映ったのはこれまで相対していた魔物とはまた系統の異なる怪人だった。

 白い髪に青黒い肌。普通の人間とは明らかに異なる姿ではあるのだが、どういう訳か熱弥はその顔つきに既視感を覚えた。


「さっきぶりだね。初めてにしては使いこなせてるみたいじゃん、それ」


「お前、さっきの……!!」


 先程の少女だった。手に石を握り、邪悪な笑みを浮かべている。


『なんだあの子、姿もやってる事もまるでベタな悪役じゃないか』


「悪行にベタもクソもねえだろ……っ ああー、まだ頭が痛ぇ!」


「ギュセル! 来てくれたのか!」


「作戦に無い事しちゃってごめんね? リーダー」


「いい、いい! 臨機応変に動けるのは良い事だ!」


 ギュセルと呼ばれた少女が更に石を投げる。動作に対してあり得ない速度で跳んでくるそれを剣で弾いた熱弥は意識をはっきりさせるように頬を叩き、リーダーを含む他の魔物の方へと切先を向けた。


「エゼ・ラウズ!」


「ぐおおっ!? こっちを拘束するのかっ!?」


「サシでやりてえんだ。ちょっと大人しくしててくれ」


「ねえ、その人ってボクの上司なんだよ。もう少しマシな格好させてあげて? 人望あるし、あんまりそういう姿は見たくないかな」


「知らねえよ」


 再びギュセルの方を向くと彼女はニヤニヤと熱弥の顔を見つめた。


「それより"さっきのお兄さん"ってのは拓斗さんの事か?」


「そうだよ、正義感が強くて面白い人だったよねー。ボク、守って貰っちゃった」


『そうか…… この子の仕業だったのか……!』


 ゆっくりと歩み寄るギュセルが手に不思議な紋章を出現させ、何も無い所から石を作り出す。


「あの怪我を負わせたのはボクだってのにさあ、なんかボクの事を守ってたんだよ、あの人。『巻き添えにするから戦う事もできないんだ~~』『怖がらせてごめぇ~ん』って。ウケるよねっ!」


「……てめえ」


 目の前まで歩み寄った少女の目を睨みつけたその瞬間、ギュセルが手に石の剣を作り出し熱弥の顔へと振るった。

 熱弥がその攻撃を剣で防ぐと、ギュセルはまたもやニヤニヤと笑みを浮かべて再び口を開いた。


「正面からだと当たらない。本っ当単純な生き物だよね、君達って」


 自らの攻撃が防がれても、ギュセルは尚も面白そうな笑顔を浮かべている。


「ボク知ってるよ、目が前に付いているから"そう"なんだよね。そして目でしか攻撃を察知できない欠陥生物だからだよね!」


「そういうお前は、弱点に付け込む事でしか攻撃を当てられない卑怯者だ」


 対する熱弥な鋭い眼光で睨みつけ、更に攻撃を仕掛ける。


「別に正面からでもボコボコにできますけどーっ。まさか手加減に気付かなかったのぉ? もしかしておバカ?」


 対するギュセルは真正面から剣をぶつけ合う形で攻撃を受け止めた。


「否定はしねえよ、だからお前も負けた時に言い訳すんなよ!」


「戦いの途中なのにもう勝った場合の事を考えてるんだ」


 競り合う剣を弾き、熱弥が更に攻撃を仕掛ける。しかしそれも簡単に受け止められ、反撃に振るわれた剣が熱弥の頬を掠った。


「くっ……」


「所詮シロートだね。その程度の意識でボクを倒せる訳無いじゃん」


「エゼ・ラウズ!」


「無駄だよっ!」


 不意打ちとばかりに呼び出された植物の蔓を軽々と避けたギュセルが回避する。その拍子に、額に紋章のような痣がある事に気が付いた。他の魔物には無かった特徴だ。


「なんだ? あの模様」


『っ! 青年、気をつけろ! その子供、他の魔族とは違う力を持ってるみたいだ!』


「なんだそりゃ? どうなるんだ?」


『恐らくはあいつが今回の"親玉"……ッッ!』


「という事は──」


 急いで防御の構えを取ると背後からリーダー格の魔物が大声を発した。


「ギュセル! もう十分だ、力を開放しろォ!! 今剣を握っているソイツは戦闘慣れしていない素人、これまでにない千載一遇のチャンスだ!! 絶対に、絶対にモノにするんだ!!」


「ええっ!? やだやだ!! こんな状態で変身したら皆を潰しちゃう!!」


「我々の命よりも魔族の未来だ! 構わん、やれぃ!!」


「う、うう……! ……分かった、見てて」


 泣きそうな表情から一転、固い決意を感じさせる目つきで熱弥を睨みつけたギュセルの身体が宙に浮き、みるみるうちに肥大化してゆく。外骨格のような物が身体を包み込み、周囲には衛星のように大小さまざまな岩が漂っている。生身の人間では太刀打ちできない事は明白だ。


「今日も明日も、一緒に居られると思っていたのにな」


 ギュセルの嘆く声が不気味に響く。

 まるで涙のように落ちる岩を剣で弾いた熱弥は周囲を見回した。


「やっぱり巨大化すんのか! くそっ…… このままじゃヤバい! なあエゼル!」


『ああ青年! 考えている事がなんとなくわかるぞ!』


 眼前の絶望的な出来事を一通り眺めて尚、熱弥の心には諦めの感情は生まれなかった

 絶望は無い。そして使命感も無い。あるのは『この場をどうにかしなければ本当にマズい』という焦りのみだった。

 

「エゼルステギアはいつ来るんだ!?」


『あれッ!? 全然違う事考えてる! しっかりしろ青年ッ!!』


「はぁっ? な、何、どういう事だっ!?」


『エゼルステギアならここに居る! 剣を天に掲げて我が真名を── "エゼルステギア"と叫ぶんだッ!!』


 剣が勝手に空を向く。その先を見つめた熱弥は意を決して深く息を吸った。


「──エゼルステギア!!」


『よぉし、ここからが本番だ!!』


 闘志に昂る声で高らかにエゼルが叫ぶと燃え上がるような紅いオーラが熱弥の足元に迸った。

 そのオーラが光へと変わってゆく中、ふと隣に半透明の女性が居る事に気付くとその人物は熱弥へと視線を返して微笑んだ。


「あれ? 誰……?」


 燃え滾るような赤い色の長髪に、太陽のように温かく溌溂とした眼差し。全くもって初対面の顔だ。


「おっ、ようやく私の姿が見えたようだな! では改めて、我が名はエゼル。またの名をエゼルステギア!」


「え、エゼル? 女性だったのか?」


「そうだ! よろしく頼む!」


 困惑する熱弥の手をエゼルが固く握ると辺りが閃光に包まれた。

 その瞬間身を焦がすような熱が全身を撫で、心臓が深く鼓動を打ったかと思うと急に光が止んで周囲の様子が一瞬にして変化した。


「ここは…… なんだ?」


 広々とした電脳空間のような景色が広がっている。『はたしてここは現実なのだろうか』と熱弥が握手を交わしたままの手を見つめると、エゼルはその手を持ち上げて互いに目を合わせるように視線を誘導した。今度は半透明ではなく、しっかりとその姿を捉える事が出来ている。


「コックピットへようこそ! 早速あの敵を打ち倒してしまおうッ!!」


 握手を解いたエゼルが目の前にモニターのような物を出現させる。前方には先程の巨大化したギュセルが映し出されていた。


「……ああ!」


 積み重なる疑問を一旦すべて捨て去った熱弥は、吹っ切れたように眼前の敵を真っ直ぐに見据えた。

 しかし、コックピットに移動しただけでは状況は変わらない。

 気合に反してどうすれば良いのか直感的には分からず、動き出しの遅れたエゼルステギアに対しギュセルはお構いなしに岩を投げつけている。


『乗った所で操縦できないなんてッ! 情けないパイロットでちゅねえぇぇッ!? オラァッ!!!』


「ヤケクソになって豹変してやがる! なあエゼル! どうすれば動かせるんだ!?」


 当然、そのような光景を見ている熱弥の心は焦りに乱れている。

 そんな彼を落ち着かせるかのように、エゼルは背後から熱弥の両肩に手を乗せた。


「比喩を含む表現だが、今エゼルステギアは君の体の一部と化している」


「体の一部?」


「そうだ。だから念じるのではなく、感じるのでもなく。ただ普段やっているように"動けばいい"」


「……!」


 感覚的な説明を受けた熱弥の身体に鼓動が走る。

 実際に見えている自分の四肢の、更にその先があるかのような感覚が全身を包み込んだ。


「実際に自分の身体を動かしてみるとやりやすいかもしれないな。 ……ここから先は、先程までのように動きを修正して助ける事が出来ない。君のセンスが問われるぞ!」


「やってみる。助言頼む!」


「ああ、任せておけ!」


 手足の先の、"存在しない体の部位"に意識を寄せる。すると機体が一歩だけギュセルに歩み寄った。


「なるほど、この感覚……!」


「"体の一部"、という表現もあながち間違いじゃないだろう?」


「そうだな、その言葉じゃないと気付けなかった!」


 今度は腕を振るうと同時に機体も腕を大きく振るい、ギュセルが投げた大岩を拳で穿ち砕いた。


『お前、まさか……!』


「動いた! しかも当たった!」


「筋が良いな、青年! この調子で攻めよう!」


「ああ!」


 勢いに任せて距離を詰めるとギュセルは防御の姿勢を取った。しかしその防御をも強引に蹴り崩し、更に外骨格に拳を打ち付け亀裂を走らせる。

 打撃の反動と同時に熱弥の鼓動もまた力強く身体を打ち付けている。血潮が漲り、気分の高揚と共に勇気が炎のように迸った。


「行ける! 単純なパワーはこっちが上だ!」


 更なる追撃を食らわせようと再び腕を振るうも、今度はギュセルが攻撃を封じるようにエゼルステギアの両手を掴んだ。


「うっ!?」


『力勝負に勝った程度で勝機を見出すなんてね……!! 甘すぎッ!!!』


 力任せに抵抗するエゼルステギアの体重移動を利用した投げ技が放たれる。成す術も無く受け身も取れずに投げ飛ばされたエゼルステギアに対し、今度はギュセルの猛攻が始まった。


『付け焼刃の代理とは言ってもッ! お前は今エゼルステギアの操縦席に居るんだよッ!! その自覚はありまちゅかぁッッ!!?』


「くっ……」


 マウントポジションを取られ、言葉と共に砲撃のような殴打が襲いかかる。更に瓦礫がギュセルの周囲に漂いながら組み合わさり大きな剣へと形を変えた。


『こちとらなァ…… 仲間巻き添えにして戦ってんだよ!! パワーじゃなく覚悟と魂で戦ってんだよッッ!!!』


 ゆらりと立ち上がったギュセルが剣を手に取る。そして大きく振りかぶる動作を挟んでエゼルステギアめがけて振り下ろした。


『スペックの差がなんぼのもんじゃああああ!!!!』


「まだ立つな、青年!! 寝たまま白刃取りだ! そのまま折ってしまえ!」


「流石に無茶振りだろ!」


「起き上がっている暇など無いッ! 君ならできる! 為せば成る!!」


「くそ、やるしかねえっ!!」


 やけくそになりながらも指示の通り仰向けで剣を受け止めると、エゼルステギアを通して熱弥自身の身体にも大きな衝撃が駆け巡った。

 白刃取りには成功した。対するギュセルは尚も攻撃を通そうと更に剣へ力を籠める。

 ギリギリと睨み合いの時間が生まれる。仰向けでは思うように力が入らず、一秒二秒と経過するにつれて徐々にギュセルの剣がエゼルステギアへと迫ってゆく。


「やべ…… これ、無理そう……っ」


「気合だ青年!!」


「この期に及んで根性論……っ 通用するのか、この場面で……っ」


「通用するとも! エゼルステギアならなッ!! さあ踏ん張れ! 守りたい人や約束を思い浮かべるんだ!!」


 力が入りきらずに押し切られるかと思った刹那、エゼルの言葉が切っ掛けとなり熱弥は危険な街へと駆け出した理由を思い出した。

 行方が掴めない幼馴染を助けたい。無事であってほしい。万が一があってほしくない。

 そして、その途中で拓斗に託された物を守る為にも走った。決死の決断を無碍にしたくないからここまで走って来たのだ。


「何だ、これ……っ」


 己の想いを再認識したその瞬間、熱弥の胸が高鳴った。むせる程に心拍が強く鳴り響き、呼吸を乱す。

 明らかに自分の身体に何かが起こっている。苦しみすらも感じる高揚を何とか抑えようと呼吸を重ねると、自然と剣を抑える手への意識が紛れた。


「今、何が起きたんだ……?」


「限界を超えたんだ!」


「限界?」


「エゼルステギアを動かす上で必要な物は気持ちと元気だ! 元気は元から十分。そして今、気持ちが元気に追いついたッ!! さあ、力を振り絞れ!! 守るべき者の為に!!」


「……後で詳しく説明しろよな!」


 再び腕に意識を寄せ、受け止めた剣を力一杯に掴む。すると指が食い込み、バキバキと音を立てながらひび割れが全体へと広がっていった。


「うおおおおおおおっ!」


 半ば正気すらも失う勢いだ。気持ちのままに雄たけびを上げた熱弥が腕をひねると、エゼルステギアはいとも容易くギュセルの剣をバラバラに砕いた。


『チッ…… こんなに手こずるなんて。奥の手を出さないといけないみたいだね』


「はあ、はあ…… まだ先があるのか……」


 剣を失ったギュセルが浮遊し、背後へ下がって距離を取る。

 何をするのかと熱弥が警戒していると、上空に留まったまま今度は紫の宝石が埋め込まれた剣を生成した


『認めるよ。精神性はともかく、君は未経験にしてはあり得ないくらいエゼルステギアに馴染めてる』


 額の紋章が光る。その状態で宝石に手をかざすと外骨格に似たような組織が剣全体に広がり始めた。


『一体なんなんだろうね、君は』


 呟くように吐き捨てたギュセルが外骨格に包まれた剣を構える。


「……分からねえ。自分でも、どうしてこんなに動けているのか不思議だ」


『ますます不気味だよ。もしパイロットとしての訓練を受けていたら、間違いなくボクたち魔族の脅威になっていただろうね』


「たらればの話なんてするだけ無駄だろ。でも少なくとも、何がどうなってもこの場で負けるつもりは無い!」


 エゼルステギアも立ち上がり、拳を構えた。ボロボロとまではいかないにしても、猛攻を受けた影響でエゼルステギアの機体にはダメージの跡が目に見えて分かる程に残っている。それでも熱弥の心からは希望も勇気も失われていなかった。


『シロートごときがヒロイックになってんじゃねえぇぇぇぇッ!!!! 殺すッッ!!!』


 黒い剣に禍々しいオーラが宿る。同時に瓦礫がギュセルの周囲に集まり、三つの巨大な岩塊が生成された。


「能力のスケールが更にデカくなってるな…… この状態で捌き切れるか……?」


「青年ッ!!」


「なんだ?」


「今の君ならエゼルステギアの武器を扱える筈だ! それで対抗しよう!!」


 エゼルが腕を振るうと彼女の目の前に三つの剣が出現した。レイピアのような細身の剣に、幅が広く背丈ほどの長さがある大剣。最後に先程まで熱弥が扱っていたオーソドックスな剣。それらを吟味するように見つめたエゼルは大剣を手に取った。


「行って来い! "エゼ・ルガレ"!!!」


 エゼルが高らかに叫ぶと頭上に掲げられた大剣が消え、エゼルステギアの足元から全く同じ見た目の巨大な大剣が生えてきた。


「うわ! おいおいおい、道路が滅茶苦茶になってる!!」


「今更だろう。それに後で修復できるから大丈夫だ! 今は戦う事に集中ッ!!」


「わ、分かった」


 大剣を引き抜くと刃が暖かな光沢を放ち始めた。

 その様子を見たギュセルが岩塊を発射する。最初の一撃を剣で受け止めた熱弥は、続けざまに放たれた二発の岩塊を受けて姿勢を崩した。


「くっ…… 流石に、重っ……!」


『もう一度倒れろッ!!』


「うっ!?」


 追撃の蹴りを食らった機体が完全にバランスを失い倒れ始める。その真上に跳んだギュセルが剣を振り下ろした。

 このままでは機体が致命傷を負ってしまう。仮にこの攻撃を受けて無事だったとしても、またマウントポジションを取られてどのみち敗北してしまう。


「ぐ、がああああっ!!」


 が、一瞬見えた敗北を勇気でかき消した熱弥が必死に体をよじって力強く地を踏みしめる。そして崩れかけた姿勢を戻す勢いをも上乗せして大剣を薙ぎ払った。


『な、何ッ!?』


「ここだ! エゼ・ラウズと叫ぶんだ!!」


「エゼ・ラウズッッ!!!」


 エゼルの指示に間髪入れず熱弥が叫ぶ。


『なっ…… ほ、炎っ!?』


 大剣の刃が炎に包まれる。

 まるで一寸先に太陽が出現したかのような熱気を感じながらもギュセルの剣へ大剣を打ち付けると、剣もろともギュセルの身体を叩き切った。


「これぞ"ルガレ"の能力、爆炎だッ!!」


 切り裂いたギュセルの体が爆発に飲み込まれる。同時に彼女の悲痛な叫び声が響き渡った。

 そのまま待つ事数秒。誰の声も聞こえなくなり、更には操られ宙に浮いていた瓦礫も力なく地面へと落ちた。


「はあ、はあ…… っ、もう終わりか? 倒せたのか?」


「確認しよう!」


 エゼルが熱弥の手を取ると急にコックピットが光に包まれた。目が眩み思わず瞳を閉じると、次に目を開けた時には地面に足をつけていた。


「うわっと…… あれ、降りたのか」


 背後を確認する。そこには既にエゼルステギアの姿は無い。

 まさか夢でも見ていたのかと一瞬でも思ってしまったが、搭乗前に扱っていた剣を手にしっかりと握っている。

 やはり現実かと半ば信じられない思いで居ると、エゼルが何かに気が付いたように声を上げて熱弥の腕をグイグイと引っ張った。


「あそこだ! あそこに転がっているぞ!!」


「痛っ、痛えよ! 行くから乱暴にしないでくれ!」


 思考が強引に切り替わる。エゼルの指差す先を見ると変身前の状態に戻ったギュセルがうずくまっていた。その隣には例のリーダー格の魔物の姿も見える。


「意識は…… 無い。やっぱり倒せてる」


「ああ。お手柄だ、青年」


 外骨格が強靭なようで、あれだけの戦いに巻き込まれたにも関わらずリーダーの魔物はどこも欠損していない。しかしピクリとも動かず、二人とも呼吸をしているのかすらも曖昧だ。その姿を見た熱弥は身体から急激に力が抜けたような感覚に襲われた。


「こいつら、このままにしておいて良いのかな」


「ああ。この様子では生きているようには見えない。亡骸は防衛隊の方で処理されるから君は何もしなくても大丈夫だ」


 エゼルが歩み寄り、確認するように顔を間近で見つめる。熱弥もその隣まで歩き、二人の魔物の前で膝をついて手を合わせた。


「青年? 何をしている?」


「なんか…… こうするべきかなって」


 先程までは憎く恐ろしい敵でしかなかった。しかし、戦いを終えて"自らが倒した相手"としてその姿を見据えると様々な考えが頭に過った。


「『仲間を巻き添えに』とか、『覚悟と魂で戦ってる』とか…… 正直言って侵攻してる側が何言ってんだって思う。実際こいつらの事はマジで嫌いだ」


「そうだな」


「でも…… ギュセルが言うにこのリーダーには人望があって、実際ギュセル自身も尊敬してるような発言をしてただろ? 仲間に対しては冷酷じゃない、信頼や絆が確かにあった」


「ああ」


「そう思うと、こいつらにも俺らの人生みたいな"命ある者としての営み"があったんだなって思って」


「……ふむ」


 エゼルが顎に手を当てる。その表情を見た熱弥は焦ったように顔を背けて目を瞑った。


「じ、自分でも変な事言ってるのは分かる! でも正義が何処にあるかとか、許せるか許せないかは一先ず置いといて、命への敬意を忘れちゃいけない気がしたんだ」


 エゼルが沈黙する。そのまま数秒の間を挟んで熱弥の隣にしゃがみ込んで手を合わせた。


「え…… エゼル?」


 傾いた日の黄金の光がエゼルに降り注ぐ。その中で彼女は眼を瞑り、深く祈りを捧げるように俯いた。

 そして眼を開けた彼女は清々しい笑顔を熱弥に向けた。


「託されたのが君でよかった!」


「お、おう…… そう思ってもらえると嬉し──」


「ギュセルの言う通り甘い奴だ……!!」


「!」


 リーダーの魔物がのそりと起き上がる。思いがけない出来事に熱弥が構えると、その魔物は熱弥へ目もくれずギュセルの背中をポンポンと叩いた。


「ギュセル、生きているか? おい、おい!!」


「ん、うー。生ぎ、でる…… そいつのバカ恥ずかしい発言も…… 全部、聞こえてるし……」


「おお、良かった……! 動けるか?」


「むりぃ…… 喋れるけど力入んない」


 頷いたリーダーの魔物が立ち上がってギュセルを抱え上げた。全ての力を使い果たしているようで、四肢はぐったりと揺れている。


「青年、どうする?」


「どうするったって…… 俺は……」


 剣を構えるとリーダーの魔物が熱弥の方へ向き直り、同じく構えた。


「貴様がやるつもりなら、我々も最後まで戦うぞ……!」


「……俺は防衛隊員じゃないから」


「……なに?」


 構えを解かずに緊張を解く。熱弥にはもう戦うつもりは無かった。

 そもそも、敵が生きていたと分かった今でも先程感じた"力の抜ける感覚"が消えずに残っているのである。どのみちこれ以上はもう戦う事が出来ないと熱弥は自覚していた。


「俺はあくまでも自衛の為に力を借りたってだけで、魔物を倒さなきゃって義務は無い筈だ」


「そうだな。青年は巻き込まれただけだと言える」


「なんだよそれ……! 情けのつもりか!? てめえ、おいっ!! 見えねえけどどうせエゼルって奴も賛同してんだろ!! 甘っちょろいんだよ、いちいち!!」


 抱えられたギュセルが鬼の形相で熱弥へ言葉を投げかける。その様子をポカンと見ているとリーダーの魔物が爪で空間を切り裂いて裂け目のような物を出現させた。


「よせ、ギュセル! 奴の甘さに付け込んで我々は帰るんだ!! 愚かな選択を後悔させてやる機会はまだ残っている!」


「ウーッ! 腹立つ! 言っとくけど感謝なんかしないからな!! ボク達はお前に助けられてなんかいない!! お前が勝手に自分の首を絞めてるだけなんだ!!」


「安静にしなさい!! その苛立ちは次にぶつけるんだ!!」


「はあい…… "次"なんて、ボクもまだまだ甘っちょろ……」


「お前が一番頑張っていた。気にするな!」


 裂け目の向こうへと二人が消えてゆく。その最中、リーダーの魔物が熱弥の顔をじっと見つめた。


「その顔、覚えておくぞ」


「いやいやお前達が言った通り素人の部外者だぞ。覚えられても困る」


「情けない事を言うな。我が名はフィノム。お前は再び我々と相まみえるだろう。その時を楽しみにしているぞ」


「ええー……」


「お決まりの捨て台詞を言っているだけだろう。気にする必要は無い」


 裂け目が消滅する。後に残ったのは荒れ果てた街と自分自身、それとエゼルステギアの剣のみだった。


「はあ……」


 その場にへたり込んだ熱弥が大きく息を吐く。

 脅威が去り、安心できる状況になっても体の力は抜けたままだった。


「お疲れ様。良い戦いっぷりだったぞ」


「ありがとう。エゼルが語り掛けてくれなきゃ、あのまま抵抗も出来ずに蹂躙されてただろうな」


「謙虚な奴だな。私の声が届かずとも君は勇敢に戦ったさ」


「そんな逞しい人間じゃねえよ、俺…… は……」


 倦怠感が大きくなってゆく。


「あれ……?」


 とりあえず剣を鞘に戻そうと辺りを見回すが、視線の動きとは明らかに違う方向へ視界が揺れる。


「眩暈がっ…… これ、やばいやつ、かもっ……!」


「青年ッ!? 顔が真っ青だぞ!!」


 一度揺れ始めた視界は収まらない。前後不覚になりかけている事を自覚した熱弥が落ち着こうと瞳を固く閉じると、そのまま目が開けられなくなってしまった。


「青年!! 目──覚ま──!!」


 脳に直接届いている筈のエゼルの声すらも薄れてゆく。

 自分はこの先どうなるのか、そんな漠然とした不安を抱えながら熱弥は意識を失った。

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