第5話 快楽のままに(高校2年)
途中から語尾が変わっているけど直すのめんどくさいのでそのままでいきます。
進級して2年生になりました。学校が始まったのは少し遅かったような。クラス替えのクラスはまあまあ当たりだったと思います。コロナ関係で最初のほうはクラス半分ずつ登校でした。本格的に始まったのがいつなのかは忘れたけど、最初のほうは孤立せず、部活の友達や1年の時のクラスメイトと仲良くしていました。ただしスロットアプリとはまだ縁を切れていなく、帰宅後や部活終わりの休日は無意味に溶けていました。そんなだからニコニコしながら話を聞いて、返事をするだけ。口下手なのがさらに口下手の人見知りになりました。昼食は席を合わせずに食べるように呼びかけられ、新しい友好関係を築けなくて、仲良くしてた人たちとの距離感もわからなくなって、少し距離を置くようになっていました。正直クラスのことはあまり覚えてないです。修学旅行もなくなり、文化祭体育祭もなし。行事という行事は割と中止になり、クラスでは基本一人になっていたので大した思い出がないです。クラス思い出せるのは2学期の期末テストと球技大会、それと家庭科の授業くらいでしょうか。
この期末テストは結構ガチになって取り組んで上位に食い込みました。上位と言っても270人中60位くらいなのでべらぼうに高いわけじゃないんですけど。親も部活の友達も教師もほめてくれたけど、プレッシャーでした。父方の祖母が死んでしっかりしないとと心を入れ替えて挑んだだけで、次も同じことが出来るのか結構不安でした。でもなんやかんや褒められるのは久しぶりで嬉しかったですね。
球技大会は12月くらいにあったのかな。確かソフトボールとバレーとバスケ、卓球で選べて、僕はソフトボールを選びました。クラスで一人だった僕もこういうイベントごとでは結構明るくふるまえるんですよね。同じクラスのおとなしめの子と結構じっくりしゃべりました。何の話をしたのかはあまり覚えていないけど、前日僕がゴキブリ駆除をしていたこともあって、苦手なものについて語り合っていた気がします。彼は進撃の巨人が好きなようで、でもその当時読んでなくて進撃方面では話を広げられませんでした。ほんと、なんであの時読んでなかったんだろ、今更ながらちょっと後悔しています。まあそれでも、久しぶりに交友関係が広がった気がしました。クラスが離れてから疎遠になったんですけどね。
部活ではわりと慣れてきて、何回かに1回は的に当たるようになりました。競射という4射して何回的に当たるかを競うのを部全体で1日に1回ありました。この時には4射中1射当たる、ごくまれに2射当てるという具合で割と楽しめていました。形はきれいでないものの、目立った悪癖はなく会を保てていました。後輩もできて、部内の友人と協力しながら教えていました。クラスでは空気に馴染めない気がしていたけど、割と部活は居心地がよくてフラットに会話を楽しむことが出来ました。だけど、休みの日何してるのか聞かれたら少し悩んで、アニメ観てると答えていました。嘘ではないです、ヒロアカとか夏目友人帳みたいな有名な作品しか観てないだけで。だからごまかしがききました。口が裂けてもスロットのことは言えませんでした。自分でも軽蔑されるのが分かっていたから。夏になって、世代替わりにより僕たちの代が回していくようになりました。部長になんて選ばれるわけなく、ただの部員だったけど。それでも割とたくさん練習し、お互い射るところを撮りあって、試行錯誤を繰り返していました。そのかいあってか少しずつうまくなっていき、補欠ではあるものの大会メンバーに選ばれるようになりました。この時はめちゃめちゃ嬉しかった。その大会で矢を射ることはなかったけど、練習して力がついてきているのが分かって楽しかった。また弓道部で先輩に最後に教えてもらった、弦の仕掛けづくりをマスターして、使われていない弓を使える状態にしました。弦のケア的なことで結構頼られるようになったんです、頼られるのは照れ臭かったな。
部活自体は楽しかったけど、部活に関して嫌なこともありました。片づけをしてから着替えて帰るのですが、片づけているときにバッタが出てビビっちゃったんです。それきっかけでバッタが無理なことがばれて、散々ひどい目に遭いました。バッタを捕まえて近づけてくるという悪乗りで、僕は叫びながら逃げまくりました。パニックでした。エスカレートして、部室にバッタを放たれたときは最悪でした。しかも僕が捕まえるまでその地獄は続くようでした。僕は我を忘れて泣きながら発狂していました。30分以上バッタとにらめっこして結局怖くて触れなかった。自分の臆病さに嫌気がさしました。なんでこんなことが出来ないんだろう、情けない。
まあそんなこんなで秋になりました。僕が部活で一番の親友だと思っていた子が弓道部をやめました。その友達はあまりうまい方ではなかったけど、ずっと僕の心の支えでした。うまい下手でその人のことが決まるわけではないし、そんなんで決まっていいわけがない。ただ、その友達はやめていきました。後から知ったことなんですけど、裏でいじめまがいのことがあったみたいです。彼がやめた後、彼の陰口を聞いてしまっていやな気持ちになりました。あとたぶん僕も気づいていないだけで、僕に対する陰口も裏で言われているのかななんて考えてしまいました。本当は彼の陰口を言っている奴をぶん殴りたかったし、僕も部活をやめてやろうと思っていた。でもここでやめたらすべてが台無しになる気がするし、こいつらを見返してやりたいという気持ちになった。
僕は初めて大会のメンバーに選ばれた。毎日毎日4射中1,2射ずつくらい当てていたのが響いたのか初めて公式大会の選抜メンバーになった。A,B,Cチーム、それぞれ3人ずつ。僕はBチームに選ばれた。練習して練習して、いざ本番。
武道館で行われた県の大会で僕は緊張で震えて、1射も当てられなかった。情けなさと申し訳なさでいっぱいだった。Bチームが不調で僕以外の二人もボロボロだったが、それでも申し訳なくて悔しかった。
大会はうちの高校のAチーム(全員友達なんだが)が調子が良くて3人合計で12射8か9くらいでかなり上位に行ったくらいだ。BとCはあまり振るわなかった。確か女子の方はAかBかどっちか忘れたが上まで上がったらしい。あんまり覚えてないや。
大会が終わって少し部の雰囲気は緩んだというか和やかになった気がする。一気に寒くなって冬になった。大会が終わってから、僕は一気に弓の強さをあげた。11.0キロを使っていたが、そこから13キロを使い始め、そこから狂っていたのか使われていなかった重い弓の弦を張り、15キロと16キロの弓を使える状態にした。最初かなり重くて、的に当たったときの音とか矢の飛び方が全然違った。でも狂ったように重い弓を使い続けた。幸い会は保てて早気になることはなかった。
冬だったか春だったか忘れたがコロナ関係で、個人戦の大会がリモートになった。全員参加で、一人4射を2回。僕の番が回ってきて1回目は1中、2回目は思った通りの場所に飛んで行って初めての皆当。つまり4射4中を決めた。あんなにあこがれていた皆中を、成し遂げて僕は唖然とした。3中したときに不思議と緊張はしなかった。8射5中の成績を残したが、後々表彰とかされることはなく上には上がいるんだなと実感した。
部活はしっかりと思い出に残っている。だが、プライベートというか趣味はかなりカオスであいまいである。スロットはやめられないままで、むしろ悪化してゲーセンのメダルゲームもやりこむようになった。それからソシャゲを始めた。コンパスという3対3のゲーム。楽しくてついつい時間を忘れてやりこんだ。音ゲーも確かこの時期に始めたんだっけ。プロセカがリリースされ始めたから始めた。右も左もわからなくて、あんまり上手じゃなかったけどハードができるようになったときは上達したなと感じた。それからすぐにデータが飛んでやめた。シムシティという街づくりゲームにのめりこんだ。ポケモンGOも一時期復帰したんだっけ。部活のみんなとルギアのレイド戦をやったのは覚えている。アニメも割と色々みてたかな。炎炎ノ消防隊を観てた記憶しかねえ。映画は、、、秒速5センチメートルが好きだったな。
つまらねえ人生だったと思っていたが書き出してみたら意外と書けるもんだな。
時系列とか具体的なことはあまり覚えてねえけど。
あ、そうだ。この時だった。でかい商業施設が経ったのは。確か10月くらい。
まあいいや長くなっちゃった。
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