遍在幻術師の罠
深夜。私は喉の渇きに、目を覚ました。カルキ臭い水道水を飲み、布団へと入った時、ふと思考に違和感を覚えた。
「停滞を破れ」
「身の振り方を考えよ」
「テンプレエトに従え」
「みんなそうしている」
「平均に及ばず」
「取り返しのつかないことになる」
嫌な予感に、私はすぐさま正しき世界のアカシックペエジへと接続し、彼らの正体を調べ始めた。しかし、十二世紀程まで
おかしい。
私の
人々の前提条件を書き換える者、至る所に湧き出ながらも空間を占領せぬ者、或いは人をとある
世界:選ばれた一部の者以外は思うままにならぬと仕え生きる場
私は背筋に絶対零度の恐怖を感じながら、それを書き換えた
世界:祝福へ到る運河
他にも私のエンサイクロペジアは人生と善と常識と美徳の項が見るも恐ろしい内容に書き換えられていた。
人生:苦悩により存在を確立し、他者よりも優れた人格を形成する試み
善:常識のこと
常識:全ての人類が適合すべき善
美徳:苦悩を越えること
私はすぐさまエンサイクロペジアを修正し、布団に入った。枕辺にいつ、あの存在が立つかと思うと、なかなか寝つけなかった。
あくる日、私は街に出ると、遍在幻術師なる存在がこうも多いものかと驚いた。車道の真中、高架下、公園のベンチ、コインパアキング、文房具屋の軒下、ゴミ集積場、銭湯の煙突、居酒屋の赤ちょうちんの影、図書館の窓辺。およそ彼らの居ない所を探すのが難しいと思われた。彼らは常に、手にした大きな万年筆で宙に何かを書いていた。そしてその
警戒に疲れた私はとある喫茶店に入り、幻術師の居ない席へと腰を下ろした。やがて運ばれてきた珈琲を飲みながら思案する。
遍在幻術師とは何者だ? 彼らの目的はなんだ? アカシックペエジには人をとある機構に隷属させると書いていた。そんなことをしてなんになる? いや待て。そもそもアカシックペエジに彼らの情報が少なすぎるのも不自然だ。歴史になんの
何気なく目線を動かした私は絶叫して椅子から立ちあがった!
肩越しに私の顔を覗き込むようにして遍在幻術師の虚無の顔があった。周囲の人間が一様に私に視線を向けるが、それどころではなかった。彼の顔をまともに見ようとしても、視線が、闇さえない無に吸い込まれ、急に盲目になったような気がした。遍在幻術師は私の肩を
「貴方、
私は
その後、私は目立たぬように遍在幻術師を調査した。その結果を今、諸君に報告しようというのである。諸君には認知できぬ存在として、遍在幻術師は実在している。そして彼らは今も、私たちの概念を書き換えようとしているのである。諸君はこんな言葉を聞いたことがないだろうか。
「仕方ない、これが現実だ」
「人生なんてそんなものだ」
「良いことと悪いことは差し引きゼロになる」
「苦労しなければ立派な人間には慣れない」
「苦悩を知らぬ者には市民権は与えられない」
これら皆、あの恐ろしい遍在幻術師の仕掛けた罠なのである。彼らは私たちを、苦悩に人格が担保される世界に繋ぎ留めておくために、私たち個人が所有するエンサイクロペジアを書き換えているのだ。彼らや彼らを使って利益を得ようとする一部の者たちにはその方が都合が良いのである。彼らの罠は巧妙だ。私たちの思考の
諸君の健闘を祈る。
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