廃棄された言葉
私は何故ここに居るのだろう。
船頭を見た。彼は枯れ枝のような腕で船を漕いでいた。
「お前さん、やったね?」
「え? 何を……」
「ああ、まだ
「この船は、何処に向かっているのです」
「王様の所さ。お前さんはそこで裁きを受けるのさ」
「王? 裁き? 何のことです」
「じきに思い出すさ」
やがて船は岸へと着き、私は王の前に引き出された。薄暗い洞窟のような場所で、王は
「さて、何から問おうか」
低くしわがれた声はなんとか私の耳に届いた。
「お前は、生をなんと心得る? 生きることとはなんだ」
王は微塵も表情を崩すことなく問いかけた。畏れにも似た緊張感の中、私は慎重に言葉を選んだ。
「生きることは、理不尽の連続です。生まれた時から、人の運命は決定されています。強く生まれた者は強く生きることができます。しかし、弱く生まれた者には、弱く生きることしかできません。選択肢、という言葉は、そもそも強者の概念です。そして世間は常に強者の美徳で管理されています。弱者は常にその機構の中で生きることを強いられる。生とは、理不尽なものです」
王は私から目線を外し、ゆっくりと首を傾げた。
「わからん。何故そのような考えに至るやら、私には分からん。では再び問おう。お前の言う強者とはなんだ」
「世間に認められた者のことです」
「世間? 世間とはなんだ。大衆のことか」
私には明確な違いは分からなかった。
「そう、です」
「では、どのような愚か者でも大衆が認めれば強者か」
「はい」
断言できた。世間とはそういうものではないか。私はこの王とやらが馬鹿なのではないかと疑い始めた。
「お前は、強者か。弱者か」
「私は、弱者です。誰にも、何も届けることのできない、弱者です」
これも断言できた。
「ようやく分かってきたぞ。お前の愚かさが、な」
王は私の目を見据えて言った。
「お前にひとつ、教えてやろう。真の強さとはな、存在の継続だ。いかなる場所に置かれようが、己の存在を咲かせ続ける者、それこそが強者だ。大衆の評価など、どうでもよい。さて、そろそろ頃合いか。お前、自身の過去を思いだせるか」
「過去……私の過去は……」
何も思いだせなかった。王は、ふむ、と
「ならば、これはどうだ」
王が背後の壁に触れると、文字が浮かび上がった。
“
“誰に
“苦悩に
“銀河の支流としての必然の生は正しき運命に誘引される”
「お前はこれを見てどう思う」
「そんなのは、皆、キレイゴトです」
「馬鹿者!」
王が洞窟に響き渡る声で怒鳴った。
「これらは悠然と世界を見渡し、孤高にも正しき道を歩んだ賢者の言葉として、我が書物に書き加えられる
「私によって廃棄された? どういうことです」
「お前はこの言葉を
「私は、決して人殺しなどしておりません」
「ほう、では答えよ。お前は何故ここに居るのだ」
突然、頭に断片的な映像が流れ込んできた。人里離れた海辺の防風林、ひときわ大きな松の木、丈夫なロオプ、脚立、遺書。
これは、私だ。突発的な無力感と
「どうだ、思い出したであろう。貴様の罪を。先の言葉はお前自身が紡いだものだ。もしも、お前が自ら死を選ぶことなく、天上へと至っていたならば、お前の言葉はそこで永久に語り継がれていただろう。しかし、お前はそれを自らの手で廃棄した。この罪の重さがお前に理解できるか」
「しかし、私は生きていた時でさえ、誰にも顧みられませんでした。そんな私の言葉がどうして天上で語られましょう」
「愚か者め。地上の価値観で物事の本質を計れると思うな。天上で扱われる全ての書物、いや芸術はその者の魂から発現したものばかりよ。地上で大勢が見たから、誰にも顧みられなかったからなんだというのだ。大体、“誰に顧みられぬとしても、魂の叫ぶようにして生きよ”とは誰が言った。お前だろう。お前は書物の上で幾万もの言葉を大衆へと投げかけた。しかし、いつでも、その対象にはお前だけが含まれていなかったのだ。それもお前の罪だ。大罪人め」
王の言葉が、鋭く、胸に突き刺さった。
「では、では私は一体どうしたら良かったというのです」
「どうしたらも何もない。ただ、生きておれば良かったのだ。馬鹿者」
肩を落とす私の頭上から、尚も王の声が降り注いだ。
「さあ、これからお前の罰を執行する。先ずは千年、お前の死を
私は兵士に抱えられ、嘆きの川へと連行された。
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