役立たずの詩
ここにひとり、男があった。彼は、とんでもない幸運と、とんでもない不幸をひとつずつ抱えていた。幸運とは
世界は効率化と最適化に加速させられ、偉大なる詩人は日々、食いつなぐために労働を余儀なくされていた。詩人は少しばかり、人よりも感覚が過敏だった。LED電球が気味の悪い程
その世界に彼の詩を読む者はいなかった。それでも。嗚呼、それでも彼は詩をつくり続けた! そして日々を生きていた。誰にも届かぬと知っていながら己の為すべきことを為す彼の
彼は、勇敢な大詩人である。
彼は朝の十時きっかりに作業台についた。
昼過ぎになり、彼は休憩室に入った。先に居た女子高生が彼を認め、声をかけた。
「サッキー、きゅーけー?」
「うん。一時間ね。
「あとちょっとで戻んなきゃ」
「そう」
彼はパイプ椅子に腰かけ、買っておいたパンを食べようとしたのを、やめた。食欲が湧かなかったのだ。しばし、無言の空間に、女子高生がスマートフォンをいじっていた。彼は窓から外の町並みを眺めていた。
ありきたりな表現だけれど、鳥は自由だ。僕は囚われたようだ。本当はもっと自由になれるんだろうか。僕が、その方法を知らないだけ? どうなんだろう。
「サッキーってさ、普段、何してるん」
「何してると思う?」
会話を繋ぎつつ、彼は必死に考えた。どう乗り切るかを。まさか詩をつくっているなどとは、言えなかった。しかし、適当なことを言ってごまかすこともできない。彼は不幸にも嘘のつけない男であったのだ。
「えー全然想像つかない。ネットで小説とか書いてそー」
一瞬、彼の
「いやいや。書いてないよ。引地さんは? 学校以外は何してるの?」
「こないだ友達とカラオケ行ったー。サッキーは……行かないよね。友達いないもんねー」
「なんだそら。居るわ! 友達くらい」
女子高生からの最大限の親しみの情を、彼は分かっていた。彼は人の情を察することにも長けていたのだ。表情、
「で?」
「でって?」
「だから、普段、何して――」
女子校生が話の流れを戻しかけたその時、休憩室のドアが開いて入ってきた人物があった。
「あ、私、仕事に戻らないと。じゃあねーサッキー」
女子校生は慌ただしく休憩室を出ていった。代わりに入ってきた人物、新谷上長がさっきまで女子校生の座っていた椅子にどっかりと腰を下ろした。
「どうも」
彼は努めて何でもない様子を装い、挨拶をした。
「多いな、お前。入力ミス」
「どうも、すみません」
新谷はティッシュペーパーでメガネを拭きながらため息をついた。
「前から言ってるだろ? 全然減らない。なんで?」
「それは、その、注意力散漫で……」
新谷の表情を直視したくなかった彼は、視線を外した。
「注意力な。それもあるけど、やっぱり重要なのは自覚じゃない? 俺たちはみんな、仕事をして、金を貰ってるんだ。だから常にプロとして自覚を持って仕事しないと。分かる?」
「はい、分かります」
ふと上げた目が新谷の表情を捉えてしまった。そこに
「
詩人は話を聞くことも、上手かった。相手が今どんな
新谷に幾つかのミスを指摘されながら業務を行ない、彼は夕焼けがその見事な色彩をなくす頃になってようやく、自室に戻ってきた。手早くシャワーを浴びると、詩人は机に向かってノートを広げ、鉛筆を持った。本来であれば、ここから、偉大な詩人たる彼の真の作業が始まるのであったが、今日はなかなかそれが始まらなかった。情報過多な労働は、彼にとってひどく疲れるものであった。今、詩人の脳内では自分自身ですら認識できぬほどの速度で大量の情報が駆け巡っていたのであった。
なんで僕は人並みにできないんだろう。いつまで経ってもミスばかりだ。僕より後にあの仕事を始めた人はもう、皆僕より仕事ができる。手早く、ひとつのミスもなく。なのに僕だけがいつまで経っても成長できないまま。落胆されるのが怖い。いや、もうされている? 期待に応えたいような、そんなことせずにひねくれてやりたいような。嗚呼、結局僕は優柔不断なんだ。何ひとつ決められやしない。僕は、やっぱり役立たずなのか。どうする? これから。いつまでこんな生活を続ける? 世間の人よりも短い労働時間で少ない給金を貰って、空いた時間で詩をつくる。こんな
詩人を誰よりも役立たずと認めていたのは、彼自身であった。偉大な詩人よ、聞け! それは皆、妄想だ。幻覚だ。君は立派に詩人として在るじゃないか。それ以外に何が必要だ。惑わされるな。君ほどの人物が役立たずだなんて、そんな筈がないだろう。正気に戻れ。
詩人はしばらく、腕を組んで考え込んでいた。やがて、小さく頷いて、鉛筆を走らせ始めた。
波線を描くロボツトの
軌跡がなんになりませう
もうただ機械は波線を外れず
進むことを願うのみです
技師はどうしてこんなにも
歩こうとしたロボツトまた転んだ
プログラムの液が少し
これは少し
僕は、どうなりたいんだ。詩人として、身を立てる? 少し違う。つくった詩が表彰される? やっぱり違う。僕は、僕のつくった詩を本当に必要としている人に届けたいんだ。僕が死ぬまでに、いや、死んだあとだっていい。必要な人に届けば。僕はまだ、純粋にそれを実行できているか分からない。僕の詩を必要としている人なんて、居ないだろうって、心の何処かで信じてしまっているんだ。もし、強靭な精神で、いつかの誰かのために詩をつくり続けている人がいるなら、どんなに立派な事だろう。そんな詩人が居るのなら。
黙殺の湖面に波は無く
昇らぬ日の丘人は無く
尚立ち尽くす君の姿は
友よあれよと我は泣く
友よあるぞと我が鳴く
君の姿は蓮の花
君の姿は雨の水
少し、良いものができたと詩人は
いつか君と会えたなら
役に立たない者同士
肩並べて
役立たずの詩つくりませう
詩人の前途に、幸あれ。
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