dup-existence

 則子のりこはコンビニを出るなり、冷凍パイナップルのふうを切って、ひと粒、口へ放り込んだ。

「思ったより、味薄いな」

“完熟果実の甘さ”という文字列をジトっとにらみ、彼女は深夜の住宅街へ歩き始めた。

 それで、なんだっけ。そう。語呂のいい言葉。何があるかな。ポムポムプリン、照り焼きチキン、墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう、ハットトリック、あんぽんたん、トカトントン。ん? トカトントンってなんだ?

 考えながらも、彼女の手はなん度も冷凍パイナップルの袋と口とを往復していた。

 パイナップル、うまいぞ。甘すぎないからいつまででも食べていられる。これはクセになるぞ。いや、そんなことより、語呂だ。いまいちピンとくるのがないな。こういう時はあれだぞ、枠にとらわれすぎているんだ。もっと自由に考えないと。とんちきチキン、埼玉お玉、超越ちょうえつ送別会、さらばだサラダバー、さらばだサラダバーサラマンダー、石臼いしうすセリヌンティウス。

 彼女は危うく、角を曲がりそこなう所だった。

「うぇ。なんか、指先がべとべとする。パイナップルの汁だ。うへえ」

指先をめると冷凍果実の数倍は甘かった。

「なんだこりゃ。甘さが全部染み出してるのか?」 

午前三時の静けさが、くだらないことをまじめに考える思考に適していた。

 ええと、そう。自由になり過ぎるのも良くない。なんだよ、さらばだサラダバーサラマンダーって。結局、実在する言葉じゃないといけないんだ。でも、サラダバーもサラマンダーも悪くはない。横文字は案外、優等生と見た。タクティカルベルト、エレクトリカルパレード、セントバーナード、サインコサインタンジェント、グルテンフリー、グレゴリーペレルマン、テレ・イグジスタンス、あ! 

 則子は思わず口に入れたばかりのパイナップルを勢いよくかみ砕いた。指先のべとべとは、もはや気にならなかった。

 これだ、これこれ! テレ・イグジスタンス! 長すぎず、短すぎず、印象に残って、なん度でも言いたくなる! 正解はテレ・イグジスタンスだったんだ。テレ・イグジスタンス、テレ・イグジスタンス、テレ・イグジスタンス! いいなあ。ところでテレ・イグジスタンスって、何? 私が作ったにしてはでき過ぎてる。聞いたことはあるんだけどな。確か、遠隔えんかく存在、だったかな。何? 遠隔存在って。UFOか何かか? うーん。

 めぐる思考回路に注意力を持っていかれていた彼女はアパートのそばに置かれていた大きなゴミ箱に蹴躓けつまづいた。

「あらら。前見て歩かないと」

それでもなお彼女はテレ・イグジスタンスの魔力に捕らわれていた。

 ま、細かいことはいいや。テレ・イグジスタンスはかっこいい。これで充分だ。何処がかっこいいのかな。やっぱイグジスタンスだよな。こう、スターンとしている。いや、でも本当にいい仕事をしてるのはテレかもしれんぞ。テレでただならぬ期待をさせておいたところにイグジスタンスがスターンと来るんだ。共同作業だな、こりゃ。多分、テレが遠隔でイグジスタンスが存在だ。じゃあ、テレを変えると別の存在になるわけか。面白い! 

 則子はその勢いに任せて空になった冷凍パイナップルの袋を小さくたたみ、自宅アパートに常設されているゴミ箱に投げ入れ、みつだらけの手でオートロックを解錠かいじょうして、部屋へと飛び込んだ。指先を洗ってから手早くシャワーを浴びている間もテレ・イグジスタンス改造計画は進行していた。

 浴室から出た彼女は寝間着ねまきに着替えると、近所の自販機で60円で売られていたゼロカロリーサイダーを片手にベランダに出た。

「うへへ」

 どんなイグジスタンスにしてやろうか。テレ、だから二文字しか入らない。なかなか難しいぞ。テレ、テレ、トレ、タラ、トロ、キラ、トレ、トル、タラ、タリ、タル。駄目だ。やみくも過ぎる。

 サイダーを開け、ひと口飲む。これまで口内にとどまっていた天然の甘みが人工甘味料に押し流された。

 意味だ。意味の方から攻めよう。どんな存在にするか、ということだな。いや、そもそもどんな存在を示す言葉にするか、ってことだ。存在、か。妙な存在にするよりは、やっぱり身近な存在。私? いやいや。私ひとりのためにイグジスタンスを作るなんておこがましい。となれば、人類? うん。人類にしよう。人類の在り方を記述するようなイグジスタンス。人類とは。傲慢、無恥、横暴、破廉恥はれんち。駄目だ。内輪うちわから火を出すようなことしちゃいけないな。とはいえ、これも本当だと思うけど。人類のいいとこも探そう。えー。健気。探求心旺盛おうせい勇敢ゆうかん。優しい? んー。良い所を探す方が難しい。しっかりしてくれよ、人類。いや、私か? 難しいな。人類を記述するのって。いろんな要素が混ざり合ってるんだよな。良い所も、悪い所も、でもそれは個別にあるんじゃなくて、もっとこう、同時に存在してるんだ。色んな要素が一か所に集まってて、それが確率で出現するような。なんていうんだろう? ここが現実離れしてるんだよな。

  じきに空が白むという時刻にもかかわらず、則子は勝手に悩んでいた。サイダーの炭酸が、ほんのわずか、思考をクリアにした。

 複数のものが同時に存在してるっていうことは、直感的には現実離れしているようなんだけど、実際はこれこそ現実的だと思うんだよな。例えば、ホログラムみたいに質量のない世界がなん層にもなってこの世界はできてる。私たちはその中から、自分たちに合った世界を選び出して住んでるだけなんだ。だから、どんな可能性も、やっぱり同時にそこに存在している……。 あれ? 何を考えてたんだっけ? えーっと。そうそう。人間という存在だ。イグジスタンス、イグジスタンス。どうしてこんなに外れたこと考えてたんだろ。ま、いいや。とにかく、人類って言うのは複数の可能性が重なってできている存在ってことか。お、重なる、重複ちょうふく。重複って英語でなんて言うんだっけ。えーと。ド、デ、デュ? ダ、ド……! duplicationだ! となると、どうなるテレ・イグジスタンスを書き換えてデュプ・イグジスタンス? デュプは嫌だな。語呂が悪すぎる。じゃあ、ダプ? うん。こっちの方がましだ。じゃあ、決まり! 人類は、ダプ・イグジスタンスだ。

「喜べ、人類」

 則子は満足げな表情でサイダーをかかげ、一気に飲み干した。東の空が白み、鳥が鳴き始めていた。

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