冥府の扉と歌を奏でる伶人の姫

第1話

 大内裏の中務省なかつかさしょうと同じ敷地内にそのしゃは存在していた。

 かつてはとも呼ばれていたその機関は、現在では陰陽寮おんみょうりょうと呼ばれており、陰陽道を扱う専門技官たちが集う場所であった。陰陽寮の技官は陰陽師以外にも存在している。各専門の技官たちを博士と呼び、こよみを扱う暦博士や漏刻ろうこくと呼ばれる水時計を扱う漏刻博士、そして天文学を扱う天文博士といった博士たちが存在していた。陰陽道は暦、漏刻、天文のすべてを含めたものであり、これを扱うのが陰陽師という存在であった。

 その日、大学寮での授業を終えた篁は、刀岐ときの浄浜きよはまに会うため、陰陽寮を訪れていた。

 陰陽寮には、大学寮と同じように陰陽道を学ぶための施設も存在しており、そこには陰陽学生がくしょうと呼ばれる者たちがいて陰陽道を学んだりしていた。篁はそんな学生たちの学ぶ部屋の脇を通り抜け、廊下の突き当りにあるという浄浜の執務室へと使部じぶ(陰陽寮の庶務職)に案内された。

 浄浜の執務室は書物で溢れていた。そのほとんどが唐の物のようで漢字ばかりの書物が所狭しと積み上げられている。その部屋の隅に白い水干を着た小柄な男が座っていた。そう、陰陽師の刀岐浄浜である。

「おお、これはこれは野狂やきょう殿ではございませんか」

「浄浜殿。篁にございます」

 篁は冗談などは通じないといった真面目な顔をして浄浜に言う。

 しかし、そんなことはお構いなしといった感じで浄浜は笑っていた。

「そうであったな、篁殿。して、どのようなご用向きかな」

「冥府への扉というものを浄浜殿はご存知でしょうか」

「また物騒な話を持ってこられましたな、篁殿」

 浄浜はそう言うと、ちらりと廊下の方へ視線を送ってから、篁の顔へと視線を戻した。

「ということは、ご存知なのですね」

「まあ、知らぬこともないが……」

 どこか歯切れの悪い言い方をすると、浄浜は急に立ち上がって廊下の方へと歩いていった。

 どうかしたのだろうか。篁は訳がわからず座ったまま、目で浄浜の動きを追う。

 すると急に浄浜は立ち止まり、着ていた水干の袖から扇子を取り出して、突然くうを斬った。

「これでよい」

 満足げに浄浜は言い、再び篁の前に腰を下ろす。

 一体なにがあったのか。篁にはわからなかった。

「あの、今のは?」

「気になるか、篁殿。まあ、良い。不届き者が陰陽寮に侵入を試みたので成敗してやったのだ」

「不届き者?」

「そうだ。お主が連れてきたようだぞ、篁殿」

「私がですか」

 篁の言葉に、浄浜は無言で頷く。

 そのような者を篁は連れてきた覚えはなかった。

 またこれも浄浜の冗談なのだろうか。篁には判断ができなかった。

「最近、何やら物騒なことはなかったかね」

「あったと言えば、ありましたが……」

「やはり。だから、冥府への門を探しているというわけなのか」

「まあ、そういうことになります」

「面倒だのう」

「はい?」

「面倒なのだ。そういった仕事は。正直、気が乗らん」

 そう言うと浄浜はごろんと床に転がり、肩ひじをついて寝そべった。

「浄浜殿は陰陽師ではありませんか。平安京みやこから邪のモノを祓うのが仕事でしょう」

「まあ、表向きはそうなっておるかもしれんな」

 あくびを噛み殺しながら、浄浜は言う。

 呆れたお方だ。篁は心底がっかりした。刀岐浄浜という人物はもっと頼れる存在だと思って訪ねてきたというのに、何なんだこの態度は。

「浄浜殿に頼ろうと思った私が間違っておりました。この話は無かったことにしてください」

「ああ、それが良かろう。危険なことに首を突っ込むことはない。そうじゃ、篁殿に一枚札を授けよう。これがあれば、簡単な邪くらい祓える」

 浄浜はそう言うと自分の文机の上に置かれていた札を一枚取って篁の直垂の袖に押し込んだ。

 その態度にも篁は腹がたった。

「失礼する」

 篁はそう言い放つと、立ち上がり陰陽寮を出た。

 何なんだ、あの態度は。馬鹿にしおって。そもそも、邪のモノなどの対応は陰陽師の仕事ではないか。私はただの文章生に過ぎんのだぞ。陰陽師がしっかりしないから、平安京みやこに邪のモノが現れるのだ。

 篁は大股で歩いて大内裏を抜けると、そのまま朱雀大路を渡って自宅のある右京へと向かった。

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